困窮する若手弁護士への同業者目線の印象

     あるいは日弁連主導層の目にはとまらないのかもしれない(「弁護士『貧富』への認識というテーマ」)、若手弁護士の姿が報じられています(「新人弁護士『年収100万でファミレスバイト掛け持ち』貧困の実態」ダイヤモンド・オンライン12月21日付け)。

     30代前半の「即独」で、スマホ一本で仕事をとり、喫茶店やファミレスで打ち合わせをする「スマ弁」。弁護士の年収は100万円を切り、それを上回るアルバイト収入年150万円で、高い弁護士会費や貸与金返済分を払いながら生活している。少年事件に携わりたくて弁護士になったが、食べていくだけで精一杯。弁護士としてのスキルも身につかず、今は、法テラスのスタッフ弁護士、企業内弁護士、「どこでもいいから雇ってほしい」というのが本音――。

     あくまで印象の話になりますが、こうした個々の弁護士の経済的困窮ストーリーに対する、同業者の反応は、以前よりも厳しい、というよりも、冷たくなってきているように感じます。厳しいながらも、ある意味、良心的に弁護士業から撤退を促す先輩の声はあります。以前から、独立開業して、苦しくなった若手に、一旦、勤務弁護士に戻るように促す先輩たちの提案はありましたし、その通りにして、再起した弁護士も沢山知っています。しかし、いうまでもなく、現在の撤退勧告は状況も、意味もそれとは全くことなります。独立開業を諦めても戻るところがないばかりか、そもそも就職もできていない。完全な転業、しかもこれまでの資格取得のための労力と投資を投げ打った、先の見えない戻ることのない撤退を促すものです。

     業界外の人間と話すと、この点について、驚くほど認識は深まってないことに気付かされます。弁護士がかつてのような経済的に余裕がある資格業ではなくなったことは、相当程度、今回のようなメディアの扱いで認識されるところになりつつありますが、弁護士ほどの資格あるいは能力を持っていた人材ならば、そこそこ待遇される働き口が用意されているのではないか、と考えている人がほとんどなのです。

     しかし、この記事も押さえているように現実はそうとはいえません。この「スマ弁」氏が語る「どこかに就職するにしても『弁護士資格』が災い」するという話。彼が言うように弁護士という資格保持者としてのメリットよりも、弁護士として勤まらなかったことが減点される、という、現実は、「改革」の皮肉というべきか、法科大学院修了者の、司法試験に合格しなければ減点されてしまうといわれた「法務博士」号を彷彿させます(もっとも、最近、そうでもないということもニュースにはなっていますが。(「法科大学院修了生「モテモテ」記事の危うさ」)

     ただ、こうした撤退勧告は、もちろん厳しくとも「冷たい」という括りには必ずしもなりません。先の見えないところに、取りあえず出ていけ、という風に聞えれば、そこには無責任という言葉を当てはめる人もいますが、さすがに最終判断は自己責任、自己決定ということもさることながら、完全破綻で依頼者に迷惑をかけるまえに、この仕事を無理に続けるな、というのであれば、むしろ良心的ともいえるかもしれません。

     むしろ、気になるのは別の業界の反応です。全くこういう現実がないかのように、取り合わない。冒頭、日弁連会長経験者の言から「会主導層」の目にとまらないかもしれない、とあえて書きましたが、その意味では、実は、そうした階層に限定されず、こういう反応は広がっているようにもみえます。2016年3月の臨時総会席上、ある若手弁護士からも、状況は改善されており、自分の周りでも就職できなかったものはおらず、経済的に困っている者もおらず人権活動もやっている、と、弁護士増員基調を支持する発言が飛び出しました(「弁護士猪野亨のブログ」)。

     また、弁護士のなかには、「改革残酷物語」のように、最近、しきりと取り上げ出したメディアの扱いそのものが、かつてもいたはずの「失敗組」を一般化し、極端に取り上げている、などと、異口同音に評する人たちもいます。

