弁護士という「特別」 

     人びとのなかの「不公平感」のフラストレーションが、それを解消に向かわせるモチベーションにつながるとしたのは、社会心理学者のアダムスですが、今回の司法改革では、しばしば「改革」支持の立場、というよりは慎重論をつぶそうとする立場から、このモチベーションを刺激するような言い方を度々目にすることになったように思います。つまりは、弁護士は「特別」か、司法修習生は「特別」か――。

     いうまでもなく、弁護士の「特別」は、彼ら自身が参入規制してきたとされる「数」によって、自らに都合のいい経済環境を作ったという意味で激増政策を、司法修習生の「特別」については、どんな世界でもやっている修養、あるいは技能実習の自弁を免れてきたという意味で「給費制」廃止を進める方向で強調され、それを生み出すことに一役買ったというべきです。

      「彼らだけ甘やかすことはない」「彼らだけずるい」という「不公平感」は、いつのまにか「民意」のように忖度され、「通用しない」論として、「改革」を推し進めようとする立場から発せられたように見えます。

     これに対する個々の弁護士の反応は複雑だったというべきです。大きく括れば、「改革」推進の立場である日弁連主導層の動きを見ながら、これを正面から(あるいは本心から)受けとめて、自省に向かうタイプ、既得権益批判に反論し、「特別」とされた立場を弁明するタイプ、そして、本当は弁明すべきだとは思うけれど、前記「民意」忖度に対抗できない、あるいはそれが面倒くさいので受けとめた格好をしたタイプ。

     もちろん、厳密に言えば、一番目と三番目のタイプは、区別がつかないということもできますが、結果的にこの両者が会内の増員推進論を支えてきたともいえます。一方、司法修習生についていえば、現在まで続く「給費制」維持運動のなかで、彼らにとっての制度の意義が繰り返し主張されてきたわけですが、前記「不公平感」を盾にとった「特別」批判に、今でもさらされているといえます。

      「自分たちは特別だ」というような主張は、それこそ言いにくいし、社会に通りにくいと考えるのも、ある意味、当然です。ただ、本当は、この「改革」に対する目線として、市民にとっては、この「特別」に意味がないのかどうかの方が、もっと問われるべきだったと思うのです。

     それは、弁護士の激増政策に関して言えば、結果的に二つの意味で、間違いをもたらすように見えます。一つは、危険な弁護士という存在についての理解において。教育と訓練によって、法的に武装できる、いわば強い「資格」である彼らが、「資格」の厳格な保証を伴わずに、野放図に社会に放出されたり、他のサービス業同様に競争したり、経済的に追い詰められたりする環境が、どういう形で、利用者・市民に跳ね返って来るか、という点について、非常に甘い見立てを生み出す、ということに関してです。
     
     そして、もう一つは、彼らがそれなりのコストをかけて、「資格」を得ているという理解において。前記論調が「特別」視して批判する立場は、別に運よく彼らに転がり込んできた立場ではなく、努力相応に認められていい立場です。弁護士の側からすれば、ここに「不公平感」を被せられるのは、妬みやっかみの類と区別がつかない不当なものととらえても当然です。ただ、このことは、彼ら側の問題におさまらず、社会の「資格」に対する間違った理解につながると思います。一つ間違えれば危険な彼らに、厳格な「資格」が付与され、それによって彼らが「特別」であるということ。「資格」が彼らの「特別」を保証することは、逆にこれからも「資格」によって、市民が安心を保証されるということの、いわば「対価」とされていいものです。

     ただ、こう言えば、その「特別」の上にあぐらをかき、その「乱用」あるいは「不当性」が、市民に跳ね返ってきているということが強調されると思います。ただ、あえていえば、それはそのこと自体が是正されるべきであって、この関係を崩すことが必ずしも望ましいわけでも、市民が求めるものでもないのではないかということです。つまり、社会はいわば、彼らの「特別」を引きずり下ろすのではなく、「特別」に見合う「資格」であってもらうように求め続ける、あるいは監視することが必要ではないのか、ということなのです。

     要は、「改革」を推進したい側がにおわすようなメリットがやって来るのか、社会にとって、彼らの「特別」を引きずりおろすリスクに見合うものなのか、という話です。もちろん、市民が求める無償性の高いニーズに応える存在になってもらいたいあまり、彼らの「特別」を引きずりおろすというのであれば、それも筋違いであり、結局、期待するような効果は生まれないといわなければなりません(「弁護士『追い詰め』式増員論の発想」)。

      「特別でしょう?特別の対義語は普通。普通の人が、司法試験に受かりますか?二回試験に耐えられますか?弁護士としての職務をこなせますか?たとえば、被疑者から必要なことを的確に聞き出せますか?人の人生を変えかねないジャッジをできますか?捜査機関による取り調べに対して、その不当性を堂々と批判できますか?怖い暴力的な相手方と対峙できますか?そのような極限状況の中で、正確な法律的判断ができますか?これが全てできるのは弁護士だけでしょう」

