「改革」が軽視した弁護士への本当の「欲求」

     この国の弁護士という存在を考えたとき、「市民のため」と位置づけられた、この「改革」は、この社会が求めているものを果たして直視したのだろうか――。「改革」があぶり出した現実を見てくると、度々その疑問が頭をもたげます。それは、もちろん失敗したといっていい激増政策を考えれば、何度も書いてきたように、ニーズと一括りにされたものが、どの程度その政策を支えきれるのかということへの無考察、事後救済社会の到来や「二割司法」という括りでの判断停止の問題といえます。

     弁護士が大量に必要とされる未来がやって来る、「社会の隅々」に弁護士が登場することをこの社会が求めているはず――。決めつけのような、こういう捉え方のうえに「改革」は進められてきたようにみえます。しかし、その結果として、大量に必要とされるはずの未来は10年以上経ってもみえず、弁護士は溢れ、「社会の隅々」まで弁護士を増やすほどに弁護士におカネを投入する、といった用意が、この国の市民と社会にないこともほぼ明白になっています。「社会の隅々」で、多くの弁護士が拍手をもって迎えられ、それを支えるおカネが弁護士に入ってきたという現実があるようには、とても見えません。

     この「改革」の誤算は、一体何なのでしょうか。増員政策を早すぎたとするようなスピード論や、ニーズとのミスマッチ論が果たしてこれを説明しきれているでしょうか。それを考えると、実は「市民のため」と言いながら、この国の等身大の市民、あるいは社会が、弁護士とういう存在に何を求めているのか、求めてきたのかということについての考察を逆に封印したところで「改革」は進められてきたのではないかと思えてしまうのです

     それは、皮肉にも「改革」路線自体が弁護士に突き付けた「公益」というテーマにかかわります。つまり、それは「改革」が一面で突き付けた自由競争の深化とは決定的に相容れない、これまでこの国の弁護士に突き付けられ、社会のなかに染みついてきたといえる、彼らへの「公益」的欲求の存在を「改革」が軽視したのではないか、という疑問につながっているのです。

     この日本社会が求める弁護士の役割についての考慮不足について、以前、アメリカの実態と比べて、分かりやすく論じていた弁護士ブログ(「もの言う若手」)のエントリーがありました。国民皆保険制度に根強い反対論があり、市民が民間保険の高額な保険料が払えず、その結果、高額医療を受けられずに死んでも、刑事司法でまともな弁護士の弁護士を受けられず、たとえ死刑になっても自己責任というアメリカ社会。それに対して日本社会はどうか。ブログ氏は言います。

     「他方、日本は、戦後、国民皆保険制度を構築した上、貧乏人が、金持ちが受けられる医療と同水準の医療が受けられなかったら可哀想だという世論のもと、先端医療がどんどん健康保険の適用範囲に入っていきました。弁護士に対しても、実は、無償ないしそれに近い形での公益活動を求める世論があります」
     「そうです。日本社会は、医師や弁護士といった社会的エリートが弱者のために、低廉な報酬額で高度な専門技能を生かすことを当然視する社会なのであり、実態としては、極めて社会主義的な側面が強い国なのです」
     「となると、現状では、結局、日本の弁護士が経済的に割の合わない公益活動を可能にするのは、割の合う事件を他で獲得して、何とか埋め合わせをするしかないのであり、そこに、参入規制、言い替えると、司法試験合格者数を調整すべき大きな理由があるのです」

     これが真実だと思います。この一文をみれば、弁護士の中から、なぜ今、無償性を期待するニーズへの利用者市民側の「心得違い」をいうような不満、サービス業としての対価性を強調する論調が噴出しているのかも分かります。「改革」はこうした弁護士の役割に対する世論、あるいは欲求を軽視し、アメリカ流の自己責任論を持ち込もうとした。そして、それは同時にブログ氏も後段で言う、これまで弁護士が当然に依拠してきた「経済的自立論」(「『経済的自立論』の本当の意味」)、そして「参入規制」と批判的にとらえられてきた人口調整の意義の軽視でもあった、ということのようにとれます。

     それは、また、この「改革」が、こういう視点に立たなくても問題がない方々の意向、むしろアメリカ流の弁護士と社会の関係を望ましいと考えた経済界とそちらを向く方々の意向を強く反映して進められたことを意味するともいえます。自由競争による利を強調し、さらに「回避できない」事後救済社会の到来の前には、日本の弁護士に対する捉え方も、「自己責任」の受け入れも、むしろ市民・社会側が発想転換すべきテーマのような話になるからです。

     そうだとすれば、この「改革」はとても中途半端であり、見方よっては狡猾です。なぜならば、弁護士活用社会への利便性や、さらには良質化・低額化を期待させながら、現実的に市民社会が受け入れなければならないこと、その「覚悟」をしっかりと提示し、賛同や了解を求めたわけではないからです。依然として、この社会は前記ブログ氏のような受けとめ方で弁護士を捉えており、そして、その期待感の受け皿となった法テラス(日本司法支援センター)が存在し、そこがこの「改革」のしわ寄せを露呈させる格好になっているようにみえます。

      返す返す割りきれない気持ちにさせられるのは、「市民のための改革」を何度となく標榜し、かつ、「経済的自立論」を含めた弁護士業の現実を知り抜いていたはずの弁護士会「改革」主導層までが、なぜ、前記弁護士の役割に対する社会の欲求を軽視したのか、ということです。弁護士会は弁護士の数が増えれば、これまでの弁護士への「公益」への期待も転換が迫られること、より「経済的に割り合わない」要求には、個々の弁護士がこたえられなくなる可能性、サービス有償化への再認識を積極的にアピールしたわけではありません。公言しなくなったとはいえ、ひたすら、はっきりした根拠もないまま「経済的自立論」が成り立つ前提で「改革」を進めたようにとれます。そして、その基本的スタンスは現在も変わっていないともいえます。

     「改革」当初、弁護士会主導層が、経済界が求める規制緩和路線の「改革」に対して、「市民のための改革」を標榜し、その違いを強調して「せめぎ合いの論理」などといった弁護士会の「改革」路線は、この部分は結局、「せめぎ合った」とはいえないようにみえます。もし、その部分に関して言えば、弁護士会も(もちろん、そもそも個々の会員は一枚岩ではないけれど)ブログ氏のいうような、この社会にある弁護士の役割観を、(可能かどうはともかく)根底から改めさせるつもりであったというのであれば、そのアピールの仕方もまた、中途半端であったといわなければなりません。


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    No title

    弁護士は公益的な存在ではないという当然の前提の上に「経済的自立」があります。
    自ら生計を立てる必要があることを意図的に見ないフリをしてきたのでしょうけど、その現実を突きつけられ、言葉に窮したから「心得違い」などと反論にもならない反論を繰り返すだけです。
    不利益をこうむるのは弱者でしょう。
    そして今やその「弱者」の中に弁護士も入るのです。

    No title

    バカサヨクが司法改革に当初から反対してきた弁護士の怨嗟の念を受けるのはこれからです。
    奴らの運動に手を貸す弁護士なんていなくなる。
    いまや、サヨクの運動など風前の灯です。

    当たり前ですよね。自分が健康で文化的な最低限度の生活が出来るかどうか危ういときに、一体どこのバカが他人の人権などといえるのでしょう?
    下手すると、依頼者のほうがずっと恵まれているみたいな笑えない冗談も聞こえてきます。
    若手の弁護士の破産申立なんて、破産者の家計収支の聞き取りで「オレより多いじゃん」と思うこともあるやに聞きます。
    笑えない冗談が現実となったのを目の当たりにして、いまだに主流派に投票するバカは何を考えているのでしょう。

    No title

    法曹養成制度改革顧問会議というのは噴飯もので、不勉強な人間の集まり。

    吉戒顧問の平成25年の発言(第三会議事録p40)
    「たしか、アメリカでは弁護士が110万人いて、法廷弁護士は1割くらいであると聞いていますので、それ以外の弁護士はなにか事務的なことをしているのでしょうけれども、日本文だんだんそれに近づいているのではないかと思いますが、そういう需要も何か把握できるようなエレメントを見つけていただきたいなと思います。」
    ←めちゃくちゃ。「たしか」「きいていますので」「思いますが」「需要も何か把握できるようなエレメントを見つけていただきたいなと思います」なんだそれは。とんだ茶番劇。これで税金からギャラが出るんかい。

    需要もエレメントも何も、そもそもアメリカでは弁護士が余っている。その過剰在庫を日本に押し付けるべく、宗主国様アメリカの大使館が作った年次改革要望書に、日本は粛々と従いました、と、それだけの話。しかしそれがうまくいかなかったので(当たり前だ。法体系も言語も習慣も民族性も違う)、現在は関心を失い、中東紛争張りにアメリカらしいあきっぽさと無責任を披露している状態。

    なお、弁護士会の会費が、ニューヨーク州で2年で375ドル、カリフォルニアで1年で400ドル程度なので、アメリカでは弁護士は名刺の飾りというケースが多い。肩書を飾るような名刺すら持たない主夫・主婦・失業者・タクシー運転手・新聞配達員も多い。体感としては、8割くらいがペーパー弁護士。さらに、稼働している弁護士のうち、まともに自分が食えて家族も養えるなどというのは1%程度。
    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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