機能不全「八割」とされたものの正体

     弁護士の増員政策など今回の司法改革を牽引するメッセージとなりながら、いまや数値的な根拠性はほとんどない、というのが定説になっているといっていい「二割司法」(「『二割司法』の虚実」)。ただ、これを提唱した中坊公平氏にとっては、そもそもそんな数値的根拠など、どうでもよかったのではないかとも思います。なぜならば、彼にとっては、この国の司法の膨大な機能不全を連想させる言葉であればよかったはずだからです。

     彼は、この増員政策をはじめとする「改革」の正しさを社会にアピールするとともに、その最大の抵抗勢力になりかねない弁護士たちに、その必要性を自覚させ、この「改革」を受け入れさせるための言葉が必要だった。当時、彼は「牽引」という言葉を好んで使っていましたが、その意味では、「二割司法」という言葉は彼の狙い通り、当初の目的を達成した、ともいえます。

     市民の「泣寝入り」や暴力団が介入するような不正解決がはびこるとされた、司法がかかわるべき、残り「八割」。ある弁護士たちにとっては、なんとかしなければならない使命感や正義感に訴えるものになり、また、ある弁護士たちの目には、そこに経済的なニーズが眠る大鉱脈があると、映ったかもしれません。さらに、司法試験年間3000人合格まで掲げる政策への「大丈夫」かという経済的不安を、前者正義感と後者の経済的な見返りによって、「なんとかなるだろう」と安易に納得してしまった弁護士も少なくなかったのです。

     一方で、現実の司法の欠陥を強調することになった、この言葉によって、結果的に弁護士増員が、利用者に大きな利をもたらす形で、司法の在り方を変えるのだ、という「改革」イメージと期待感も、一定限度形作られたようにみえます。

     これらを思い返せばなおさらのこと、「二割司法」という言葉は、それなりに威力と効果があった。そして、夢から覚めるようにその根拠性の化けの皮がはげるとともに、「改革」の虚構性があらわになった今にしてみれば、やはりそれだけ罪深いものであった、といいたくなります。少なくとも、この言葉がイメージさせ、その先に「改革」の必要性が結び付く形での膨大な機能不全は、いまや存在しなかったといわなければならないからです。

     「この言葉の『二割』こそが、実は弁護士の有償需要と、それで支えられる活動の現実だったのではないか」

     ある種の皮肉を込めて、異口同音にこういった趣旨のことを語る業界関係者の声を、今、耳にします。根拠が疑わしいといっている数値をもとに論を進めるのはおかしな話ではありますが、これはむしろ機能不全領域のイメージとしての、「八割」の正体についての見方といってもいいもの。社会的に司法へ期待されるとした領域のなかで、純粋に弁護士が採算性を維持しながら、扱える(扱えた)領域はどのくらいあったのか、についての実感というべきものです。

     たとえ、それが「二割」にとどまらず、仮に努力や改善によって三割、四割になるものだったとしても、イメージ化された残り「八割」までを本当に担える現実があったのか、数さえ増えれば、それが実現できるという見通しは正しかったのか、という問いかけにつながっているのです。そこに、あまりにも現実の弁護士の生存可能性を無視した極端な描き方があったのではないか、という疑問です。

     では、その機能不全にみえた(あるいは、された)「八割」の正体には、どういうものが含まれていたとみるべきでしょうか。それには、大きく分けて二つのことが考えられます。一つは、端的に言って、弁護士が採算性を度外視しなければカバーしきれない分野。逆に言えば、経済的にあるいは制度的な裏打ちがなければ、弁護士の日々の経済活動や努力では、限界がある領域ではなかったか、ということ。

     そして、もう一つは、そもそも弁護士が必ずしもカバーしなくていい分野。司法書士をはじめとした隣接士業、さらには資格外の人間が、総がかりで対応してもよい領域ではなかったのか、ということです。あるいは弁護士の役割は、彼らが手に負えない案件について、乗り出すというものであってもよかったかもしれません。後付けのような「図書館にも弁護士」論の中身をみても、さらには「法曹有資格者」の登場にしても、何が何でも弁護士でなくてもよかったのではないか、という意味で、前記のことを疑わせます。

     「改革」路線ということに引きつけていえば、前者が弁護士の有償無償の需要の区別なく括られたことの、そして後者はこの国の法的なニーズ(あるいは法的がどうかを問わず結果的に弁護士に期待されるニーズ)の受け皿を、隣接士業その他の総体として考えなかったことの、結果ということができます。まさに司法審最終意見書もそれを反映しているといえますが、要は弁護士の増員ありきの発想が、機能不全「八割」としてしまった部分の中身について、慎重な検討を回避させた。有償無償の区別も、隣接士業など総体での「受け皿」、本格的活用という発想も、新法曹養成制度と結び付いた増員政策という既定路線の再検討を迫られる、不都合な論点という扱いになった、ととれるのです。

