弁護士の「改革」選択に対する疑問

     「なぜ、弁護士は自分の首を絞めることになるような『改革』を支持したのか」。弁護士界外の人間と話していると、今でもこういう趣旨のことを尋ねられます。弁護士がかつてのような、経済的にゆとりがある仕事でなくなったことは、相当程度社会に周知されましたが、それが数の増加によるものと分かっても、悲しいかな、では、なぜそんなことをしたのかについては、驚くほど周知されていません。前記のような疑問をもつ人間には、それを知りあいの弁護士にぶつけても、どうも納得のできる話が返ってこないという事情もあるようです。

     冒頭の疑問に対しては、実際にはあくまで「改革」に反対した弁護士もいたし、推進した側としても、「ここまで首を絞めることにはならないと思ったから」と言ってしまえば、終わりのような感じもします。しかし、それが「市民のため」に、いわば良かれと思ってやったという話になると、それはなかなか伝わりにくい。

     それは話してみれば分かることですが、弁護士の数が増えても、利用しやすくなったという実感が湧かないということもさることながら、そもそも「社会の隅々」に弁護士が進出することの意味、そして、その「社会の隅々」にいる市民が、その増えた弁護士を経済的に支えるという見通しが、どうして立ったのかが分からない、というところに帰着するのです。

     ここでも何度も投げかけてきたことですが、この疑問に答えられる弁護士は、果たしているのだろうか、という気持ちになります。増員を導き出す弁護士の「改革」を、日弁連・弁護士会の主導層は、当初、「一丁目一番地」「登山口」と称し、自省的に受けとめて前進を呼びかけました。ただ、それが成り立つ根拠といえば、今にしてみればお粗末といっていいほどの潜在需要の見込みと、開拓精神への自覚でした。例えとして適切ではないかもしれませんが、まるで現地調達の見込みと「やればできる」的な精神訓話で、兵站を考えない侵攻作戦のこどく、というべきかもしれません。

     日弁連が増員のもたらす深刻さに気付き、抑制に舵を切り出したときでも、増員推進に凝り固まっていた大新聞の論説が、「いま需要が顕在化しなくても、開拓要員を減らしてどうする」といった批判を日弁連の姿勢にぶつける声を、直接聞きました。この段階でも、前進を呼びかける「改革」推進論者は、鉱脈にたどりつくまで掘り続けろと叫び、そこまでに幾多の鉱夫が倒れることは全く視野にはいっていない、要は、現実的に「成り立つ」ということから逆算した発想ではないことに気付かされたのです。

     そして、ここで言いたいのは、このことは「改革」論者がそう考えるのが不思議になるくらい、実は一般には理解しにくい話だということなのです。

     弁護士が「改革」によって、自分の首を絞めることになっているという捉え方は、ほとんどの場合、経済的な意味でいわれます。ただ、現実的には、それだけではありません。それは、端的にいって二つ。一つは人材確保への影響と、弁護士自治、もしくは強制加入不要論の台頭です。前者は、経済的に妙味がなくなった弁護士を人が目指さなくなる、志望者減という事態を生みだしたことです。「ライバルが来ないのは結構なことではないか」といった、皮肉も聞かれますが、もし、そうした本音が弁護士の中に本当にあるとすれば、これも増員政策が導き出した未来なき発想といわなければなりません。人材が集まらない、優秀な人材が選択しない業界の未来を深刻に受け止めている人は、この世界に沢山います。

     前者に比べて、後者は多くの弁護士界外の人にはぴんとこないはずです。弁護士が支払う会費によって支えられてきた弁護士の自治、それを負わされる形になっている強制加入制度に、要は経済的な意味で納得しなくなっている、ということです。この現実は、この制度が表向き掲げられる理念とは別に、一定の経済的なゆとりのなかで、つまり現実に支払う会費の負担感の比重で、ある意味、この制度が消極的に支えられてきた面が存在することをうかがわせます。有り体にいえば、あまり細かいことにこだわらなくても(あるいは一定の理念への賛同をもとに)、この程度の会費負担ならば、という了解の仕方をしてきた会員の存在です。

