「必要になる未来」という前提

     被告人に死刑判決を言い渡した裁判員裁判で急性ストレス障害になった裁判員の国に対する慰謝料請求を退けた、9月30日言い渡しの福島地裁判決(「裁判員制度が踏みにじっているもの」)の判決文を見ると、裁判員制度の必要性ということについて、裁判所が二つの前提に立っていることが、改めて分かります。一つは、この制度が従来の刑事裁判の問題性を根拠としていないこと、もう一つは国民的基盤強化の必要性です。

     つまり、これまでの刑事裁判が民意を反映していないとか、妥当な量刑がなされていなかった、という前提で、それを改めるために、この制度が導入されたわけではなく、司法制度改革審議会最終意見書が示したように、司法制度に対する国民の理解、信頼を増すためのものなのだ、ということです。

     ただ、ここで見落としてはいけないのは、この前提があくまで「将来の必要性」ということのうえに成り立っているということです。裁判のやりとりのなかでも、従来の刑事裁判に問題があったものではないならば、国民に義務まで課して国民的基盤を確立する必要はないはずであり、裁判員法の立法事実は存在しないとする原告側主張に対し、判決はこういっています。

      「裁判員法が国民の司法に対する理解の増進と信頼の向上を図り、ひいては国民的基盤の確立を趣旨とする理由は、経済社会の構造が変革していくことに応じて、国民自らが自己の権利・利益が司法的手段を通じて実現していくことができるよう、司法がより納得性の高い紛争解決機能を提供するという、従来とは異なる新たな役割を果たすことを求められていることにあるといえる」
      「そうであれば、従来の社会構造の下、従来の刑事裁判には何ら問題がなかったとしても、そのことは何ら裁判員制度の導入を不要とする理由にはならないものといわざるを得ない」(太字は筆者による)

     このとらえ方は、ある意味、裁判所がこの制度を受け入れるに当たって、好都合なものになった、というべきです。逆に言えば、この制度が現行刑事裁判の反国民性を前提にしたものであるとなれば、裁判所側のハードルは当然高くなった、というか、そもそものめるものになったとは到底思えません。その意味では、弁護士界内の制度推進論調に見られる、国民の直接参加が従来の刑事裁判の問題性を払拭するという期待感に基づく、いわゆる「風穴論」とは、同じ制度推進の立場であっても、同床異夢ともいうべき全く正反対の前提に立っていることを確認しておかなければなりません。

      判決は、原告側の、過料の制裁による国民への強制と国民理解増進目的の矛盾をいう主張も、この国民的基盤の確立の必要性を前提にした、参加国民の多様性確保論で退けています。

     しかし、判決の立場からすれば、これらもすべて将来のこととしなければなりません。これまでの長い刑事裁判の歴史のなかで、その国民的基盤が問われ、この制度が必要になったとは、一つも認めたわけではない。むしろ、司法の「従来とは異なる新たな役割」の登場がなければ、従来の刑事裁判に国民的基盤が問われるようなところはない、といっているようにさえ聞こえます。

     しかし、実は「将来の必要性」というところに、この「改革」路線の描き方の共通した不透明さがあります。いうまでもなく、法曹人口増員政策の前提もまたここにありました。法曹が大量に必要となる事後救済社会の到来。脅威のように強調されたその前提と、それに対応するための大幅な見積もり方の誤算が、現在の弁護士、法科大学院の惨憺たる状況を生み出しました。

     一見すれば、自立した国民の意思が司法に反映するかのような理想をうたっている判決文の文面も、「経済社会の構造」変革とか、「従来とは異なる新たな役割」を果たす司法の変革という、国民として具体的にどこに実現可能性を見通せるのか分からない条件が付されています。ただ、そのこともさることながら、もっとも肝心なことは、「求められる」という言葉への国民の了解度です。強制まで避けられないほどに、一体、だれがこの制度を必要としているのか、そこまでする「将来の必要性」は、本当に社会の了解事項なのか、ということです。

     この「改革」が前提としてきた「将来の必要性」の見立ては正しかったのか、そして、市民、国民のためであるはずの「改革」は、そのことについて、社会の共通認識のうえに立てたのか。裁判員制度でも、法曹養成制度でも、既にはっきりとした実害が生まれた、今、そのことを抜きに、この「改革」路線が論議され、維持されることを、私たちは許していいのか、という気持ちになるのです。


      「司法ウオッチ」では、現在、以下のようなテーマで、ご意見を募集しています。よろしくお願い致します。
     【法テラス】弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。
     【弁護士業】いわゆる「ブラック事務所(法律事務所)」の実態ついて情報を求めます。
     【刑事司法】全弁協の保釈保証書発行事業について利用した感想、ご意見をお寄せ下さい。
     【民事司法改革】民事司法改革のあり方について、意見を求めます。
     【法曹養成】「予備試験」のあり方をめぐる議論について意見を求めます。
     【弁護士の質】ベテラン弁護士による不祥事をどうご覧になりますか。
     【裁判員制度】裁判員制度は本当に必要だと思いますか

