「誰でもできる」という制度の危うさ

     裁判員制度とは、「人を裁くことなど誰でもできる」ということを言い続けなければならない制度、ある意味、そのことを運命付けられている制度です。もともとこの制度に対する、大衆のなかにある抵抗感には、「裁きたくない」という敬遠意識とともに、そもそも「素人に裁けるのか」という感情があります。現に毎年最高裁が行っている意識調査では現在でも、参加に対する不安の中身として、前者につながる責任の重大性とともに、素人が裁くという、いわば能力面での不安がトップに来ています(「平成25年度裁判員制度の運用に関する意識調査」)。

      そもそもが素人を強制的に裁きの場に連れ出す制度であり、かつ、制度発足前から前記したような、大衆の中の抵抗感がはっきりしていた制度だっただけに、推進する側は、なんとかしなければならなかった。そうした状況を反映して、振り返れば、この制度導入にあたっては、さながら「誰でもできる」キャンペーンといってもいいような、制度宣伝が行われました。

     最高裁長官自ら、裁判員は検察官主張の事実を認める証拠があるか「常識に照らして判断」するだけで、「そんなに過大なことを求められているわけではない」と発言(2005年憲法記念日、町田顯長官会見)。特に拒絶感が強い主婦層に向けては、女性検察官が「旦那の浮気はどうやって見つけるか?事実認定なんて、皆さんが毎日やっていらっしゃること」などと説明する始末でした。また、前記「裁く責任」を感じるという声に、推進派のなかからは、そういう自覚の人こそふさわしいから参加してほしいといった、不安を逆手にとったような論法まで繰り出されました。

     裁判の実務に携わってきた人々が、こぞって「裁く」という行為のハードルを下げるような発言をする当時の状況は、異様ですらありました。もちろん、法曹のなかには、人の生命・身体・財産に関わる重要かつ厳粛な裁判に対する、誤解を招くとする声もありました。裁判への理解を深めるなどということが、その目的に掲げている制度にあって、現実は大衆を誤解させているのではないか、ということになります。

     この「誤解」につながりかねないことを、なんとしてでも制度を導入したいあまり、裁くことの厳しさを一番知っているはずの専門家たちがやっている――。そこにこそ、この制度の歪み、ある意味、気持ち悪さがあるようにも思えます。

     素人が裁くとは、現実的にどういうことなのか。裁判員制度が「素人が裁く」意義として掲げる、彼らの常識の反映、要は「民意の反映」に絡めて、最近、「福岡の家電弁護士のブログ」が、こんな例え方をしています。

     「たとえば、医師が手術に使うメスやコヘルなどの器械類を揃えるとき、患者から『私はこのメスを使って欲しい』などと持って来られて、使うべきか?もっといえば『この部分を切除するときはこの器械をぜひ使って欲しい』などとリクエストされて使うべきか?インフォームドコンセントとの関係ではどうなのか?」
     「さらにいえば、パイロットが飛行機を飛ばすときに、前方に積乱雲があって突っ込むと危険なので回避して飛行するべきとの判断を下した。ところが、たまたまその機内の大多数の人が盛り上がってて『おもしろそうだから突っ込め』と指示したとき、『お客様は神様』だから従うべきなのか?」
     「要するに、抽象的に言えば、『専門的知見・判断を要するべきところに、「民意」が適応するのか?』という命題が◯か✕か、というだけの問題です」

     これを極端な例えとみる方もいるとは思います。推進派は、おそらく「民意の反映」は、専門的知見・判断によって左右される部分の、いわば前提となる事実に関する部分を、裁判官という人間の経験だけではなく、多様な市民の経験によって判断させるのだから問題ない、という括り方をすると思います。要は、「浮気調査」にまで例えられた、極当たり前にだれでもできる部分への関与ということと、前記例えに類する、素人の無理な「注文」が仮にあろうとも、そこは職業裁判官が「ともに裁く」ことで大丈夫ということが、またぞろ強調されるということです。

     ただ、最大の問題は、「専門的知見・判断」を本来必要のないところに、その範囲内で「民意」が求められたのか、そして、判決の結論もその結果なのか、ということが、参加した市民はもちろん、参加していないわれわれにも分からない、区別が簡単につかない、ということです。

     制度は参加する市民に向かって、裁くことは「楽です、簡単です」といいつつ、上級審の職業裁判官には、その判断を尊重せよ、というのが建て前です。尊重されるべき市民の判断が、高裁で覆されるのは、「専門的知見・判断」からすれば、結論が違うことになった、という解釈でいいのか、それとも尊重されるべき「民意」による前提的判断への不当な「介入」というべきものなのか、そんなことももちろん分かりません。

     少なくともはっきりいえることは、ここは感情的なものが介入する素人の判断ではなく、むしろ専門家の判断に委ねる方が妥当ではないか、という「裁くこと」に対する慎重な姿勢、あるいはそこから来る市民の敬遠意識が、常にこの制度を維持するためにふさわしくないものとされ、一方で「裁くこと」は「誰でもできる」という言を真に受けて、「普段着」のまま判断することに不安を感じない市民がふさわしいとされることでいいのか、ということです。いいのか、というのは、いうまでもなく、裁判員制度にとってではなく、この国の裁判にとってです。

     前記ブログ氏も言及していますが、この制度には「専門的知見」の無視、あるいは軽視というものが付きまとっていることは否定できません。「改革」がこの制度を維持する以上、市民の中にある「専門的知見」「専門家」への信頼や依存感情も「お任せ体質」として否定的にとらえ続けられることが運命づけられているといえますが、この制度の危うさは、むしろ国民の敬遠意識のなかで既に感じ取られていることのようにも思えてくるのです。


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    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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