「NO」と言える弁護士会

     今から10年くらい前、司法改革の本格スタートを前に弁護士会内外での議論が活発だったころ、集会などに出席した経済界の人間の口から、よく聞いたフレーズがあります。

     「日弁連は大人になった」

     この言葉に、同席していた弁護士は、必ずといっていいほど、苦笑していましたが、当時の弁護士のなかには、決して笑えない人もいたはずです。これは、経済界の彼ら側からみて、日弁連・弁護士会は「物分かりがよくなったようにみえる」ということです。そして、それが意味するところは、なにかにつけ反対するのではなく、国家の政策に協力する姿勢になった、ということでした。

     旧社会党が「何でも反対党」などと、揶揄されたこともありましたが、かつて、激しい法改正反対運動を展開してきた日弁連・弁護士会も、まさにそんな風にいわれる存在でした。「刑法改正反対」「拘禁二法反対」など、官側との粘り強い意見交換会を行い、時に、統一国会要請行動と称して、国会に押しかけ、院内集会や国会議員への陳情・説明など、強訴ともいえる運動も展開しましたが、それが弁護士会のいわばカラーとして、ある層の方々の批判対象になっていた時代があったのです。

     当時、政治家の中には、こんな言い方をする人もいました。

     「弁護士は厄介な人間たちだ。法律という武器で、なにかと理屈をつけて反対、反対とかみついてくる。かといって数は少ないから、票田としても妙味がない」

     それが、司法改革というテーマの登場を契機に、弁護士会自身が、増員政策を含めた、自らの改革に乗り出し、また、当時よく言われた「オールジャパン」の体制で、「改革」に積極的に乗り出すことになりました。その変化こそが、前記経済界の人間が言った「大人になった」という評価につながったわけです。

     現実的なことをいえば、実は前記の集会で苦笑していた弁護士を含めて、「大人になる」ということを、いわば自戒・反省として受け入れた弁護士も少なくなかったと思います。

     反対よりも「提案型」にシフトすべきという意見、あくまで反対を貫く、いわば玉砕的な反対運動を建設的でない、とする見方は、これまでの弁護士会の運動を主導してこなかった層だけでなく、主導してきた層の中にもいました。

     だが、当然ながら、こうした変化を危険視した人たちもいました。経済界の前記評価は、いうまでもなく、反対勢力としての資質を問われるものだったからです。

     いまにして思えば、その後の「改革」をめぐる会内世論の分裂に、このことに対する会員の危機意識の濃淡が深く関連していると思います。

     ここで、市民が冷静に考える必要があるのは、弁護士・会が反対することの意味です。彼らは、強力な自治権を持った法律家集団です。そのことの最大の役割は、権力の干渉を排して、法律家としていうべきことをいうということです。それは、時に権力からも、またそれに影響されている勢力からも、さらにはいまだ目覚めていない大衆からも、独立して、最後まで徹底的な反対の主張を行い、政策の歯止めとならなければならないはずです。

     実は、こうした存在であってこそ、弁護士会は人権の「最後の砦」として胸を張れます。逆に、ここが揺らげば揺らぐほど、弁護士自治という独立の意味は、国民に伝わらず、単なる弁護士保身の特権のようにいわれることになります。

     だが、いまや弁護士の口からも「反権力」は古いという言葉が言われ、弁護士自治の維持そのものにも首をかしげる人まで登場しています。高い会費の支払いを強いられ、強制加入にさせられながら、会務に意思が反映されない不満もあります。もともと必ずしも一枚岩ではない集団ながら、「最後の砦」がこの国に必要とする意識で、支えられてきた核のようなものが、いつのまにか消えてきているといってもいいかもしれません。

     ただ、そのこと自体、果たして国民にとっては、どういう意味を持つのでしょうか。

     当時のことを知る弁護士の中には、対権力の姿勢として弁護士会が変わったことに嘆息する人も少なくありません。数多く出される会長声明の文面からも、当局に対する厳しい抗議・批判トーンよりも、「われわれは今後も努力する」的な宣言調のものが目立っている観があります。

     裁判員制度の「強制」について、日弁連・弁護士会は、なぜもっとこだわらなかったのでしょうか。なぜ「思想・信条の自由」を理由とする裁判員辞退について、あくまで容認しない立場をとったのでしょうか。これを許せば、「真摯な理由」に基づかない辞退希望者と区別がつかないから、というのであるならば、そのために本来の「思想・信条の自由」を掲げた人間は犠牲になってもらう、ということになります。つまり、これは「自由」ではなく、「強制」の方で統一しようとする考え方といってもいいものです。

     かつての弁護士会ならばどうであったろう、と考えてしまいます。あるいは、裁判員制度についても、もっと違うスタンスで、国民に問題提起していたのではないかとも思います。こだわるべきところに、こだわれなくなってきた観も否定できません。

     「反対勢力」といわれるものが、ひとつひとつこの国から姿を消しているなかで、いつのまにか国民が盾を失っている社会になってきているのかもしれません。でも、「NO」と言える存在として、日弁連・弁護士会が果たす役割は、まだこの国に存在しているはずです。

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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