「量刑関与」への市民感覚

     たとえ裁判員裁判であっても、他の裁判との公平性を保つ必要があり、過去の量刑傾向から大きく外れる場合は、具体的で説得力ある説明が必要――。裁判員裁判の量刑判断について、7月24日に示された最高裁初判断は、「市民感覚」の量刑に一定の歯止めをかける形になりました。これに対して、制度の意義からは、すぐさま案の定の懸念論が聞かれます。

     裁判員制度推進派の論客として知られる四宮啓・國學院大學法科大学院教授は、同25日付け「朝日新聞」朝刊に寄せたコメントの中で次のように語っています。

      「刑の公平性はもちろん大事だが、量刑にも国民の良識を反映させようというのが制度の趣旨だ」
      「この判決の影響で裁判官が評議で量刑傾向を強調し、裁判員が自由な意見表明をしづらくなれば本末転倒だ」

     ここで問われているのは、量刑の均衡・公平さと、制度の趣旨であるところの市民の良識・感覚の反映が対立する場面であり、懸念論はいうまでもなく、量刑が市民感覚から離れることによって、制度の意義から外れることを、まず心配しているといえます。

     ただ、あえていえば、この懸念自体は、制度推進派のそれではあっても、果たして「市民感覚」なのだろうか、と疑いたくなるのです。端的にいえば、仮に事実認定に関与したとしても、そこから先、過去の量刑との均衡の重要性よりも、量刑への反映を重く見て、そこが阻害されるという懸念が、果たしてこの判決から市民のなかに生まれるのだろうか、という気がしてしまうのです。

     確かに、この制度が、強制的に呼び出した市民を事実認定のみならず、量刑にまで関与させることになった経緯には、マスコミ報道などを通した市民の量刑への不満が存在し、量刑まで「市民感覚」が踏み込む方が、制度の効用がよりはっきりするといった、推進者側のこだわりがあった、ともいわれています。

     ただ、マスコミが報じるような著名判決での量刑に、それこそ量刑相場についての詳しい解説もないまま接した国民が、たとえ首を傾げる現実があったとしても、そこだけをとらえて過去の不当量刑に「市民感覚」を、というのが、「市民感覚」といえるのかどうか、です。

     そもそも事実認定でさえ、市民が積極的な関与を求めているかは疑わしい制度で、何も量刑までという感覚がないといえるのでしょうか。むしろ真実の発見に社会経験が活かされることは、たとえ理解しても、そこから科される刑の「公平さ」が重視されることに、市民がそこまでの異論を持つのでしょうか。むしろ、自分が「裁き」の当事者になることが現実化するに至って、その「公平さ」にむしろ慎重な感覚が生まれてきていてもおかしくないように思えます。

     以前も書きましたが、制度発足前の議論の段階から、この量刑関与についても、既にはっきりとした懸念論や除外論がありました。しかし、公募でよせられた一般の意見や各種団体のなかにもあった、それらは最終的に議論に、全く反映されなかった経緯があります。この点については、いまだに首を傾げる専門家もいますが、有り体にいえば、特にこの点に異論が出なかった司法制度改革審議会の決定が押し通された格好です(「裁判員『量刑関与』問題の扱い」)。

     推進派のなかには、当初から今回のような量刑をめぐる「市民感覚」の行き過ぎが、たとえあったとしても、そこは裁判官関与と三審制による「是正」があるとする意見もあったことを考えれば、今回の最高裁の判断そのものは、制度当初から分かりきっていた結論とみることもできなくありません。いまさら「市民感覚」の反映を懸念する話なのかどうか。

     今でも国民のなかにも根強い、能力面での「裁く」ことへの抵抗感には、自分が正しい事実を見極められるかと同時に、死刑も含めて、果たして公平・妥当な量刑にたどり着けるのかという不安があると読みとることもできます(「『誰でもできる』という制度の危うさ」)。推進派が心配するような量刑への「反映」への懸念以前に、むしろ「公平」な量刑へ懸念は、市民のなかに存在していたとみるべきです。

