弁護士自治の足を引っ張った日弁連臨時総会

     3月3日の日弁連臨時総会は、この国の弁護士が、弁護士自治を守り続けるという考えに立つのであれば、歴史に残る大失敗だったと思います。弁護士不祥事続発が自治を揺るがすという危機感から、弁護士の横領事案被害者に見舞金を出す制度の新設を決めるという、まさにその総会で持ち上がった前代未聞の委任状変造問題。それらは、二重三重の意味で、弁護士自治にとってはマイナスのものになったとしかみえないのです。

     この日、提案の8議案のうち、最も注目され、賛否の分かれていた見舞金制度創設。弁護士が不祥事によって市民の信頼を失う、ひいては法律事務独占や弁護士自治を失うことになるという危機感を会員が共有している、一会員の不祥事は全会員の問題という論法で、故意犯の「尻拭い」とみられるような見舞金を、強制加入団体の会費から支出するところまで押し通す発想です。

     しかし、これが不祥事の抑止と信頼回復に効果を発揮するとは提案者も認めていません。不祥事の根本原因が、増員政策による弁護士の経済的異変にあるとすれば、そこが見直されない限り、不祥事は続く、被害者一人当たり上限500万円支出の信頼回復への効果もさることながら、延々とその支出が続く。増員政策と経済圧迫が続くのであれば、不祥事の信頼回復ができないだけでなく、決定的に会員の気持ちは強制加入・自治不要に傾く――。

     現に当日、会場からは、会員は「見舞金制度を作らなければ維持できない自治なんかいらない、強制加入なんていらない、になる」として、この制度が弁護士自治の終わりの始まりになることを強く危惧する声が出ました。

     弁護士会の不祥事対策は、これまでも「効果」よりも、弁護士自治がある以上、何もやらないわけにはいない、という、ある種の建て前に押されて繰り出されてきた面があります。今回の見舞金制度もそうしたものとみることはできますが、対外的な評価の前に、もはや自治の内部崩壊、あるいは息の根を止めるかもしれないところまで来ていながら、それが繰り出されているということを執行部は本当に理解していないのか、という気持ちにさせられます。

     そして、まさにこの議事の最中、委任状の変造問題が会員の指摘で明るみに出ます。委任状の委任先の弁護士名が別の弁護士名に書き換えられ、弁護士会の印が押されていた。少なくともこれまでに東京弁護士会の3件について、この対応が発覚しましたが、執行部は会場でも「事務的なミス」と説明し、また、総会後、東京弁護士会は即座にメディア向けに、「ミス」の経緯を説明しています(弁護士ドットコムNEWS)。

     要するに、白紙委任状のなかに問題の名前が書かれていた3通が混じったために、前記のような扱いになったという説明ですが、名前が書かれたものであることを確認できるチャンスがあったことと、名前が書かれていながら疑問に思わなかったことの不自然さを考えれば、これを「ミス」ととらえられない人がいても当然です。さらにいえば、この白紙委任状の扱いが、これまでの日弁連の議決で果たして公正に行われてきたのか、賛成票獲得へ操作されていなかったのか、という疑念が生じたとしても致し方ないように思います。いくら「ミス」といっても、対外的にみて、弁護士自治の汚点としかいえません。

     そもそも今回、白紙委任状という形が弁護士会の議決でとられていることを知って驚いている人もいました。もし、ミスであるならば、当然、これをやめるとか、インターネットを使った投票も考えられることになると思います。むしろ、それ自体は検討できる余地が十分あるだけに、弁護士会が公正さ担保に遅れているというイメージになることも避けられません。

     ただ、今回についていえば、さらに大きな問題があったといえます。私は、やはり今回の臨時総会は、執行部の決断で流会、全議案継続審議にすべきだった、この状態で、採決すべきではなかった、と思います。むしろ、この疑わしい状態では採決をしない、という公正さに対する厳格な姿勢を示すことが、前記疑惑を伴った「ミス」に対する、最も適切で、弁護士自治を堅持する姿勢にふさわしい、少なくとも効果が疑われる前記見舞金制度を会員を割ってまで、強行するよりも、はるかに意味のある対応だったのではないでしょうか。

