弁護士「没落」記事の効果

     就職難や収入減といった弁護士の経済的な激変は、司法改革がもたらした「異変」として、一般社会に注目される材料になったといえます。2009年くらいから経済誌なども、この「異変」を取り上げはじめ、その後、大マスコミもさまざまな「改革」関連記事の扱いのなかで報道したこともあり、評価はともかくいまや事実として、社会に相当広く認識されているようにみえます。

     そこには、意外性、さらにいえばエリートの経済的「没落」に対する好奇の目が、報道する側の動機付けに、相当影響しているとみることができます。「改革」が何を目的として行われたのかを知らない、そもそも関心もない層が、この事実をもって、「何でそんなことになっているんだ」という目線を向けるだけのバリューは、少なくとも見出せるネタといえます。

     もし、それが、この「改革」で何か進行しているのかを伝えるきっかけとなったというのであれば、もちろん、それはそれで意味のあることといえますが、それが結果として「改革」の評価にどうつながったのかを考えると、なにやらぼやけたものを感じます。

     「崩壊」「激変」という刺激的なタイトルで伝えられた事実の先に、一体、何がもたらされようとしているのか。もっといってしまえば、ここまでの「異変」に見合う「改革」の「価値」とは何で、それはいつの日にか、私たちにもたらされるのか――。そこに受け手がたどりついていないのであれば、残念ながら、やはり結局、エリート「没落」への好奇の目、あるいは痛快感頼みの、そこまでのネタという評価になっても仕方がないようにも思います。

     「弁護士の給料半減! 年収200万~300万も当たり前の悲惨な現実」(PRESIDENT Online スペシャル)

     最近も、こんなタイトルの記事がネット上に流れました。所得の中央値を見ると、2006年の1200万円から、2014年には600万円と、キレイに半額。2008年当時は大企業の部長並みだった年収が、わずか6年ほどの間に、全社員の平均水準くらいにまで下がった。実際には数千万、億を稼ぐ人もいる業界だが、反対に、年収200万円、300万円といった低所得者も少なくない。日本最難関の資格を合格してきたエリートとしては、心もとない実態――。

     「異変」を伝える記事としては、ほとんど目新しさを感じない、という業界の受けとめ方もあるようですし、一般目線でも「意外性」の驚き効果は徐々になくなりつつあるかもしれません。記事は、このあと弁護士が「儲からない職業」になった原因として、弁護士の数の増え過ぎを挙げ、急増に見合うだけ裁判や法律案件が増えず、弁護士1人当たりの平均取扱事件数は減少して、収入減・所得減につながった、と伝えています。

     この間、この記事は司法試験合格者3000人程度を目指す「司法制度改革推進計画」の一文を引用しながら、「失敗」という言葉は一言も使っていません。そもそもここで取り上げられている原因は、あくまで「儲からない職業」になったことについてです。別に弁護士という資格が儲かろうが、儲かるまいが、「改革」の評価自体には関係ないといえば、それまで。それどころか、弁護士増員の競争による淘汰に価値を見出す考え方に立てば、「儲からない」弁護士が退散することだって織り込み済みです。一般的に弁護士が「儲かる職業」であり続ける必要はない、という前提に立つのならば、この記事もまた、「改革」の評価につながらない、好奇の目頼みのネタである印象も、ぐっと強くなります。

     ただ、一点、この記事には注目したいところがありました。

     「しかし、このことは、弁護士さんや弁護士を目指した人にとっては不運だったかもしれませんが、多くの日本人にとっては、むしろ『幸運な見込み違い』といえるのではないでしょうか。アメリカのように、すぐに訴訟を起こす社会、弁護士が自己PR合戦を繰り広げる社会が、決して日本人が望む幸福な世の中だとは思えません」

     この状況を、多くの日本人にとって、「幸運な見込み違い」というニュアンスで受けとめた記事にお目にかかった記憶がありません。弁護士過剰状態のなかで、弁護士の活用がどんどん促され、自己PR合戦も当然に繰り広げられる、「改革」が生み出している競争状態を国民は望んでいない、ということ。

     しかし、もし、記事がその前提に立つのであれば、本来、もっと「改革」の評価に結び付けなければならないはずです。なぜならば、今でも弁護士は増え続け、そのなかで記事のいう、その「国民の望んでいない」方向で、この状態をなんとかしよう、なんとかできるという方々が沢山いるからです。最後に「弁護士業界全体の信頼を失う」ことを懸念することで、この記事は終わっていますが、前記前提からすれば、ぼやけた結論といわざるを得ません。

