「使いこなせない」人間にとっての弁護士「改革」

     「ビジネス」「サービス」「営業」「雇う・雇われる」――。これらの言葉は、いずれも、かつて弁護士にはなじまないものとされていました。もっとも、なじまない、というのは、主に弁護士側の意識によるものです。「ビジネス」「営業」については、いまでも違和感を持つ市民もいるようですが、やはり当時からこれらの言葉への弁護士の拒否感に、首を傾げるユーザの声はよく聞いたものです。

     今でこそ、多くの弁護士が当たり前のように使っているようにも見える、これらの言葉について、なぜ、かつては彼らの中に「なじまない」とする意識が根強かったのか――。それの理由を今、あえて括れば、大きく「プライド」と「環境」という二つの言葉になってしまうように思えます。

     以前、「雇う」という言葉を使って、激怒した大物弁護士の話を書きましたが、そこにはある種の伝統的な聖職者意識のようなものと、難関試験を突破したことも含めたエリート意識がまとわりついたプライドがありました。ビジネス、サービス、営業という言葉からくる「カネ儲け」というイメージから、一線画したいという、この弁護士のプライドは、聖職者たる自覚の正しさよりも、それを建て前ととられる現実とともに、概ね一般の評判はよくなかったといえます。

     そして、そのころの彼らには、一部の企業系の弁護士以外、これらの言葉から距離をおける環境がありました。つまり、ビジネスも、サービスも、営業も、それほど意識しなくても生きられ環境。その現実が、建て前ととられかねないプライドについて、それほどこだわることなく、当然のように維持できる場を彼等に与えてきた面も否定はできません。

     今にして思えば、「改革」は、この環境を破壊することで、こうしたプライドを彼らから引き剥がすことに成功したといえるのかもしれません。彼らの建て前のプライドが、彼らのサービス業としての自覚を阻害し、私たち利用者が本来享受できるものを遠ざけるという、不利益を生んできたという捉え方。それを許してきたのが、彼らに都合のいい、恵まれの過ぎの経済環境なのだ、と。「あぐらをかいてきた」という言葉が、それこそ自覚したというべき弁護士らからも含め、しばしば使われましたが、それはまさに前記したような言葉を「なじまない」と捉えていた時代を「悪」ととらえ、そこからの決別の必要性をいうものだったといえます。

     ただ、成功といいましたが、問題はその先です。いまや多くの弁護士が、ビジネスもサービスも営業も抵抗なく口にし、むしろ、これからのために積極的にそれらをとらえようとする意識になった。このことは、確かに「改革」の思惑通り、まるで彼らを目覚めさせたかのように、弁護士の意識を変えた、あるいはそうした意識を持つ人間がいる世界になった。しかし、肝心のそのことによる実をこの社会は本当に「改革」が期待させた通り、得ているのでしょうか。あるいはこれから得るのでしょうか。

     この弁護士という仕事にかかわる司法改革について、「使いこなせる人に利のある『改革』である」という人がいました。弁護士を恒常的に使う企業法務の世界のように、彼らをサービスや能力で選別・取捨でき、使いこなせる人のもとにおいては、あるいは弁護士増員政策が描いたような競争による淘汰も、そのなかでサービスの向上も低額化も起こるかもしれない、と。しかし、それ以外の一般の利用者、一生に一度お世話になるかどうかの関係だったり、降って湧いたように争訟にとまどっている市民に、この破壊の先にイメージさせたような利は果たしてくるのでしょうか。

     実は、前記言葉を「なじまない」とする、かつて弁護士の姿勢のなかに、もう一つ、ある種の「知恵」のようなものを感じたときがありました。それは、端的に言えば、この仕事の「危さ」です。弁護士が本当にビジネスに目覚め、営利を追求する競争を堂々と表看板に掲げる意識に転換したしたならば、一体、どういうことになるのか。この仕事が「カネ儲け」から入ることが当たり前になった場合、最初に犠牲になるのが「使いこなせない」人間たちであることを、彼ら自身が実はよく分かっていたように見えました。この仕事だけは、そこから入ると危いと。

     それは、かつての広告解禁論議(「『弁護士広告』解禁論議が残したもの」)のなかでも、弁護士の業務広告に関する規程・指針や、弁護士職務基本規程からも読みとることができました(「弁護士『営業』時代の懸念」)。

     冒頭の言葉を当たり前に弁護士が口にする時代になったからといって、それがすべての弁護士の意識を変え、同じ方向を向かせている、というわけでは、もちろんありません。結果として、依頼者のメリットとより真摯に向き合うようになった、という前向きな評価もあるのかもしれません。ビジネスを表明する弁護士のなかにも、企業利益の追求と法律家として中立的な指南をきちっと意識のなかで両立させているように語る人もいます。一サービス業である以上、より採算性ということへの理解を社会に求める方向の意見が、より強く言われ出していることも感じます。

     ただ、それが一面正しいといえる現実があったとしても、やはり私たちが気にしなければならないのは、弁護士の良心、あるいは自戒から出たともいえる「知恵」の行方です。この「改革」が、本当は一体誰のためのものであったのか、ということともに、それは少なくとも「使いこなせない」人間にとっては、今も重要なテーマのはずだからです。


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    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





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    No title

    >これは弁護士だけの問題ではなく,例えば現状では診察等の仕事をそっちのけにして営業活動をやっている医師はあまりいませんが

    だからどうして弁護士が全部やらなきゃいけないのさ。
    事務所の中でやりたければ、事務員に営業させればいいし、会社みたいに「営業部」「経理部」「総務部」とか設けてそれ相応の採用にすればいい。少なくとも大きな医療法人はそんな感じだろう。
    個人の病院はいろいろあるにせよ医師そのものが弁護士とは養成方法とか政治団体も含めて根本的に違うから比べない方がいいと思うが。
    エンジニアとかSEはそもそもフリーランスが多かったりするからこっちも比べないほうがいいと思うな。少なくとも弁護士会があるような弁護士団体とは違うからね。

    No title

    プライド云々以前の問題として,弁護士としての仕事の能力と,営業の能力はまったく別のものであり,弁護士が生きるため営業活動に時間を割くようになれば,その分だけ弁護士としての腕を磨く機会は失われます。
    これは弁護士だけの問題ではなく,例えば現状では診察等の仕事をそっちのけにして営業活動をやっている医師はあまりいませんが,医師が過当競争になり多くの医師が生きるために営業活動をやらざるを得なくなれば,その分医業の実務経験は薄くなり,全体的に医師としての腕は現在より相当に落ちることになるでしょう。
    最近は弁護士のみならず,ITエンジニアまでも営業活動が上手くなければ生き残れないといわれる社会になり,多くの専門家は自己の専門分野に集中することができなくなりました。
    こうした専門家が行う仕事の特性に対する無理解は,社会的分業制度の破壊を生み,全体的な仕事の質の劣化,ひいては国際競争力の低下,日本社会の自滅を招きます。
    司法改革は,今の日本社会が陥っている「一億総自滅」傾向の一端を表しているに過ぎません。

    No title

    アメリカ法曹事情
    http://americanlegalsysteminfo.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html#comment-form

    こちらによくまとめられていると思います。

    あえて付け加えるならば、グローバル企業における弁護士の役割自体が縮小する(弁護士というコストのカット)、というのが自由化・規制緩和・オープンソース化なので、長期的にはアメリカの大規模国際事務所といえども需要減少は否めません。ただし、この場合も、日本の大中企業をカモにして儲け続けることは可能です。

    No title

    弁護士なんてとうの昔にオワコンじゃん。
    今更何を言っているんだか

    No title

    現状では、大企業は弁護士を選べません。したがって、大手国際事務所の代表弁護士らは、おいしいビジネスモデルを確立した、といえます。ただし、近い将来、大企業が弁護士を選ぶ選ばないではなく、大企業にとって弁護士が不要な時代が来ます。

    行政書士は足の裏の米粒。司法書士も書式が役所でダウンロードできるようになったことで仕事が激減しています。税理士も公認会計士も、記帳や申告の作業が合理化され、会計ソフトに仕事を食われています。制度をシンプルかつオープンにすれば、専門家の職域は狭まります。弁護士も同じ。制度を規制緩和、自由化、オープンソース化することで、作業は普通の従業員だけで住むように簡略化できます。従業員給与も絞り込み、株主利益を最大化することが可能です。訴訟事件は、支配人でも代取でもいいでしょう。どうせ日本の法廷は、アメリカと違って、書面のやりとりだけなのですから、アメリカよりも株主利益にチューンナップできます。

    社外監査役その他の制度でコバンザメ化している公認会計士や弁護士もいますが、過去のものとなる日は遠くありません。

    社会の需要の将来を見越すならば、個人法務の分野を社会保障制度でサポートすることが必要です。個人法務の需要は残るとはいえ、現状は、いびつすぎます。国民にとっても弁護士にとっても、大変に不幸な状況です。また、需要は残るとはいえ少子高齢化により縮小しますので、弁護士の減員は必要です。

    現状では、大企業・大事務所と癒着した裁判所が当然ながら国民に信用されず、新受件数が激減。もっとも、企業vs企業の訴訟は一件あたりが大型化し、東京地裁民事8部元部総括の天下り獲得競争はさらに激しさを増す。これでますます、国民は裁判所を信頼しなくなり・・・という、悪循環が繰り広げられることになります。新受は激減していますので、裁判官と検察官もリストラすべきでしょう。

    No title

    >一番最初のコメントの方へ
    >是非改善の余地を実施してください。
    >ちなみに私も日々改善の余地を見つけては、実行しております

    個人で努力しているなら別にいいじゃないですか?
    いいかげんに個人事業主である弁護士がタダで働こうなんていうのが間違っているんですから。
    個人でできることと組織でできることはこの際はっきりさせて、
    弁護士は個人の採算を考えればいい。
    弁護士会(弁護士会は任意団体にしてもいい)や法テラスはどうやって「使いこなせない人間を救済するか」に頭を絞ればいい。
    そういうことを言ってるんですけどね。
    弁護士会の管理体制を強化してもいい、あるいは公益ボランティア(笑)を募ってもいい、ただそれを企画も含めて会員に丸投げスンナって話ですよ。

    No title

    ↓は、なるほど慧眼だなと思いました。私もずっと「大企業だけは弁護士を選べて、そうでない人は選べない」と思っていたので、目からウロコでした。

    もしそうであれば、司法改革を絶賛して推し進めようとしてきた経団連の自業自得なわけで、知ったこっちゃない。
    もっと弁護士を増やして、なんでもかんでも「訴えられるかも・・・」な世の中にしちゃえばいいんじゃない。
    訴えられたら、乱立する法律事務所・乱造された弁護士の誰かが担当してくれて、仕事増えますからね。費用?当然有料でしょ。
    そのコストは誰が出すのって?そりゃ依頼した人ですよ。
    じゃ依頼しない?まあそれも一つの選択肢でしょうね。
    ほっとけば欠席判決で負けるだけですが。

    ひとつだけ。
    >法テラスでは、3回は別々の弁護士に相談できますから。

    情報の咀嚼能力を持たない人が、異なった情報を与えられると、混乱するだけで、問題解決からは余計に遠のくし、そもそも3回も相談するのってめんどくさいと思います。
    3回相談できることは、メリットにはならないと思います。

    裁判所からの天下り問題は、本当に露骨になってきましたね。
    裁判所だけではなく、大学教授が大手渉外系に天下りする光景も、日常的になってきました。
    日本の司法は、彼らに席捲というか蹂躙されていくのだろうな、と思います。
    司法改革とか眠たいこといってる人たちは、この階層の連中です。そして交流などといって裁判所が大企業に出向し「これが日本のビジネスの実情」と刷り込まれて裁判所に帰って行き、中小企業の実情を理解しようともしない、と。

    No title

    記事が、
    「大企業が、弁護士を、選べる。」
    というご趣旨であれば、河野さんの誤解でしょう。

    「法科大学院を乱立させ、弁護士を増やして、これで逆にクライアントの心配をあおって経験ある弁護士に仕事を集中させてフィーをつり上げる」
    というのは、アメリカ流の大規模事務所の戦術です。