     見えないのか、見ないのか、と問いたくなるところですが、もはや自分たちには関係ない、彼らが消えようが、消えることになる新人弁護士がこの世界にこようが、自分たちにかかわりはない、勝手にしてくれ、というのであれば、説明がつくといえばつく話です。さらには、記事にもあるような、もはや新人を自分たちが育てるべき後進ではなく、「商売敵」予備軍とするかのような目線までが、実際に聞こえてくる現実があります。

     「もはやみんな、余裕がないから」。こうした界内状況について、こう語る業界関係者がいました。もはや多数派かもしれない無関心派に、やや同情的な、その言には、仕方がない「改革」の結果を受けとめているのだ、という響きがありました。しかし、まるで競争による淘汰という「改革」をいつのまにか丸ごと肯定するかのように、「生存バイアス」ともとれる成功者だけを見るムードが広がりつつあることそのものが、前記「冷たさ」の根底にあるようにも思えるのです。

     このダイヤモンドの記事が、他の弁護士の異変や、若手「残酷物語」を伝えるだけのメディアの扱いに比べて良いと思えるのは、一番大事なことを最後にきちっと押さえている点です。

     「『衣食足りて礼節を知る』とは先人の言葉だが、弁護士とて同じ。法律家としての最低限の矜持を保てるだけのサラリーを整えておかなければ、司法が歪みかねない。ひいては、私たち市民の権利も守られなくなる。弁護士界だけの問題とせず、法治国家である社会で暮らす私たち自身の問題として、向き合うべき問題だ」

     弁護士を経済的に追い詰める「改革」が、私たちにプラスをもたらすどころか、むしろそのツケが回ってくるという話。しかし、さらにそれを避け難い、深刻なものにしているのは、「ベテランも後輩たちを育てる気概を失った弁護士業界」と記事は括っていますが、弁護士同士のなかでかつてなく流れ始めた、この冷たい空気であるように思えるのです。


    弁護士の経済的窮状の現実についてご意見、情報をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4818

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    弁護士「プロフェッション」の行方

     この社会で、弁護士がいかに専門的職能として、筋を通せる存在であり続けられるかは、私たちにとって極めて重要で現実的な問題だと思います。彼らの抱える経済的事情によって、あるいは「政治的」とする批判によって、彼らが本来、手を差し伸べられるものに手を差し伸べられなくなったり、沈黙をすることは、結果的に社会にとって望ましくない、この職能の形であり、そのツケは結局、国民に跳ね返ってくるのです。

     「プロフェッション(性)」というテーマが、この「改革」をめぐる弁護士会内の議論で、さんざん取り上げれた背景には、市場、競争、サービス業化、あるいはビジネス化がポイントとして回避できない、今回の司法改革が、このテーマに影響してくることを、彼ら自身がよく分かっていたということがあります。

     いうまでもなく、市場原理が重んじられ、対価性の追求が目的化されることになれば、当然に利潤を上げることから逆算した弁護士の姿が「正当」に登場する。そうなったとき、この職能は果たして筋を通せるのか、あるいは筋の通し方そのものが変わってしまうのではないか、という不安があったのです。

     「改革」の結果としてみれば、こうした懸念は悪い形で的中しているようにみえます。例えば、個々の依頼者の関係でいえば、今、かつてないほど弁護士の依頼者への迎合やポーズ姿勢の問題がいわれています(「歓迎できない『従順』弁護士の登場」 「『ポーズ』弁護士増加の嫌な兆候」)。弁護士が当事者の利益を考えながらも(あるいは考えるからこそ)、時に厳しい現実を伝え、説得することは当然のことです。能力の問題もいわれますし、自己防衛(責任回避)での必要性の点を強調する弁護士もいますが、手間を含めたソロバンがよりはじかれる状況なのです。現実とは違う耳触りのいいアドバイスが、着手金獲得や当事者をつなぐために繰り出されることは、本来の筋を通す弁護士の姿とはいえません。