     この記事を見るにつけ、やはり好奇の目に支えられたような、弁護士「没落」記事は、本当に私たちがたどりつくべき「改革」の評価の手前で、ぼやけてしまうことを感じます。そして、皮肉なことをいえば、最も期待できることは、結局、「この世界には行かない方がいい」という、志望者予備軍へのメッセージ「効果」であるように思えてくるのです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    弁護士への「期待」の存否と現実

     弁護士という仕事や弁護士会という存在に、社会は何を期待しているのか、というテーマをめぐり、弁護士のなかに、ある変化が生まれているのを感じます。それは、期待の中身を論ずる以前の、テーマの捉え方そのものに対する疑問といっていいものです。

     それは、一つには、弁護士、弁護士会は誤解してきたのではないか、という疑問です。弁護士自身が変わることを「改革」の中に描き込むなかで、何度となく取り上げられ、それに応える姿勢に結び付けられてきた社会や市民の「期待」は、あくまで弁護士側が勝手に規定したものではなかったのかということ。もっといってしまえば、そもそも弁護士が考えたような「期待」として存在していなかったのではないか、ということ。これらが、「改革」が生んだ現実からとらえた正直な見方として、弁護士の中に生まれてきたように思えるのです。

     「弁護士は社会のインフラ」という言い方は、それこそ「改革」の増員を含めた弁護士変革を積極的に受けとめた弁護士の口からも度々聞かれた言葉ですが、果たしてこの言葉に見合うような、欠くことができない存在という社会的な扱いなのか、という疑問の声があります(「弁護士会の自覚と社会的期待のズレ」)。

     自営業者の競争に、その生存を委ね、一サービス業として特別扱いしないことを前提とした「改革」、弁護士過剰と就職難が現実化すると、いつのまにか「法曹有資格者」という枠で議論されている「改革」、有償無償のニーズをごちゃまぜにした増員必要論の先に、その無償ニーズをなんとしてでも支えるための経済基盤付与の話は一向になく、弁護士生き残りの「工夫」に事実上、丸投げしている「改革」――。

     これらに、「インフラ」とはほど遠い扱いをみるほどに、自らに都合がいい社会の「期待」を、「改革」の必要性に被せていたのではないか、という思いになるのは、ある意味、理解できるところです。「二割司法」という極端な司法の機能不全論もそうですが、どうも「改革」に向けて自らを鼓舞するように「期待」が設定されたような観があります。弁護士が増えさえしてくれれば、社会はおカネを投入するはず、そして、そのことで増員弁護士も支えるられるはず、という見方の無理が、正面から問われなかったこともまた、その都合のよい「期待」の扱いにつながっていたととれます。

     一方、弁護士会への「期待」というのは、会員弁護士自身にとっても、もっと不透明なものだったといえます。弁護士会の社会的な役割、その「期待」への自覚というのは、大きく二つに分けられています。一つは弁護士の管理監督、もう一つは人権擁護活動を含む社会的活動で、その二つに「弁護士自治」がのっかっています。前者は強固な弁護士自治を与えられていることの裏返しとして、むしろ全うすべき義務として突き付けられているという理解の仕方があります。ところが、後者については、これを弁護士会が社会的に与えられた役割として、まさに「期待」に応えなければならない義務としてとらえてきた人と、そうでない人が会内にはいました。

     「改革」が現在のような状況になる前、人権擁護や司法アクセス拡充などは、弁護士会がまさに義務としてやるべき活動か否かが、会内で取り上げられたことがありました。これらを義務履行の問題としてとらえる論者に対して、反対の側の弁護士の、こんな論調が当時の資料に出できます。

     「社会的には、そもそも全国民的な社会的効用を期待して組織ができ、それなりの予算措置がつけられている団体は存在する(日本放送協会における受信料を含む受信契約義務)。しかし、弁護士会は、そのような予算措置は何もなく、すべて弁護士の支出による活動である。このような点からするならば、弁護士会の活動が、社会的な効用があるとしても、それが社会に対する義務ということまではいえないのではないか」(『21世紀の弁護士会』「いま弁護士は、そして明日は?」)