     そう考えれば、前記今回の最高裁判決に対する、制度意義からの「懸念論」にしても、国民の本音とは遊離した、あくまで「量刑関与」の無理に目を向けさせまいとする、推進派の思惑での話に見えてならないのです。


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    No title

    裁判員制度導入前の、弁護士特に刑事弁護を中心とする弁護士達の空気は、
    「裁判員制度を導入すれば、人権保障が促進され、量刑相場も下がる。」
    というものでした。

    これに対して、私は、聞く耳を持つ弁護士同士の中で、
    「今の世論のトレンドは被害者保護だ。
    したがって、裁判員制度を導入すれば、宣告刑は重くなる。
    さらに、世論の風に乗った検察がいい気になる。したがって、不祥事も増えるが、ほとんどは弱い立場の被疑者・被告人の泣き寝入り。
    既に地方ではあからさまになっていることだが、ますますもって、本気で刑事弁護をする(世論を敵に回す)弁護士は、検察・単位会・地域社会から追いつめられる。
    結果として、刑事弁護は退化する。」
    と予想していました。それは現実になりました。

    ところで、アメリカの裁判所で陪審員裁判を傍聴すれば、寝ている陪審員を普通に見かけます。ほとんどの証拠が審理中に陪審員に提示されず、退屈な為です。
    また、特に刑事事件で客観的な証拠が無く、信用性や関連性のない供述証拠が重用され有罪になるケースが多々あります。
    要するに、人民(魔女)裁判とはこういうものか、と思いました。
    まじめな刑事弁護人が本気で仕事をすれば、職を解かれます。個別に解任されるのではなく、根本から裁判所から首にされます(公設弁護人は裁判所に雇われている為)。刑事弁護は、大金持ちの被告人の私選弁護人のケースを除き、形骸化しています。
    こんな魔女裁判でも、判断は有罪無罪まで、宣告刑は裁判官が決めました。

    なお、アメリカでは刑事事件の審理があまりのも雑であり、裁判官の裁量も狭いので(法定刑の幅が非常に狭い。また、自首減刑や裁量減刑のない州も多い)、日本のような情状弁護には力を入れず(やっても宣告刑に影響しない)、刑事弁護=否認です。
    また、民営化された刑務所では宿泊費や食費などを課されるので、日本とは逆に、出所するときにお金ではなく借金を背負っている。お金の問題だけならばまだしも、アメリカの刑法の教科書の最初のほうでは、刑務所内での暴力から免れる為に脱獄することは犯罪を構成するか、などという論点もあるほどです。
    このような欠陥だらけの雑な制度では、犯罪者がこじらせることはあっても、更生などは期待できません。

    さらに深く考えれば、そもそも犯罪者の更生など期待してない、というのが、アメリカの刑事司法制度でしょう。アメリカで三振アウトといえば、野球の他、微罪でも3回犯せば終身刑、というもので、多くの州で導入されています。アメリカの刑務所は、中国やインドの次を見据えた、安い労働力供給元となっています。例えば、コールセンターが刑務所の中にあったりします。

    何事につけても、実行に移す前に、じっくり時間をかけて勉強することが大事です。

    もっとも、日本の制度が完璧だった、などと言う気持ちは毛頭ありません。司法制度改革でよかった点を一つあげるとすれば、司法研修所の形骸化です。就職活動の際には、法科大学院などの成績は影響しますが、司法研修所の成績は影響しません(弁護士は、学閥での過去の模範解答流通などのからくりを知っているからです)。

    No title

    多方面から司法は国民の信頼を失いたくて仕方ないとしか思えないような行動をとり続けます。

    自殺願望があるのでしょう。きっと。
    今喫緊の課題は第二日弁連を作って、キチガイを排除することです。

    No title

    前の「裁判員「量刑関与」問題の扱い」にコメントしたとおり、裁判員に刑を量定させる制度自体、正気の沙汰とは思えません。

    たった数人の、犯罪と刑罰について何の見識もない「市民」の気まぐれで量刑が左右される制度を作ったけれども、最高裁としては、さすがに法的良心に耐えきれなかったということです。しかし、それは本来最高裁がやるべきことではなく、立法府が考えるべきことです。

    最高裁としては、この制度自体の違憲性を正面から考えるべきです。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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