「弁護士自治」の落城

     弁護士・会に与えられている「弁護士自治」を城に例えるならば、ここ10年くらいの間に、既に相当外堀を埋められてきてしまったのではないか、という印象を持っています。

     自治の存在価値を示してきた、「反権力」の旗は、もはやかつてのようにはためいているわけではありません。多くの弁護士が、「古い」と言い、若い弁護士にはぴんとこない方も、多くなっています。

     全国の都道府県に存在する弁護士会も、弱者救済や庶民の相談窓口は、日本司法センター(法テラス)がとって変わろうとしています。当初は、「第2日弁連」だとして、この状況を危惧した人も、また、前記「旗」の重要性から、この「国営」機関への協力そのものを危険視した人もいました。

     しかし、法テラスが活動を広げれば、相対的に弁護士会の活動領域と存在感が減退していくという可能性がありながらも、弁護士会は協力体制をとり、また現在、弁護士の雇用先としても、さらなる受け皿として期待していると伝えられています。

     もちろん、はじめから弁護士会に比べた、法テラスという組織の優位性を前提に、積極的に協力することで、弁護士・会が積極的な役割を果たしていこう、という、前向きにとらえる弁護士はいました。一方で同センター契約弁護士の中から国選弁護人候補を裁判所に通知しなければならなくなり、センターが実質国選弁護を牛耳ることになることに強い危機感を持った弁護士たちもいましたが、その危機感は共有しながらも、受け入れざるを得ないと考えた人たちも沢山いたのです。

     弁護士・会にとって、津々浦々、均等なサービスというのは、ある意味、重要なポイントでした。これは、もちろん税金の投入ということを考えるときには、常に条件化されることでもあります。かつて弁護士の活動にさらなる税金が投入されるという議論では、よく当局から弁護士の偏在の現実が課題として突きつけられることがありました。弁護士・会が、全国均等なサービスができていない、といういわば負い目が、猛烈な偏在解消への原動力になっていたことも事実です。

     その意味で、潤沢な国家予算で、津々浦々のサービス網を構築した法テラスは、「全国どこでも法的トラブルを解決するための情報やサービスを受けられる 社会の実現」というコンセプトを掲げたとき、弁護士会の努力とは裏腹に、ある意味で確固たる役割と担い手たる存在感を社会に示したともいえなくはありません。

     その立ち上げは、やや弁護士会の頭越しともいえる唐突なムードもありました。構想そのものは、いろいろな形で議論されてはいましたが、立ち上げ当初、その本当の狙いをつかみかねていた人も、弁護士会内には沢山いたように思います。当時取材した日弁連の幹部の中には、日弁連が進めている公設事務所構想などの偏在対策のあくまで補完的存在とみるような、善意解釈ともいえる見方までありました。弁護士会の存在観にとって代わる脅威など、感じていない方も沢山いたということです。

     弁護士会に特別で強固な自治を与える必要性の話と、この法テラスの存在感は、将来的に結び付けられる可能性があります。本来、全く別の、あるいはむしろ強調されてもいい弁護士自治の今日的な意味が、この存在感の前に、かすむこともあり得るということです。

     それに加え、既に書いていることですが、弁護士のビジネス化傾向、若手弁護士の経済苦境から会費負担感は、自治無用論の本格的台頭につながる恐れがあります。つまり、城の中からも開城を迫る動きが出始めるということです。もちろん弁護士増員で、懸念した通り不祥事が多発すれば、すわ自浄能力が問われ、自治攻撃の強い援軍になることは間違いありませんし、もちろん大マスコミが急先鋒に立つでしょう。

     どうして、こうなってきたのか。それをさかのぼっていくと、やはり「改革」にたどりつきます。弁護士増員をはじめ「改革」に弁護士自らが打って出た「オールジャパン」の結果は、弁護士の拠って立つ基盤を変え、その火の手がいまや弁護士自治という本丸に迫ってきたということになります。そして、「国民のため」という錦旗を突きつけられたとき、弁護士の大増員も、あるいはサービス業に徹することも、もはや受け入れざるを得なくなる状況が出来上がりつつあるといっていいとも思います。

     「『改革』の真の目的は、弁護士を変えることあったのではないか」

     こんなささやきが弁護士界のなかで聞かれるのも、こうした状況に対する弁護士の肌感覚ともいうべき、正直な感想だと思います。

     さて、問題はここからです。この流れは、果たして国民・大衆のためになるのでしょうか。実は、国民は「まだ分からない」のかもしれません。ただ、「利用しやすい弁護士」またはそういう社会、というテーマについて、あたかも「改革」に有利な証言だけに目を通すことになっているのではないでしょうか。

     弁護士会の「法テラス」と一線を画す、国民生活と社会の未来にとっての重要な存在意義は何なのか。あるいは果たしてきた役割は何だったのか。「協力」や「期待」だけではなく、そこをもっと発信しなければ、この流れを止めることはできないと思います。

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    ありがとうございました

    にがくりたけさん、コメントありがとうございます。

    ご指摘の通りだと思います。とりわけ「改革」に対する対応の矛盾点を精神論で補おうとしている点、そして自治・強制加入廃止論台頭を日弁連の主導層が視野に入れているのではないか(あるいは目的化している層もいることも含め)という点は、非常に重要だと思っています。この10年の主導層をみると、それまでの日弁連を牽引してきた意識の弁護士とは、かなり違う方々が加わってきたこともあります。「改革」の論功行賞のような人事のなかで、異変は本丸で徐々に起きていたといってもいいかもしれません。

    今後ともよろしくお願いします。

    No title

    記事を拝見させて頂きました。
    非常に共感いたしました。


    今の日弁連は、司法改革について、掲げる理想と行動が全く矛盾していると思います。総じて、弁護士の理想は公益奉仕であるとしながら、公益奉仕の基盤を次々と破壊するか破壊を放置しています。この矛盾に対し、上の方は、ほんの少々の対策以外、若手の精神論で補おうとしているようにしか思えません。「若者は、元気に我々の理想(夢)を実現してくれ。現実の困難さは「若さ」で克服してくれ」ということのようなのです。
    このような発想だから、現実を無視して理想のお花畑の中にいられるのだと考えています。しかし、現実は若さや元気で克服できるようなものではなく、当然に現実(市場原理)に即応するように弁護士会強制加入制度廃止論の台頭は避けられないと考えています。
    しかし、逆に考えると、このような流れを本当に上の方(少なくとも全員)が理解していないとは思えないのです。
    そうだとすると、現行司法改革推進派、とりわけ経済系弁護士の真の目的は、まさにそこにあるのではないかと勘ぐられるのは当然だと思います。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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