「多数派市民」と自治をめぐる弁護士会のスタンス

     いまから約14年前の2001年5月、日弁連は総会で弁護士自治に関するある決議を賛成多数で採択しました。「市民の理解と支持のもとに弁護士自治を維持・発展させる決議」です。

      「弁護士自治は、市民の基本的人権を擁護し、社会正義を実現するためのものであるから、市民の理解と支持のうえに成り立つものであり、弁護士や弁護士会の活動に対する市民の意見や批判を一切認めないなどという独善的なものであってはならないことはいうまでもない」
     「司法が市民にとって身近で開かれたものとなることが求められている今日、弁護士自治を維持・発展させるために、我々は、市民の意見や批判に対しては謙虚に耳を傾ける必要がある」
     「自治には重い責任が伴うものであり、弁護士自治に対する市民の理解と支持をより強固にするための努力を怠ってはならない」

     この決議をめぐっては、会内から強い懸念が示されました。問題は「市民の理解と支持」という点、正確にいえば、将来、この言葉が意味してしまうことへの懸念でした。つまり、この言葉が「多数派市民の理解と支持」を意味してしまうのであれば、弁護士自治本来の意義であるはずの権力対峙性を揺るがすことになるのではないか、ということです。

     この懸念と主張は、弁護士という立場を考えれば、当然の主張ととれました。刑事弁護で権力と対峙し、さらに社会的にも孤立する被疑者・被告人の立場に立つ弁護士は、常にこの多数派市民の理解のもとに活動できるとは限らない。時として、弁護士自身が被疑者・被告人とともに、対峙することを余儀なくされる多数派市民に、その基盤を委ねるかのごとき決議では、弁護士自治は逆に権力側から足をすくわれることにならないのか、と。

     ある決議反対派の弁護士は、当時、こうつぶやきました。

     「いつか将来、その多数派市民が弁護士自治を『理解できない』『支持できない』ということになったならば、弁護士会はすごすごと旗を降ろすのだろうか」

     しかし、この決議は賛成多数で採択されました。当時の議論は、要は「市民理解に背を向けたり、それに努力しないことでは、逆に自治はもたない」という主張が、前記懸念を抑えた格好でした。「民主的基盤」という言い方は、一面、弁護士としては否定しづらく、「当然」と受けとめられる向きはもちろんありましたが、そのことの捉え方そのものを、弁護士の前記権力対峙性という特殊な性格上、相当な緊張感をもって受けとめた前記反対論とは、決定的に議論はかみ合っていなかったようにみえました。

     結果、その時、強く感じたのは、弁護士自治の根幹の理解につながる、権力対峙性についての理解が、個々の弁護士間で相当に濃淡がある、という現実であり、まさに、その現実が、この決議採択につながった、ということでした(「『国民的基盤』に立つ弁護士会の行方」)。

     以前も書きましたが、弁護士自治には、前記権力対峙性が求められることにもなる基本的人権の擁護という職業的使命から導かれる根拠(本質的根拠)に加えて、国家の側が、適正な裁判ために、弁護士の職業的性格から監督権等を弁護士会に委譲するのが望ましいという判断から一定の譲歩をしているというところに根拠性を求めるとらえかた(政策的根拠)があります((第二東京弁護士会編「弁護士自治の研究」、明石守正「弁護士自治の概念」)。

     本質的根拠からは、弁護士が国家権力と対峙して守ろうとするのは、国民の人権であり、弁護士自治は国民から負託された弁護士の責任というとらえ方もできる(「『弁護士自治』という責任」)半面、国家が負っているのが適正な裁判についての責任で、弁護士自治への最大関心事である資質の保証であるのならば、それが担保されないということになれば、譲歩を見直すという話にもなる。

     本質的根拠が存在していたとしても、もし、多数派市民の了解度がかすみ、国民のために付託された責任ではなく、社会がそれを単なる弁護士の特権とみた場合、資質の保証での絶対的な意義が見出せなければ、それは国家がこの制度に手をつける十分な口実になります。見方によっては、決議の賛否は、その口実を作らせないために、本質的根拠の性格上、社会的了解そのものに警戒感を持つか、権力対峙性を揺るがす懸念を抱えてでも、社会的了解に寄り添うしかないととるか、の違いにも見えます。

     今、弁護士自治について了解度は、弁護士会内にも社会的にも急速に下がっているようにみえます。弁護士の不祥事が起こるたびに、ネットには自浄作用のなさや弁護士会に代わる監督官庁の必要性をいう主張が出され、前記「政策的根拠」の「譲歩」に弁護士会が胸を張ってこたえているとはいえない現状があります。また、増員政策による経済圧迫で、会員の高額会費を伴う強制加入の負担感が増し、自治を「規制」として排除したいという欲求も会内に高まっています。弁護士自治はもはや崩壊しかかっている、という見方もあります。

     ただ、これは14年前にあの決議に反対した弁護士たちが懸念した未来にも見えます。そして、「改革」がもたらした弁護士の環境変化は、あの決議の上に立ってしまった弁護士自治の崩壊を加速化させる結果になったのではないでしょうか。