     当日、出された継続の動議が多数の反対で否決された状況をみれば、当然、全国から集まった会員の反発は予想されたでしょう。しかし、執行部関係者も議場で言った「せっかくお集まりいただいたから」的で話で、進めていい話にはとても思えません。日弁連・弁護士会の信用をそれこそ根底から失墜する大問題として、緊急に最優先課題とする緊張感や危機感が、あの時の執行部と議場にいた多数の弁護士にはなかった。報道席から見ていて、そのことに強い違和感を覚えました。

     前記見舞金制度は、委任状出席を含めて、賛成9848票、反対2699票(弁護士会は賛成37、反対14、棄権1)で可決、成立しました。賛否の差は歴然ですが、賛成票は全会員の4分の1に過ぎません。それを考えればなおさらのこと、強制加入団体のリーダーならば、対立議案の議決にもっと慎重であってもいいと思えてきます。獲得票数で勝ることだけにとらわれず、会員の意見が割れている、しかも、それが自治の存続にかかわる見解であるならば、なぜ、もっと耳をかさないのでしょうか。

     30年以上日弁連を取材してきて、これほど後味の悪い総会に立ちあったことはありません。この後味の悪さこそが、これからの日弁連・弁護士会を暗示しているような気持ちになってきます。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

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    「処遇」をめぐる弁護士の自信とその変化

     弁護士を激増させた暁に、いわれているような潜在需要が顕在化しなかったとしたならば、どうなるのか。そのときに弁護士という資格そのものの、「市場価値」が下がってしまわないのか――。1990年代後半から2000年代初頭、さかんに「改革」が論議された時代に、当時、増員の必要性を声高に主張していた弁護士たちに、何度かこうした趣旨の質問をぶつけました。

     結論から言えば、彼らの中に、そのことに対する危機感はほとんどなかった、少なくとも表向きそれをにじませる回答を彼らから聞くことはありませんでした。経済的な価値が下落し、資格が見離される時代、もはや独立開業型の資格でもなくなる未来への危険性について尋ねた、今でも増員必要論を唱える企業系の大物弁護士は、当時、私の問いに一言、「そうなったらば悲しいね」とだけ答えました。そんなことはあるわけない、と言わんばかりの態度でした。

     彼らの表向きの自信の根拠は、一体、どこにあったのでしょうか。正直、今にしてみれば不思議な感じではありますが、まず、需要の顕在化を信じていたという面(それも本心からすれば不安があったかもしれませんが)はあるように思います。数が増えるほどに需要が掘り起こされるという発想は、まさに鉱脈にたどりつくには鉱夫が必要という、需要があるどうかを脇においた開拓論と増員必要論の一人歩きを生みました(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。

     ただ、彼らの自信には、前記発想の基礎部分にあるような、別の思いをみることができました。それは、端的いえば、自らがこの社会で絶対に必要とされる、という強い確信です。それは当時の弁護士という仕事に対する「人気信仰」ということもできなくありません(「弁護士『人気商売信仰』の破綻と『有志の犠牲』」)。

     しかし、今になってみれば、そこには別の意味があったことにも注目すべきです。それは「処遇される」ということ。彼らの必要とされるという自信は、当然に社会から高く「処遇される」はずということに裏打ちされていたのではないか、ということです。やはり、この資格の経済的「価値」が、社会的な「評価」において、常に高いものとして維持されるだろう、という見通しがあったということです。

     「私たちにおカネが投入されない、ということは、社会がそれだけこの資格に『価値』を認めていないということだ」。最近、弁護士たちの口から、異口同音に、こうした諦め、というよりは、むしろ同業者の認識を改めることを促すような言葉を聞きます。法テラスでの低い処遇や、無料化の中での社会の反応など、「改革」がもたらした結果から、弁護士という仕事への前記したような自信を見直すべきではないか、というニュアンスにとれる言葉です。

     会内で時々聞かれる、弁護士は社会の「インフラ」である、という捉え方に対しても、前記ニュアンスの言葉は向けられます。「インフラ」ならば、社会はもっと弁護士を厚遇しているのではないか、と。「社会の隅々」に弁護士が進出するという前提も、結局、その「社会の隅々」で弁護士が拍手をもって迎えられ、おカネが投入されるということを想定しているのならば、それは誤りではないか、ということにもつながります。

     要は、そういうことを当たり前に考える前提をやめよう、という提案になります。この先の持って行き方としては、だから努力が必要だ(努力をすれば、克服できる)というものもありそうですが、そうではなく、弁護士はもはや、そうした高い処遇を当然の前提にする仕事ではない、その現実を受けとめようという方に力点があるようにとれます。

     ただ、いうまでもありませんが、社会的に「価値」がある仕事で、それにふさわしい経済的価値が付与されていない、いわば妥当な評価がされていない仕事は、この世界に沢山あります。たがら、厚遇されないことをもってして、社会的な「価値」がない仕事なのだ、ということには異論を唱える方がいても当然です。不当に厚遇されない仕事は、もちろん社会が見直していかなければなりません。

     今の多くの弁護士、「改革」の結果を知ってしまった彼らに、冒頭のかつてのような「自信」が存在しているようにはみえません。不当に厚遇されているとみられた弁護士という仕事は、「改革」によって、いつのまにか不当に厚遇されない仕事になったと感じている人もいるはずです。ただ、弁護士が妥当に処遇されることは、彼らの生き残りにかかわるだけでなく、結局、成り手の問題を含めて、利用者に返ってくる問題なのです。それでも弁護士はやっていける、儲けている、という片付け方は、弁護士を甘やかしているか否かの問題よりも、そういう社会の認識を阻害するという点を、私たちはちゃんと理解しておくべきです。 


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    「ビジネス」が強調される弁護士の魅力度

     かつて日本の多くの弁護士が、自らの仕事と結び付けられることに抵抗があった「ビジネス」という言葉は、いつのまにか彼らのなかで、あるべき覚悟のように語られるようになりました。弁護士はビジネスではない、といえば、そんな覚悟では当世生き残れない、頭が古いという批判が同業者から即座に返ってきてもおかしくない。ビジネス系の弁護士からは、かつて「弁護士会内では肩身が狭い」といったマイナー感をにじませた言葉を異口同音に聞いてきただけに、そこには、やはり隔世の感があります。

     以前も書いたように「サービス業」という言い方も、弁護士は「覚悟」としていまや極一般的に使うようになっています(「『サービス業』という決意と覚悟」)。同じ意味合いで使われているようにもみえますが、こちらがジャンル分けとしての言い方であるとすれば、「ビジネス」にはもっとアグレッシブなものが込められているようにもとれます。この言葉が強調されるとき、おカネ儲けや採算性の追求というテーマに対して抵抗感を引きずる弁護士の業態に対して、より批判的に、新しい覚悟を求められてきた、ともいえます。

     そして、「弁護士が何でビジネスではいけないの?」という、初めから旧来の弁護士とは違う発想の、その意味では過去と隔絶した人材もまた、弁護士の世界にやってきていることも事実です。

     しかし、もし「ビジネス」という言葉が、弁護士としてやっていくために必要な「覚悟」として発信されているだけなのであれば、実はこれからこの世界に来ようとする人間にアピールする効果は、実は限定的なものではないか、と思います。つまり、「ビジネス」というのであれば、弁護士が「ビジネス」として、どれだけ魅力的なものであるかが語られなければ、そもそも弁護士という仕事が選択されるとはならない。少なくとも前記のようなアピールでは、積極的な選択の材料にはならない、ということです。

     「ビジネス」として、新規参入、しかも未経験者が参入したくなる条件を考えれば、当然、採算性の効率、需要への見通し、安定性を担保する一応のモデル、そして、肝心のそれを自らのものにできる道筋が、より見えていることが当然プラス評価の材料になります。しかも、弁護士の場合、新法曹養成制度による法科大学院というプロセスの強制化によって、時間的経済的な先行投資を強いられているというマイナス条件が加味されています。

     給費制や志望者減問題とも絡めて書きましたが、要は弁護士として「やれるか」「やれないか」ではなく、積極的な妙味が、しかもビジネスとして(つまりはより効率よくおカネ儲けにつながる商売として)、アピールできるのかどうかということです。

     前回ご紹介した2月25日付けの週刊ダイヤモンドの特集「司法エリートの没落」では、弁護士ドットコムやアディーレのトップを、まさにビジネス感覚で弁護士業界に新たな地平を切り拓こうとしているパイオニアのような扱いでスポットを当てています(「『司法エリート没落』記事の限界」)。記事は、こう言います。

     「彼ら風雲児に共通するのは、世間のニーズがどこにあり、どうすればそのニーズを満たすことができるのか、という野心的な常識破りのマーケッテイング思考を持っていることだ」

     とりわけ、登場する三人の弁護士のうち、特に興味深い発言をしているのは、アディーレの代表である石丸幸人弁護士です。彼は自らは「マーケッター」であるとし、事業をやりたくて、弁護士界を「有望なマーケット」みて、この世界にきた。ただ、彼は言います。

     「僕はマーケッターですから、市場が有望でなくなったら、次の市場に移ります。注目はやはり医療。弁護士業界はしょせん5000億~6000億市場ですけど、医療は年間70兆円ですからね。それで北里大学の医学部に通っているんですよ。純粋に医者になります」

     このあと彼は、そのこととアディーレとのシナジーについての問いかけを「ない」と笑い飛ばしています。彼らが確かに弁護士として先駆的なビジネスモデルに果敢に挑戦している「先駆者」であり、成功者であったとしても、そこに必ずしも後進がこの世界を目指し、あとに続くようなモデルが提示されたとはいえません。しかも、マーケッターを自認する「先駆者」の一人は、既にこの世界をビジネスの「妙味」としては見切っているような発言をしています。彼の発言は、そもそもこの企画にふさわしかったのか、疑いたくなるくらい弁護士や業界の未来からは、もはやはずれているのです。
     
     弁護士という仕事は、ここに登場した弁護士たちのように、もともとが「ビジネス」の発想をもったものこそが集まる世界になっていく、とみるべきなのでしょうか。しかし、「先駆者」である彼らも、また、「ビジネス」の成功者として、後進が続きたくなるような、そして、他のビジネスのなかで弁護士を選択したくなるような、材料を与えている存在にもみえません。

     そして、もっといってしまえば、弁護士の志望者たちは、必ずしも彼らのような発想の持ち主ではないだけでなく、依然、本音では彼らのようにならずともやれる弁護士スタイルを求めているかもしれません。志望者たちの中には、資格さえとれば、なんだかんだいっても、かつてのような自分のなかのイメージとしてある、独立系自由業として魅力のある存在になれるはず、と信じている人たちもいるようにみえます。かつてのこの資格の安定性に比する、この仕事の魅力は、今後、どこに見出せるのでしょうか。

     新しい時代に必要にされる弁護士になれない人間は、この世界に来なくていい、という声も聞こえてきそうです。しかし、「こういう弁護士ならばやっていけます」「いまやこういう発想でないと弁護士にはなれません」というアピールで期待できるのは、そこにビジネスチャンスを見出す新人の獲得よりも、現実的には、こういう世界にはやたらにこない方がいいという戒め効果の方です。それももはや、実害を考えれば、成功者による「生存バイアス」のようなもので魅力が語られるよりは、ずっと健全であるようにも思います。


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    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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