     その離反、というか離反させざるを得ないところに追い込む「改革」の結果こそが、弁護士会が牙城としてきた自治を揺るがそうとしているわけです。これもまた、「なんとかなる」の発想が、彼らに予想させなかった現実ともいえます(「弁護士会費『納得の仕方』から見えてくるもの」 「『弁護士自治』会員不満への向き合い方」)

      これらは、私たちには関係ない弁護士という資格業の話と思う人も沢山いると思います。ただ、あるいは一番の問題はそうとはいえないところにあるのかもしれません。「市民のため」どころか、ここから先の結果は、弁護士の過剰状態の継続も、人材の枯渇も、さらには弁護士自治の崩壊も、結局、いずれ私たちの社会のどこかに跳ね返ってくる。現にいつの間にか、「この『改革』は国民が選択した」などという人もいるくらいですから、本当はこれを容認することで、今度は私たち自身の首を絞めることを心配しなければならないはずなのです。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

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    弁護士競争「選抜」実現への「改革」の不透明感

     今回の司法改革で、当初から取り沙汰されてきた弁護士サービスの市場化というテーマには、それを成り立たせる条件について、どこまで具体的に見通せているのかという点で、決定的な欠落感を覚えてきました。端的に言えば、弁護士の場合、競争による適正な選抜機能が、一般利用者にとってどのように担保されるのか、という点です。

     それは資格制度の捉え方にもかかわってきます。一般的に考えて、前記適正な選抜機能を成り立たせるためには、利用者に選択できる十分な情報や能力が担保されていなければなりません。この現実的に酷な負担を回避させるのが、まさしく資格制度であり、もっといえばその業務の実態が、利用者にとってその意味で酷なことになる専門家であればあるほど、高度で厳格な資格制度があった方が有り難い。少なくとも、現在においても、そう理解している市民は少なくないはずです。

     競争による適正な選抜機能を現実的にどう担保するのか――その点が、この「改革」路線はとても不透明であり、むしろこたえを出さないまま進んできたようにみえるのです。市場化を基本とする「改革」の描き方のなかでは、業務独占と結び付いた資格制は新規参入を排除し、競争を阻害するという位置付けになります。増員基調と市場化を是とする立場に立つ以上、前記資格制度への利用者の依存度を減らし、前記適正な選抜が利用者によって実現する未来をどうしても描くことになります。

     弁護士の場合の、いわゆる情報の非対称性による市場化の失敗が、「改革」推進論者の念頭になかったとはとても思えません。ただ、そこで何が言われてきたのでしょうか。まず、弁護士の情報開示によって、これが克服できるという考え方。ただ、そもそもその成功を本音で信じている、弁護士がどれだけいるのかすら疑問です。ケースによって個別具体的な判断を求められ、対応を一般化して伝えづらい業務内容にあって、選抜を適正化し得る情報開示とは何なのか、どういう手段を用いるのか、また、それ自体の適正化がどのように担保されるのか、ということは皆目分からない。少なくとも、その点の検討が進展しているようにはみえません。もちろん、弁護士当事者丸投げの広告解禁が、このこたえになっているわけでもありません(「良質化が生まれない弁護士市場のからくり」)。

     2003年に日弁連の業務改革委員会が設置した「改革」時代の弁護士像を検討するプロジェクトチームの勉強会での講演で、棚瀬孝雄・京都大学法学部がこの問題に言及していました。彼はあくまで弁護士の市場化を積極的に評価する立場でしたが、この情報の非対称性による市場の失敗を取り上げ、その克服の方向性として、前記情報開示に加えて、資格認定制度を挙げています。「依頼者が弁護士の専門性を判定できない、つまり自分が取引する相手についての情報を完全にもちえない状況のなかで、第三者が代わって、この弁護士であれば大丈夫である、安心して取引できるというかたちで資格を認定」する、としています。

     結論からいえば、この制度は実現していません。日弁連内で議論されても、結局、責任を負いきれる主体の問題、方法、公平性の壁をクリアできていません。そもそもこんな利用者にとって理想的に制度が担保できないのは、前記したような情報開示の困難性と同様の性格のものといえますし、ここで資格制度を持ち出すのであれば、棚橋教授もいうようにそもそもが市場の放棄であり、またぞろ独占という問題がぶりかえされてもおかしくありません。

     市民の成長に期待する論調も必ず登場します。「甘やかすことはない」とか逆に「利用者の能力を馬鹿にするな」といった声まで聞かれます。ただ、サービスの対価に身銭を切るのだから、利用者側が努力するだろう、その努力によって必ずや非対称性は克服されるだろう、といっているように聞こえる理想論が、推進論者自身もこたえが出せていない前提を飛び越えて言われているようにみえてならないのです。

     さらに、一方で、建て前は別として、増員政策と結び付いた法科大学院を中核とする新法曹養成制度も、利用者の安全・安心担保のための厳格な資格制度の実現を果たして目指しているのか、取りあえず合格、大量放出の先の競争・淘汰に質の確保をゆだねるかのごとき姿勢はなかったか、という疑問が、前記前提への疑問とつながって張り付いているようにみえます。 

     そして、最も問題だと思うのは、このテーマにおいて、「改革」のそれが「成り立つ」とみる発想が、どんな酷な前提を利用者に課す結果になるのか、そのことを多くの利用は認識していない、別の言い方をすれば、意図的にそれが伝えられていないという現実です。

     日弁連・弁護士会は、「市民のため改革」を標榜し、市民の身近に、そして社会の隅々まで進出する存在を目指しました。だが、サービスの有償性にしても、この競争を成り立たせる弁護士の選抜にしても、その社会の隅々で出会う利用市民に、現実を分かっているはずの彼らは、一体何を求めたのか、「改革」が一体何を求めていると伝えたのか――。そのことを繰り返し問いかけたくなるのです。


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    「勇者」登場期待論の無力感と欠落感

     今回の司法改革の動きが本格化する以前から、いわゆる刑事畑、人権畑とされる弁護士のなかには、強固な弁護士増員論者がいました。そういう弁護士たちの話は沢山聞きましたが、彼らが増員にこだわる理由として述べていたのは、大きく二つでした。その一つは、強烈な弁護士=正義という考えによるもの。「その国の人権レベルは弁護士の数に比例している」と言った人もいましたが、とにかく弁護士数の増加は、人権擁護を進めることにつながり、市民にとって望ましいものになるのだ、と頭から強調する、むしろそれを信じて疑わないといっていいものでした。

     そして、もう一つはこの分野に携わる弁護士の絶対的な少なさへの対策になるという考え方。要は母数が増えれば、それと比例してこの分野に参入する弁護士は増えるはずとの見方で、そのため前記対策として、増やすに越したことはない、という発想につながっているものでした。

     ただ、当時、特に後者の考え方に触れる度に、その増員への根拠性、つまり、それが現実的にそのヨミ通り、刑事・人権畑の弁護士を増やす効果があるのかどうか以前に気になったのは、その思考が教える無力感のようなものでした。こういう分野の弁護士が増えることへの期待感とは、要するに「勇者」の登場への期待感なのか、と。こうした分野に携わろうとする弁護士には、あたかも全体に占める動かし難い一定割合が存在し、その割合そのものは変えられないということを前提に、母数を増やすしか、人材を獲得することは基本的にできない、といっているようにとれたからです。

     今、この前記二つの意見を見れば、増員政策について、ともに刑事・人権分野の弁護士の獲得に目を奪われながら、母数が増えることによる弁護士全体への影響が決定的に目に入っていない感を持ちます。ただ、それに加えて、こと後者に関しては、その刑事・人権分野の弁護士の獲得そのものについて、本当の意味でどうすれば養成できるかとか、経済環境を含め何が一定割合に押し込めているのか、といった、制度的な裏打ちや、可能性について考えていくという思考方法が、不思議なくらい欠落していることに気付かされるのです。