     求められている、やらなければならないと、自らの「期待」を前提に鼓舞する掛け声とは裏腹に、それをどこまで重い「期待」として社会が位置付けていると自覚していいのかには、やはり本音ではさまざまな見方があった。その一方で、この資料には、弁護士増員時代にはこれまでのような相互監視機能による倫理維持が困難になることや、弁護士業務多様化で管理監督業務も質的に変化せざるを得なくなるといった、前者の役割全うへの不安、さらにそれが自治を揺るがしかねないことへの警戒感も出されています。

     これらを踏まえて、改めて現在の状況に目を向ければ、本当はすべてこの結果は分かっていたのではないか、という気持ちにもなってきます。むしろ社会的な「期待」を大きく見積もることで増員を受けとめるという方法が、肝心の自治も弁護士業務も支え切れるのかという現実問題を飛び越えさせてしまったかのようです。いまやこれらに強制加入制度の負担と引き換えに、これらを維持する意義そのものを疑う見方がありますし、少なくともそういう彼らの中では、とっくに社会的な「期待」とそれを切り離しているようです(「強制加入制度への慢心」)。
     
     そして、今、社会の「期待」について、もう一つ、弁護士のなかから聞こえてくる疑問。それは、利用者そのものが弁護士の役割を誤解していないのか、というものです。弁護士のサービスを無償で使えるものとみる誤解。数が増えたことでいままで以上に要求のハードルを上げてもどこかに引き受けてくれる弁護士がいるという誤解。そして、応じれらない弁護士はサービス業としての自覚が足りない、いわば淘汰されるべき弁護士であるという誤解まで(「弁護士利用拡大路線が生み出している負の『効果』」)。想定外の、そしてこたえることができない「期待」に、今度は弁護士が苦しめられているというべきでしょうか。

     増員による競争・淘汰が良質化や低額化を生むとする「改革」イメージ、「敷居が高い」ということへの自戒からどんなものでも気楽に、という弁護士発信の弁護士イメージ、そして、なにより「期待」に応えることが弁護士のあるべき新たなスタイルとした弁護士の自覚――。それら等身大以上の弁護士像への「期待感」に取り憑つかれた「改革」のツケが回ってきているように見えてしまうのです。


    成立した取り調べの録音・録画を一部義務付ける刑事司法改革関連法についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7138

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    弁護士利用拡大路線が生み出している負の「効果」

     「二割司法」といった極端な司法の機能不全観や潜在需要論を被せられた今回の「改革」では、とにかく弁護士の利用者の裾野が広がり、拡大することは良いことだとする前提的な理解の仕方がありました。数が増えるという既定方針を成り立たせるうえで、それが当然であるととらえていた人たちはもちろんいましたし、それこそ前記機能不全を不正義と受けとめた人は、それをこの社会のあるべき弁護士の方向性ととらえていたはずです。

     ただ、今にしてみれば、この間の「改革」の描き方は、非常に一方的な、あいは一面的なものではなかったか、という気がしてしまうのです。つまり、「改革」を推進しようとする側が、それに都合がいい現状が描かれ、既定されたのではなかったか、本当の市民・社会の弁護士需要から逆算されて導き出されたものではなかったのではないか、ということです。

     もちろん、これまでも何度も書いてきたように、それは冒頭の極端な機能不全論や潜在需要論が想定させたような需要顕在化が、弁護士増員によっても生まれなかった、ということだけでも、十分に疑うことはできます。少なくとも、市民は弁護士の数さえ増えればおカネを投入する用意がある、などという状態ではなかった。もし、前提が存在しないのであれば、他に経済的な後ろ盾がない以上、数の拡大が利用の拡大につながることもなく、やがて数の拡大も止まる。それが、現実化しているだけです。

     ただ、この「改革」の弁護士拡大路線の読みの甘さは、これだけではないように思います。それは、端的に言って、この描き方によって、果たして弁護士が社会にとってどういう存在になるのか、別の言い方をすれば、市民が弁護士をどういう目で見るようになるのかについても、根本的に見誤ったのではないか、ということなのです。

     「敷居か高い」という誤用(「ハードルが高い」との混用)のような言葉が、この拡大路線とともに、弁護士の口からしきりと自戒の言葉として聞かれ、今でも使う人がいます。ここでも弁護士アクセスの阻害要因となる費用を含めた情報不足や弁護士側の接客態度・姿勢を改めさえすれば、より弁護士利用は拡大する、という、ある意味、都合のいい読みがあったということもできなくありません。こうした阻害要因があり、その改善が望ましいとしても、その「効果」が現実より大きく見積もられてきたといえないか、という疑問があります(「『敷居を低くする』競争のリスク」)。

     今も基本的に変わっていないようにとれる、小さなことでも、まず、弁護士に、という「ウェルカム」路線にしても、情報不足あるいは市民の弁護士に対する誤解を、拡大を阻むネックとしてとらえるのを前提としているようにとれますが(「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」)、それもまた同様に見積もり方を疑いたくなるものです。

     しかし、「効果」というのであるならば、むしろそれどころではない、というべきかもしれません。「依頼者(相談者)の質」ということが、かつてないほど弁護士の口から危機感をもって言われます。弁護士への過度の期待から無理な要求をする、以前よりも弁護士の説明に耳をかさない、そもそも弁護士に相談すべき内容でないものを持ち込み、それを説明しても聞き入れず、逆ギレする――。かつても、そういう相談者がいなかったわけではないでしょうが、ここ数年、そうした嘆きの声を顕著に増えているのはどういうことでしょうか。

     数が増えたということについて、弁護士を安く使えるはず、ととらえている経営者の声を異口同音に聞きます。利用しやすくなるということは、すなわち彼らにとって、とにかく安く、そして買いたたける、ダメならば代替可能であるということではないか、そこばかり強い関心が向けられていることを感じることもしばしばあります。そういう状態こそ、増加がもたらしてくれるはずの「効果」という受けとめ方になります。それは、前記「相談者の質」にかかわる彼らの弁護士に対する意識変化とつながっていないでしょうか。

     弁護士は数が少ない、貴重な存在である必要はない。しかし、活用されるために、もっと増えすべき、として、それが実現した瞬間、弁護士への利用者目線は変わり、過度な要求も客として許される存在へと変わった。経営努力としての「相談無料化」も当然のことであるばかりか、転々とそれを利用して知見を集めるのは、安く弁護士を使う常道になっているという話も聞きます。もっとも無料相談はやらない、という方針の事務所も増えてきているという話もありますが、そのこと自体、これまでの「敷居が高い」解消路線の異変にとれます。

     「無料化」は根本的に弁護士の法律相談という有償サービスへの誤解のリスクをはらんでいますが、既に前記弁護士への目線変化のなかでは、やや手遅れという話もあります。最近も、「うち無料相談はしない」といわれたという市民が、そういった弁護士をまるで「非常識」であるかのように非難する声を聞き、既にそうした受けとめ方になりつつあるのか、という感じを持ちました。「ウェルカム」路線が強調されるなかで、弁護士の有償性はきちっと発信されてきたとはいえません。有償・無償のニーズをひと括りにしてきた「改革」の弁護士需要観が、結局、そうした市民の対応につながっているようにもみえます(「『厄介な方々』と向き合う弁護士」)。もちろん、こうした誤解は、「市民のため」にはならない、市民は利にたどりつけないという結末が待っているのです。

     ステレオタイプのような「改革」の捉え方が、本当はどういう負の「効果」を生んでしまっているのか。そこもまた、都合のいい解釈で乗り切ろうとしているのであれば、ますます弁護士という存在は後戻りができないところにいくような気がしてなりません。


    成立した取り調べの録音・録画を一部義務付ける刑事司法改革関連法についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7138

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    対「希少性」が生み出したもの

     日本の社会で長く維持されてきた弁護士の希少性は、この司法「改革」のまさにターゲットになったといえます。諸外国との比較、この社会に不当に眠っているとされた潜在的需要、そしてこれから訪れる事後救済社会で生まれるであろう需要の想定が、「足りない」という言葉とともに、この論議では、はじめから強調されました。今にしてみれば、そこに果たして丁寧な議論があったのか、疑問視する人も少なくありませんが、不思議なくらいこの点は、当初「論をまたない」という扱いだったといえます。

     そして、その希少性維持の過去を、法曹界の悪慣習とする扱いも、この「改革」にははじめからくっついていました。法曹界、とりわけ弁護士が自らの都合で供給制限をしてきた、という切り口は、社会が本来得られるべき利益、サービスの向上や低額化など、さまざまな期待の裏返しともいえる、不当性の強調につながっていました。