     そもそも弁護士の姿勢が、利潤から「純粋に」逆算されたもの(それに引きずられたもの)なのか、それともそうではなく、それこそ「プロフェッション」性のうえに、筋を通したうえでのものなのかは、少なくとも一生に一度お世話になるような依頼者市民には区別がつきません。弁護士側は、いかようにも自己の行為を正当化する弁明ができる、ともいえます。やれるべきことをやってくれなかった、言ってくれなかった、ということを、結果的に気づかずに紛争、手続きを終えてしまう依頼者市民がいても、少しもおかしくないのです。

     この状況が、別の副作用を生んでいるということも、業界内から聞こえてきます。競争の先に現れた相談無料化の悪影響です。当ブログのコメント欄でも引用されていましたが、最近、この問題を取り上げたブログ(「中国備忘録→司法備忘録」)
    がありました。

     訴訟で求める金額の多寡に比例せず手間がかかる弁護士の仕事にあって、実入りの少ない案件を数こなすより(そもそも物理的に限界がありますが)、なるべく大きな実入りの案件を1件獲得したい(「例えば、個人案件で言えば、『(大きな)交通事故の被害者』、『(金持ちの)相続』、『(相手方が金持ちで財産分与が期待できる時の)離婚』」)。そのために、相談を無料化して、多くの客を誘引して選別する方向に進んだ。

     ところが、その副作用として、本来有償サービスであるはずの法律相談に「無償」イメージが付き、さまざまな勘違いをした相談者の相手を弁護士かしなければならなくなっている(「『厄介な方々』と向き合う弁護士」 「法律相談無料化の副作用」)。ブログ氏も「業界全体の自業自得」と括っていますが、本質的な見方をすれば、薄利多売化が難かしい弁護士の仕事を追い詰めても、そう簡単に有り難い話は、依頼者市民に回って来ないということです。少なくとも、一部無料化はサービス業としての士業努力だ、やっと弁護士も自覚したか、という話ではないのです。

     純粋な意味での(対価性を排除した形の)「プロフェッション」性が支える、例えば人権や公益にかかわる活動は、そもそも個人事業者である個々の弁護士には実現への限界があるから、主に弁護士会が担う、という考え方はありましたし、少なくともかつての弁護士にはそういう自覚がある方も多かった。しかし、冒頭に書いた「政治的」という批判を含めて、強制加入が求める高い会費がつなぐ関係性のなかで、その事業者弁護士からすれば、サービス業化、ビジネス化に目覚めるほど、それが「規制」のように感じてきた。会の活動に直接参加・協力できなくても、会費で支えるという意識も希薄化しつつある。「改革」がそこまで彼らを追い詰めた結果、ともいえます(「『普通の業者団体』という選択と欲求」)。

     結局、この問題を考えていくと、かつて彼らが口にしていた「経済的自立論」がやはり正しかった、というところにたどりつく、というよりも、正しかったことを「改革」の結果が証明しているように思えてきます(「『経済的自立論』の本当の意味」)。彼らが「プロフェッション」として筋を通してもらうためには、彼らが強調していた、その論理のなかにいてもらった方が、結果的に私たちには有り難かったのではないか、と。少なくとも、これに代わる経済基盤の整備は検討されず、彼らの競争とサービス業化の結果に丸投げした結果のメリットと比べたとき、どうなのか――。

     こういう結果を含めて、「この『改革』は国民が選択した」ということをいう業界関係者が、いまでも時々います。こんな状態を国民が望んでいた、とはいえないと思いますが、弁護士を追い込む「改革」が、弁護士にとっての「自業自得」では済まず、私たちにとっても、そのツケがブーメランのように返ってきていないのかは、よく考えてみる必要があります。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    「改革」と弁護士の「リアル」

