会員離反への日弁連執行部の感性

     日弁連いう組織の在り方にかかわる、日弁連の二つの動きが、今、会内で話題になっています。一つは、ここでも既に取り上げた、弁護士が高齢者など依頼者の金銭を着服した事案について、日弁連が被害者に一定額を支払うという、日弁連が導入を検討している「依頼者保護給付金制度」(「『依頼者保護給付金制度』をめぐる不透明感」  「弁護士横領事案、『連帯責任』の受けとめ方」)。 もう一つは、日弁連が10月の人権擁護大会で採択を目指している、初めて死刑廃止を明確に打ち出す宣言案です。

     全く内容的には異なる日弁連の対外的な、この二つのアクションが、今なぜ、その組織の在り方にかかわる問題として受けとめられているのか――。それを一言でいえば、会員のコンセンサスの問題ということになります。片や既に書いたように不祥事抑止の効果が見えないまま、一部弁護士の故意犯の被害にまで、会費から見舞金を拠出するという会員連帯責任制ととれるものの妥当性、片や存廃に多様な意見がある死刑制度について、日弁連全会員が「反対」を表明したかのようにとられかねない宣言採択の妥当性についてです。むろん、これらの妥当性が共通して照らし合わせようとしているものは、強制加入団体としての在り方です。

     前者のアクションには、弁護士自治への責任や、その批判への脅威。つまり、日弁連の監督責任がとわれ、自主懲戒権を持つ団体の適正が問われるという恐れが背景にあります。ただ、ある意味、問題は多くの会員も、あるいは執行部も、これを本音で取りきれる責任と思っていないととれるところです。常に、弁護士自治がはく奪される脅威から、何かをやらなければならせないということに背中を押されるように、引き受けられないことを引き受けていないか、という疑問です。一個人の犯罪的行為とみれば、引き受けるべきでなく、むしろ弁護士自治の必要性とは切り離すべきで、むしろヤブヘビなことをやっているという見方もできるからです。そもそも不祥事が弁護士自治の基盤を掘り崩すという「常識」自体に、論理の飛躍があるという意見もあります(花水木法律事務所ブログ「弁護士による不祥事と『弁護士自治』との関係について」)。

     日弁連は2001年に、弁護士自治の基盤を「市民の理解と支持」に求める決議を採択していますが、それ以降、むしろその「市民の理解と支持」に目を奪われ、弁護士自治の本来的な存在意義を主張する姿勢を弱めてきたようにもとれます(「『国民的基盤』に立つ弁護士会の行方」)。「市民の理解と支持」が必要であっても、もはや弁護士自治批判を恐れるあまり、結局は理解にも支持にもつながらないことに、日弁連は手を出そうとしているように見えるということなのです。

     一方、死刑廃止宣言は、これまでも度々日弁連が直面して来た会員の思想信条と強制加入制度の問題にかかわります。単純な対立構造として描くこともできます。つまり、死刑問題を人権問題であるとした時点で、これを取り上げるのは弁護士共通使命であるといえ、日弁連・弁護士会は組織としての意見表明ができるという見方と、強制加入団体である以上、その内容において個々の会員に対立的な意見がある場合、それを考慮して日弁連は対外的な意見表明を控えるべきだ、という見方です。

     しかし、これについては、同様の案件で裁判上の決着がついています。1992年の国家秘密法反対決議無効訴訟での東京地高裁の判決に基づけば、弁護士法1条の目的の実現という範囲においては、会の意思表明・活動には正当性があり、およそその範囲内では、特定意見を会員に強制している事実はなく、会員の思想・良心の自由の問題を完全に切り離して、会の行為の正当性が認められるという判断です(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」)。

     おそらく日弁連執行部は、基本的にこの考え方に従うと考えられます。つまり、たとえ死刑廃止を組織として掲げても、個々の会員にその意見を強制していないのだと。逆に言うと、日弁連の対外的表明は、弁護士が全員加入している組織でありながら、必ずしも総意ではない、ということを大前提にしているということなります。

     会内対立案件については、あくまで日弁連ではなく、有志であることが分かる形で発表すべき、という声が、反対・慎重派には以前から聞かれます。日弁連という組織が、その名前で一丸となることの意義を強調する意見は会内に根強くありますが、実質総意ではないということを前提とするならば、「有志」としないことの不誠実さを問われる余地は出できます。

     もちろん、人権大会で会員の議決を経ているということをもってして、会員多数の支持という線引きをしているということも主張されるとは思います。ただ、総意を擬制しているというような形の決着がふさわしいかは、案件によって会員の捉え方が違う現実は存在しています。

     しかし、今回の二つのアクションに対して共通する批判的な目線が向けられているのは、別の言い方をすれば、日弁連執行部の感性の問題ともいえるようにとれます。日弁連執行部は、なぜ今、会内を分裂させる案件を平気で進めようとするのか、と。それは、いうまでなく、この二つのテーマが強制加入団体としての妥当性というテーマでつながり、そこからの会員の精神的離反の引き金になる要素をもっているからです。いわば、弁護士自治の外部批判に脅威しながら、内部崩壊には極めて楽観的にとれる姿勢が、今の日弁連執行部にあるということなのです。

     会内批判があれば、常に対外的に日弁連が沈黙するということが、望ましい形とは思えず、前記司法判断の割り切り方も、一定の意味はあると思っています。ただ、日弁連は会員の離反という、もう一つの深刻な現実を、今こそ直視しなければなりません。そして、もし、日弁連執行部とその支持者のなかに、かつて通用していたことが現実に通用しなくなってきた、という認識が芽生えないのであれば、一体、何が会員意識を変え、そして何を取り戻さなければならないのかという、根本的で最も重要な認識にもたどりつけないまま、弁護士自治は崩れていくことになるはずです。


    「依頼者保護給付金制度」についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7275

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ
     
    スポンサーサイト

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    コメントの投稿

    非公開コメント

    No title

    執行部が死刑廃止というなら、日弁連会長及び副会長らが自ら身元引受人となり、仮釈放になった凶悪犯罪を犯した受刑者を彼らの自宅で引き受けるのでしょう。ごく一部の再犯リスク故に萎縮してはいけない、というなら、執行部自身が萎縮せずにどしどし引き受けるしかない。

    日本が世界的にも誇ることのできる、全国の更生保護施設は、既にキャパオーバー、働く人の待遇は最悪(公営除く)、さらに法務省が与える無理難題が増えるばかりでかなりひどいことになっている。執行部が言行一致して身を切ることを、期待します。

    No title

    既判力を持つのは、判決主文のみ。
    しかも、引用判例は、24年も昔の、下級審判決に過ぎません。

    市民市民・・・と言いながら、各種世論調査で多勢が支持する死刑制度を廃止しろ、という執行部。今回の矛盾挙動は、天に唾するようなもの。

    今回は、最高裁まで争うことになるでしょう。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR