弁護士会の価値評価をめぐる会内分裂

     日弁連・弁護士会の存在価値について、会内には、いわば過大・過小の両極端の評価が存在しています。もちろん、これを唱えるご本人たちからすれば、過大も過小も認めるわけはありません。また、実際は中間に、両極へのやや偏りをもった多くの会員の意識が存在しているともいえます。そもそも弁護士会員個人にとっての、弁護士会という存在の価値評価はさまざまで、一般の人が想像する以上に、その意識にも関係性にも濃淡があります。ただ、前記両極の違いは、非常に鮮明になってきている印象があります。

     有り体にいえば、過大というのは、弁護士の従来と現在の活動成果を誇り、市民にとっての必要性から、従来型の活動のさらなる拡大方向を当然のことととらえているようにみえるものです。認識の大きな前提は、大きく二つで、活動が社会的評価を得られている(得られる)ということと、「従来型」と表現した主に会員の拠出するカネと、活動参加という自主的な犠牲によって、これまで通り、当然に維持できるということです。

     一方、過小というのは、当然、その真逆で、弁護士会のこれまでの活動成果は、関係者が「自賛」するほど社会から評価されているわけではなく、大きく縮小しても、あるいは仮になくなったとしても、社会は基本的にそれほど困らない。また、そうした存在を会員の犠牲的なものによって支えることは限界であると同時に、価値そのものも消極的にみる立場です。

     この違いから、当然、後者に近くなるほど強制加入制度によって支えられている弁護士自治・強制加入不要論につながり、その必要性に対する会員の共通認識が崩壊していることに着目し、前者に近くなるほど、そうした会内の声を耳にしていても、これまで通りの形の継続を疑わず、むしろ楽観しているととれます。また、自治不要まではいわなくても、後者の方向では、日弁連の社会的な活動の抑制、登録事務専念化を求める意見もあります。

     日弁連の活動の実績・実力という意味では、それを誇る評価だけが従来から会内で支配的であったわけでは必ずしもありません。日弁連・弁護士の基幹的な活動といってもいい人権擁護委員会にしても、活動の限界、失望から離れていった会員の声を沢山聞いてきました。また、かつて2000年ころ、物議を醸した日弁連の人権擁護機関設置構想をめぐっても、会内外から出た独立性への懸念論に対して、確固たる弁護士自治をもった日弁連・弁護士会をもってしても、その権限のなさと、現在までの活動実績では限界があり、新機関の代替はきかないという、基本的な認識が会内推進派に強くあることを知りました。委員会活動を積極的に行ってきたその推進派の人物に、構想の独立性への懸念をぶつけると、次のような答えがかえってきて驚きました。

      「日弁連内には、君と同じようなことをいう人間が沢山いる。しかし、日弁連の活動の評価も能力もそれほど高くないのだよ」

     こうした限界論は、法テラス(日本司法支援センター)の構想(当時は司法ネット)受け入れをめぐる会内世論の根底にもあったようにみえます。当初、弁護士会首脳部のなかでさえも、この構想の全体像や今後について、十分に把握していなかったふしもあり、権力との位置取りや弁護士会不要論につながる「第二日弁連になる」という懸念論に対して、「所詮、弁護士会活動の補完」(要は、弁護士会のサービスが行き届かないところにだけ張り巡らされるという認識)といった楽観論まで聞かれました。

     ただ、その一方で、これまでの弁護士が基本的に自力で支えてきた法律扶助や、過疎・偏在問題を抱えながらの全国一律のサービス化への限界論が、会内には強くあり、それが権力との位置取りへの懸念論を越え、さらに前記イメージからするとやや想定外に、弁護士会の存在感を上回る同構想の現実化を受け入れさせることになったとみることはできます。

     しかし、弁護士会の活動の評価を考えるうえで、むしろ私たちがまず、踏まえなければならないことがあるように思えます。それは、弁護士会にしても、あるいはそもそも弁護士という資格者にしても、その存在意義を評価するにふさわしいのは、実は救済された者ではないのか、ということです。多くの無縁な人が仮に情報として受けとめることができたとしても、本当に切実に存在の有難味や価値が分かるのは、やはりその当事者であり、それは社会全体から考えれば、宿命的に少数者なのです。

     日弁連は、弁護士法などで設置が義務付けられた、登録、綱紀、懲戒にかかわる7つの法廷委員会、会則に基づく人権擁護委員会など5つの常設委員会のほか、理事会の議決に基づき、さまざまな人権にかかわる77の常設委員会を設け活動していますが、およそ自らにかかわりでもなければ、その活動内容を一般の人間はほとんど知りません。また、かかわりがない多くの弁護士もまた、活動報告を目にしたとしても、果たしてどこまで現実を理解しているか疑問です。