     日弁連が「もっと知りたい弁護士の世界」と題した新しいパンフレットを作成しました。日弁連のホームページには、こう書かれています。

     「弁護士と聞いてどんな人をイメージしますか?実は弁護士といってもその働き方や思いは人それぞれ。ドラマや映画で見かける姿は、ほんの一面でしかありません。もし弁護士について、もっとリアルな姿を見てみたい!と思ったら、ぜひこのパンフレットをめくってみてください。実際の弁護士の姿は、思った以上に多彩です」

     確かに弁護士の仕事は昔も今も「多彩」であり、テレビや映画をソースにしたい社会にあるイメージとは異なる面はありますし、そこに日弁連が着眼して事実を伝えるというのであれば、それは何の不思議なことでもありません。しかし、このパンプレットから一見して読み取れるのは、少々そうした単純な趣旨・目的ではありません。

     インターネット、ワークライフバランス、被災者支援・刑事弁護での社会貢献というテーマで、若手弁護士を登場させたこのパンフは、そのデザインが象徴するように、志望者減・弁護士離れを意識し、そこから逆算された、ウケを狙ったイメージ戦略、あえて言えば、ここに書かれていることが事実であったとしても、その目的にプラスに作用することだけが切り取られたものにとれるのです。

     パンフの冒頭には「BECOME 弁護士になる道はひとつじゃない」として、弁護士になるまでのプロセスを表した、太い矢印が描かれています。「社会人」と「大学」が同じ太さで「法科大学院」に合流、その流れとやや細い「予備試験」のルートが司法試験に向います。日弁連がいまだ擁護している法科大学院本道主義のなかで、多様性が担保されているような印象にはなります。

     「どのような勉強をしたか」で登場する若手弁護士が、「効率重視でとにかく過去問を研究」したとして、自分にとっての最適勉強法を見つけて、と語っているあたりは、法科大学院教育の建て前からすると、「語るに落ちる」的な感じもします。

     こうしたパンフレットが作られる背景として、日弁連主導層のなかに、現状がむしろ「アンフェア」にネガティブ情報で満たされているという認識(本音ではなく、建て前である可能性も含めて)があります(「弁護士『貧富』への認識というテーマ」)。弁護士増員政策による激変で経済的魅力が下がり、もはやかつてのような魅力ある資格でなくなった、ということが強調され過ぎである、と。同政策に反対したり、弁護士過剰を強調する同業者に対して、偏った論調と批判する見方にもつながっています。あたかも自分たちがポジティブな情報を流すことで、均衡がとれるという姿勢にもとれなくありません。

     彼らの現状認識を前提にすれば、ある意味、その趣旨は分かります。ただ、一番の問題は、それが結果として「生存バイアス」からくる誤解と犠牲を生まないか、という点にあります。今、語るべきは「可能性」か「覚悟」か、という話になりそうですが、前記したような、弁護士離れを食い止めるという目的から逆算されたイメージ戦略であればこそ、その点を加味して、このパンフを見なければならないように思うのです。日弁連がピックアップした「生存」弁護士の姿から、どこまでの弁護士の「リアル」を読み取るべきなのか――。

     もし、日弁連ホームページがいう弁護士の「リアルな姿」にこだわるのであれば、法曹人口問題全国会議が今年9月から10月にかけて全国の弁護士を対象(回答数2879人)に実施した「弁護士人口と法曹養成に関するアンケート」の結果を、併せ読んで頂くことをお勧めします。武本夕香子弁護士が自身のホームページで、この回答を紹介・論評していますので、それもお読み頂ければと思います。