     最近の当ブログに、弁護士の方からのものととれる、こんな本音ともいえるコメントが投稿されました。「不公平感」のフラストレーションは拡散しやすく、また社会に理解されやすい面がありますが、一方で弁護士の「特別」は、決して理解されにくいものではなく、むしろ弁護士という「資格」の信頼と結び付いて、社会は「特別」に異を唱えて来なかったようにとれます。

     もし、本当の市民目線で、「改革」をとらえ直すのならば、ここにももう一度、立ち返って考えるべきことがあるように思えます。


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    No title

    >判断を誤って下手打ったときのリスクは半端ない

    「法人の精神的苦痛に対する慰謝料請求」などという、司法試験どころか法学部の定期試験でも一発不可確実の珍論奇論を、最大手事務所のパートナー(この単語、いかがわしくて嫌い)弁護士が束になって躍起になって開陳した挙げ句、全面敗訴どころか提訴取り下げ、それも本人訴訟で応戦した素人相手に、という醜態を満天下に曝した事件の顛末を見るに、その事務所もパートナー弁護士も手腕を疑われて没落するどころか、正反対に業界の主流中の主流として相変わらず君臨し続けているのを見ると、企業法務弁護士なんてどんなデタラメやっててもベラボーに儲かるチョロい仕事なんだろうな、という認識を新たにせざるを得ませんね。誰でも務まる幼稚な仕事だからこそ、法外なタイムチャージを正当化する為に学歴を始めとするハッタリの種に余念がないのでしょうね。

    No title

    馬鹿の釣りコメントがありますが、過払いの現象によって弁護士の経済状況の劣化が生じたというのであれば、過払いのなかった時代の弁護士はみな貧困なんですか?

    ロー関係者のまぜっかえしには本当にうんざりです。
    放火大学院だけでなく、法学部もまとめて怨嗟の対象にする必要があります。
    ローの間抜け教授に逃げ場を残すのはやめましょう。

    No title

    今でも司法試験合格者の上位500人ぐらいは、能力的にも旧司の時代とさほど差がないし(500人合格の旧司時代でも、質のばらつきはありました)、経済的にもそれなりの収入が得られているのではないでしょうか。要は、弁護士全体が「特別」か「普通」かという議論には意味が無く、新司弁護士の中には、「特別」な能力を持った有能な人もいれば、普通のおじさんと変わらないような人もいる。
     下の方で学校に例えているのは的外れではありません。「特別」の子どもは私立学校へ、そこらへんの「普通」の子どもは公立学校に行くように、弁護士も「特別」の人たち向けの「特別」の弁護士と、「普通」の人向けの「普通」の弁護士に分かれているのです。そして、弁護士の収入も「特別」の人は「特別に、「普通」の人はそれなりに、ということになっているのでしょう。
     司法改革以前は、「普通」の人たちは弁護士を利用するなど考えられなかったので、質の落ちる「普通」弁護士かもしれませんが弁護士を利用できるようになっただけマシだ、ということもできるのではないでしょうか。
     「私立学校の方が公立学校より良質の教育をしている。だから公立学校をなくして私立学校だけにすれば日本の教育の質がよくなる」というような「論理」は成り立たないのです。

     なお、過払いの減少によって弁護士の経済状況が劣化したことまで、司法改革の結果だとはいえないでしょう。これは分けて議論する必要があるのではないでしょうか。

    価値のわからん奴に、高い安くしろと言われてまで安売りする必要ないね。それで、悪い結果にしかならないのなら、自己責任なんだから。
    そういう輩には、独自説で裁判所と相手方代理人と、こくと戦っていただき、完膚なきまでに伸されて大損こけばよい世の中になることを切望します。

    No title

    判断を誤って下手を打ったときのリスクなんてこれからゼロですよゼロ
    それが司法改革の成果です。
    市民は文句を言ってはいけません。
    だまって弁護士と一緒に成仏すればよいのです。
    文句があるなら佐藤幸治や井上正仁に言えばよいのです。

    No title

    弁護士は普通だというのを突き詰めていくと,普通である弁護士に法律の相談する必要あるの?となるのでは?

    さらに突き詰めると,近所の「普通の」おっさんに相談すればいいのではとなるのではないでしょうか(弁護士不要論?)?
    タダだし。お金がない人大助かりですね。

    弁護士業って,スーパーやコンビニのような,一見さんを相手に既存のにんじんやキャベツを売るのと違って,判断を誤って下手打ったときのリスクは半端無いので,資格商売になっているのだけれど,それが理解できない人には,永遠に理解できないのでしょう。
    そもそも,そのレベルの人にこんな難しい話を理解してもらう必要があるのでしょうか?(チンパンジーに掛け算がわからんと言われても,誰も理解してもらおうなんて思わないでしょ?)