     そのなかには、社会的に孤立する当事者にとってかけがえのない活動もあります。例えば、日弁連は冤罪可能性事件に対して、判断のうえ、委員会を設置し強力なバックアップ体制を作り活動し、そのなかからは死刑再審4事件を含めて、15の再審無罪確定事件も生まれています。いうまでもなく、それは長く、粘り強い闘いになります(現在、もっとも古い活動中の委員会は、1973年設置の名張事件委員会)。多くの弁護士の労力と会員の拠出がこれを支えていますが、果たしてこれを弁護士会でなければ、一体、どこが代替可能なのか、無罪確定のニュース以上に一般の目にとまらない、その活動に果たして正当な評価はなされているのか、という気持ちになります。

     そして、そうした活動が少数者の視点であることを踏まえてはじめて、日弁連・弁護士会が権力との位置取りと独立にこだわらざる負えないことの「価値」や意味も、正当に評価され得るように思うのです。

     冒頭の両極に分かれる弁護士会の存在価値の評価は、「改革」の結果、会員の経済的悪化と若手会員の比重増から、徐々に全体が否定論の方に比重が傾き出しているようにもとれます。ただ、個々の弁護士や弁護士会が抱える事情の前に、「社会的」と括りきれない、あるいは本来「社会的」でありながら、そう括られない弁護士会の存在価値が評価されないまま、その存在が衰退し、消えていくことが果たしていいのかは問いかけなくてはなりません。

     一つの考え方として、個人事業者として生計を立てる弁護士にとって、一方で、より弁護士法の使命に忠実に、あるいは無償性の高い活動に取り組むための拠点として、弁護士会が存在し、その最低限の会員の共通認識が、会費の拠出への了解度にもつながっていたというのであるならば、そのこと自体は、前記少数者にとって、ひいては私たちにとっても望ましいことだったように思えます(「弁護士会費『納得の仕方』から見えてくるもの」)。

     一サービス業としての自覚や、生存のための競争への意識を迫ることになった「改革」が、結果として弁護士会活動への理解度、共通認識を破壊した現実。「もう後戻りはできないところまできた」という弁護士もいますが、弁護士会という存在のどういう「価値」は残さなければいけないのか、という視点も、まず共通認識とて残されなければならないように思えてなりません。


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    No title

    弁護士会の存在価値を過小に評価した終局である「強制加入制度不要論」。

    小職の他にもハガキやFAXなどによりご存知の方も多いと思うが、
    今まさに行われている東弁の副会長を巡る役員選挙で、新試組の
    候補者が「任意加入制・会費半減等」を訴えた一大論戦を展開している。

    所属事務所を考えればさもありなんとも思えるが、64期での立候補に
    眉を潜めるだけでは終われない経営状況の先生方も多いのではないか。

    No title

    今のベテラン世代がいなくなれば,仮に弁護士会が制度上残ったとしても,人権擁護活動なんかろくに行われなくなりますよ。今の若い世代は,会務活動も自分の利益になりそうなもの以外はやろうとしないし,やる余裕もありませんから。
    したがって,弁護士会の活動による無罪事件が存在したからといって,それが今後も弁護士会を存続させるべきという理由にはなり得ません。
    また,弁護士会を存続させるか否かという議論にあたり,無償で恩恵を受けているごく少数の人より,現に弁護士会から搾取され続けている多くの若手会員の意見を反映させるべきことは言うまでもありません。

    No title

    >弁護士会にしても、あるいはそもそも弁護士という資格者にしても、その存在意義を評価するにふさわしいのは、実は救済された者ではないのか、ということです。

    民事事件に関して「救済された者」がいるというのは反対に救済されなかったと認識した者もいるということですからあまり意味がありませんな。
    同時に、一般市民が弁護士会によって救済されるとすれば懲戒関係だと思いますが、日弁連の懲戒にしても弁護士会の懲戒にしても、一般市民側が救われたという話は聞いたことがありませんな。逆に救われたであろう弁護士側からも「一応苦情があったことは真摯に受け止めてこれからはココロを入れ替える」などといった言葉はタテマエでも聞いたことがありませんな。
    日弁連関係の行事を「日当ゲットぉ」とかいうフトドキ者も…。

    つまり私が言いたいのは『弁護士会に救済された人ってそもそもいるの?』ということでありますです。

    No title

    弁護士会に残さなければならない価値など存在しません。
    弁護士会など存在する価値もないというのが残すべき共通認識ですかね?
    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
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