「大桃・麻木騒動」と弁護士
昨年末、マスメディアを賑わした、大桃美代子さんのツイッターでの「不倫告発」に端を発した騒動。このところ海老蔵事件一色だった芸能報道が一転してこの騒動にスポットを当てただけでなく、一般のニュース番組でも、かなりの比重を置いた扱いがされたのは、想像以上でありました。
他人の色恋沙汰などどうでもいい、という方も多いでしょう。しかし、マスコミが今回のような扱いをしたこと自体は、そうしたこのテーマへの無関心層が必ずしもこの社会で多数派ではないことを示しているともいえます。大衆の興味がそこにある、という読みがあってこその、マスコミの対応ともいえなくないからです。
そういう意味では、今回の登場人物たちの関係よりも、なぜ今、このテーマに日本の大衆はそれほどまでに興味をもち、大マスコミがこぞって報道したのか、そちらの方が重要な意味を持つような気がします。
そのことはひとまずおくとして、ここでは別のことを取り上げます。この騒動の中で、ひとつ話題になったことがあります。それは、麻木久仁子さんの最初の記者会見で、彼女が弁護士を同道していたことです。
一つにはこの弁護士が、話題性のある事件を手掛け、最近、特にマスコミの露出も多い弘中惇一郎弁護士であったこともありますが、そもそもこうしたぶら下りのような会見で、弁護士が付き添ったことが、これまであまりないことから注目されることになったのです。
会見で弘中弁護士が、麻木さんのケースについて最高裁判例を挙げて、「不倫ではない」とする見解を述べたことも、マスコミはこぞって注目していました。だが、この取り上げ方はいささか危なっかしい。いうまでもなく、あくまで夫婦が破綻していた場合に、不倫している第三者の不法行為責任を否定している判例です。その破綻しているという前提は裁判所が決めることです。麻木さんにそのつもりがなかったということに、助け舟を出すかのようにこの判例を持ち出すと、当事者が破綻しているといったら、ただちにこの判例が当てはまるかのような印象にもなりかねません。一部番組で、この点で注釈をつけた弁護士もいましたが、多くの大衆に伝わっているか疑問もあります。
ちなみにこの問題では、重次直樹弁護士がブログできっちりと法的に解説されています。
さて、本題に入ります。ここで言いたいのは、弁護士登場のもつ意味です。
大衆は、麻木さんが弁護士を連れて現れたのを見て、どう受け取ったでしょうか。「不倫」に絡んで記者からきわどい質問がでることを、当然、予測して、いざという時の助け舟を期待して、弁護士を連れてきた、麻木さんは、そういうつもりだったろうと。だが、それはもう一つのことを意味してしまいます。つまり、既に麻木さんが一人自分の口で釈明するだけではおさまらない問題、あるいは状態なんだ、と。あえて露骨な言い方をすれば、弁護士の登場で、この話が一気にきな臭いものとして大衆に伝わったといえるのではないでしょうか。
なぜ、そういうかといえば、これは必ずしも当事者の利益にならないのではないかと思うからです。もちろん、弁護士が当事者に付き添って権利を擁護するという局面はあります。ただ、今回の件にしても、弁護士同道を含め、この会見そのものは、その後の麻木さんにとってプラスだったかどうかは判断の分かれるところでしょう。
弘中弁護士は、予想通り助け舟を出しましたが、それにしても、おそらく弁護士自身の意図とは反して、あのような会見では、法的見解にかかわる説明は不十分となり、間違って大衆に伝わるリスクもあります。また、イメージからしても、前記したように弁護士の登場が、場面によっては当事者にとって良いイメージになるとは限りません。重次弁護士も前記ブログで、会見では弁護士を同席させず、自らの言葉で話した方がよい、と結論づけています。
弁護士は、良い意味でも悪い意味でも、大衆には「用心棒」に映ります。「用心棒」が登場する場面が、すこし違うだけで、当事者に対する大衆の目線も違ってくることを、弁護士は頭に置いておかねばなりません。

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他人の色恋沙汰などどうでもいい、という方も多いでしょう。しかし、マスコミが今回のような扱いをしたこと自体は、そうしたこのテーマへの無関心層が必ずしもこの社会で多数派ではないことを示しているともいえます。大衆の興味がそこにある、という読みがあってこその、マスコミの対応ともいえなくないからです。
そういう意味では、今回の登場人物たちの関係よりも、なぜ今、このテーマに日本の大衆はそれほどまでに興味をもち、大マスコミがこぞって報道したのか、そちらの方が重要な意味を持つような気がします。
そのことはひとまずおくとして、ここでは別のことを取り上げます。この騒動の中で、ひとつ話題になったことがあります。それは、麻木久仁子さんの最初の記者会見で、彼女が弁護士を同道していたことです。
一つにはこの弁護士が、話題性のある事件を手掛け、最近、特にマスコミの露出も多い弘中惇一郎弁護士であったこともありますが、そもそもこうしたぶら下りのような会見で、弁護士が付き添ったことが、これまであまりないことから注目されることになったのです。
会見で弘中弁護士が、麻木さんのケースについて最高裁判例を挙げて、「不倫ではない」とする見解を述べたことも、マスコミはこぞって注目していました。だが、この取り上げ方はいささか危なっかしい。いうまでもなく、あくまで夫婦が破綻していた場合に、不倫している第三者の不法行為責任を否定している判例です。その破綻しているという前提は裁判所が決めることです。麻木さんにそのつもりがなかったということに、助け舟を出すかのようにこの判例を持ち出すと、当事者が破綻しているといったら、ただちにこの判例が当てはまるかのような印象にもなりかねません。一部番組で、この点で注釈をつけた弁護士もいましたが、多くの大衆に伝わっているか疑問もあります。
ちなみにこの問題では、重次直樹弁護士がブログできっちりと法的に解説されています。
さて、本題に入ります。ここで言いたいのは、弁護士登場のもつ意味です。
大衆は、麻木さんが弁護士を連れて現れたのを見て、どう受け取ったでしょうか。「不倫」に絡んで記者からきわどい質問がでることを、当然、予測して、いざという時の助け舟を期待して、弁護士を連れてきた、麻木さんは、そういうつもりだったろうと。だが、それはもう一つのことを意味してしまいます。つまり、既に麻木さんが一人自分の口で釈明するだけではおさまらない問題、あるいは状態なんだ、と。あえて露骨な言い方をすれば、弁護士の登場で、この話が一気にきな臭いものとして大衆に伝わったといえるのではないでしょうか。
なぜ、そういうかといえば、これは必ずしも当事者の利益にならないのではないかと思うからです。もちろん、弁護士が当事者に付き添って権利を擁護するという局面はあります。ただ、今回の件にしても、弁護士同道を含め、この会見そのものは、その後の麻木さんにとってプラスだったかどうかは判断の分かれるところでしょう。
弘中弁護士は、予想通り助け舟を出しましたが、それにしても、おそらく弁護士自身の意図とは反して、あのような会見では、法的見解にかかわる説明は不十分となり、間違って大衆に伝わるリスクもあります。また、イメージからしても、前記したように弁護士の登場が、場面によっては当事者にとって良いイメージになるとは限りません。重次弁護士も前記ブログで、会見では弁護士を同席させず、自らの言葉で話した方がよい、と結論づけています。
弁護士は、良い意味でも悪い意味でも、大衆には「用心棒」に映ります。「用心棒」が登場する場面が、すこし違うだけで、当事者に対する大衆の目線も違ってくることを、弁護士は頭に置いておかねばなりません。
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