     そこには、漠然とした「経済的自立論」の固定観念があったのかもしれません(「『経済的自立論』の本当の意味」)。弁護士の経済的基盤が確保されることで、おカネにならない案件を扱える。その基本的な形は変わらず、なんとかなっていく。いや、むしろ自分たちはそれでなんとかやってこられた、という「成功体験」が、彼らに前記した意見を言わせたのではないか、ということまでうかがわせます。その意味では、そのころにはやはりまだ、これから起こる弁護士増員がもたらす経済的影響に対して、決定的な楽観論が彼らの中に存在していたということなのかもしれません。

     最近、こうしたことを思い出させるような記事を目にしました。「【関西の議論】「『歯を食いしばれ!』弁護士が冤罪に加担しないために…スペシャリストが説く〝いばらの道〟」(産経WEST8月18日) 。 「足利事件」「東電OL殺害事件」などの冤罪事件に関与した神山啓史弁護士が、7月18日に京都で開かれた第69期司法修習生7月集会の全体会で話したことを中心にまとめられた記事です。

     裁判員制度をにらんだ「公判前整理手続」の導入や、証拠物一覧が交付されることになった今年5月の刑訴法改正が、風穴を開けた形にはなった検察側収集証拠の開示。記事によれば、神山弁護士は、こうしたなかでの開示請求の重要性を説きつつ、膨大な証拠を吟味する労力、知能が必要になってくるという弁護士側の覚悟の必要性を指摘します。

     しかし、現実問題として検察のマンパワーに対抗して、弁護士側にそれはできるのか。同じゲストスピーカーの前田恒彦・元検事からは、現実的な疑問が提示されます。「例えば従前の弁護活動とは比べものにならない時間と労力、報酬や諸費用を誰がどう負担するのか。被告に有利な証拠の開示を受けたのに、弁護人が見逃してしまう『弁護過誤』を引き起こすのではないか――」

     神山弁護士はこれを「まったくその通り」と同意したうえで、この少ないマンパワーでどう対抗するかという問題に関して、次のように語ったと記事は書いています。

     「神山弁護士は現在も再審請求が続く『名張毒ぶどう酒事件』の弁護団に加わった際、分厚いファイル50冊分の記録を読み込んだ経験を踏まえ一言『根性しかない』と語った。会場に苦笑が漏れる中、神山弁護士は『法曹資格を持ってしまったらしようがない。労力を負担したくないなら、そもそも資格を与えるべきではない。歯を食いしばれ、としか言えない』と続けた」

     この集会に出席していないので、この記事での発言の引用が正確なのかも、あるいは神山弁護士の言いたいニュアンスを正確に反映しているのかどうかについても裏を取っていないことは、まずお断りしなければなりません。あくまでこの記事に基づくことをお許し下さい。もちろん、神山弁護士の指摘は、経験に裏打ちされた重みがありますし、そこには彼の現実的視点があるのだと思います。

     しかし、あえていえば、そこにはやはり冒頭の意見同様の「勇者」登場に期待する「無力感」を感じてしまったのです。元検事から指摘された時間と労力、報酬や諸費用を誰がどう負担するのか、といった視点。そこには一切踏み込めない。労力を負担したくない人間には資格を与えるな、資格を与えられた以上、歯をくいしばってやれ、と言うしかないのだ、と。

     神山弁護士の発言は、「改革」によっても結局、弁護士側が犠牲的に負担せざるを得ないという現実を伝えているととれば、そこから「改革」への別の評価を導き出すこともできるかもしれません。しかし、少なくともこの記事は、同弁護士の言葉をそのまま受けて、「若手弁護士よ、いばらの道を行け」という言葉で締めくくってしまっています。

     「改革」が本当に「市民のため」になるものであるべき、と言い続けるのであれば、あるべきものを成り立たせる制度が正面から模索される議論が必要ではないのでしょうか。「勇者」の登場への期待には、それに対して後ろ向きととれるだけでなく、支えるものを考えない「改革」の欠陥を是認しているととれる決定的な欠落感があります。そして、何よりも「勇者よ来たれ」という掛け声だけで、本当に能力や知力がある人材が集まるのかということに、「改革」もそしてその掛け声を言う人間も、もっと自覚的であっていいと思ってしまうのです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    テーマ : 刑事司法
    ジャンル : 政治・経済





    機能不全「八割」とされたものの正体

     弁護士の増員政策など今回の司法改革を牽引するメッセージとなりながら、いまや数値的な根拠性はほとんどない、というのが定説になっているといっていい「二割司法」(「『二割司法』の虚実」)。ただ、これを提唱した中坊公平氏にとっては、そもそもそんな数値的根拠など、どうでもよかったのではないかとも思います。なぜならば、彼にとっては、この国の司法の膨大な機能不全を連想させる言葉であればよかったはずだからです。

     彼は、この増員政策をはじめとする「改革」の正しさを社会にアピールするとともに、その最大の抵抗勢力になりかねない弁護士たちに、その必要性を自覚させ、この「改革」を受け入れさせるための言葉が必要だった。当時、彼は「牽引」という言葉を好んで使っていましたが、その意味では、「二割司法」という言葉は彼の狙い通り、当初の目的を達成した、ともいえます。

     市民の「泣寝入り」や暴力団が介入するような不正解決がはびこるとされた、司法がかかわるべき、残り「八割」。ある弁護士たちにとっては、なんとかしなければならない使命感や正義感に訴えるものになり、また、ある弁護士たちの目には、そこに経済的なニーズが眠る大鉱脈があると、映ったかもしれません。さらに、司法試験年間3000人合格まで掲げる政策への「大丈夫」かという経済的不安を、前者正義感と後者の経済的な見返りによって、「なんとかなるだろう」と安易に納得してしまった弁護士も少なくなかったのです。

     一方で、現実の司法の欠陥を強調することになった、この言葉によって、結果的に弁護士増員が、利用者に大きな利をもたらす形で、司法の在り方を変えるのだ、という「改革」イメージと期待感も、一定限度形作られたようにみえます。

     これらを思い返せばなおさらのこと、「二割司法」という言葉は、それなりに威力と効果があった。そして、夢から覚めるようにその根拠性の化けの皮がはげるとともに、「改革」の虚構性があらわになった今にしてみれば、やはりそれだけ罪深いものであった、といいたくなります。少なくとも、この言葉がイメージさせ、その先に「改革」の必要性が結び付く形での膨大な機能不全は、いまや存在しなかったといわなければならないからです。

     「この言葉の『二割』こそが、実は弁護士の有償需要と、それで支えられる活動の現実だったのではないか」

     ある種の皮肉を込めて、異口同音にこういった趣旨のことを語る業界関係者の声を、今、耳にします。根拠が疑わしいといっている数値をもとに論を進めるのはおかしな話ではありますが、これはむしろ機能不全領域のイメージとしての、「八割」の正体についての見方といってもいいもの。社会的に司法へ期待されるとした領域のなかで、純粋に弁護士が採算性を維持しながら、扱える(扱えた)領域はどのくらいあったのか、についての実感というべきものです。

     たとえ、それが「二割」にとどまらず、仮に努力や改善によって三割、四割になるものだったとしても、イメージ化された残り「八割」までを本当に担える現実があったのか、数さえ増えれば、それが実現できるという見通しは正しかったのか、という問いかけにつながっているのです。そこに、あまりにも現実の弁護士の生存可能性を無視した極端な描き方があったのではないか、という疑問です。

     では、その機能不全にみえた(あるいは、された)「八割」の正体には、どういうものが含まれていたとみるべきでしょうか。それには、大きく分けて二つのことが考えられます。一つは、端的に言って、弁護士が採算性を度外視しなければカバーしきれない分野。逆に言えば、経済的にあるいは制度的な裏打ちがなければ、弁護士の日々の経済活動や努力では、限界がある領域ではなかったか、ということ。

     そして、もう一つは、そもそも弁護士が必ずしもカバーしなくていい分野。司法書士をはじめとした隣接士業、さらには資格外の人間が、総がかりで対応してもよい領域ではなかったのか、ということです。あるいは弁護士の役割は、彼らが手に負えない案件について、乗り出すというものであってもよかったかもしれません。後付けのような「図書館にも弁護士」論の中身をみても、さらには「法曹有資格者」の登場にしても、何が何でも弁護士でなくてもよかったのではないか、という意味で、前記のことを疑わせます。

     「改革」路線ということに引きつけていえば、前者が弁護士の有償無償の需要の区別なく括られたことの、そして後者はこの国の法的なニーズ(あるいは法的がどうかを問わず結果的に弁護士に期待されるニーズ)の受け皿を、隣接士業その他の総体として考えなかったことの、結果ということができます。まさに司法審最終意見書もそれを反映しているといえますが、要は弁護士の増員ありきの発想が、機能不全「八割」としてしまった部分の中身について、慎重な検討を回避させた。有償無償の区別も、隣接士業など総体での「受け皿」、本格的活用という発想も、新法曹養成制度と結び付いた増員政策という既定路線の再検討を迫られる、不都合な論点という扱いになった、ととれるのです。

     それは、現在の法テラスという存在のあり方にもつながっています。その低廉な報酬への不満、さらには税金に裏打ちされた経済的基盤とそれによる価格支配によって「民業圧迫」「弁護士の下請け化」といった批判が弁護士会内から噴出している現実は、結局、同様に前記したような弁護士の生存可能性と切り離された「なんとかなる」的発想の結果といえます。「改革」イメージがばらまいた期待の「受け皿」にはなっても、それを成り立たせる現実への考慮、配慮に欠いている。前記「八割」司法への粗雑ともいえる捉え方同様、業態の現実を無視した安易さをこの制度の運用には感じます。

     こういう話題については、「利用者は関係ない」という見方がつきまといます。弁護士の仕事の採算性で成り立つかどうかは、彼らの問題であり、利用者には関係ないのだと。また、逆に本当に弁護士が必要でなくなる社会が来るのであれば、それはそれでよい、という意見もあります。そうした意見の前では、書いてきたような弁護士たちの批判もかすんでみえる人もいるかもしれません。

     しかし、少なくとも、この「改革」の先に、そのイメージが期待させたような利が回ってこないばかりか、かつてよりも安心できる「受け皿」が存在しないという、実質的な機能不全に利用者が直面する未来が待っている恐れがあることは、分かっておかなければならないはずなのです。


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    弁護士「没落」記事の効果

     就職難や収入減といった弁護士の経済的な激変は、司法改革がもたらした「異変」として、一般社会に注目される材料になったといえます。2009年くらいから経済誌なども、この「異変」を取り上げはじめ、その後、大マスコミもさまざまな「改革」関連記事の扱いのなかで報道したこともあり、評価はともかくいまや事実として、社会に相当広く認識されているようにみえます。

     そこには、意外性、さらにいえばエリートの経済的「没落」に対する好奇の目が、報道する側の動機付けに、相当影響しているとみることができます。「改革」が何を目的として行われたのかを知らない、そもそも関心もない層が、この事実をもって、「何でそんなことになっているんだ」という目線を向けるだけのバリューは、少なくとも見出せるネタといえます。

     もし、それが、この「改革」で何か進行しているのかを伝えるきっかけとなったというのであれば、もちろん、それはそれで意味のあることといえますが、それが結果として「改革」の評価にどうつながったのかを考えると、なにやらぼやけたものを感じます。