     このアンケート結果の気になる点をピックアップすると、大略以下のようになります。

     ① ここ数年の法律相談・受任件数の増減傾向⇒「大幅に減少」22.6%、「少し減少」が23.2%に対し、「少し増加」15.4%、「大幅に増加」3.8%。「変化なし」は23.5%。
     ② ここ数年の所得の増減傾向⇒「大幅に減少」23.9%、「少し減少」21.4%に対し、「少し増加」21.5%、「大幅に増加」3.7%。「変化なし」22.0%。
     ③ 所属弁護士会の弁護士人口の過不足⇒「過剰」51.4%、「少し過剰」23.5%に対し、「不足」1.2%、「少し不足」2.9%。「需給均衡」8.3%。
     ④ 法曹の質の確保を考えたときの現在の司法試験合格判定基準⇒「低すぎる」57.3%に対し、「高すぎる」3.4%、「適正」12.7%
     ⑤ 現在の法科大学院(司法試験に特化した受験資格付与)の存廃に対する考え⇒「廃止」55.0%、「存続」26.1%。
     ⑥ 弁護士として経済力⇒「不安を感じる」70.1%、「不安を感じない」21.2%。
     ⑦ 弁護士の職業的環境と魅力⇒「低下した」77.4%、「変化なし」13.7%、「高くなった」2.1%
     ⑧ 弁護士の社会的地位と信頼度⇒「低下した」75.3%、「変化なし」16.9%、
     ⑨ 弁護士増加政策(司法試験年1500人を下回らせない)が変更されない状況での、日弁連による法科大学院志願者増加への取り組み⇒「必要ない」54.0%、「必要」23.9%。

     武本弁護士は、以下のような厳しい言葉で締め括っています。

     「弁護士の大半がこのような実感を持っているのにもかかわらず、また、法科大学院制度が崩壊の危機に瀕しているのにもかかわらず、未だに『法科大学院へ行こう。』だとか、『弁護士の職業的魅力を宣伝しよう』とか『弁護士になれば、あたかもバラ色の未来が待っている』かのごとく詐欺的商法さながらの宣伝を行い、若い人たちの人生を弄ぶのは、不誠実極まりない」

     日弁連も法科大学院関係者も、「改革」の結果が出ていればこそ、「なんとかしよう」という発想で、ポジティブ・キャンペーンを繰り出すことになっているのです。日弁連が伝える「多彩な」弁護士の姿が事実であったとしても、「改革」の結果に目をつぶって、目線をずらさせるかのように、弁護士の「リアル」を語ることは、やはり無理があり、それはもはや不誠実と言われても仕方がないように思います。


    地方弁護士の経済的ニーズについてご意見、情報をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

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    弁護士「貧富」への認識というテーマ

     かつてのように左右(イデオロギー)ではなく、いまや上下(ベテランvs若手)で分裂していく(している)という見方は、弁護士会の一つの現実を言い当てています(「『左傾』とされた日弁連の本当の危機」 「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」)。ただ、実はこれよりも、いまやある意味、もっと露骨に、そして切実に会員が感じ始めている分裂は、やはり貧富ではないか、と思います。

     こう言うと、弁護士の中からは、この仕事では個々の会員間にもともと経済的な格差があった、ということの方を強調される人が現れます。それは承知のうえでいえば、それが「貧富」という言葉の程度においてもさることながら、その広がりにおいても、明らかに過去と違うことの方に注目して当然といわなければなりません。「改革」がもたらした弁護士の経済状況は、将来的な見通しが立たないこの仕事の経済的な沈下への危機を、広く会員に共有させるものになり、それを共有しない会員との違いを浮き彫りにした、といえます。

     どちらかといえば、「苦しい」「苦しい」とは口にしない、この業界の人間でも、本音の部分では違うと感じる声は、いまや当たり前に耳にしますし、個々の会員によって感じ方には違いがあっても、時々、公にされる収入に関する調査では伝え切れないような業界そのものの懐事情を、それこそ肌感覚で感じている方は少なくないように見受けられます。

     いまさらこの原因である、弁護士過剰を生み出した「改革」に対する、恨み節を言ったところでどうにもならない、という諦念は、もちろん多くの弁護士のなかにあります。しかし、その一方で、こうしたなか、これまで以上に、弁護士会員のある目線が強まっている感があります。それは、弁護士会主導層の現状認識に対する、疑念を伴った会員の目線です。

     見えていないふりをしているのか、それとも本当に見えていないのか――。「改革」が生み出した経済的に苦しむ会員のその深刻さ、もはや大きな貧富の格差が生まれている現実を、分かっていながらそこに注目しない、あるいは楽観視しているのか、それとも本当に気付いていないのか、という疑念。ただ、このことを弁護士会員にふれば、いずれにしても弁護士会主導層に対する同じ目線に辿りついてしまうのです。つまり、経済的に影響がない、もしくは深刻でない立場だからなのだ、と。要はそうであればこそ、「改革」の旗を振った手前もあって、他人事を決め込むもよし、となるし、あるいは感覚がマヒしたような他人事になってもおかしくない、という捉え方です。

     まさに、そんな疑念を刺激するような、日弁連会長経験者の雑誌インタビューでの発言が、弁護士のなかで昨年話題となりました。

     「若手は生活が苦しい、今弁護士になっても食えないというような話が当たり前のように語られますよね。それは大変だと当の若手に聞き取り調査をしても、僕の周りには、そんな弁護士はいませんという返答ばかりなんですよ(笑)。厳しい現実は否定しませんが、ネガティブ情報だけが拡大されて独り歩きしています」(アトーニーズマガジン2016年11月号Vol.54での村越進・前日弁連会長の言葉)

     たまたま前会長の周りには、前記したような「苦しい」とは口にしない弁護士たちばかりなのかもしれませんが、そもそも「苦しい」のが若手だけではなく、高齢・中堅のベテラン層の経済的状況にも深刻な影響が出ているのが現実です。それゆえにこれまで個人的遊興や投資が主原因だった、依頼者のおカネに手をつける形の不祥事が、経営弁護士によって「事務所維持」を理由に(なかには建て前で言っている場合もあったとしても)発生し、弁護士会として無視できないところにきたことをご存知ないわけがないだろう、と考えるのも当然といえます。

     発刊直後に、この発言を自身のブログで取り上げた武本夕香子弁護士は、9割以上の弁護士の所得を補足している国税庁の統計で、年間所得100万円以下の弁護士が実に2割も存在している現実に触れ、全体的な弁護士の平均所得や所得中位数も右肩下がりの下降傾向が続けているなかで、日弁連会長にこうした現実がまるで届いていないような前記発言を疑問視。仮に、このような情報が届かないとしても、「非常に恵まれた境遇にある弁護士を基準に考えるのではなく、困っている弁護士の方に思いを馳せ、想像力を働かせて制度設計を考えるのが弁護士であり、為政者である」と厳しく指摘しました。

     また最近、この発言と弁護士の現状について、ある弁護士のブログ(「名古屋市の相続・シニア問題弁護士のブログ」)が、さらに鋭く、辛辣に指摘しています。ブログ氏はこう言います。

     「裕福なお金持ちの日弁連前会長のお言葉です。日弁連前会長からみれば、貧乏人が弁護士であることが許せれないのでしょう。彼から見れば、ノブレス・オブリージュの言葉の通り、弁護士は職業でなく『貴族』であるべきなのです。
    身分制社会の弁護士会で生活苦の弁護士の存在が許せれない(登録をやめればいい、排除すればいい)とのことだと私は理解していました 弁護士会費が高額なのは、この身分制社会を維持するための参入障壁であり、また中高年齢貧乏弁護士を排除をする方策なのです」
     「貧しい弁護士達はなんで弁護士会費がこんなに高額なのか、もっと地味に質素質実に行けばと思いますが、ブル弁の方は金銭感覚が違うし、考えていること、考え方が違うのでしょう。今弁護士会では、2世3世の弁護士の方が中心となり活躍されています」

     最近話をした、ある別の弁護士も、「本当にカネ持ちしかなれない資格になりつつある」と述べました。給費制問題でさんざん言われ、一部から異論も出た「カネ持ちしか」論ですが、法科大学院という新プロセスのフィルターと同時に、弁護士の生存できる環境そのものがフィルターとなって、それは現実化しているのだ、と。高額な弁護士会費も、前記主導層の発言同様、見ないか見えないかの、疑いたくなる主導層の現状認識とつなげて語られ始めているのです。

     前記ブログ氏は、弁護士増員路線による競争激化、他士業の法律業務への進出、人口減少による需要の減少など、弁護士の生き残りへの戦いは、40年間想定され、その序盤戦の13年間が終わろうとしているとし、これから熾烈な中盤戦の13年間が始まり、最後の終盤戦の13年間は悲惨なものになって、相当数の弁護士が廃業を視野に入れる時代が待ち構えている、という暗い未来予想図で締め括っています。

     利用者からすれば、こうした弁護士の生き残りなどどうでもよし、去る者は去れ、という括り方を、当然のように口にする人もいます。ただ、逆に弁護士の仕事が経済的に安定していて、恵まれていても、それ自体も利用者にとってはどうでもよく、むしろ安定していない弁護士に依頼したくなるのかということが問われてもおかしくない話です。弁護士を経済的に追い詰めてメリットが現れなかったとしたならば、つまりは経済的に生き残ることが彼らのテーマとなる時代に、それが良質化や低額化につながらず、むしろそれこそ、市民のために働く意思を持った有能な弁護士がいない、育たない方向に向っているのであれば、どうなのか――。

     もはやその先には、弁護士自治の崩壊までが見通せるところまで来ていること(「『弁護士自治』崩壊の兆候」 「『弁護士自治』崩壊の想定度」)を考えればなおさらのこと、弁護士の経済的格差は私たちにとっても、「独り歩き」で片付けられる「ネカティブ情報」ではない、と思えるのです。


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    弁護士の使命と事業者性をめぐる現実的視点

     一事業者である弁護士が、ある種身を削って、公益的な仕事を行っていくことの無理が、いまや普通に弁護士の口から聞かれます。弁護士法の「基本的人権の擁護と社会正義の実現」という弁護士の使命に対する解釈としては、あくまで有償案件、つまりは事業者として成立する仕事を手掛けるなかで実現されていけばよい(そうした業務のなかでも十分にこの規定が意味をなしている)ことの方を強調する人は、かつてから弁護士会のなかにもいましたが、いまや当たり前のように、それが言われます。

     さらにいえば、若手のなかには、この使命規定の無用論まで口にする人さえ出始めています。この使命規定が、有償案件について対価を得て、サービス業としてこなすこと以上の社会の期待を、この仕事に被せることにつながっているという見方。そこから、弁護士自身がもはやこの規定に共感できない、理解できない、という状況が生まれている、といえるかもしれません。

     これは、改めて言うのもおかしな話ですが、あくまで「改革」の結果です。弁護士増員によって経済的により厳しい立場に立たされた弁護士は、これまで以上に弁護士の事業者性を意識し、また、余裕がなくなった。その結果として、弁護士会活動や自治・強制加入を含めて、この前記使命のもとで、あいまいに許容してきた部分や、現実に参加していた部分について、強くこだわり出した(こだわらざるを得なくなってきた)、ということなのです。

     その意味では、かつて弁護士の改革について主導した中坊公平弁護士が、事業者性の犠牲の上に公共性を追求することこそ市民が求める形であるとして、あたかもそうした弁護士を生み出すかのように描かれた「改革」の結果と、現実は真逆なりつつあるようにみえます。当時、この捉え方に異を唱えなかった多くの弁護士たちの意識を思えば、大量需要の発生による弁護士業の揺るぎなき経済的安定、いわばちょっとやそっと事業者性を犠牲にしても、多くの弁護士がそれを死活問題として目くじらを立てない、余裕ある未来を思い描いていた証明ではないか、とすら思ってしまうのです。

     本当にこの国に、前記使命から有償ではない無償の(採算性がとれない)、弁護士が取り組まなければならない案件が大量に存在し、それを一事業者である弁護士が引き受けなければならないというのであれば、何度もここで書いているように、基本的に医師における保険制度のように(保険には限りませんが)それを経済的に下支えするものが検討されなければならないはずです。むしろ、そのことを「改革」結果がはっきりさせた、といえます。

     ただ、あえて逆のことをいえば、弁護士の事業者性を犠牲にする中で、前記使命が実現されていく、という形が、好都合といえる社会的な事情が、ひとつだけあるように思います。弁護士・会がかかわってきたそうした案件が、必ずしも社会的なコンセンサスを得られるものではない、という現実です。少数者・弱者の人権、誤判・冤罪事件など活動、さらにいえば刑事被疑者・被告人の弁護はいうに及ばず、他人の民亊事件の救済・援助に至るまで、なんらかの形で税金が投入されることそのものに、実は抵抗がある。

     「なぜ、『犯罪者』に」「なぜ、他人の紛争に」というところから説き起こさなければならないことが存在しているのが、弁護士の仕事を取り巻く現実なのです。最近の当ブログのコメント欄で、「法テラスは勤勉な納税者に見返りがない」として、本人訴訟の当事者は納税者であるのに、「貧乏で非課税の相手方」が法テラスで弁護士を付けているのは不条理、不公平という見方が出ていました。これも現実といわなければなりません(「弁護士『多様性』後退という結果」)。「明日は我が身」的な論法で、当事者的理解を求めるのは、弁護士会の主導層の一部が考えている以上に困難である現実が、弁護士の仕事を取り巻いているのです。

     だとすれば、といわなければなりません。「改革」の結果として、弁護士はやはりより事業者性こだわり、かつて弁護士・会が支えてきた分野に目をそむけ、かつ、それでも所詮弁護士の経済基盤を下支えする制度的議論など生まれない(弁護士会主導層が強調するほど、そこまで弁護士がインフラ視されていない)。そうであれば、かつてのような形の方がよかった、というよりも、実はそれでしか支えられないものが存在したのではなかったか、と。つまりは経済的な安定や余裕を奪えば、実は失われるものが存在していた、という問題なのです。

     一事業者としては、いわば特殊な使命を持つ弁護士が、それを自ら実現することに、もちろん社会は異を唱えない。むしろ、税金を投入する制度的担保よりも、よほど歓迎されるでしょう。それを不十分ながら担保する経済的な安定が、現実的にあったときの方より、弁護士の意識・動向を含め、前記「改革」後の状況の方が、社会にとって有り難いと果たしていえるのか、という気持ちにどうしてもなるのです。これによって、自治を含めて弁護士会そのものが崩壊していくのであればなおさらです。

     かつて弁護士が自力ともいっていい形で、主導的に支える協会によって、法律扶助制度が運用されていた時代、それにかかわっていた「扶助閥」ともいわれた弁護士たちが、異口同音に「われわれは国家がやるべきことを自力でやっている」という趣旨のことを、胸を張っていうのを耳にしました。国の責任という点も、ある種の限界を感じていた点も当然ありましたが、一方で、ある種の自負が原動力になっていた面もあったようにとれました。そして、そういう犠牲的な意味での自負が、弁護士会活動のなかに現在に至るまでずっとあることも事実で、そこがまた今や会員のコンセンサスが得られなくなってきている、ともいえます。

     過去のような、経済的な余裕に支えられた弁護士の公益的活動も、「改革」が描いた事業者性の犠牲の上に公益性が求められるという未来も、ましてや前記自負で取り組む活動なども、いずれも所詮無理だったし、どれも望ましい形ではなかったのだ、というのであれば、ただ単に「改革」がもたらした、弁護士のさらなる事業者性の目覚めを、私たちは当然の結果として受けとめればいいということになるのかもしれません。ただ、そうであればなおさらのこと、過去との比較において、私たち利用者は現実的に何を失ったか、あるいは失いつつあるのかも知っておかなければならないと思うのです。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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