「修習専念義務」をめぐるバイアスと「価値」

     ある意味、皮肉なことに、廃止するかどうかの議論になって、その存在が社会に広く認識されることになった司法修習生の「給費制」。そして、それと同時に、もう一つ、司法修習に関して、社会が知ることになったといっていいのが、司法修習生の「修習専念義務」です。「司法修習生って、アルバイトもしちゃいけなかったんだ」といった、驚きの声をこの間、よく耳にしました。

     ただ、この存在についての伝わり方、あるいは伝え方には、気になるところがあります。端的にいえば、この「修習専念義務」が、前記したようにあくまで「給費制」廃止という議論のなかで注目されてしまった、ということです。そもそも「給費制」廃止の議論は、その意義よりも、結局は現下の財政事情のなかで削ってしまっても、また貸与制にしても、法曹の卵たちが「やっていかれるかいけないか」の方に傾斜し、決定されていったといっていいものです。そのなかで注目された「修習専念義務」も、そのバイアスのなかでとらえられてしまう運命にあるのではないか、と。

     つまりは、当然に貸与制で「やっていかれる」ためには、これがどうあればいいのかという視点、有り体に言えば、アルバイト禁止が「やっていかれる」環境の足をひっぱるのであれば、なにもこだわることはない、許す方向でいいではないか、という方向で伝わってしまう(しまっている)ということです。別の言い方をすれば、「不当性」の方から入っている。

     ただ、どうだろうかと思うのです。「給費制」にしても、「修習専念義務」にしても、「やっていかれるかいかれない」以前に、修習生にとってではなく、社会にとって「あった方がいいのか悪いのか」という視点がまず先にあったならば、実は話は違うんじゃないか、と思うのです。推進者は常に真っ先に自分たちの都合のいいように民意を忖度し、「通用しない」としてこうした視点を切り捨てているように思えますが、果たして本当の民意なのかという気がしてならないのです。

     もちろん、廃止という前提に立てば、当然、当事者である卵たちのなかにも、規制としての「不当性」の方に共感する流れが出てきても仕方がありません。「せめて許してくれ」という気持ちだって、あるかもしれません。しかし、「やっていかれるかいけないか」ということを、ひとまず脇に置けば、「修習専念義務」は取りも直さず、修習の重み、「価値」にかかわる話です。つまりは、そこまできっちとやらなければいけない卵たちの修習、その前提に立てばこそ、長年強制してきた「価値」があるはずです。それを緩和しようというのは、修習そのものに、実はそこまでする「価値」がなかったということを認めているような話にもとれる、いわば軽視につながるものということです。それを推進者は、どこまで分かってやっているのだろうかと思ってしまうのです。

     修習期間中にファストフード店でアルバイトをしたいとして、最高裁に出した兼業許可申請が不許可になった67期司法修習生の話が話題になっています(「股旅ブログ」 「一聴了解」 「黒猫のつぶやき」)。不許可通知そのものには理由が書かれていないそうですが、その修習生と最高裁の事務担当者とのやりとりで明らかになっている理由は、「働く時間が長すぎる」(ちなみに、そのアルバイトは平日午後7時から午後11までの間の2時間から4時間程度、土日祝日午前7時から午後11時までの間の7時間程度、1ヵ月計40時間から60時間程度)と、「シフト制のアルバイトであり、急な修習が入った場合に、修習に差し支える」というもののようです。

     これに対しては、前記「給費制」廃止を前提とした目線からすれば、当然、規制自体の不当性の方が注目されるでしょうし、「一聴了解」氏が指摘するように、最高裁による兼業禁止ルール緩和策運用の不当性(基準の不明確さや、推奨の答案添削とそれ以外のアルバイトの関係)の問題としてもとらえることができます。

     ただ、これも同氏が付言していますが、問題は、では全面的に広く認めればいいのか、という点にあります。今回のことでも分かることですが、最高裁は緩和を口にしつつ、「専念義務」が必要である修習の「価値」は守ろうとしています。かつて最高裁は、「給費制」廃止の議論のなかで、この義務はあくまで「法曹養成において臨床課程を踏むべきであるということに淵源」がある、として、給費制だから存在している義務ではない、ということを明言しています(2004年2月6日、法曹養成検討会第21回会議)。つまり、給費制がなくなっても、基本的に譲れない義務という認識を持っている。その一方で、「改革」路線の流れのなかで、前記「通用しない」論に抗せず、「貸与制」推進の側に立った。

     前記最高裁の対応の不透明さは、いわばその矛盾の表れとみることができます。言い方を変えれば、問題は本音で「修習専念義務」の重みも、そこまでしなければならない司法修習の「価値」を譲りたくないのに、それにこだわりきれない最高裁の姿勢といえます。最高裁がこの「改革」のなかで、「判断者」の立場に立つ前に、まず政策的な旗振り役になってしまったことの問題性が、裁判員制度についてもいわれていますが、ここでもそうした姿を見る思いです。「給費制」の違憲性という問題をつきつけられている裁判所の今後の姿勢を見るうえでも、ここは見逃せない点のように思います。

      「改革」の根拠性の問題は、当然にその制度が確固として存在してきた意味にかかわってきます(「『改革』と『存在意義』をめぐる疑問」)。そこまでしなければならない司法修習の「価値」は、「給費制」議論が引出した無駄を省く、省けるかの流れで見なければ、むしろきちっとやってもらわなければ、当然利用者にも社会にも実害を及ぼすものと社会がとらえることはできます。「アルバイトもしちゃいけなかったんだ」の評価の先に、そのくらい厳しく、徹底的な教育を施される法曹の卵たちへの理解を社会が示さないという前提に立つこと自体に、もはや政策的な推進者側の意図を感じてしまうのです。


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    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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