     「改革」の増員政策は、「足りない」「足りなくなる」という前提的な「根拠」とともに、規制緩和、既得権益打破という描き方のなかで進められました。今でこそ、「二割司法」を含めた、前提的な「根拠」とされたものの、根拠性のなさが指摘され、必要量に対して少ないという、言葉本来の意味での「程度」が問題になっています。しかし、一方でそれ以上に、弁護士の希少性そのものの意味を問う見方がほとんど提示されません。

     弁護士会内の当初の「改革」主導層もまた、はじめからこのテーマは自己批判的に取り上げ、反省から入っています。あたかもこの点の言い分を丸ごと受けとめることが、この「改革」に主体的にかかわることを意味するという姿勢ととれました。希少性がゆえに、「殿様商売」をやってきた、という批判的な描き方を、事実上認めたとられた観もありましたし、現に個々の弁護士のなかには、今でもそれを自省的にとらえている方がいます。

     だから、というべきかもしれませんが、なぜ、弁護士の希少性は維持されてきたのか、ということは、弁護士自身がスル―するテーマになった、といえます。要は数が少ないことに「価値」はなかったのか、数が少ないことは弁護士が得をする「殿様商売」を守ってきただけなのか、という切り口は、自己批判的に捉えられた「改革」観のなかでは、今にいたるまで後方に押しやられているテーマとなったのです。

     「改革」当初、弁護士界内にも、この「改革」が決定的にもたらすであろう弁護士像変容に対する脅威があったととれることについては書きましたが(「弁護士『アイデンティティ』をめぐる思惑と『改革』」)、それと裏腹に「改革」を主導しようとする側には、とてつもない楽観論があったのも事実です。日弁連業務改革委員会のある弁護士が、2004年に行われたシンポ資料のなかで、こんな見方を提示していました。

     「15年先には、債務整理事件が今のような形で存続しているとは考えがたいが、その時にはまた別の業務をこなす。なぜ、そうなるかといえば、弁護士の能力と特性には、その数に見合って新たな仕事を取り込めるだけの柔軟性、汎用性があるからである」
     「そもそも、もし増員によって弁護士業務が拡大せず、弁護士が窮乏化するだけなら、弁護士を志望しようとするものは減少し、増員は抑制されるから、弁護士が業務量を無視して増員し続けることはない」(「いま弁護士は、そして明日は?」)

     当時「改革」を前向きに受けとめていた弁護士たちが、みなこの委員と同じ発想だったとは、もちろんいえません。ただ、現在の目線で、この委員の捉え方をみると、今、業界が深刻に受けとめている、この委員の「もし」の事態も、「問題なし」とみるような見方が、弁護士の能力・特性と結び付けて、当時語られていることに注目できます。後段の「もし」の事態は、「改革」が自然と弁護士の適正規模を作り出すのだから「よし」としているようにもとれますが、それよりも、彼がよりここで言いたかったのは、その柔軟性・汎用性を持つ弁護士が増えることで、必ずや新たな仕事を生み出され、「弁護士業務が拡大せず、弁護士が窮乏化するだけ」という事態は来ないのだ、ということの方に読めます。

     弁護士が増えるのに比例して、それを支え得るだけの仕事が生まれるということは現実化せず、それでも「業務量を無視して増員し続ける」政策が維持され続けている今は、彼の弁護士の能力・特性への過剰期待を見事に裏切り、皮肉にも彼のいう自然適正規模化に抵抗して推し進められている「改革」の現実を浮き立たせます。ただ、その一方で、この現実を前にしても、日弁連の「改革」主導層は、実は今でも彼と同じ発想を捨てていないのではないか、という気もしてきます。

     数に見合って仕事が生み出される、という発想は、「希少性」そのものに意味はない、といっているようにもとれますが、過去の弁護士の数が適正規模であったと言わない限り(というか、弁護士会の「改革」論もそういう前提ではない以上)、やはり「希少性」の意味は「殿様商売」の維持にあった、ということを認めたとされても仕方ないように思えます。

     ただ、「改革」によって、極端に「希少」と描かれた弁護士の数が、少なくとも、その勢いとともに、「改革」推進派の弁護士たちの楽観論と誤解と自省によって、とっくに適正規模を超えてしまった、と本音で感じている弁護士が、もはや沢山いるのです。

