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    弁護士増員による階層分化と「改革」の無責任

     「改革」と名の付くものが、現実的には予想外の事態を生むことは当然理解できますが、こと弁護士会で「改革」を主導した人と話をすると、それも程度の問題ではないか、という気がどうしてもしてしまいます。有り体にいえば、「蓋を開けてみなければ分からない(分からなかった)」ということを、どこまで抗弁として認めるべきなのか、という素朴な疑問がずっとつきまとっているです。

     とりわけ、弁護士の増員政策によって、弁護士がどう変わってしまうのか、ということ。もっといってしまえば、今日のような姿になることを、どこまで想像できたのか。そして、想像できた(あるいは想像できない)うえで、「市民のため」の「改革」を唱導したのか、ということが、なぜか問われていない現実があるのです。

     例えば、大量増員によって弁護士が現在のように階層分化することは、日弁連内で相当程度予想していた人たちがいました。日弁連は2004年3月に「21世紀の弁護士像及び弁護士のあり方」をテーマにシンポジウムを開催しています。その研究成果などをまとめた資料のなかで、森山文昭弁護士は概ね以下のように、弁護士が5つに階層分化することを予想していました。

     ① ごく一部のエリート弁護士。主に都市部の大ローファームに勤務。しかし、競争によって下位階層に転落していく弁護士が恒常的に生まれ、勤務弁護士のみならずパートナー弁護士も安閑としていられない時代となる。
     ② 多くの国民がイメージする普通の弁護士。個人事務所がなくなることはないが、共同事務所が進む。サービスが洗練され、企業化・近代化が進むことも。
     ③ 企業・官庁で従事する組織内弁護士。独立に不安を覚える弁護士側の事情と弁護士を必要とする企業・官庁側の事情によって、急速に数を増やしていく。しかし、日本の国内事情では、ある一定の段階で頭打ちになる。
     ④ 生計を維持できず、転職を余儀なくされる弁護士。この中には、社員等と基本的に同条件で転職する者、アルバイトなどしながら、細々と弁護士業務を続ける者も。
     ⑤ 業務を投機的に遂行するなど、業務形態に問題を抱えた弁護士。「一発ねらい」(事務所経費をできるだけ削減し、高額な損賠事件など全面成功報酬で受任し、数件の高額報酬で生活)や、提携弁護士まがいの弁護士によってさまざまな弊害が生まれる。

     細かな点を言えば、この予想の評価も分かれるかもしれません。既に②についても、うまくはいってはおらず、④や⑤に収斂されつつあるという、さらに悪い見方もできるように思います。しかし、基本的には、この予想通りになっているといえないでしょうか。

     この予想の認識が、どこまで「改革」主導層のなかで一致していたかは分かりませんが、こういう指摘があり、文章として資料化されていることを考えれば、それでも激増政策が必要とする立場に立つ「市民のため」を、この予想のうえに掲げられなければおかしかった。しかし、結果が出た今、しかもそれでも増員政策を止めない側に立ちながら、いまだにそれがはっきり示されていない。

     これは、こうした予想と結果を、上回る「改革」の「価値」の問題です。「改革」以前よりも、「おカネにならないことはやらない(やれない)」という意識は、確実に弁護士の中に広がりました。「サービス業だから当たり前」「慈善事業じゃないんだから」と、今、弁護士たちは言います。そして、それも国民が求めた「改革」の結果なんだと。

     しかし、国民が弁護士におカネを投入する用意がある、と描いた(あるいは今も描いている)のは、「改革」を推進した側です。数さえ増やせば、そうした国民が弁護士を利用し、おカネを落としてくれると。実際には、「ニーズ」と一括りにされるなかで、有償・無償をごちゃまぜにとらえていたわけですが、それも「改革」の旗を振った弁護士側の問題です(「日弁連の『改革』の発想と会員の『犠牲』」 「『改革』の発想の呪縛」)。

     前記した弁護士の階層分化の先にも、増員政策は必要であり、また、それが成功するヨミに立つには、前記したような余程の楽観的な需要の見立てか、企業ニーズなど一部の要求にこたえることに目を奪われたか、はたまた「市民のため」とは言いつつ、そこまで増員の結果について考えてなかったかーー。

     「自分たちには関係なかったからではないか」。こうした「改革」の責任に関わるテーマについて振ると、今、弁護士のなかからは、「改革」主導層に対するこんな不信感を示す言葉までが異口同音に返ってきます。もちろん、彼らがそれを認めることはないでしょう。

     しかし、弁護士増員にしても、思えは法科大学院制度にしても、前記「蓋を開けて見なければ」の弁明が通用してしまっているように見える、「改革」主導層の無責任の構造が、この「改革」の評価を根本的にあいまいなものにしている現実があるように思えてならないのです。


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    「受験要件化」の正当性という視点

     なぜ、法科大学院制度には、その修了を司法試験の受験要件とする形が張り付いているのか――。現在、ネット上で見れる、法科大学院に関するQ&Aで最も直接的にこの問いに答えているのは、文部科学省でも、法務省でも、法科大学院協会でもなく、日弁連です(「法科大学院Q&A」2012年7月、日弁連法科大学院センター作成)。

     日弁連以外のQ&Aの扱いは、「なぜ」には直接言及せず、あるものとして説明していたり、それを飛ばして、むしろ法科大学院に行くメリットの方を強調するものになっている印象です。そこはもはや改めて説明するまでもない、という扱いにもとれます。

     その日弁連のQ&A(Q7) には、およそ次のようなことが書かれています。

     法科大学院は、従来の旧司法試験時代の受験競争による「点」のみの選抜ではなく、法曹養成に特化した専門的教育機関を設置し、これを中核とした「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備すべきという観点から、創設された。現在の法科大学院には解決すべき課題が様々に存在しているのも確かだが、法科大学院の修了を司法試験の受験資格と切り離すせば、「点」のみの選抜に逆戻りすることとなり、法科大学院教育を中核とする理念は骨抜きとなる。仮に受験資格を撤廃すれば、法科大学院教育は法曹になるために必須なものでなくなり、法科大学院における専門教育を法曹養成の中核とした理念に反することになる――。

     つまり、ここで言っていることは、「点」の選抜には戻せないから、ということです。当然、法科大学院を創設した「改革」は正しいのだから、という前提で、「理念の骨抜き」を懸念していることになります。これは、法科大学院制度を擁護しようとする側から、度々聞かれてきた「模範回答」みたいなもので、Q&Aで直接言及していない他の組織にしても、それこそ説明するまでもない前提のはずです。

     しかし、あえていえば、ここではそうした地位を与えられた法科大学院という存在が、何によってその地位足り得るか、誰がそれを決めるのか、というところがあいまいです。そして、その意味で最も気になるのは、受験資格を撤廃すると、法科大学院教育は法曹になるための必須なものではなくなる、という懸念です。撤廃して必須でなくなり、法科大学院を経ない法曹が誕生するのは困る、適切ではないという発想ならば、前記理念による教育による質の統一化を目指すものととれ、制度としていわば「欠陥品」を輩出するわけにはいかない、という発想になります。当然、理念による教育のハードルは上がり、重い責任を背負う形になります。

     一方、必須でなくなる=選択されなくなる、という懸念ととることができます。必須にされなければ選択されないということは、時間とお金を使ってまで、この「プロセス」を経る「価値」が認められないことへの懸念、制度の自信のなさと言い変えられます。

     話が分からなくなってくるのは、骨抜きになったら問題な「理念」とか、法曹になるために「必須」かどうかは、結局、導入されたときから「制度」が実証しなければいけないことで、実際に法曹になろうとする当事者や社会がそれを評価すべきことのはず、ということがあるからです。制度が背負う責任部分はどう考えるべきなのかが分からないまま、選択されない懸念を制度が引きずっている。少なくとも、「改革」の結果が出ている今は、そういう目線でみられても仕方がないはずなのです。

     つまり、制度の理念が、当初の予定に反し、法曹にとって必須であることを証明できなかった場合、あるいは証明していないと社会も志望者も判断した場合、それでも修了の司法試験受験要件化を制度が、理念の看板のもとに握り続ける正当性は果たしてあるのかどうかの問題なのです。

     制度が導入されるとき、少なくともこれまで司法試験と司法研修所という、実は「プロセス」の教育を実践して来た法曹界側の多くの人が、「改革」の旗を振りながらも、新制度が必ずや、それを上回る「価値」を示すとみていた、あるいはそれは確信していたわけではなかったという事実があります。取材した法曹三者のトップやその周辺の人間の中にも、旧制度を「欠陥制度」とは見ていない人は多く、新制度については「とにかくお手並み拝見」という目線の人も少なくなかったのです(「法科大学院の『本音』と『自覚』」 「司法試験合格『1500人』で問われるべきこと」)。

     以前も書いたように、これまで法科大学院関係者から聞いてきた本音は、あくまで受験要件化=法科大学院制度、あるいは前記必須でなくなる=選択されなくなる、で、これを失えば制度は事実上終わる、と考える人は、少なくありませんでした。しかし、前記したような「価値」の実証性と評価を飛び越えて、この「本丸」を死守できる状況にはないのではないか、時短化政策といえる今回の「改革」も延命策にしかならない、という見方は徐々に強まってきています(「法科大学院制度『執着』が切り捨てているもの」 「法曹資格取得『時短化』法成立が意味するもの」)。

     前記関係者の本音の認識に反して、法科大学院そのものをなくせ、というのではく、あくまで受験要件化を外すべき、それが最も効果的な「改革」であるという意見も業界内にあります(Schulze BLOG)。リカレント教育など、別の存在意義を模索すべきという意見も、ここ数年さらに聞かれるようになっています。

     当初の「改革」の発想に縛られず、何を疑うべきか、というところから、考え直すべき時期に来ているが、もうとっくに来ているように思えてなりません。


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    弁護士会意見表明への内部批判がはらむもの

     大阪弁護士会が12月9日に開いた臨時総会で、死刑制度廃止を政府や国会に求める決議を採択したことに対する異論が、弁護士会内から聞かれます。死刑制度廃止の是非のような、弁護士間でも意見の分かれる案件について、強制加入団体である弁護士会が、多数決に基づいて対外的に意見表明することを問題視する、これまでも聞かれてきた批判的論調です。

     しかも、今回の決議については、弁護士会の民主的な決定プロセスそのものを疑問視する見方も張り付いています。報道にもある通り、会員4624人のうち、出席者は約200人。委任状での採決参加を含め賛成1137票、反対122票、保留・棄権30票で、要するに、問題視する側からすれば、会員間で意見が分かれる案件について、約7割の意思表明がないまま、決せられたことの是非ということになります。

     日弁連・弁護士会の対外的な意思表明をめぐり、これまでも会員から出される、ある意味、おなじみのこうした論調が、何を言いたいのかはもちろん分かります。しかし、一方でこの論調が出される状況にも、正直、違和感を覚えるところがあります。「強制加入団体であるから」、控えるべき、あるまじき、という切り口です。

     何度かここでも取り上げていますが、基本的には司法判断でもあるように、弁護士会の意思表明と個人の思想・信条は、完全に切り離されている、という捉え方ができるからです。逆に言えば、「強制加入団体であるから」、会決定の意思が、会員個人と異なっても仕方がない状況にある、という主張もできるはずなのです。有り体にいえば、弁護士を続けようと思えば、抜けたくても抜けられない団体にいるのだ、という現実をかざすことができるし、そもそも決議主体もそれを前提にしているということも明らかにできるということです(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」 「弁護士会が『政治的』であるということ」)。

     必ずこの論調には、個々の弁護士が顧問先から、「先生も死刑廃止論者ですか」と言われたとか、疑われるといったエピソードが、会員の「実害」としてくっついてきます。確かにそういうこともあるかもしれません。つまり、弁護士会の決定に、一会員の考えが意に反して、同一化、同一視される不利益の主張ということになります。しかし、それは、前記主張によって、あるいはその周知によって解くべき「誤解」ではないでしょうか。 

     弁護士会の決議や執行案件が、会員個人の異論の存在や、意思統一ができないことをもって、意思表明の手続きに乗ってきた多数意見(反対意見が行使されていないという事実もある)をもってしても決せられないということになった場合、死刑問題に限らず弁護士会の弁護士法1条の使命を果たす活動は大きく制約される可能性があります。司法判断にもみられるように、そもそも弁護士個人で達成できない同使命を達成することを弁護士会が背負えばこそ、前記会と一部会員の異論を切り離し、推進できる形を作っているようにもとれます。

     この問題では「政治的」ということが、取り沙汰されます。「政治的」ととれる案件は、それこそ弁護士有志でやればよく、弁護士会の活動にはふさわしくない、という見方が、強制加入団体の「あるまじき」論に被せられます。しかし、「政治的」なことが目的でなくても、「政治的」とされる「人権」にかかわるテーマはあります。「人権」にかかわる問題である時に、それに取り組もうとする弁護士会が「政治的」という批判を浴びる度に、あるいはそれが政治的な団体の主張と方向が同じとされる度に、その都度沈黙する団体で、前記弁護士会の目的は達せられるでしょうか(「金沢弁護士会、特定秘密法反対活動『自粛』という前例」)。

     そう考えると、個人の思想信条と強制加入団体の妥当性に関わる問題といっても、少なくとも解消可能な「誤解」の問題が、こうした弁護士会の存在意義と対等に、「あるまじき」論に被せられること自体が奇妙に思えるのです。

     ただ、それでも弁護士会として配意すべき課題はあると思います。一つは、弁護士会自身による「誤解」解消への努力です。つまり、前記会員の不利益も踏まえ、会員を思想信条的に拘束せず、かつ、全体を必ずしも反映していないという性格を明らかにし、周知することです。一つ一つの執行案件や決議のなかで、表現として残す方法や、決議には文中に賛否の票数を明記する方法も考えられます。要は、一部採決参加会員の賛成多数に基づくこと、違うに考えの会員も存在することが前提であることを確認し、社会に表明することになります。

     もし、それが執行案件の政治的な威力を減退させる、とか、そのために望ましくない、という意見があるとすれば、それは話が別です。それでは、事実をかさ増しして影響力を誇示しているのと同じですし、仮にこのことを明らかにしても、日弁連・弁護士会が意見表明する意味はあるはずです。もちろん、会の執行でも、案件によっては、意思統一が確実に図れる委員会やプロジェクトチーム名義での執行とする、といった方法を、もっと選択肢として検討に加えるという方法もあります。

     そして、もう一つは、いま、なぜ、このことが以前よりも会員間で異論として持ち上がるのか、その背景について、弁護士会主導層が目を向けることです。会も積極的に旗を降った「改革」によって、弁護士の経済環境は激変し、会員弁護士にはかつてのような余裕がない。強制加入団体であればこそ、個々の会員の業務をバックアップする活動への期待はかつてよりも高まっているといえます。帰属意識を支える基盤、その性格がもはやかつてとは違うということです(「『新弁護士会設立構想』ツイッターが意味するもの」)。

     そのことを、弁護士会主導層が自覚することなく、これまで通用したやり方を当たり前のように繰り出すのでは、会員コンセンサスにはたどりつけない。そして、そのことが今、弁護士自治をもっとも脅かすものになることを、彼らは踏まえるべきなのです。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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