     司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ





    スポンサーサイト

    テーマ : 刑事司法
    ジャンル : 政治・経済





    コメントの投稿

    非公開コメント

    No title

    私は裁判員制度には反対していますが,記事の内容はあまり当を得ていないような気がします。
    法律で国の制度を決める権限は国会にあり,裁判員法は憲法上の手続きに従って適法に成立したものです。裁判所がその法律を憲法違反として無効にできるのは,国会議員による立法裁量権の逸脱または濫用にあたる場合,言い換えれば「国民の総意であっても憲法上やってはいけないこと」である場合に限られます。
    裁判員制度には数々の問題があるとはいえ,わが国でも明治憲法下で陪審制を導入した先例があること,諸外国でも(微妙に異なるとはいえ)類似の制度がみられることを考慮すると,裁判員法の制定が「国民の総意であってもやってはいけないこと」であるとまでは言い難いと思います。
    そういう判断枠組みの中でなされた判決に対し,「裁判員法は国民の総意なのか」と訴えても意味はありません。そもそも裁判所には,そのような判断をする権限はありません。

    No title

    市民の声さん
    あなたのおっしゃる「過去の事例、他の国の事例との比較」というのを示していただけませんか。多くの研究結果が、あなたの期待するような状況ではないようですよ。ことばづかいが失礼千万であることからも、そのような知性的な作業は期待しがたく、そもそもあなた自身がそのような比較はなさったことはないのでしょう。

    最高裁も、このように言っていたのです。
    http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai30/30bessi5.html
    「我が国では陪審制の導入を主張する立場から,しばしば,1人又は3人の職業裁判官による裁判よりは12人の一般市民による裁判の方がより真実を発見できるとか,無実の者が処罰されるおそれがないといった意見が述べられている。しかし,これは著しく陪審制を美化した発想であり,現実に陪審裁判を行っているアメリカにおいても,イギリスにおいても,陪審裁判の実態がそのようなものであるとは理解されていない。陪審員の判断はしばしば不安定であり,かなり高い比率で誤判が生じていると考えられており,これを裏付ける多くの研究結果が明らかにされている。 」
    「次に,陪審裁判は国民に分かりやすい裁判であるということが言われる。確かに法廷での審理は一般人が理解しやすいように,双方の当事者ができる限り陪審員に配慮した活動を行うため,審理が分かりやすいことは間違いないところである。
      しかし,審理の結果から明らかとなるのは,有罪か無罪かという結論のみであり,その理由も陪審員による評議の過程も,全く明らかにされることはない。しばしば相矛盾するように見える証拠の中から,なぜ有罪あるいは無罪という結論が出されたのかということは,陪審員以外は全く知り得ないことなのである。陪審員が具体的にどのような事実を認めたのか,どうしてその事実を認めたのかといった点は全く不明であり,裁判によって真相を解明するという機能を構造的に持っていない。したがって,事実誤認を理由とする上訴ができないのは,単に陪審の結論を職業裁判官が見直すことはできないという理論上の問題だけでなく,実際上も事実誤認の理由を提示することができないという事情もあるのである。 」
    「参審制は,裁判官と国民から選ばれた参審員とが一つの裁判体を構成し,共同して裁判を行う制度であり,参審員の数,権限などその形態によっては,真実の解明という裁判に対する要請を損なうことなく,国民の意識や感覚を裁判に反映させることが可能になると思われる。また,国民が参加する意義についても,事件の類型に応じて,様々なものが考えられる。
    1 刑事事件における参審制
     我が国における参審制の導入について考える場合に,まず検討されるべき分野であろう。現在のように,真実を解明し,これを国民の前に明らかにするという刑事裁判の機能を維持しつつ,国民の意見を一定の限度で裁判に反映させるために,一つの有効な方策であると思われる。その形態としては様々なものがあり得るが,例えば,ドイツのように裁判官3名に対し参審員2名の裁判体とし,対象事件は,基本的に国民の関心が高く,社会的にも影響の大きい重大事件(例えば,法定刑に死刑又は無期懲役を含む事件)とし,参審員には一定の任期を設けるといった制度が考えられる。ただ,後に述べる憲法上の問題を考慮すると,参審員は意見表明はできるが,評決権は持たないものとするのが無難であると思われる。

    (注10)
     評決権を持たない参審制は,厳密な意味では参審制とは言い得ないという意見もあろう。しかし,参審員が裁判官と共に審理に加わり,その意見を裁判,特に判決の中で表明することができるとすることは,大きな意義があると思われる。裁判官はもとより各訴訟関係者も,参審員に事件の内容とその主張を理解してもらうために,分かりやすい訴訟活動を行うよう心掛ける必要があるため,審理の在り方が大きく変わることになろう。また,裁判官も参審員と意見を交換することにより,個々の事件についての国民の関心と問題意識を把握できるばかりでなく,こうした過程を通じて国民の意識や感覚を共有することにより,それを裁判に反映させることができるといった長所が期待できると思われる。 」

    (以上引用)

    つまり、参審員として意見は表明できるが法的拘束力を持たせなければ誤審の危険性もないので導入可能、といった程度。

    いつのまにかこねくりまわされて、どの国の制度とも違うものが出来上がってしまっています。

    現在の裁判員制度は、比較法的にみて異形だ、という意味でも、法科大学院とかなり似通っています。

    No title

    結局、裁判員制度もロースクールもアメリカの年次改革要望書で
    強制された外圧によるもので、日本の風土に合わなかったってことだと思います。

    No title

    何ぼ何で悪文過ぎます。思考過程の貧弱さが、文章に現れています。

    形而上学的な御高察は、時間の無駄です。

    過去の事例、他の国の事例との比較において考えて下さい。そうすればいかに自分の主張が馬鹿げたものか、ご理解いただけるはずです。(もちろん、貴方に最低限の知性がある場合に限りますが。)
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR