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    伝えない弁護士会の深層

     かつての日弁連・弁護士会は、むしろ今よりもずっとオープンな団体だったのではないか、と思うことが度々あります。これは一般の人の印象とは違うかもしれませんが、有り体にいえば、ある時期から、会内情報が外に出ることに、極端に神経を尖らせるようになった。取材者の立場からいえば、それだけやりにくくなった、ということです。

     もちろん、「出さない」「出ない」から先こそが、取材者の力量や努力にかかっているともいえるわけですが、長年取材してくると、「取れていた」ものが「取れなくなる」「取りずらくなる」ということには、やはり敏感になります。そして、取材を始めた30数年前と比べて、最も日弁連・弁護士会の対応が違うと思えるのは、やはり内部議論の扱いです。

     つまり、最終的な決定がなされるまで、外に情報が出ることを極端に嫌い、また、恐れるようになったということです。それは、執行部の広報に対する姿勢、マスコミ対応ということにとどまらず、会員から情報が流れることを恐れ、一種の「箝口令」が委員会レベルなどで敷かれてしまう現実です。

     情報が漏れて、記事になった場合、出所を探す「犯人探し」が行われる場合もありました。「君に情報を流したあと、犯人探しが厳しくて参っている」などと、会内の取材協力者から言われたこともありましたし、一度だけ取材者本人である私に直接、委員会担当者が「誰にも言わないから、取材源を教えてくれないか」などと持ちかけてきたことがありました。その時は、さすがに取材者としては、随分舐められたものだと感じましたが、同時にその感覚に正直呆れかえったのを覚えています。

     弁護士会として決定事項だけ、外部に流すことの是非については、会内でも賛否意見が分かれるところでしょうし、それも結構なことではないか、と考えている会員も少なくないとは思います。ただ、取材の過程で弁護士会側とさんざんやりとりしてきたことですが、いうまでもなく、決定という議論の結論だけでなく、その経過には伝える「価値」があります。会内にどんな意見があり、どんな議論が起こっているのか、日弁連・弁護士会の執行部がどういう方向に議論を進めようとしているのか。むしろ結論に至る前に、それを知らせる意味があります。

     これに対する、弁護士会主導層の言い分は、ほぼ同じことが繰り返し言われています。つまり、決定前のことが、あたかも日弁連が決定したかのように流れてしまうのがよくない、一旦、そうした情報が独り歩きしてしまうと、後でそれを打ち消すことが困難になってしまう――と。最近、一部ネット上では取り沙汰された、弁護士職務基本規程改定の動きなどをめぐっても、日弁連は会外への情報漏れに神経質になっているといわれ、会員のなかからは、いつもながらの前記したような「上の言い分」で、事実上の「箝口令」が敷かれている、という話が聞こえてきます。

     ただ、この模範解答のようになっている言い分が、いささか苦しいのは、伝えられない対象が、「部外者扱い」されている会外のマスコミ・国民だけではなく、実は会員でもあるという点です。一般会員も、実は十分に知らされていない。今は、ネットがあるので大分変わってきてはいますが、会員間の噂で議論を知るというのは当たり前。会の機関紙・誌は、それこそ結論が中心で、意見が出ていても、全体的に執行部の方針に沿った作りになっている。

     つまり、何が言いたいかと言えば、日弁連・弁護士会が内と外に向けて、堂々と開かれた議論をする「価値」を本気で考えているのであれば、前記言い分は、それほど説得力があるだろうか、ということです。それを上回る守るべき「価値」があるだろうかということを、どうしても考えてしまうのです。

     こうした日弁連・弁護士会の姿勢は、1990年代に司法改革の議論が本格化するほどに、どんどん強まった観があります。ここで、あえて嫌な推測をすれば、日弁連・弁護士会は臆病になったのではないでしょうか。「改革」議論では、「市民サイド」というこれまでの彼らの意識に反し、弁護士・会は強い自省を迫られ、そして、内部にはこれまでに体験したことがない、会を二分する路線対立を抱えることになりました。「オールジャパン」を標榜する「改革」を推進する側に立った弁護士会には、「上からの」といえる、それまでにない執行部主導体制が姿を現し、会内民士主義の在り方も問われました。

     そのなかで、内外からの批判にさらされる環境を極力回避することに神経を使う、政策的政治的な姿勢を取るようになり、その結果、強制加入団体であればこそ、会内民主主義が担保されなければならない弁護士会にあって、およそ似つかわしくない統制的な空気までもが、徐々に蔓延したのではないか――。

     弁護士会の対外的な意見表明と会員個人の思想信条の齟齬というテーマが、強制加入団体の在り方として、弁護士会批判という観点で延々と言われています。弁護士会の意思表明の内容と、会員個人の思想・信条とは別、要は現実の弁護士会にはいろいろな考え方の人間がいる、という結論は間違っておらず、そのうえで弁護士会の意思表明には、やはり存在意義はある、と思います(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」)。

