「若手の意識」への責任

     日弁連会長選挙を前に、若手の意識や動向が取り沙汰されています。ただ、いつもながらのことですが、主に聞こえてくるのは、先輩方の評価や洞察に基づくもので、肝心の若手の本音がどこにあるのかについては今ひとつつかみきれないものがあります。ネット時代とあって、さすが以前よりも、その若手らしき匿名投稿を目にすることはできるようになりましたが、それでも多くは沈黙の中にいる観があります。

     ところで、その先輩方の評価のなかでは、若手の意識が弁護士会から離れ、もはや人権活動にも関心が薄れているということが挙げられ、ひいてはそのことによる来る日弁連会長選挙での投票率低下を懸念する声が聞かれます。ただ、その評価が当たっているとして、その根本的な原因が先輩である自分たちにあるという意見は、ほとんど耳にしません。「最近の若手は」と語られる話は、どこか他人事のようです。若手がそうした意識に走るのも、あるいはそういう意識の若手がこの世界に来るのも、もし、それが現実であるならば、自らが推進した「改革」が招いた結果であるという視点が、まずあっていいように思うのです。

     カネがかかる法科大学院という「プロセス」強制、弁護士増員による業界全体の経済的激変の先に、この世界に来る人間が、これまでのような意識で弁護士会活動に参加すると描く方が難しいといわざるを得ません。弁護士会のなかには、まるでこの世界を志望する者の根本的な資質として備わっているはずの人権意識から、会の公益性について理解を示すだろうとみるような楽観論もあります。しかし、はじめから競争、はじめから採算性を中心に考えなければ、生き残ることすらできないことを覚悟してくる人間たちを、これまでの弁護士会ムードを尺度にして測ることはできません。

     「弁護士はカネ持ちしかなれない仕事になるのだから、そういう人間たちで成り立つようになる」というような、どこまで本気か皮肉か分からないような見方も耳にしますが、少なくともそうした人間たちの経済的な余裕が積極的に弁護士会活動につぎ込まれるのを期待するのも、相当にお門違いといわなければなりません。

     そもそも弁護士会という組織は、ある意味、微妙なバランスのなかで成り立ってきたということができます。強制加入であり、高い会費を徴収する組織でありながら、積極的に活動でそれを支える会員は一部。公益活動の強制化もありますが、基本的には会費拠出というつながりと、活動の「了承」という関係で支えられてきたといっていい組織です。そこには、本当の意味で会活動に賛同し、自らの拠出がそれを支えているという意識の会員もいれば、強制加入である以上仕方がない高い登録料を支払わされているという意識の会員が存在していたのは事実です。結局、弁護士会の公益性を支えてきたのは、個々の会員の一定の経済的な余裕のうえに成り立ってきた、中身の異なる意識ということがいえるのです。(「『事業者性』の犠牲と『公益性』への視線」)。「人権」という共通項で括られてきたという捉え方は間違いではなくても、そもそも前提が存在していたという見方も正しいことになります。

     弁護士会には業者団体としての顔と公的な外向きの顔があると書きましたが(「日弁連会長選をめぐる『現実論』」)、「改革」が競争と、一サービス業としての自覚を求めるほどに、個々の弁護士は、前者の顔を意識することになります。つまり、業者団体の役割を果たす弁護士会を求め、後者の役割をより縮小する方向への欲求であり、逆に後者の役割もそれを支える高額会費の、規制ととらえる見方になります。

     一方で、これまで同様に、ある種のバランスのなかで、後者の公益性を失わない弁護士会を求める見方は、「改革」路線派と反対派の双方に存在しています。ただ、路線派がこれまでの「改革」路線のうえに、例えば業務拡大を実現させるなどして、それが基本的に可能であるという見方に立つのに対し、反対派は「改革」路線そのものが変わらなければ、前記したようなバランス崩壊は進むだけで、結局、弁護士自治も崩壊するという悲観論に立っていることになります。「改革」路線のもとでも、あたかも弁護士が経済的に自立して、弁護士会はこれまで通りやれるとみるか、それともこの状況では無理とみるか、ということです。

     しかしこれは、ある意味、「改革」に対して、責任を持つべき先輩方々の議論ともいえます。新規参入してきた若手が、とにかく弁護士会「規制」は勘弁してくれ、となる現実は、前記議論の先に見通しがつけられない先輩方の責任といえないでしょうか。

     ただ、この世界の外の人間の視点で一番こだわらざるを得ないのは、結局、しわ寄せがくるのは、公益性ではないか、ということです。前記若手の意識には無理からぬものがあるとしても、「改革」路線がこのまま続いても、さらにその結果前記対立のなか、若手の中にどちらでもないという道を選択する傾向が生まれても、結局、弁護士会活動を含めた公益性を担う、あるいはそういう発想の弁護士たちに、私たちはどんどん出会うことがなくなってくるはずだからです(「弁護士会の価値評価をめぐる会内分裂」)。

     個々の弁護士活動にしても、「改革」の激増政策と競争は、より低廉で弁護士が利用できる社会の到来を期待させますが、現実はそうではありません((「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。何度も書いていることですが、激増政策によって、社会の隅々に弁護士が登場する社会が仮に到来しても、そこで弁護士におカネがかからないということではない。いや、むしろ弁護士はよりシビアに採算性を追求することになるかもしれない。それなのに、「改革」の低廉化や無償化イメージのうえに、弁護士会の「改革」路線派は、しっかりとおカネがかかる弁護士の仕事の有償イメージを十分に発信しているとはいえません。むしろ「改革」によって、安く誰でも使えるようになるのではなく、より採算性を追求することにより、非採算性を切り捨て、これまで以上にカネ持ちの味方をする弁護士で、この国は占められるといった見方までささやかれはじめているのです。

     この「改革」路線が、そもそも弁護士の「公益性」を高めるという建て前で始められたというのも、いかにもまやかしくさい話といわざるを得ません。弁護士会のこの状況を見ても、所詮、私たち社会には関係ないコップのなかの嵐のようにいう人はいますが、私たちにとっては全く有り難くないものをもたらそうとしている「改革」の現実とともに、この動向を見守る必要があるはずです。


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    ひまわり基金なんかもういらないだろう。
    そもそも、なんで、司法過疎地の面倒を、俺らの会費で見ないといけないわけ?

    No title

    勝手に税務署と雑所得と取り決めて、ひまわり基金からたっぷり納税することにしたのはだーれだ?

    No title

    >いやはや、ひまわり基金のずさんさには、びっくりですね・・・。

    いやそこは、総本山がそもそも会計がずさんだから……。
    だいたい弁護士の数が増えるってことは、単純に考えれば会費も増えて黒字も増えてるだろうに、一体何に使ってんだか……。
    まぁ委員会ニュース(若手カンファレンス)では「自分達が疑問に思うようなことは、日弁連はとっくに検討しているんだね」「日弁連は本当に色々やってくれていると感じた」そうだから、若手じゃない俺には見えないものもいろいろあるのだろう。

    No title

    いやはや、ひまわり基金のずさんさには、びっくりですね・・・。

    No title

    > 。ひまわり基金からの拠出金で購入して任期中に使っていた什器備品を、退任時に100万円で後任者に「売った」弁護士も、北海道に出現した

    この売買代金は、前任者は日弁連に返還していると思います。
    (後任者に100万円を給付 → 後任は前任に100万円支払 → 前任は日弁連に100万円返還と循環しているだけ。)

    このような処理をするのは、売買ではなく贈与にすると、前任は、後任に譲渡を強制される資産の額につき、着任時の年度に所得税を課せられた一方で、退任時に経費処理ができず、前任・後任との間で不公平が生じるからです。

    No title

    生き残りをかけて、不採算部門の切捨てを始めました。
    会務への出席はやめ、顧客層も富裕層にシフトするように、事務所のイメージも変えていきます。

    No title


    もし事実なら、会員の会費の横領にも等しいのではないかと思いました。

    No title

    ゼロワンが解消されたので、ひまわり基金はもういらない。

    過去には功績のあった派遣弁護士もいる。

    が、奄美ひまわりのような問題を起こした弁護士もいる。しかも、地元市役所からの苦情を受け、日弁連から委員がわざわざ出張して隠ぺい工作をした。普通の事務所ならば、速やかに懲戒処分がなされ、被害も広がらなかったはず。

    南方だけではない。ひまわり基金からの拠出金で購入して任期中に使っていた什器備品を、退任時に100万円で後任者に「売った」弁護士も、北海道に出現した(後任の開設費の給付で、全く問題視されず、スルーした)。

    会員の知らないところで、依怙贔屓とお手盛りと不祥事が蔓延している。

    No title

    黒猫様
    >弁護士会の法律相談やひまわり基金で作った法律事務所は閑
    >古鳥状態であり,安保法制に対する反対運動は弁護士会が市
    >民団体活動の尻馬に乗っているだけであり,各種委員会の提言
    >なども「どうせ弁護士会の意見なんか通らないよ」という諦めを
    >前提に好き勝手なことを書いているだけです。人権擁護大会に
    >至っては,準備作業を押し付けられる若手が苦労するだけで,そ
    >れ自体によって誰かの人権が救われるような活動では全くあり
    >ません。

    すべて仰るとおりです。公益と叫んでいる割に、誰に役立っているのか、全然わからないことが多いと思います。
    ・法律相談・過疎地対策…ユニバーサルサービスのつもりだろう
    が、タダの無駄遣い。市民は必要としていません(あればいいと
    は思っているでしょうが、自分たちが経費を払ってね、ということに
    なれば、どうなるでしょうね?)
    ・安保運動…「市民」団体の片棒担いでいるだけ。弁護士全体がそうみなされるのは迷惑。だったらどうするんだ?という批判に対し、
    反論なし。これじゃ弁護士は口先だけだと思われますよ。
    ・提言書…誰も読んでません。
    ・人権大会…お遊戯。やってる人の自己満足。そもそも弁護士会が
    人権擁護機能をどれだけ果たしているのでしょうか。

    司法改悪に

    >司法改革の正義(応仁の乱も当事者たちは将軍職の正当性から真面目に戦争していたのでしょう)で、現体制が疲弊し、

    司法改悪に「正義」なんてないよ
    歴代日弁連執行部もマスコミも学者も、ロー強制制度や非ロー通過者大減員政策が正しいなんて、少しも思っちゃいないよ
    だから彼らは、大増員の正当性は語っても、「大増員が正義なのになぜか非ロー通過者は大減員」については一言も語れない。
    (ごく一部、イデオロギー的に本気で司法改悪マンセーしてるっぽい弁護士もいますが、それは無視していい割合でしょう)

    >戦国の世を嘆いても始まりませんし

    「世を嘆く」と、抽象化するのもおかしいね
    なんの正当性もないロー強制政策を必死にマンセーし続けてる人達は、実際に存在してるのだから


    話し変わって、弁護士会の会務なんてのは、全てとは言わないけど大半は
    官僚にとってのロー強制制度と同様、無駄なお仕事造り・ポスト造り・血税(会費)の浪費理由造りでしょう
    一般の弁護士のためにも市民のためにもならず、ごくごく一部の方々の目先の利益になるだけ