     そして、最近、弁護士たちが本音で感じだしていることを、もう一つ、付け加えるならば、それは利用者の対応の変化です。もはや弁護士は沢山いる、という認識は、より利用者にとって都合のいい弁護士への期待もまた増幅させた。利用者が弁護士を自由に、かつ常に利用者利益につながる形で選択できることをイメージさせた環境は、弁護士の正当な説得に耳を貸さない、どこかにいる自分の無理な主張に付き合ってくれる弁護士を求める、さらにはより安く使ってやろうという考えの利用者を、これまでになく生み出しつつある――。

     希少性に対する不当性の強調や弁護士会の自省が、現実的には満たされることはない利用者の期待感と欲望を開放する方向の、思わぬツケとなって返ってきたというべきかもしれません。「法テラス」もまた、そうした場を提供する結果となっているととれます。

     対価性ということに関しても、この「改革」が利用者にその意識を醸成させるものになっている、という話は聞こえてきません。競争による低額化という弁護士業の特殊性をみない、一般的な期待感もあるかもしれませんが、そもそも「改革」論調が前記したような業務拡大の都合のいい見方を前提としながら、それが実は、より利用者の持ち出しを前提としていることを伝えていないところにも、その原因があるように思います。

     弁護士会「改革」主導層の誤算と、そこから生み出されつつあるといってもいい誤解する利用者たち。これらも加味してとらえなければ、希少性を目の敵にし、弁護士を自省に導いた「改革」の本当の評価はできないはずです。


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    弁護士「既得権益」批判の落とし穴

     弁護士という仕事が、この「改革」のなかで、なぜここまで「既得権益」批判の対象となっているのか、ということが、しばしば弁護士の間でも話題になってきました。ただ、多くの弁護士は、この言葉に釈然としないものをもっているという印象を持っています。つまり、自分たちは本当に批判されるべき「既得権益」にしがみついてきたのか、また、しがみついてきたものとして批判されるべきなのか、ということへの焦げ付いたようなものがみてとれるからです。

     弁護士に対する「既得権益」批判の特徴は、それがほとんど「数」の問題に置き換えられるところにあります。新規参入を制限する中で、彼らが競争にさらされない環境を維持してきた。批判者が描く弁護士は、常にその環境にあぐらをかき、業務サービスの向上を怠り、甘い汁を吸ってきた存在。そのために利用者が享受できるはずの利益を、不当に阻害してきたというイメージの中に置かれてきました(「弁護士に被せられる『既得権益』批判」)。

     この言葉が批判的に使わる以上、そうした形の不当性の描き方がされるのは当たり前といえますが、ただ、問題は本当にそう描ききれるのか、という話です。確かに「改革」以前の「数」が彼らに経済的に安定した環境を与えていたのは、逆に激増状態を迎えた彼らの現実をみれば分かることです。しかし、問題はそこから先。これを批判されるべき「既得権益」の打破だとすれば、私たちはシナリオ通り、不当に阻害されていた利益を、取り戻されていなければなりません。

     「改革」の結果に、そういう事実はあるのでしょうか。あるいはこの先に、そういう私たちが得をする未来は描けているのでしょうか。何度も書いているように弁護士が競争によって良質化したり、低額化するといったことを期待できる状況にはありません。百歩譲って、増員政策によって、司法過疎が解消されたとか、新しい分野に進出する弁護士が存在し始めたとしても、果たして前記「既得権益」批判の成果と手放しに評価して片付けられることなのでしょうか。

     なぜ、そこにこだわらなければならないかといえば、これも何度も書いていることですが、「改革」という以上、当然にメリットがデメリットを上回っていなければ意味がない、と考えるからにほかなりません。そして、いうまでもないことですが、そのメリットがあったとして、それが一体、誰にとってのものなのか、をよく見ないことには、前記「既得権益」批判の正しさもさることながら、結局、この「改革」の本当の目的にもたどりつけなくなるからです。

     なぜ、弁護士の意識のなかに「焦げついている」という書き方をしたかといえば、一面、彼らは「既得権益」批判を真っ向から跳ね返すことを諦めているようにもみえるからです。真正面から自省的にとらえている人ももちろんいますし、言っても仕方がない、としてこの論争も回避する人もいます。何も自分たちのために供給制限してきたわけではなく、適正な人員の確保はむしろ社会的につながるとか、この「改革」の結果からそれを真正面から反論する人は、むしろ少数派といっていいと思います。

