弁護士増員の規模と期待への「反省」 

     これからも数を増やし続けることを前提に、弁護士を含む「法曹有資格者」の、最も期待できる活動の場として、推進論者が引き合いに出す国・自治体や企業といった「組織内」という領域(「『弁護士等』へ拡大される本当の意味」)。ただ、こうした論調に触れる度に、どうしても素朴な疑問をぶつけたくなります。

      「弁護士白書」2014年版に、「組織内弁護士」の数の推移が明らかにされています。企業内弁護士数2005年に123人から2014年には1179人、任期付き公務員の弁護士数は、中央・地方あせて60人から151人に。9年間で両者併せて1147人増加と、増加率でみれば著しい傾向が示されています。ただ、一方で、同白書によれば、この間、弁護士の数は、2万1185人から3万5045人と1万4000人近く増えています。この間の弁護士増加分に占める組織内弁護士増員分の割合は、約8%です。

     過去の実績でみた場合、これは弁護士増員の「受け皿」として、どこまで期待してよかった結果とみるべきなのでしょうか。増加率でこそ、組織弁護士数の変化は、全体のそれを大きく上回っていますが、もし、これも増員必要論の根拠だったのであれば、果たしてこれは全体の膨大な増加に見合う実績として評価されるべきなのでしょうか。つまりは、ここまでの増員が必要であった根拠として、この実績をどう評価するのか。そのことが、必要論の立場から明確にされていないように思えてならないのです。

     もちろん、これは冒頭の将来への期待感への評価にかかわります。同白書の試算では、このまま毎年司法試験合格2000人を維持した場合、弁護士の数は2023年には4万7662人、仮に合格1500人だとしても、4万3387人になります。仮にこの時点で、組織内弁護士が1万人存在したとしても、全体の二割強です。これは、増員された弁護士全体の数からすると、期待できる活動領域としてどのくらいの評価ができる数字なのでしょうか。

     前者の実績からみた将来に対して、弁護士のなかに、この分野にさらに引き合いに出される渉外分野を加えても、全体として「今後、この需要が倍増しても、年間250人程度であり、これに以前の司法試験合格者数年間500人を加え、余裕をみて合格者数800人程度で十分に補給できる」という見方もあります(鈴木秀幸弁護士「世紀の司法大改悪」)。

     もっとも、増員論者のなかには、激増効果論の方を強調する人もいます。つまり、大量の弁護士増員がなければ、結果として必要とされる分野に供給されなかったのであり、激増に見合う形で供給が実現しているというとらえ方です。増員論でつとに言われてきた、「裾野を広げないと山は高くならない」という、いわゆる裾野論です。確かに、弁護士過剰のなかで、「組織内」という形態が安定性確保という意味で、これまで以上に新人にとって魅力的なものになり、それがこの分野の急激な拡大につながっているという指摘はあります。

     ただ、もし、そうだとすれば、これは弁護士の現状の「負の影響」の産物といえなくもありません。前記「裾野論」が、その増やしてしまった大量の裾野は経済的にどう支えられるのかという点と、それが支えられない影響に対する、現実的な視点を決定的に欠いていることも踏まえなくてはなりません。つまり、この裾野の弁護士が生き残りをかけたしわ寄せが、社会に及ぶ危険性もさることながら、その大量の裾野の現実を知った志望者が、この世界を目指さなければ、そもそもこの山は裾野から崩壊するからです。そして、現実はその通りになっています。

     前記期待感のなかで、もうひとつ見過ごせないのは、やはり「法曹有資格者」という括り方です。前記あくまで弁護士の実績とは関係なく、今後、拡大されたその対象については、各領域の活動がもっと期待でき、そのためには供給はさらに増やすべきなのだ、ということになるのでしょうか。「弁護士でなければ」、あるいは「弁護士でなくても」で見込めるニーズが、合格者維持やさらなる増員を裏打ちするかのような。

     こう考えると、前掲書で鈴木弁護士も言及していますが、少なくとも、この「法曹有資格者」という新たな捉え方を、弁護士会側があたかも自らの活動領域拡大につながると考え、当然、想定される弁護士という資格の「価値」低下の方を懸念しないということは、全く理解できないといわなければなりません。

     弁護士増員政策の失敗の原因を、一面その規模とやり方の誤りとして受けとめている弁護士は、激増否定・消極論者のなかにも沢山います。いまごろになって、弁護士会主導層もペースダウン論を掲げますが、この論調は現状においての増員基調維持を前提に、そもそもの増員「規模」への「改革」の見通しが正しかったのかどうかの視点がありません。その「規模」に期待したことも、将来的な期待を維持することも、何も否定するものではないのです。

     ただ、もし、増員必要論を裏打ちする、期待すべき需要の「規模」が、全体との関係では、本当は非常に不透明で、誰も確信できないものであるならば、もしもの失敗を含めた影響を最小限にするために、本来は少しずつ増やす手もあったはず。ただ、その手があらかじめないことになったのは、「規模」への過大な期待感とともに、それを前提とした枠組みでないと、妙味が生まれない制度ありきだったからではなかったか――。このことを今、将来の期待に向けて、考えてみる必要があるように思えます。


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    No title

    合格者を減らせないのは、法科大学院があるからでしょう。
    そして、日弁連も法科大学院イチオシなので、法科大学院に配慮する言動しかできず、内心では人数多めだよなと思っていても、「はい、お受けします!」としか言えない。
    だから、変な需要拡大論を立てるしかなくなり、わけわからなくなっている。法曹有資格者の活動領域拡大なんて、弁護士自治を放棄しますといっているようなものでしょう。弁護士じゃなくても法律業務させるって言ってるんですよ。
    安くもない弁護士会費を払い、いろんな規制(その最たるものは72条でしょう)を受け、会務をやらされ、窮屈な思いをしながらも工夫してやっている弁護士が支えてきた弁護士会なのに、ぽっと出の「法曹有資格者に法律業務させよう」なんて、今まで高額の会費を払い、会務をやらされてきた弁護士を愚弄する話だと思いませんかね。
    今の日弁連には、善悪の区別がまるでついておらず、ただひとつ動かないのは「法科大学院を残す」というただ1点。
    それのために、すべてを、弁護士自治すらを犠牲にしようとしている。まったく情けないです。

    No title

    法科大学院も法曹有資格者も弁護士激増政策に付随する問題に対するその場しのぎの策に過ぎないと思います。

    私が知る限りでは、法曹有資格者という用語が使われた文献は、1964年(昭和39年)の臨時司法制度調査会意見書(臨司意見書)が最初です。それも、訴訟事件がいよいよ複雑となり、かつ大量に発生し、弁護士の果たす役割は飛躍的に増大するという理由と、法曹人口の飛躍的増大こそ法曹一元の一大支柱になるという理由で弁護士激増を必要性を述べた後に、法曹有資格者の社会進出を助長すべきだという文脈においてです。臨司意見書は、法曹有資格者が弁護士登録をせずに立法機関、行政機関、私企業等における法律専門職に進出した場合、それらの者が裁判官や検察官となることを志望したときは、その経験年数を弁護士登録年数と同等に扱うべきであると言っています。

    弁護士の需要という点に関しては、2000年11月1日の日弁連臨時総会において、大西裕子弁護士が、3000人というのは、各種の需要を積み上げた数字なのか、それとも中坊氏が言ったから3000人になっちゃったのかという趣旨の質問をしていたと記憶しますが、もちろん、執行部が3000人の根拠を示せるはずもなく、「中坊が言ったからだよ!」というヤジもとんでいました。

    私の考え方については、以前、法曹人口問題・司法改革問題掲示板に投稿しました。

    2011年10月18日に投稿した「法曹人口問題を考えるに当たっての原点」では、この問題を考える際の立脚点として、弁護士には、本質的な問題を設定して、それに関する考え方、意見を提示する職務上の責任があること、弁護士は、司法制度のあり方に関する思考において公僕であるという私見を提示しました。
    http://6532.teacup.com/umezou/bbs?page=7&

    それと共に、新自由主義的,法と経済学的な思考方法が支配的な、今という時代状況についても書きました。例えば,司法制度を社会や経済活動の「インフラ」だというのは司法制度の一面を解釈しているに過ぎないのに、それが司法制度の存在理由であるかのように議論されることなどです。それは、臨司意見書が公表された時代と今との大きな違いです。

    弁護士はサービス業だというのも一面的な見方です。そのような見方に基づいて司法制度をいじくったら、当然、弁護士の変質を招くことが予想されました。ただ、新自由主義的な思想にどっぷり浸かっていれば、変質を変質と認識できないことも当然です。

    No title

    4日にどこぞの某市で行われた「法曹人口問題」を考える市民集会では、「知的財産権や経済・金融の国際化に対応できる弁護士はまだ少ない」という意見があったそうですよ。市民の感覚ってまだまだそんなもんなんでしょ。もうね、もっと増やしましょうよ。これでもまだ「足りないわ」言ってるくらいなんだから。
    需要そのものピンポイントに焦点を当てればいいんじゃないでしょうか。法律ではなく、M&Aや国際経済を中心に法科大学院がカリキュラムを変えればいいだけ。なんでそういう需要と供給に合わせた行動ができないんですかね(廃止するよりよっぽどいいでしょ)。ナニそれじゃ「法科大学院」ではなくなるって?じゃ「国際法律科大学院」にすればよろしい。ぐろーばるでいんたーなしょなるでマジかっこいい。
    「弁護士の価値」はその活動そのものにあるんであって、資格にあるものではない。資格で食っていこうというのが間違いなのである。人々のお役に立てば(ry

    もう弁護士という資格を廃止してもいいんじゃないでしょうか。
    もともと弁護士なんて社労士より労働法令知らないし、とうきはわかってないし、会計士より会社法詳しいわけでもなし、なんでもこいに名人なしを体現してますよね。
    何でも屋は、法曹有資格者でまかない、競争させれば良い。
    最近は何でも家元制度みたいな「認定◯◯士」が増殖してるし、弁護士なんて陳腐な資格が廃止されても市民生活に影響ないですよ。
    もとから敷居も高いから使われてないし。





    No title

    >増員論でつとに言われてきた、「裾野を広げないと山は高くならない」という、いわゆる裾野論

    好きで裾野に甘んじる奴がいるかばーか
    膨大な人が頂上を目指せば敗者は必ず生じるし、その敗者は決して望んで敗者になりたかったわけではないだろうに…と言ったってもう遅いですね。
    敗者向けビジネス…もあるかもしれませんがろくなビジネスではないわけで…と言ったってもう遅いですね。
    某偉い人が先日のlawなんとか集会でまとめとしては「就職難なんて嘘、地方へ行け!」だったそうですが、まぁこのままでは「砂山崩し」になるのがオチでしょうな…。裾野を崩して全部崩れるという。
    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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