    現時点では、大企業は、経験があって優秀である(と、しきりに喧伝されている)高いフィーの特定の弁護士達が所属する大手国際事務所に、仕事を集中させざるを得ない状況が続いています。企業は、経験の浅い弁護士には依頼できない以上、弁護士の選択肢は実際問題としては存在しないのです。この寡占状態の市場においては、さらにフィーの点では企業にとっては状況は悪化(高額化)しています。

    また、司法制度改革によって、天下りが手厚く隠され、温存されています。裁判所と大企業と大規模事務所の癒着により、裁判内容に関しては、司法制度改革は、大企業にとって、大きなメリットがあります。高い金を払っても、その金を通じて弁護士事務所が天下りを雇い、中長期的なリターンがあるならば(ただの淡い期待か、現実かは別として。ただし、裁判例をみれば、現実であろうなという推定は働く)、大企業にとってはありがたいことです。その意味で、司法制度改革は、大企業に大変良い影響を与えています。

    ただし、それは、決して、河野さんのご指摘になられるような、
    「弁護士を選べるから」
    ではありません。

    現実には、上述のとおり、大企業でさえも、というか、大企業だからこそ、弁護士を選択することはできません。

    司法制度改革では、しきりに、弁護士を選ぶことで淘汰され良い弁護士が残る、という事が言われました。

    しかし、実際には、大企業も、弁護士は選べません。下手をすると、法テラスでは弁護士を選べないということ以上に、選べないかもしれません(法テラスでは、3回は別々の弁護士に相談できますから。ただし、選択肢があっても、ドングリの背比べであり、無いも同然です。)。

    大規模事務所は、競争などせず、安穏とフィーを上げ、そのおすそわけをお抱えの天下りに与え、アソシエイトをこき使えばいいのです。

    ただ、今の若者はquality of lifeを重視するので、文字通り死ぬほど働かされる判事検事弁護士いずれも魅力がありません。何かの間違いで弁護士になっても、ある瞬間に目を覚ました若者(4万番台5万番台)の請求退会が激増しており、大規模事務所のビジネスモデルも終わりつつあります。

    ざっくり言えば、日本の司法の弱体化・劣化、日本の企業統治の劣化とともに、日本の企業は欧米中のグローバル企業に飲み込まれつつあります。

    No title

    一番最初のコメントの方へ

    是非改善の余地を実施してください。
    ちなみに私も日々改善の余地を見つけては、実行しております。
    不採算の仕事を切り捨て、時間に余裕が生じているように見えても、潜在的な顧客層との接点を求め、安価に情報発信できるHPなどを精力的に更新するなどし、会務や、ボランティアといった馬鹿げた時間の使い方をなくすようにしたことで、業務は少し改善いたしました。
    さらに、自己啓発などへの投資を高いリターン率を確保できるように適所に実施できるように、トライアンドエラーを繰り返しながらも、その不効率な投資を避けるノウハウの蓄積を積極的に進めていきます。

    No title

    とある弁護士が、弁護士の仕事を減らし管理業を重視するって言い出した時は疑問に思ったが、そっちのほうが儲かるって判断だったのかなあ・・・?
    まあこの人の部下を観察してる限り、2個下のコメントのような搾取構造してるっぽいが。

    No title

    大体、司法改革進めようぜ!って言ってる先生方のうち、裁判員裁判や法テラス事件に、どのくらいかかわってるんでしょうか。

    弁護士側でも、司法改革を肯定するなら、
    もうからないことはやんないよ
    だってサービス業なんだから、もうかんなかったらサービスするわけねーだろアホか
    と、はっきり言わないと、