     その一方で、「既得権益」批判を丸ごと受けとめ、それを本心から認めている弁護士は、「改革」路線の旗を振っている人のなかでも少ないはずです。むしろ、そこをあいまいにしたまま、旗を振れば、「やはり弁護士は既得権益を認め、反省しようとしている」ととられるかもしれません。それを「真摯な姿勢」という建て前の、日弁連主導層の自虐的な姿勢として受けとめている弁護士もいるようですが。

     「数」の問題が、特権とされるような利益を生み、それが社会から批判されなければならないような不当なものであった、というまで捉え方は、やはり多くの弁護士の意識から遠いのです。そこにまた、反省なき弁護士の姿を読み込む「既得権益」批判者もいるかもしれません。ただ、あくまで既存の弁護士に、依頼者に対する姿勢や、努力の面で、反省すべき点がなかった、ということではないのです。そういう点で勘違いしている、批判されていい問題弁護士もいたのは事実です。

     私たちに今一番、問われているのは、それらが「数」がもたらした「既得権益」のせいであり、それを解消すれば、改められる、という期待感を煽りつつ、この言葉が強調される「改革」の描き方を、本当にこれからも真に受けていいのか、という一点にあります。あくまで批判するのにふさわしい「不当な」しわよせが回ってくるのでなければ、本来、大衆にとって、弁護士の「既得権益」などどうでもいいことであり、ある職業の人間が生存をかけて「既得権益」を守るのだって、ある意味当たり前のこととして、片付けてもおかしくないことだからです(「弁護士資格『あぐら』論の中身と効果」)。

     最近も、ある「既得権益」批判に基づく論調が、ネットに公開されています(現代ビジネス「ドクターZは知っている 弁護士が『食えない』は本当か?増加批判に隠された『不都合な真実』」)。記事は文科省が法科大学院の志願者増加方針を立てたことに対して、「志願者が減っているのは弁護士が多すぎて『食えない時代』になったからで、あえて法科大学院を拡充する必要はない、という批判もある」として、「はたして、本当に弁護士はもう必要ないのだろうか」と投げかけて論を進めます。増加ペースが性急だったという論に加え、法科大学院の乱立が弁護士過剰につながったととれるような、少々意味が不明な説明が出できますが、おそらくこの記事が一番伝えたいことはその次にありました。

     「日本の弁護士数は、他の先進国に比べれば圧倒的に少ない。たとえばアメリカでは、弁護士は127万人。人口3・2億人として、人口1万人あたり弁護士40人となる。日本では弁護士は3・6万人。人口1・2億人として、人口1万人あたり弁護士は3人しかいない。さらに、日本では、弁理士(特許庁)、司法書士(法務省)、税理士(国税庁)、社会保険労務士(厚労省)、行政書士(総務省)という各省庁縦割りの国家試験専門職があり、業務の一部が弁護士の仕事と重なっている」
     「各省縦割りの専門職は、新規参入が阻害されており、既得権者の牙城になっている。だからこそ、弁護士以外の士業や彼らを管轄する省庁が、『弁護士は多すぎるから法科大学院の志願者を増やす必要はない』と批判しているのだ」
     「ここはせっかく作った法科大学院に頑張ってもらい、各省庁縦割りの専門職の分野に参入してもらって、殻を打ち破ってほしい。なぜなら、弁護士はどの専門職にも参入できるからだ」
     「新規参入は、縦割り専門職にとって、既得権を侵害されるので不都合であるが、消費者にとっては、選択肢が増えるため望ましい話なのだ」

     おなじみの諸外国比較への疑問もさることながら(「不思議な『弁護士1人あたり』統計の扱い」)、士業縦割りの管轄省庁が、本来、求められるべき弁護士増員の足を引っ張っているというストーリーが、「消費者に選択肢が増える」というメリット説明だけで、堂々と「既得権益」批判のうえに繰り出されています。ただ、それに引きずられずみれば、論者が誰のために、何の「権益」を守らんがために、これを繰り出しているのかは、むしろ、はっきりしている記事というべきです。

     弁護士が本当に必要なのかも、タイトルにあるような「食えるのか」についても、何ら具体的に言及していなくても、「既得権益」という言葉をかざせば批判できる、とらえているようにとれる典型的な例といえます。やはり、私たちはこの言葉が登場した時は、常にこの言葉のイメージに引きずられることなく、本当のメリットとデメリットを冷静にみつめる必要があります。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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