     それは、現在の法テラスという存在のあり方にもつながっています。その低廉な報酬への不満、さらには税金に裏打ちされた経済的基盤とそれによる価格支配によって「民業圧迫」「弁護士の下請け化」といった批判が弁護士会内から噴出している現実は、結局、同様に前記したような弁護士の生存可能性と切り離された「なんとかなる」的発想の結果といえます。「改革」イメージがばらまいた期待の「受け皿」にはなっても、それを成り立たせる現実への考慮、配慮に欠いている。前記「八割」司法への粗雑ともいえる捉え方同様、業態の現実を無視した安易さをこの制度の運用には感じます。

     こういう話題については、「利用者は関係ない」という見方がつきまといます。弁護士の仕事の採算性で成り立つかどうかは、彼らの問題であり、利用者には関係ないのだと。また、逆に本当に弁護士が必要でなくなる社会が来るのであれば、それはそれでよい、という意見もあります。そうした意見の前では、書いてきたような弁護士たちの批判もかすんでみえる人もいるかもしれません。

     しかし、少なくとも、この「改革」の先に、そのイメージが期待させたような利が回ってこないばかりか、かつてよりも安心できる「受け皿」が存在しないという、実質的な機能不全に利用者が直面する未来が待っている恐れがあることは、分かっておかなければならないはずなのです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





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    No title

    大規模会の法律相談ML上での法律相談担当(法律相談センター、法テラス)の交代・引取では、最近、時間がかかるようになっています。特殊相談では、特にこの傾向が強い。
    転職を考える先生が増え、新件受任が進まなくなっているのです。
    すっぽかしも増えています。

    No title

    2016-08-12(23:01)投稿者様

    コメントありがとうございます。現状についてはご指摘の通りです。基本的に私は少なくとも、これまでのように弁護士側が事件性不要説を掲げて何とかなる状況にないことははっきりしていると思います。

    問題は何のために不要説に固執するのか、という点です。要は、職域なのか、法律事務の安全性なのかーー。今のように弁護士増員基調のなか、業務拡大路線を続けるのであれば、なおさら後者の建て前のもと、前者の目的にしがみつくという力が働くかもしれません(既に増えてしまっているという問題もありますが)。ただ、これを掲げるのであれば、およそ質の担保を市場・競争に預けるなどということはできない。当然より弁護士会なりが責任を負わなければ(というか、責任を負いきれなければ)ならなくなるはずです。

    法律事務の安全性という問題は残ると思いますが、それは別の工夫の余地がないのでしょうか。少なくとも、単に「万能主義」に弁護士の仕事のプロフェッション性を見出すような発想でない方が、むしろこの仕事が安定して生き残れる環境が築けたのではないか、ということに気付き出している弁護士も少なからずいるように思えます。

    No title

    > そして、もう一つは、そもそも弁護士が必ずしもカバーしなくていい分野。司法書士をはじめとした隣接士業、さらには資格外の人間が、総がかりで対応してもよい領域ではなかったのか、ということです。あるいは弁護士の役割は、彼らが手に負えない案件について、乗り出すというものであってもよかったかもしれません。

    この部分は、河野さんも、事件性必要説を支持しておられるということでしょうか。
    大増員と法科大学院制度を批判している弁護士は散見されますが、事件性不要説をはっきり批判して「だから大増員なんか無用だったんだ」と言っている弁護士は見たことがありません。せいぜい、「におわせているのかな?」と思ったことがある程度です。

    おそらく今後も、連中は、事件性不要説自体は固守するだろうと推測されますが
    河野さんはそのような態度をはっきり批判されますか?