    そういった人たちは,お金のない人が晩飯のカレーから金欠なのでお肉を抜く(入れないで我慢する)感覚で,適当にやってもらえばいいんじゃないの?。
    最後は,自己責任なんだし。

    弁護士サイドも,そんな人を客にしたいとは思っていないじゃないの?
    そもそも,そんな人の話すら聞きたくないんじゃない?時間の無駄だし,非常に疲れるから。

    No title

    >旧司法試験時代なら,「弁護士は特別」という議論にも一定の説得力があったのでしょうが,現行制度はいわば「普通」の人でも弁護士になれるようにしたもので,
    >現に法科大学院に入学するだけならほとんど誰でも可能です(入学者が減っているのは単に経済的メリットがないからです)。

    この議論は、戦後の教員養成の歴史と重ねると面白いですね。
    5割以上の国民が大学に行くようになって、大して勉強しなくとも単位さえ取れば教員免許がもらえても、学歴は保護者の方が上だったりすると見下される。
    でも、教育公務員になれれば経済的には安定するので、成りたがる若者は多い。また、親が既に教育公務員ならば「何とかなる」という胸算用もあるのでしょう。
    そこに、これといった養成能力がないにも関わらず、免許取得を売りに学生募集することで、少子化で今後益々厳しくなる大学運営を乗り切ろうとする法人は多いです。
    でも、そんな「フツー以下」のヒトに、頭のいい保護者は自分の子供の将来を預けたいと思うでしょうか。だから、べらぼうに高い授業料や寄付金を積んででも、子供を私学に通わせようとする。
    だから、余程しっかりしたリーダーがいない公立は、荒れるに任せる状態・・・。
    弁護士だけでなく、この国はどこも同じような問題を抱えて崩れつつあるようですね。

    依頼者に金がなくてやるべき事件はあるように思えるが、これからは、その必要ないな。

    相談者 不当な請求されてます、助けて
    弁護士 着手金30万円ですね
    相談者 ありません…
    弁護士 なら無理です
    相談者 なんで!?明らかに不当なのに、それを許せとでも?弁護士は、正義の味方ではないのですか?
    弁護士 あのねえ、今日いきなり来たあんたの話を全面的に信じろって、ムリだよ。第一、見も知らぬ人間に、タダで動けって?意味わからんね。だいたい、人にいやなことをお願いするのに、タダで動けっておかしくないか?俺もこの事務所を動かすのに、家賃も払えば人件費も掛けてるんだぜ?

    No title

    「不公平感」を法曹界の内側だけで議論しても、何も見えてこないと思います。弁護士という職業だけを見るのではなく、もう一つの「資格の雄」ともいえる医師等と比べてみるなどしてはどうでしょうか。
    というより、この、何処までも内向きな視点・発想から一歩も出ようとしない姿勢・性根が、国民の視点に立つと本当に不気味です。

    No title

    もちろん、弁護士は投資で大もうけです。
    ぜひ、公益活動してもらってください。
    よかったですね。

    No title

     弁護士が経済的に安定していないと採算度外視の仕事はできないって言いますけど、バブル期に投資にのめりこんだ弁護士の話など聞くに、ホントかよって思います。

    No title

    いいんじゃないですか?弁護士は特別な存在ではありません。
    費用対効果もないクソ事件を断るのも特別な存在ではないからです。
    弁護士は正義のために仕事をするのではないですか、ともう市民は口にすることも許されません。
    それが司法改革です。
    市民がそれに賛同したのです。
    ツケは回ってくるということです。
    自業自得ですな。

    No title

    旧司法試験時代なら,「弁護士は特別」という議論にも一定の説得力があったのでしょうが,現行制度はいわば「普通」の人でも弁護士になれるようにしたもので,現に法科大学院に入学するだけならほとんど誰でも可能です(入学者が減っているのは単に経済的メリットがないからです)。
    弁護士が「普通」の存在に成り下がり,単に弁護士というだけでは的確な法的判断を下し弁護士としての職務をこなすことも期待できなくなりつつあるのが現状ですから,このまま司法試験の合格レベルが下がるに従って,「弁護士は特別」論も次第に通用しなくなってしまうのでしょうね。
    弁護士は「普通」であるべきなのか,それとも「特別」であるべきなのか。前者であれば弁護士の存在意義はなくなり,後者であれば今いる若手弁護士の多くはその資格を否定されることになります。どちらにも舵を切れずメタメタになっているのが今の弁護士業界です。
    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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