    仕事集める人が一番偉い
    処理する人は下請け

    という、搾取構造ができちゃうんよねー。今でも、こういう搾取型の事務所はたくさんある気がするけど。
    そして、そういう搾取型の事務所にあたイソ弁は、独立後、それまでの搾取を取り戻すべく、顧客から搾取するんだよねー。
    ロー出身・修習貸与・搾取事務所の三連コンボで育った弁護士はほぼ確実に地雷だよね。仕事の中身も良くないし。
    どっかバランス感覚が欠如してんだよな。
    でも、その弁護士は悪くない。生き残りのため、投下資本の回収を図ってるだけだ。
    反省すべきは、ロー、修習貸与、搾取型の事務所による搾取構造の発生が明らかに予見できるのに、わざとそういう仕組みを作り出した司法改革連中だろ。
    で、日弁連は今でも司法改革をみんなで力を合わせて実現させようなどと言っている。
    改革を進めるなら、採算取れない分野の除去が最優先だろうに、わかっとらんね
    このままでは弁護士業界は維持できなくなるだろうね。

    No title

    下の投稿も、もはやありがちすぎて笑うしかない、新自由主義による既得権益層の利益独占を隠匿する為の、「ノイズ」です。

    司法制度改革は、新自由主義の一環であり、大企業を利するのみです。

    例えば、アメリカの電力自由化は1996年のカリフォルニア州から始まりました。その5年後には過当競争の末に、州内の広域で大停電を起こしました。また、大手電力会社のいくつかは倒産しました。この電力自由主義のおかげで電気料金が安くなったかというと、むしろ高くなりました。彼らのウエブをみれば、東京電力のほうが安い、ということに気づきます。しかも、アメリカでは、ちょっとした台風で、電柱は倒れっぱなし、ご家庭では数週間は平気で停電になります(ホテルや大企業、巨大ビル、公共機関は、特別扱い)。大口契約のみ安い料金や良いメンテナンスの恩恵を受けているのでは、と、皆が疑いますが、個別の大口契約の内容は公開されていません。

    日本でも電力自由化が始まりました。事前に予想されていたとおり、低アンペアにして節電に励んでいる家庭を、新電力会社は全く相手にしていません。普通のご家庭も、ほとんどメリットが無く(多くの場合は、標準的な30アンペアから40アンペアの家庭で年額数百円から数千円程度)、しかも○年縛りなどがあるので、いずれ携帯・スマホのように苦情が出るでしょう。ただ、電力会社にとってそこそこの利益の出る顧客が新電力に流れれば、既存の電力会社は利益の流出分をどこかでカバーしなければならず、そのしわ寄せは節電家庭に寄せられます。幸い、新電力が低調で(せいぜい、エネファームとセットにできるガス会社が注目に値する程度)、まことに良かったと思います。

    自由化が消費者に恩恵をもたらすのは、極めて例外的な場合だけであり、ほとんどの場合は、「金持ち優遇」になるだけだ、ということを、日本人は改めて認識する必要があります。プロボクサーが赤ん坊とボクシングをすれば、当然にプロボクサーが勝ちます。自由競争とは、そういうことです。

    司法制度改革も、同じ事です。法テラスによる劣悪なサービス提供(あの薄利で利益を出すならば多売という不可能を可能にせざるを得ないのだから、劣化するのは当たり前)、それにより相手方当事者(法テラスを使わずに済む人たち=金持ち、大企業)が有利になる、などは、そのよい例です。

    No title

    >司法改革について、「使いこなせる人に利のある『改革』である」

    別に司法改革についてだけじゃない。「続きはウェブで!」といったように、あるいは他の電力サービスのように、世の中は「情報を使いこなし、本当に必要なものを取捨選択できる人間」でないと馬鹿をみるようになったというだけです。
    逆に弁護士の側も、有能な人間であれば自らすべき情報発信をする、人脈を作るなど努力を怠らないはずです(よくある「口だけうまい人間が得をする論」は感情的なので置いておきます)。
    努力を放棄するという選択をするもまた個人の問題、過剰な広告はしないという経営戦略を選択をするもまた個人の問題です。もちろん炎上商法を取るのも個人の問題です。
    あるいは、弁護士を監督すべき弁護士会なり日弁連なり、あるいは法テラスが率先して
    >少なくとも「使いこなせない」人間に
    向けたサービスを提供する、その人に適切な弁護士を選択させるための情報発信をするという方法を取るべきでしょう。
    同時にもし不祥事があったとすれば取締りなどの強化もすべきでしょう。
    まだまだ改善の余地はあると思います。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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