    No title

    >被害者給付金制度を弁護士会が作るそうです。

    反対派が多い(し臨時総会も考えているらしい)から、いくら読売にリークしたとはいえまだわからんだろう(希望)。
    >今、友人らと、集団脱会(請求退会)を話し合っています
    という話もよく聞くが、さてその友人がどこまで本気かといえばわからんよ。
    集団で退会したとしても、もう「また2ページ使ってんのか」くらいにしか思わないし、毒吐きだとしてももう少し頑張れ。

    No title

    被害者給付金制度を弁護士会が作るそうです。

    読売新聞が、来年4月に成立予定と報道してました。日弁連からは、全然聞いてないんですけど。しょうこりもなく、またしても、アメリカの制度をパクるそうです。法科大学院のデジャブ・・・。

    今、友人らと、集団脱会(請求退会)を話し合っています。報酬は下がるし、会費はアメリカの10倍~200倍以上だし、AIは実用化されるし。管財人の先生方、在庫一掃セールのご案内だけでなく、事業それ自体のセールのご案内もよろしく(笑)。

    No title

    >先のコメントとの関係でいえば,例えば養育費の相談をされて「わかりません。弁護士に聞いてください」などと答える弁護士を,果たして一般人が敬意を払うべき「職人」と評価し得るのか,ということです。

    みんな大好きアメリカなんかでは平気で「ああ私は特許関係の仕事なので相続関係は専門じゃないんですよ」とかいうセリフが普通に出てきますな(推理小説なんかで)。
    黒猫先生実務から離れすぎなんじゃ?養育費の相談はテンプレで「算定表に従ってください。これで払える(もらえる)金額はわかりますよね」でFAでしょう。

    そこからさらに先
    「いくら払いたい(もらいたい)んですか?依頼人のご希望通りにしますよ」
    といえる弁護士が「職人」といえる。

    No title

    弁護士が実質的な機能不全に陥ったら,弁護士に代わる新たな資格制度を作ればよいだけの話です。
    そもそも,弁護士という資格制度自体,明治初期の代言人という資格の質が低く機能不全に陥っていたので,それに代わる制度として創設されたものであり,弁護士の質が維持されず機能不全に陥ったら,弁護士も代言人と同じ運命を辿るだけのことです。
    その原因が何であれ,弁護士という資格制度がここまで腐ってしまい,自浄作用も期待できなくなってしまった今日においては,弁護士という資格制度を存続させたままその再生を図ることは,もはや非現実的であるように思います。

    先のコメントとの関係でいえば,例えば養育費の相談をされて「わかりません。弁護士に聞いてください」などと答える弁護士を,果たして一般人が敬意を払うべき「職人」と評価し得るのか,ということです。

    No title

    >私の育ちが良すぎるんでしょうか?

    良いお育ちだと思います(皮肉ではなく)。
    私の頃はもう「運転手さんにありがとうを言うのはおかしい」(それが仕事だから)
    「いただきます、ごちそうさまを言うのはおかしい(誰に言ってるんだ)」
    という論争がありましたからね。

    それはともかく、
    >これを提唱した中坊公平氏にとっては、そもそもそんな数値的に根拠など、どうでもよかったのではないかとも思います
    もうこれはユタやイタコに出てきてらうか、某氏に中坊氏の守護霊を呼び出してもらうしか本心はわかりませんな。
    (本が出たら買うかもしれん)

    No title

    私の育ちが良すぎるんでしょうか?

    物を買うときは、作ってくれた人のことを考えろと家庭か小学校で教わって、父の前で店員さんに横柄な態度をとると、例えその店員さんに非があった場合でも父は私を怒った。そんな態度とるな。もっと穏当な言い方があるだろ、と。

    私は自分が上流階級だとはとても思いませんが、上流階級は目下の者に親切で、常に余裕を見せ、無分別な値切り倒しなんか絶対にしないものだとは思っていました(むしろ、そうでない態度を見せる奴は、ニセモノだと)。無駄なものに金を使うのはただの浪費ですが、必要なものには金を惜しんではいけない。「あの人からの仕事なら、ぜひまた受けたい」と思ってもらえるような客になるべき。客の無知につけこんだボッタクリ価格を許してはいけないが、原価を考えない値切り倒しはもっと許してはいけない。

    職人の困窮に「知ったことか」と吐き捨てて得意がるような輩からの仕事を、一体どんな職人が受けてくれるのでしょう?
    私の家庭は、日本ではそれほど特異な存在だったのですか?

    No title

    >「利用者は関係ない」という見方がつきまといます。弁護士の仕事の採算性で成り立つかどうかは、彼らの問題であり、利用者には関係ないのだと。

    この部分については利用者に何かを期待するほうが間違いではないか?利用者にとっては「どれだけ低額で」「けれども良質で」「依頼者の望み通りに」やってくれるかだけしか見えていないのだから。

    http://kuronekonotsubuyaki.blog.fc2.com/blog-entry-1163.html より
    >日本人はアメリカ人等と異なり,無形のサービスに対してお金を払う風習がありません。
    >これからの日本で弁護士業をやるのであれば,このようにドケチな日本人からどうやってお金を取るのかという極めて解決困難な課題を乗り越えなければならないのです。
    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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