人を殺す手を止めさせる堰

     人を殺したらば、もはやその人は生きていくことができない――。少年時代の自分のことなど、あまりに遠い過去ですが、当時の自分はそう確信していたと思います。とにかく、恐ろしい行為なのだと。カトリックの家に育ち、幼児洗礼を受け、神から与えられた命に対して、自らのそれへも処分権が認められていないようなキリスト者の教育のなかからは、まして他人の命を奪うなど絶対に許されないことでした。地獄におちて、家族とも永遠に巡り合えない、と。

     一方で、今の少年たちが聞きかじっているような少年法や死刑に関する知識もありません。当然、人を殺せば死刑になる。そこそこの年齢なるまで、おそらくそういう認識だったと思います。命の等価性は、このことと一体で理解していたようにも思います。

     人が人を殺す行為に及ぶまでには、いくつかの堰があります。良心・道徳、宗教観、自分愛、家族愛、人間愛、そして、法律がもたらす刑罰。法律は万人に共通に課せられても、それ以前の堰には、人それぞれ強度や存在の有無までバラツキがあります。「法律は最低のモラル」といわれ、一般的にはそれが最後の堰になるようにみえますが、それも人によって違うともいえます。

     見方によっては、「少年でも死刑になる」という法律への、いわば「無知」が幸いしてブレーキになっていた時代があったようにも見えます。ただ、仮に死刑にならなくても、やれないという結果は、前記法律以外のいくつかの堰が、それ以前に機能した効果とも、または、それがその人の中で、最終的に機能したともいえなくありません。ただ、とにかく、どこかで堰が機能すれば、人は人を殺さない。

     もし、18歳の少年が、13歳の少年を殺害していたのであるならば、彼はなぜ、その手前でブレーキをかけられなかったのか――。川崎の中学1年生殺害事件で逮捕された少年は、まだ容疑者であり、事件のストーリーそのものも、もちろん断定できません。すべては仮定と前置きしなければなりませんが、ただ、被害者側の異変やSOSになぜ、気付かなかったのかというメディアのアプローチが目立つなかで、同時にこのことが気になります。

     彼の手を止めさせられなかった堰については、もちろん、単純な分析にはなりません。ただ、やはり法律という堰は、彼の前に無力だった。刑罰による抑止は、もちろん犯行者が死を覚悟した通り魔殺人や確信的な大量殺人には、無力ともされますが、この事件の彼がそうであったようにはみえません。

     彼には、あるいは「死刑にならない」という認識があったかもしれません。こう書けば、すぐさま重罰化という方向に議論が行きがちです。ただ、それ以前に、避けて通るべきではないことがあるように思えます。たとえ死刑にならなくても、それがどういう結果を生むのか。被害者と自分の人生がどう変わり、その両家族の運命をどう歪めることになるのか。その大きな代償に対して、どこまで彼が認識していたのか、という点です。あえていえば、たとえ、それが深い自分愛や家族愛に支えられることがない、損得のようなものでさえも、です。

     法教育の必要性がいわれ、弁護士会の熱心な取り組みも始まっています。個人を尊重するような法の社会的な価値や、ルールに対する考え方の醸成、あるいは裁判員制度を含めた現実的な法制度への理解などを射程に、少年たちが参加する模擬裁判や弁護士が質問にこたえたりするアプローチがなされています。もちろん、それらにも意義はあります。しかし、このプログラムのどこかで、前記した「現実」をしっかりと教え、伝える必要があるように思えます。

     法律以前の堰を強固にする必要性をいう意見も、もちろんあると思います。法律に過度の期待ができないからこそ、それが重要という見方もあります。ただ、いかなる堰であっても、たとえそれが最終的に自らの人生に対する、狭隘な損得勘定であったとしても、人の命を奪う一歩手前で止まることにつながるのであれば、それを有効と考えなくてはなりません。悲しいかな、私たちは、そう考えなくてはならない社会にいるのです。



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    テーマ : 殺人事件
    ジャンル : ニュース





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    No title

    殺人事件なんて年間に全国で何百件も起こってるが、再犯がそのうち何件なのか、言ってごらん。再犯がないということは、更生してるということだ。殺人に限らず、凶悪犯罪なんて毎年全国で大量に起こってる。この何十年にも渡って、日本中で起こったあらゆる犯罪の関係者の詳細なデータベースをお持ちの人なんているんでしょうか? そんなものなくても今まで平気で生活してたくせに、今回の事件で急にそんなもの欲しがるなんてどういう了見でしょうか?

