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    「受験要件化」の正当性という視点

     なぜ、法科大学院制度には、その修了を司法試験の受験要件とする形が張り付いているのか――。現在、ネット上で見れる、法科大学院に関するQ&Aで最も直接的にこの問いに答えているのは、文部科学省でも、法務省でも、法科大学院協会でもなく、日弁連です(「法科大学院Q&A」2012年7月、日弁連法科大学院センター作成)。

     日弁連以外のQ&Aの扱いは、「なぜ」には直接言及せず、あるものとして説明していたり、それを飛ばして、むしろ法科大学院に行くメリットの方を強調するものになっている印象です。そこはもはや改めて説明するまでもない、という扱いにもとれます。

     その日弁連のQ&A(Q7) には、およそ次のようなことが書かれています。

     法科大学院は、従来の旧司法試験時代の受験競争による「点」のみの選抜ではなく、法曹養成に特化した専門的教育機関を設置し、これを中核とした「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備すべきという観点から、創設された。現在の法科大学院には解決すべき課題が様々に存在しているのも確かだが、法科大学院の修了を司法試験の受験資格と切り離せば、「点」のみの選抜に逆戻りすることとなり、法科大学院教育を中核とする理念は骨抜きとなる。仮に受験資格を撤廃すれば、法科大学院教育は法曹になるために必須なものでなくなり、法科大学院における専門教育を法曹養成の中核とした理念に反することになる――。

     つまり、ここで言っていることは、「点」の選抜には戻せないから、ということです。当然、法科大学院を創設した「改革」は正しいのだから、という前提で、「理念の骨抜き」を懸念していることになります。これは、法科大学院制度を擁護しようとする側から、度々聞かれてきた「模範回答」みたいなもので、Q&Aで直接言及していない他の組織にしても、それこそ説明するまでもない前提のはずです。

     しかし、あえていえば、ここではそうした地位を与えられた法科大学院という存在が、何によってその地位足り得るか、誰がそれを決めるのか、というところがあいまいです。そして、その意味で最も気になるのは、受験資格を撤廃すると、法科大学院教育は法曹になるための必須なものではなくなる、という懸念です。撤廃して必須でなくなり、法科大学院を経ない法曹が誕生するのは困る、適切ではないという発想ならば、前記理念による教育による質の統一化を目指すものととれ、制度としていわば「欠陥品」を輩出するわけにはいかない、という発想になります。当然、理念による教育のハードルは上がり、重い責任を背負う形になります。

     一方、必須でなくなる=選択されなくなる、という懸念ととることができます。必須にされなければ選択されないということは、時間とお金を使ってまで、この「プロセス」を経る「価値」が認められないことへの懸念、制度の自信のなさと言い変えられます。

     話が分からなくなってくるのは、骨抜きになったら問題な「理念」とか、法曹になるために「必須」かどうかは、結局、導入されたときから「制度」が実証しなければいけないことで、実際に法曹になろうとする当事者や社会がそれを評価すべきことのはず、ということがあるからです。制度が背負う責任部分はどう考えるべきなのかが分からないまま、選択されない懸念を制度が引きずっている。少なくとも、「改革」の結果が出ている今は、そういう目線でみられても仕方がないはずなのです。

     つまり、制度の理念が、当初の予定に反し、法曹にとって必須であることを証明できなかった場合、あるいは証明していないと社会も志望者も判断した場合、それでも修了の司法試験受験要件化を制度が、理念の看板のもとに握り続ける正当性は果たしてあるのかどうかの問題なのです。

     制度が導入されるとき、少なくともこれまで司法試験と司法研修所という、実は「プロセス」の教育を実践して来た法曹界側の多くの人が、「改革」の旗を振りながらも、新制度が必ずや、それを上回る「価値」を示すとみていた、あるいはそれは確信していたわけではなかったという事実があります。取材した法曹三者のトップやその周辺の人間の中にも、旧制度を「欠陥制度」とは見ていない人は多く、新制度については「とにかくお手並み拝見」という目線の人も少なくなかったのです(「法科大学院の『本音』と『自覚』」 「司法試験合格『1500人』で問われるべきこと」)。

     以前も書いたように、これまで法科大学院関係者から聞いてきた本音は、あくまで受験要件化=法科大学院制度、あるいは前記必須でなくなる=選択されなくなる、で、これを失えば制度は事実上終わる、と考える人は、少なくありませんでした。しかし、前記したような「価値」の実証性と評価を飛び越えて、この「本丸」を死守できる状況にはないのではないか、時短化政策といえる今回の「改革」も延命策にしかならない、という見方は徐々に強まってきています(「法科大学院制度『執着』が切り捨てているもの」 「法曹資格取得『時短化』法成立が意味するもの」)。

     前記関係者の本音の認識に反して、法科大学院そのものをなくせ、というのではく、あくまで受験要件化を外すべき、それが最も効果的な「改革」であるという意見も業界内にあります(Schulze BLOG)。リカレント教育など、別の存在意義を模索すべきという意見も、ここ数年さらに聞かれるようになっています。

     当初の「改革」の発想に縛られず、何を疑うべきか、というところから、考え直すべき時期に来ているが、もうとっくに来ているように思えてなりません。


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    弁護士会意見表明への内部批判がはらむもの

     大阪弁護士会が12月9日に開いた臨時総会で、死刑制度廃止を政府や国会に求める決議を採択したことに対する異論が、弁護士会内から聞かれます。死刑制度廃止の是非のような、弁護士間でも意見の分かれる案件について、強制加入団体である弁護士会が、多数決に基づいて対外的に意見表明することを問題視する、これまでも聞かれてきた批判的論調です。

     しかも、今回の決議については、弁護士会の民主的な決定プロセスそのものを疑問視する見方も張り付いています。報道にもある通り、会員4624人のうち、出席者は約200人。委任状での採決参加を含め賛成1137票、反対122票、保留・棄権30票で、要するに、問題視する側からすれば、会員間で意見が分かれる案件について、約7割の意思表明がないまま、決せられたことの是非ということになります。

     日弁連・弁護士会の対外的な意思表明をめぐり、これまでも会員から出される、ある意味、おなじみのこうした論調が、何を言いたいのかはもちろん分かります。しかし、一方でこの論調が出される状況にも、正直、違和感を覚えるところがあります。「強制加入団体であるから」、控えるべき、あるまじき、という切り口です。

     何度かここでも取り上げていますが、基本的には司法判断でもあるように、弁護士会の意思表明と個人の思想・信条は、完全に切り離されている、という捉え方ができるからです。逆に言えば、「強制加入団体であるから」、会決定の意思が、会員個人と異なっても仕方がない状況にある、という主張もできるはずなのです。有り体にいえば、弁護士を続けようと思えば、抜けたくても抜けられない団体にいるのだ、という現実をかざすことができるし、そもそも決議主体もそれを前提にしているということも明らかにできるということです(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」 「弁護士会が『政治的』であるということ」)。

     必ずこの論調には、個々の弁護士が顧問先から、「先生も死刑廃止論者ですか」と言われたとか、疑われるといったエピソードが、会員の「実害」としてくっついてきます。確かにそういうこともあるかもしれません。つまり、弁護士会の決定に、一会員の考えが意に反して、同一化、同一視される不利益の主張ということになります。しかし、それは、前記主張によって、あるいはその周知によって解くべき「誤解」ではないでしょうか。 

     弁護士会の決議や執行案件が、会員個人の異論の存在や、意思統一ができないことをもって、意思表明の手続きに乗ってきた多数意見(反対意見が行使されていないという事実もある)をもってしても決せられないということになった場合、死刑問題に限らず弁護士会の弁護士法1条の使命を果たす活動は大きく制約される可能性があります。司法判断にもみられるように、そもそも弁護士個人で達成できない同使命を達成することを弁護士会が背負えばこそ、前記会と一部会員の異論を切り離し、推進できる形を作っているようにもとれます。

     この問題では「政治的」ということが、取り沙汰されます。「政治的」ととれる案件は、それこそ弁護士有志でやればよく、弁護士会の活動にはふさわしくない、という見方が、強制加入団体の「あるまじき」論に被せられます。しかし、「政治的」なことが目的でなくても、「政治的」とされる「人権」にかかわるテーマはあります。「人権」にかかわる問題である時に、それに取り組もうとする弁護士会が「政治的」という批判を浴びる度に、あるいはそれが政治的な団体の主張と方向が同じとされる度に、その都度沈黙する団体で、前記弁護士会の目的は達せられるでしょうか(「金沢弁護士会、特定秘密法反対活動『自粛』という前例」)。