     いまにして最も重要なことは、弁護士自治の本質にかかわる権力対峙性そのものが、そもそも弁護士による「少数者」擁護という役割の意義抜きには語れない点にあったのではないか、と思えます。「弁護士は少数者擁護のためだけにあるのではない」ということが、今、かつてより弁護士の中で声高にいわれます。もちろん、それは一面正論ではあっても、弁護士自治がなくなって一番困るのは、「少数者」なのです(「福岡の家電弁護士のブログ」)。

     そして、それは万人がなり得る「少数者」であり、時に権力のみならず、多数派市民と対峙してでも守らなければならなくなる「少数者」なのです。既にあの決議の時点で、あるいは弁護士会の多数派は、このことへの了解度を決定的に欠いていたようにも思えてきます。

     今、弁護士自治が質の適正化に無力な制度であるという側面ばかりが社会に伝わる中で、この「少数者」のために残すべき制度が危機的状況にある、本当の理由がどこにあるのか。あるいはどこで間違ったのか。そのことを弁護士会は考えなければいけない時期にきています。


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    No title

    >さすがに家電量販店みたいに
    過払い金問題の弁護士事務所はそういう比較内容のWebサイト構成になってます

    交通事故に関してはまだ一歩引いてますが
    この件に関しては非弁護士の組織がなんか活動してるみたいでネット上や医学会でそれとなく注意喚起が出てますね

    No title

    結局、少数派を守るためのスローガンをここ数十年の間に確立できなかったのがこれからになって出てくるんだろうね。
    残念ながら「小物界の大物」なんて揶揄されるような人間の声ばかりが大きくなっちゃってるし。

    >その提示額で引き受ける弁護士がいれば依頼すれば済む話です。
    何かにつけて「法律トラブル解消、低廉で請け負います~」としゃしゃり出す行政書士やそれを横目に認定司法書士制度を勝ち取った司法書士に比べると、どうも足枷が大きいというかなんというか。
    昭和時代は民事介入暴力って問題になったのも忘れちゃった人がいる時点で開いたクチが塞がりません。

    No title

    さすがに家電量販店みたいに
    「法○○○での料金は××円だった!」
    「国選だと△△円だった!」
    よっしゃ当事務所でもその料金でやりまっせ!
    (当事務所の料金より1円でも安ければ値引きします)
    ってわけにはいかんからなぁ…。
    われわれも生活かかってるんで。

    No title

    自分が犯罪に巻き込まれたとき、弁護士が信用できないと思えば、別に弁護士に依頼する必要はないですよ。
    自分で刑事裁判を進める権利は国民に広く保障されてます。
    信用できないと思えば自分でやればいい。
    ぼったくられると思うなら自分でやれば良い。
    一円も掛からないじゃないですか。

    弁護士が生活を危うくするくらい低い金額にしないと弁護士が信用できないというのであれば、それも一つの方法です。
    自分で金額を提示してみたらよいのではないでしょうか?
    その提示額で引き受ける弁護士がいれば依頼すれば済む話です。

    No title

    弁護士自治って何?おいしいの?

    No title

    もう一言言わせていただきますが、私は弁護士自治については否定的な立場ではありませんよ。いつ「私だけは普通」と思っている人達が犯罪やトラブルに巻き込まれるかわからないのですから。
    ただ、記事のリンクや他の弁護士の先生方のブログを見る限り、「自分(や家族)が犯罪に巻き込まれた場合、弁護士の先生方は本当に信用できるのか」と思わざるを得ません。わからないのをいいことに高額な報酬を取ろうとしているのではないか、しょせん飯のタネとしか思われていないのではないか、でも仕方ないお願いするしかないかという消極的な選択だと思います。これは私だけではなく他の方もそう思うのではないかと思います。

    No title

    そんな決議、(14年前?)していたんですか?という感じです。普通の市民の知らないところで勝手に盛り上がっていてもわかりません。震災やオ○ム真理教が起こした事件ですら(遠方なら特に)朧げになっているんですよ。例えば新聞の記事で「日弁連が○○の決議をした」といったことになっていても、さっぱり市民からすると印象に残りませんよ。
    そして昨今では、市民に見えるものはやれ弁護士が横領をしただの被害者を脅しただのそんなことばかり。例えば何か混入したとして、その次の日の新聞には大きく「回収します。すみませんでした」の謝罪広告が載りますでしょ?弁護士会でそんな広告しているのは見たことありません。
    見えないものを「なくなるのはいけない」と主張するのは難しいと思いますよ。それならいっそのこと、結果を専門家が一般市民に見せてくれるようでなければならないでしょう。その専門家が国や他の機関で何がおかしいのでしょうか。プランクトンや微生物が「わたしたちを見てー踏まないでー」と自分で言ってもだめなのです。それを見せるための道具や説明してくれる研究者がいなければいることすら普通の人には認識できませんし彼らの価値もわかりません。それと同じことです。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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