    20歳を過ぎてる人間が凶悪事件起こしてもろくに騒ぎもしないくせに、19歳以下だと狂喜して大騒ぎするのは何故なんでしょう。「てるくはのる」事件なんて、遺留品のズボンが小さいとか、さんざん「やったー! また少年事件だぞ! また少年法のせいにして騒げるぞ!」とばかりに大喜びしてやがったマスゴミどもが、 浮かんだ容疑者は21歳、それも転落死とわかった途端、サーッと引いて行ったのを見るに、連中は被害者なんかどうでもよくて、馬鹿相手に部数や視聴率目当てに金儲けがしたいだけ、そう、任侠道なんかどうでもよくて、ただ自分たちが金儲けしたいだけの暴力団以下(暴力団には裁判所が甘い顔しないが、マスゴミには甘いなんてもんじゃないから)の存在としか思えない。「かちなかた」事件なんて、もう皆さん誰も覚えていないでしょう。同時期にあった通り魔殺人ですが、犯人は逃亡に失敗して現行犯逮捕されて、第一報の段階で23歳と判明していたので少年法のせいにできず、マスゴミ一同そろってほとんど無視したので、結局ほとんど知られずに終わったのです。被害者が中年男性だった点もある。

    若い娘が殺されたら、いつまでもいつまでも、被害者の顔写真を新聞広告やら電車内広告に執拗に、指名手配された逃亡中の犯人よりももっと大きく、刷り込み続けるのは何故でしょう? 遺族が「もうやめてくれ! 娘をいつまでもさらし者にしないでくれ!」とどんなに言っても、執拗に続けるのは何故でしょう? 中年男性が被害者ならそんなことしないくせに。そんな連中が「被害者の人権がー! ウギャー!」と喚き立てて、でかい顔をしていられるのは何故でしょう?

    若い娘が殺されたら嬉しくてたまらないような連中とは、絶対に関わりを持ちたくありませんね。そんな奴らが何を喚こうが、説得力はない。一顧だにする価値はありません。

    こういう声にどうお考えなのか問いたい

    https://mobile.twitter.com/liyonyon/status/573733187324542976

    弁護士という役目・立場、仕事について、正しく世の中に知られる必要があるのでは?
    とくに刑事事件の弁護などについて、とにかく誤解されている節がある様に感じますが。
    法曹界の皆様にはド常識でも、一般人の者にはそんなの知らなかったという話の一つだと思います。

    No title

    ヤフーのコメントで他にあったのが「加害者の情報は(家族関係含めて)開示すべきである。なぜならまた社会に戻ってきた時に絶対に近所に住んでほしくないし、加害者家族に関しても絶対に近づいて欲しくないからだ」「住民にも自分の身を守る権利がある」でした。
    なかなかこの主張に対しては反論できませんね。

    加害者家族が転居すれば…とはいいますが、この情報化社会である程度の情報さえあれば特定できますからどこに逃げても「あいつ××(の家族)じゃね?」という推測だけでも近隣住民は近づきたくないでしょうし。
    逆に近隣住民が転居…ってなんで何もしてないのに転居しなきゃならないのかっていうのもあるでしょうし。

    なんだかんだいって、更生の可能性がとかいいますが、実際はどの年齢であれ更生は無理ですよ(大人でも結局立ち直れなくて犯罪を繰り返す人が大半なのに)。法律はだいたい性善説を前提にしていますが、どっこいこの社会はそんな優しくないのです。
    異端は排除。
    失敗したら二度と許されない。

    No title

    非常に重たいトピックです。

    少年事件等を受任した弁護士であれば分かることですが、一般論としては、少年らの更生の前提として、親などの保護者が更生する必要があります。おおむねのケースでは、少年らの生活環境が、絶望的に荒廃しています。問題のある保護者は、いっぱしのことを言って子供らに対する支配力を行使したがり、子供の運の悪さを嘆いてみたり、法律がおかしいと言ってみたり、様々な言動はつまるところ自己肯定の為の身勝手きわまるもの、というケースが、全てではないにせよ、多く見られます。そしていよいよ自分の手に余るとようやく自覚したところで、「もういい年をしてるんだから、親の責任はない。」と拒絶するわけです。