     ただ、前記のような批判が消えない現実を考えたとき、このテーマへの弁護士会の姿勢として、決定事項だけでなく、さまざま意見の存在、対立的な議論(あるいは執行部方針に不都合な意見を含めて)が現に存在していること、要は一枚岩でない現実があるのならば、正直にそれ伝えることもまた、「価値」があることといえないでしょうか。

     弁護士会主導層に、なぜか、そういう発想がみてとれないことに、ある意味、不思議な気持ちがさせられるのです。


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    弁護士会請求退会者数増加という現実

     弁護士登録者数の動向をウオッチしている白浜徹朗弁護士が、こんなショッキングなタイトルの記事を自身のブログに掲載し、話題なっています。「弁護士は年間で400人近くが自主廃業することが定着した」。それによると、日弁連の機関誌「自由と正義」に掲載された請求退会者について整理してみたところ、今年は382人と、昨年の358人から24人増加し、同弁護士の統計では過去最多。うち270人が弁護士登録3万番台以上で、若い弁護士の廃業が増えているということが示された、というのです。

     弁護士登録番号3万倍台以上というのは、ほぼ司法修習56期以降、弁護士登録15年目よりも弁護士歴の若い会員で、2017年版の「弁護士白書」によれば、昨年3月時点で、既に全会員の約57%を占めています。白浜弁護士は、2014年以降、請求退会者はは若干減少傾向にあったが、今年は増加に転じたとしています。前記「白書」と同弁護士のブログの数値とは、統計基準点の違いからか若干異なりますが、「白書」のデータでも2014年以降請求退会者数は頭打ちのようにとれます。同データによれば、2007年から2016年の間に、請求退会者はほぼ倍増、一方、この間に会員数も1.6倍に増えています。

     同弁護士は、弁護士急増政策開始前には、せいぜい年間50人に満たない人数しか退会していなかったことから考えると、年間400人近い弁護士のが自主退会は、弁護士の供給過剰を裏づけ、2015年から2017年まで弁護士の総人口が増えているなから退会者の減少傾向があったことは、司法試験合格者数を減らしたことが影響しているとみて、「司法試験合格者数は更なる減員が求められている」と結論付けています。

     確かに、こうした見方はできます。ただ、弁護士のなかには合格者減の必要論を導き出したこととの関係で違う見方もあります。それは、この請求退会は、企業などの組織内弁護士が「法曹有資格者」で足りる、という判断のもとに選択したものが含まれている、という推測を前提にするものです。高い会費を弁護士会に支払う意味がもはやない、と判断したものということもできます。

     そうだとすれば、弁護士登録を外したとはいえ、「自主廃業」というイメージとは大分異なってきますし、これをもって直ちに司法試験合格者減員が必要という結論にはつなげられない、という見方も出てきそうです。いうまでもなく、請求退会は単に弁護士資格に止まらないということしか意味せず、「弁護士」という資格にこだわらなければ、「法曹有資格者」というニーズは存在することになるからです。

     しかし、そうだとしても、問題は残ります。端的にいって、増員政策によっても、弁護士のニーズが顕在化しないことが決定的になった段階で、新法曹養成をめぐる議論で浮上してきた「法曹有資格者」という捉え方に対して、「改革」と弁護士会の姿勢が依然、ぼやけているということです(「『法曹有資格者』への変化」)。弁護士職務基本規程など弁護士を拘束するルールから外れる「有資格者」が、「企業内弁護士」に変わって企業利益獲得にまい進する事態、弁護士登録不要という弁護士会離れがもたらす弁護士自治・強制加入への影響、さらには今後の弁護士そのものの増員の是非、あるいは「改革」の弁護士増員政策はなんだったのかという問題――。

     日弁連・弁護士会が増員政策の向こうに、いまや弁護士活躍の最も期待すべき地平のこどく強調する、「組織内弁護士」の領域で、既に弁護士資格を離れる「法曹有資格者」が登場している事態を、弁護士会は依然直視しようとしていないのではないでしょうか。

     日本組織内弁護士協会の調査によれば、今年6月現在で、企業内弁護士は2千人を超え、全国の弁護士の5.4%に当たる2161人と、その数は過去11年間の間に10倍以上に膨れていますが、全体の約76.5%が、ほぼ弁護士経験10年以内の修習60期以降の若手です。組織を目指した若手弁護士が、弁護士資格の必要性を見出せなくなり、次々と弁護士会に見切りをつける事態を、依然、増員基調の「改革」を容認している弁護士会主導層は、果たしてどこまでこの先の未来に描き込んでいるのでしょうか。