    No title

     雑談です。
     個人的には、今の弁護士界を取り巻く状況は戦国時代初期の室町幕府と同じでは思っています。戦国末期ではなく初期というのがミソです。

     司法改革(=応仁の乱)で守護大名は没落しましたが、戦国大名に移行したものもいます。結局、司法改革の正義(応仁の乱も当事者たちは将軍職の正当性から真面目に戦争していたのでしょう)で、現体制が疲弊し、次第に求心力が低下していく過程です。
     ただし、弁護士会の組織力はそこそこ強大ですし、今日や明日に旧に消滅するとも思えません(国が潰しにかかるなら別ですが)。

     そうすると、個々の弁護士(=守護大名)は領国に帰って領地経営をしないと若手に仕事を奪われるということになります。つまり、会務はそこそこやるが、基本的には事務所での依頼者との時間を充実されるのが最善ということになります。

     ちなみに、会務はそこそこやりますが(弁護士会の立ち位置も全く無駄ではない)、やりすぎないようバランスをとり、限度を越えてまで責任ある立場にはならない(天下統一など目指せば失敗のほうが多い)ということになります。
     お家が残れば十分です。

     40期代の雑談です。戦国の世を嘆いても始まりませんし(さすがに、自分が受験したころはここまで合格者を増やすとは予想できませんでしたけど)。

    No title

    他の方が既に指摘されていますが,「先輩」の中でも例えば20期~30期台の弁護士と,50期台の弁護士との間には,司法改革をめぐる立場に大きな違いがあります。
    後者の世代には,「自分たちの意見は全く聞き入れられないまま,難関の旧司に合格した自分たちの努力を一方的に否定された」という被害者意識が強く,そうした人々に対し司法改革が「自らが推進した改革である」という視点を期待するのは,相当にお門違いといわなければなりません。
    もちろん,全く異なる制度によって選抜・養成された50期台と法科大学院世代の60期台との間にも,年齢的には近くても大変な意識の違いがあり,50期台と60期台を「若手」という言葉で一括りにするのは大変な無理があります。

    もう一つ。記事では弁護士会活動の「公益性」について具体的な記述がなく,会務活動に高尚な社会的価値があることは当然の前提とされているようですが,そのような理解は果たして正しいのでしょうか。
    弁護士会の法律相談やひまわり基金で作った法律事務所は閑古鳥状態であり,安保法制に対する反対運動は弁護士会が市民団体活動の尻馬に乗っているだけであり,各種委員会の提言なども「どうせ弁護士会の意見なんか通らないよ」という諦めを前提に好き勝手なことを書いているだけです。人権擁護大会に至っては,準備作業を押し付けられる若手が苦労するだけで,それ自体によって誰かの人権が救われるような活動では全くありません。
    実際に弁護士会の活動に携わっていたことのある私としては,公益性を謳う会務活動の多くは社会全体の公益に寄与するのではなく,「弁護士会が公益活動を行っている」という自己満足に寄与するために行われているのではないか,弁護士会の公益活動が危うくなるとの警鐘にほとんど誰も耳を貸さないのは,そもそも弁護士会の公益活動が実際には公益的な効果をほとんど発揮しておらず,その恩恵に与る市民などほとんどいないからではないか,と勘繰りたくなります。

    No title

    その前に
    「先輩」の定義(いつからいつまでの期を想定しているのか?)
    「若手」の定義(同上)
    をはっきりさせてからだ。
    上記が曖昧なので、いまいちメッセージ性の弱い記事になっている。

    No title

    >その根本的な原因が先輩である自分たちにあるという意見は、ほとんど耳にしません。

    だってないもの。ネットにいる俺達は執行部になれるような年代でもなければ何か意見を出してそれが老害どもに通るような年代でもなかったもの。

    >新規参入してきた若手が、とにかく弁護士会「規制」は勘弁してくれ

    これも今の中堅には全く響かない。先輩の責任?そんなの自分が食べていくだけで精一杯。しかも俺らの責任じゃないのにこんなことになってる。それを俺らは不満も言わず(言っても世間からはどうせ通用しない)精一杯頑張っている。

    3月の臨時総会が楽しみだ。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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