    なお、家庭環境はよいが、治安やインフラ整備が悪く行政の対応も全く追いついていないために様々なしわ寄せが住民に寄せられているようなところに住まいを構えてしまい、子供が周辺のごろつきに毒されてしまった、というような場合には、万難を排して転居するしかありません。学校が悪ければ、転校です。もちろん、スマホなどの通信機器も子供から取り上げる必要があります。

    子供にとって劣悪な環境というものが、日本では長らく例外的存在であったにせよ、現在でも、新興国などと持ち上げられる中南米や中国、アフリカなどの貧しい国(二極化の極端な国で、貧困層が分厚い国)では全くよくあることであり、重大犯罪も多発しています。先進国であっても、二極化の激しい国では、貧困層を中心として重大犯罪が多発しています。最大の犯罪抑止は社会政策だ、という言葉もありますが、全くその通りです。

    No title

    週刊誌の実名報道に対して日弁連が遺憾表明を出したけれど…ヤフーのニュースでコメントに「(不祥事の多い)弁護士が言うな」などの突っ込みの多いこと。
    報道されてからの時間差も大きいし、「とりあえず言ってみました」的な感じもするんだよね…。だったらもう声明を出さないほうがいいんじゃないかな…。正論で論破するのも大変だと思うし、無視していれば余計突っ込まれるし…。

    No title

    >死刑廃止などと言っている人たちには
    いわゆる第三者行為被害で病院に通ってる人間からすれば、そういうことを言ってる連中に限って病院通いそのものを「大したことがない癖に」「甘えている」「振り向いてもらいたいだけ」とか言ってたりするから不思議。
    一番分かりやすいのが多目的トイレの廃れ具合でしょうな。

    身体が言うことを聞いてくれないことに対して手を差し伸べてくれることは稀。
    まあ、日本の福祉寄りの救済スキーム自体が産業医大を頂点に厳しいもの。
    傷物よりも元気がいいほうが労働者としては有能だって事らしいですよ。

    もちろん、弁護士もその手の知識は貧弱で諦めさせるだけが仕事か、って事も多いですね。
    法曹増員で期待された波及効果だったはずだけど、このままだとカモになるだけかな。

    **
    法律も社会秩序の一システムなんだけど、社会システムやコミューンに裏切られ続けた人間はどうなるかっていうと、もう法律による救済なんか求めなくなるんだよね。
    システムに参加しなくなるか、システムに牙をむくか。
    こういう意思決定の論理も法学部の人たちは殆どやらないんだよね、もちろんロースクールでも。
    でも弁護士にこの考え方を持ち出すと「バカにすんのか」って不快な顔するの。どうすればいいのよ。

    No title

    抵抗できない相手に正義ヅラしてさんざん暴力を振るいたい、でも責任(特に、デマを信じ込んで無実の人を迫害した埋め合わせ)は絶対に負いたくない、という卑しい賤しい加虐欲は、一体どこから来るのでしょうか? 人の弱みに付け込んで利権漁りをするのなら、裏目に出た場合、刑務所行きはもちろん大親分への使用者責任さえ覚悟しなきゃならない暴力団員と、どっちが悪質でしょうか?

    全く無実の某芸人氏を殺人前科ありと執拗に中傷していた大馬鹿者どもが、司直の手で摘発された時にどれほど無責任な醜態を見せまくったか、私はよく覚えています。

    >死刑廃止論
    現に死刑廃止してる文明国は、特に西欧の先進国を中心に数多いが、あんたらはその国々と、断固として死刑維持してしかも大量に執行してる国々を比較して、どうだと思ってるんだ?

    No title

    死刑廃止などと言っている人たちには、無残に殺された被害者の墓前で、被害者の家族の前で、同じことが言えるのか聞いてみたいです。

    No title

    河野さんや他の弁護士の先生がブログで書かれているように、少年を取り巻く環境を整え、教育の面から正していくことは大切だと思いますが、この情報社会においては、すでに「少年であっても数時間後には実名や経歴や家族関係までがネットに晒しあげにされる」「市民が正義という名のもとに私的制裁を行うことも多い」ということに対する(被害者・被害者家族に対しても)ルールを定めてほしいと思いました(しかも早急に)。
    今回の事件の少年の付添人弁護士らしい方が特定されているのもすごいなと…。

    結局全てが(ネットで検索すれば)これから一生ついて回るという社会においては、おそらく今まで以上に犯罪行為に対する抑止力にはなるかもしれませんが、同時に非常に息苦しい世界になると思います。
    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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