     もっとも、弁護士請求者数からいわれていることは、いずれも、あくまで推測でしかなく、詳細な退会者の追跡調査の結果をもとにしたものではありません。なぜ、日弁連・弁護士会はそれをやろうとしないのか。事態をそれほど深刻に見ていないことからの、やる気のなさによるものなのか、それとも、やってしまうと、認めたくない不都合な現実を見ることになるからなのか――。そんな深読みもしたくなります。


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    司法試験の地位を変える法科大学院制度変更

     法科大学院の制度変更として検討されている、在学中の司法試験受験「容認」(「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」)が実現した場合の、在学中合格者について、法科大学院を修了しなければ、司法修習に進ませない、という、ある意味、奇妙な案が取り沙汰されています。既に在学中受験「容認」への条件付き賛成を理事会で決定した日弁連も、「基本的確認事項」の中で、在学中合格者の司法修習については、法科大学院修了の条件化を打ち出しています(「『条件付き賛成』という日弁連の選択」)。

     制度への「背理」として、制度擁護派からも出ている在学中受験「容認」案への異論に対して、合格しても法科大学院教育は受けさせるという形で、それは分裂回避のための落とし所のような格好で打ち出されているようにもとれます。

     しかし、こうなってくると、当然のことながら、司法試験とは一体、なんなのだ、という話になります。司法試験は、法曹三者になろうとする者に必要な学識、その応用能力を有するかどうかを判定する試験(司法試験法1条)であり、それゆえに、合格者は司法修習に進んできました。そう考えれば、合格者への修了条件化は、資格試験としての司法試験の地位を変えるものになるといえます。

     もっとも新法曹養成にあって、新司法試験は前記目的を維持したまま、法科大学院教育の「効果測定」という役割を担わされました。ところが、今回の案では、在学中受験ということで、その役割が俄然不透明になった。というよりも、仮に不透明なっても、さらには修了条件化で司法試験の性格を変えても、受験・資格取得への「時短化」で志望者回復を目指そうとしている、ということになります。

     これはいってみれば、あちらを立てれば、こちらが立たず的な話です。これまで通りの司法試験の性格を立てれば、合格者を法科大学院に強制的に縛り付けることはおかしく、逆に法科大学院教育を立てれば、司法試験の従来の性格を変えても、法科大学院は経なければならないとするのが筋である、と。

     しかし、これは相当の無理筋の案にとれます。必要な学識・応用力審査をパスしても、これまでのように司法修習に進めない、ということには相当な説明が必要です。司法試験の「効果測定」的役割を前提にするならば、教育を全うしていなくても、全うしたのと同レベルの人材が合格者ということになりますから、その余の教育の強制化の必要性は不透明です。一方、根本的に関門としての司法試験の地位を落とし、修了を優先させるということになると、合格しても経なければならない理由をはっきりさせなければならないはずです。

     問題は、法科大学院制度は、果たしてその中身を具体的に提示できるのか、ということです。合格しても修了が必要というのは、具体的にどういう教育が合格者に加味して施される意義があるからだ、そうしないと法曹として不都合があるのだ、と。だから司法試験の従来の地位を落としても必要なのだ、と。まさか、そこで説明できるのが、制度としてそうなっているから、とか、制度を維持するためにそうせざるを得ない、ということではないでしょうね、と、問い質したくなってしまうのです。

     もっとも、制度擁護派内異論派も、さすがにその無理筋を分かっており、在学中受験「容認」反対の文脈でも、合格者は「試験の時点において、『こうした知識と能力を有する』と判定されたことになるわけですから、その者には、受験後に法科大学院に在学する理由はまったくない」としています(「Law未来の会」の要請書)。もっとも彼らは、関門としての司法試験の役割は変えずに、司法試験のレベルを現実の法科大学院のレベルに沿わせることで、合格率を上げ、志望者回復を図ろうとしていますから、法科大学院制度のために別の形で、やはり司法試験を変質させようとしている、ともいえます。

     司法試験に合格しても法科大学院教育を経なければダメ、というのは、制度維持を疑いようもなく前提にしている側でも意見が割れるほど無理筋ですが、これは、旧司法試験組や予備試験組が本当にダメなのか、法曹として通用しないのか、あるいは法科大学院修了者に法曹として劣るのか、という根本的な疑問につながってしまいます。

     このことは結局、法科大学院が制度存続ありきではなく、その教育が、法曹にはどうしても必要であるという「価値」で勝負すること、修了の司法試験受験要件化ではなく、時間をかけてでも、社会にそれを実証し、「なるほど修了しなければ通用しない」「のちのち実力に差がつく」という評価を得るというのが正道だということ、そして、それを回避しようとしても、ずっと付きまとうことを教えているようにとれるのです。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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