     そう考えると、個人の思想信条と強制加入団体の妥当性に関わる問題といっても、少なくとも解消可能な「誤解」の問題が、こうした弁護士会の存在意義と対等に、「あるまじき」論に被せられること自体が奇妙に思えるのです。

     ただ、それでも弁護士会として配意すべき課題はあると思います。一つは、弁護士会自身による「誤解」解消への努力です。つまり、前記会員の不利益も踏まえ、会員を思想信条的に拘束せず、かつ、全体を必ずしも反映していないという性格を明らかにし、周知することです。一つ一つの執行案件や決議のなかで、表現として残す方法や、決議には文中に賛否の票数を明記する方法も考えられます。要は、一部採決参加会員の賛成多数に基づくこと、違うに考えの会員も存在することが前提であることを確認し、社会に表明することになります。

     もし、それが執行案件の政治的な威力を減退させる、とか、そのために望ましくない、という意見があるとすれば、それは話が別です。それでは、事実をかさ増しして影響力を誇示しているのと同じですし、仮にこのことを明らかにしても、日弁連・弁護士会が意見表明する意味はあるはずです。もちろん、会の執行でも、案件によっては、意思統一が確実に図れる委員会やプロジェクトチーム名義での執行とする、といった方法を、もっと選択肢として検討に加えるという方法もあります。

     そして、もう一つは、いま、なぜ、このことが以前よりも会員間で異論として持ち上がるのか、その背景について、弁護士会主導層が目を向けることです。会も積極的に旗を降った「改革」によって、弁護士の経済環境は激変し、会員弁護士にはかつてのような余裕がない。強制加入団体であればこそ、個々の会員の業務をバックアップする活動への期待はかつてよりも高まっているといえます。帰属意識を支える基盤、その性格がもはやかつてとは違うということです(「『新弁護士会設立構想』ツイッターが意味するもの」)。

     そのことを、弁護士会主導層が自覚することなく、これまで通用したやり方を当たり前のように繰り出すのでは、会員コンセンサスにはたどりつけない。そして、そのことが今、弁護士自治をもっとも脅かすものになることを、彼らは踏まえるべきなのです。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

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    失われた発想と生まれた発想が意味するもの

     個人事業者として見た場合の、弁護士の特殊性は、何と言っても弁護士法1条の使命を抱えていることといえます。つまり、他の事業者同様、自らの事業活動による収益で生存していく前提でありながら、同条にある「基本的人権の擁護と社会正義の実現」を使命とするという、人権と公益にかかわることが宿命付けられているということです。

     そもそもが限界を抱えた、一見して無理をはらんでいるようにも取れる、この仕事の性格の特殊性が、従来、あまり問題化せず、内的にも外的にもなんとなく成り立ってきたのには、二つの要素があるといえます。一つは、弁護士の経済的な安定性の担保。弁護士は、収益性の高い活動で経済的に安定させることで、採算性がとれない活動が可能になる、という考え方は、弁護士会内で一昔前まで当たり前のようにとらえられていました(「『経済的自立論』の本当の意味」)。

     もっとも、儲けた先に、それがどの程度「使命」への貢献になっていたのかは、各弁護士の意識によっていた、というべきですが、逆にこの世界に根強く存在して来た、「弁護士はビジネスではなく、プロフェッションである」という捉え方を、それが矛盾なく支えてきたともいえます(「弁護士『プロフェッション』の行方」)。

     そして、もう一つの要素は、弁護士会という存在です。前記「使命」達成へ弁護士個人が抱えている「限界」があればこそ、その先を担うものとして弁護士会があった、ということです。弁護士会の活動への参加や意識もまた、個々の弁護士によって濃淡があり、現実的にはかつても消極的な関与者は絶対的に多数だったといっていいと思います。しかし、サイレントマジョリティが支える形のなかにも、前記「使命」とつながる弁護士会に対する、一応のコンセンサスがあったようにみえました。

     度々話題になる、高い会費にしても、強制加入への諦念や、あまり気にしなくても済んできた前記経済的「余裕」だけではなく、自らは活動に参加しないが、協力・貢献はしている、という納得の仕方が、公費で養成されたという意識の裏打ちもあって、会員の中には確かに存在していたということです(「弁護士会費『納得の仕方』から見えてくるもの」 「『改革』のあいまいさと職業モデルの関係」)。

     司法改革は、この弁護士という資格の特殊性を支えてきた「形」を結果的に壊すものになりました。いうまでもなく、弁護士の増員政策は、前記「形」を支えた経済的安定性を奪っただけでなく、個々の弁護士が競争と採算性を意識せざるを得なくなるなかで、これまでの「形」そのものに疑問を持つ方向になりました。「改革」は自分たちに、普通のサービス業としての自覚を迫ったのであるから、その中で、考えるべきではないか。そして個々のバラツキのある使命感に支えられてきた「形」ではなく、「改革」が求めている自由競争の中の、対価性のなかで達成されるものとして使命をとらえるべき、という発想へ――。

     そして、こういう発想に弁護士がシフトし出したとき、従来の発想のうえに成り立ってきた、前記強制加入と高額会費を伴う、弁護士会に対する、彼らの位置付けも変わってきた、というべきです。つまり、弁護士のあり方についての再定義をはらんだ前記発想に立ち、自由競争のなかで「覚悟」を迫られている弁護士たちにとって、負担だけがのしかかる、むしろ弁護士会自体が、その「覚悟」の足を引っ張る規制のように映り出したのです。

     しかも、困ったことに、この「改革」の旗を振ったはずの弁護士会自体は、旧来の「形」をどうやら現在においても壊すつもりはない、というか壊すことになる「改革」の旗を振ってしまった自覚はないようなのです。有り体にいえば、「改革」以前の弁護士が経済的余裕のなかで、一部の強い使命感と、多数の基本的なコンセンサスによってきた「形」が、(あるいは表向き)今後も維持できると思っているということなのです。

     一方で、弁護士の増員政策を止めようとせず、弁護士会員が自由競争への「覚悟」を迫られる状況を横目にみながら、いつの日にか有志たちが新たな需要を開拓し、かつての「形」を取り戻す、と。事業者性を多少犠牲にしても、これまで以上に弁護士は奉仕者性を高められるはず、という、当初の弁護士会「改革」主導層の発想は、思えば需要顕在化の見通しだけでなく、そもそも自由競争が弁護士にどういう覚悟を迫っるものになるか、現実的に想定できていなかった、というべきです。ところが、「改革」の結果がはっきりした今も、その発想が変わっていないようにとれてしまうのです(「弁護士と社会が払っている本当の『犠牲』」)。

     個人事業者としての経済的安定性によって、採算性がとれない案件を弁護士が使命感で引き受け(られ)、弁護士会そのものがそうした使命感への了解のうえに、強制加入と高額会費を維持できた「形」。それを今の弁護士たちが、過去のものとして批判的にとらえること自体は、もはや仕方がないことであり、むしろ「改革」の成り行きとして当然のことというべきです。

     問題はむしろそこではなく、その「形」がかつてなんとか背負っていてたものは、「改革」によってどうなったのか、これからどうなるのか、ということの方です(「弁護士の活動と経済的『支え』の行方」)。法テラスはそのその代わりとして、無償性の部分をきちっと担っていると胸を張れるのでしょうか。弁護士の犠牲的精神に依存する形は変わったのでしょうか。そして、本当に今後も弁護士が支えることに期待するのであれば、今、何が必要なのかは議論されているのでしょうか。 

     「弁護士を追い詰めても、結局手弁当の部分はなくなるだけ、成立しなくなるだけ」。かつて、この「改革」の結果を、こう懸念した弁護士がいました。それが現実のものになり、むしろ「手弁当」の過去の、無理とサービス業としての不健全さの方が強調されかねない状況で、私たちの社会が現実的に何を失おうとしているのかを問い直さなければ、あるいは弁護士に依存することの無理と限界がはっきりしただけの「改革」になってしまいます。


    弁護士会の会費についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4822

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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