     「崩壊」「激変」という刺激的なタイトルで伝えられた事実の先に、一体、何がもたらされようとしているのか。もっといってしまえば、ここまでの「異変」に見合う「改革」の「価値」とは何で、それはいつの日にか、私たちにもたらされるのか――。そこに受け手がたどりついていないのであれば、残念ながら、やはり結局、エリート「没落」への好奇の目、あるいは痛快感頼みの、そこまでのネタという評価になっても仕方がないようにも思います。

     「弁護士の給料半減! 年収200万~300万も当たり前の悲惨な現実」(PRESIDENT Online スペシャル)

     最近も、こんなタイトルの記事がネット上に流れました。所得の中央値を見ると、2006年の1200万円から、2014年には600万円と、キレイに半額。2008年当時は大企業の部長並みだった年収が、わずか6年ほどの間に、全社員の平均水準くらいにまで下がった。実際には数千万、億を稼ぐ人もいる業界だが、反対に、年収200万円、300万円といった低所得者も少なくない。日本最難関の資格を合格してきたエリートとしては、心もとない実態――。

     「異変」を伝える記事としては、ほとんど目新しさを感じない、という業界の受けとめ方もあるようですし、一般目線でも「意外性」の驚き効果は徐々になくなりつつあるかもしれません。記事は、このあと弁護士が「儲からない職業」になった原因として、弁護士の数の増え過ぎを挙げ、急増に見合うだけ裁判や法律案件が増えず、弁護士1人当たりの平均取扱事件数は減少して、収入減・所得減につながった、と伝えています。

     この間、この記事は司法試験合格者3000人程度を目指す「司法制度改革推進計画」の一文を引用しながら、「失敗」という言葉は一言も使っていません。そもそもここで取り上げられている原因は、あくまで「儲からない職業」になったことについてです。別に弁護士という資格が儲かろうが、儲かるまいが、「改革」の評価自体には関係ないといえば、それまで。それどころか、弁護士増員の競争による淘汰に価値を見出す考え方に立てば、「儲からない」弁護士が退散することだって織り込み済みです。一般的に弁護士が「儲かる職業」であり続ける必要はない、という前提に立つのならば、この記事もまた、「改革」の評価につながらない、好奇の目頼みのネタである印象も、ぐっと強くなります。

     ただ、一点、この記事には注目したいところがありました。

     「しかし、このことは、弁護士さんや弁護士を目指した人にとっては不運だったかもしれませんが、多くの日本人にとっては、むしろ『幸運な見込み違い』といえるのではないでしょうか。アメリカのように、すぐに訴訟を起こす社会、弁護士が自己PR合戦を繰り広げる社会が、決して日本人が望む幸福な世の中だとは思えません」

     この状況を、多くの日本人にとって、「幸運な見込み違い」というニュアンスで受けとめた記事にお目にかかった記憶がありません。弁護士過剰状態のなかで、弁護士の活用がどんどん促され、自己PR合戦も当然に繰り広げられる、「改革」が生み出している競争状態を国民は望んでいない、ということ。

     しかし、もし、記事がその前提に立つのであれば、本来、もっと「改革」の評価に結び付けなければならないはずです。なぜならば、今でも弁護士は増え続け、そのなかで記事のいう、その「国民の望んでいない」方向で、この状態をなんとかしよう、なんとかできるという方々が沢山いるからです。最後に「弁護士業界全体の信頼を失う」ことを懸念することで、この記事は終わっていますが、前記前提からすれば、ぼやけた結論といわざるを得ません。

     この記事を見るにつけ、やはり好奇の目に支えられたような、弁護士「没落」記事は、本当に私たちがたどりつくべき「改革」の評価の手前で、ぼやけてしまうことを感じます。そして、皮肉なことをいえば、最も期待できることは、結局、「この世界には行かない方がいい」という、志望者予備軍へのメッセージ「効果」であるように思えてくるのです。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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