「法の支配」というイメージ

     主に法律家の間で使われる言葉で、「法の支配」というものがあります。一般の人になじみがある言葉とはいえません。法律の世界を知らない人に聞くと、「支配」という言葉に、なにか強権的なものをイメージし、法でがんじがらめにされるような社会を連想してしまうようです。

     しかし、本来の意味は、逆といっていいでしょう。つまり、法でがんじがらめにされるのは、権力の方ということです。

     「『法の支配』を社会の隅々にまで行きわたらせる」

     司法改革論議のなかで、推進論者側からこうした言い方をよく聞いてきました。ただ、この表現を聞くたびに、少々違和感を覚えてきました。

     文脈から、どういう意味につなげたいのかは分かります。法によらない社会をやめること、つまり裁判所や法曹の役割を強調している格好になります。だけども、「法の支配」という表現が、ここで使われるのが、果たして本当に適切なのか、とりわけ、国家が主導する、いわば「上からの改革」である司法改革の論議で使われるべき言葉なのだろうか、という疑問です。

     実は以前にも少し紹介しました武本夕香子弁護士の論文が、この疑問をストレートに提示しています(「法と民主主義」2009年1月号「法曹人口問題についての一考察」)。

     もともと「為政者の恣意的な意思に基づかない法律による支配」を意味し、法律で国家権力を縛るところに眼目がおかれた、この言葉が「『私人間の紛争について、できる限り法律(裁判所)で解決しましょう』という誤用ともいえる拡大解釈的意味で用いられている」と指摘。そしてこれは法曹人口を激増させるためのイメージ戦略で、故意に本来的意味が変容されているのだ、と喝破しています。

     この論文の中で武本弁護士は、法曹人口増員必要論の論拠を一つ一つ崩し、結論として、弁護士は過剰な増員による質の側面に鈍感であってはならないことや、質を保ち、「イソ弁」制度が機能し得る年1000人程度の合格者数に抑えるべきことを唱えています。だけども、特に目を引いたのは、先の「法の支配」論への疑問の中で書かれた、「改革」反対派からもあまり聞かれない次の切り口です。

     「弁護士が社会の隅々まで行き渡れば、社会がよくなるという議論は、あたかも社会一般の人達が弁護士よりも一歩劣ることを前提とした議論であり、一般人を馬鹿にした議論である」

     おそらく、この一文には、弁護士の中には、反発する人も多いでしょう。だけども、あえていえば、大衆は武本弁護士のいうことに、果たして異を唱えるでしょうか。なぜそういうかといえば、「社会がよくなる」ためや、私人間の紛争解決に、弁護士や「法の支配」がいまより登場する社会を大衆が本当に求めてきたのか、疑問に思うことがあるからです。

     「一般人を馬鹿にした議論」といえば、度々引用している「二割司法」(「『二割司法』の虚実」)の中にも、また司法制度改革審議会がいった「統治客体意識」(これについては回を改めますが)の中にもあります。

     「二割司法」で語られているような、極端に大衆が泣き寝入りしている現実が存在し、その解消への極端な「司法拡大策」を大衆が求めてきたという前提が存在していたのか。「おまかせ司法」という現状が存在し、それは納税者であるはずの国民の意識に責任があり、直接司法に参加してもらう手法だけが、今「おまかせ」解消策なのだという理屈を国民は本当に理解しているのか――どうしても、こんな疑問も持ってしまうのです。

     本来の「法の支配」の意味とは逆の、むしろ大衆がこの言葉からイメージしてしまうようなものに近い「支配」が、実は進行しているのではないか、と思ってしまいます。

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    ありがとうございました

    弁護士HARRIER さん、コメントありがとうございます。

    大変な貴重なご意見です。上からの裁判員制度、上から「法の支配」、あるいは上からの「法教育」が、逆に問題意識というものの芽をつむ危険も考えなければいけないと思います。裁判員制度が「法教育」の契機、あるいは教材とされるとすれば、担い手となる法律家のなかで、この制度の評価が大きく分かれていることの影響、関係をどうみるのか、その点の問題はあるようにも思いました。

    今後ともよろしくお願いします。

    No title

    このこととの関係で、「法教育」についてもひとこと。
    ここで指摘されている「法の支配」と何の関係があるのか、ということですが、いずれの「法」も、「お上が与えた法で、君たちが従わなければならないもの」という前提が隠れているし、そのような使われ方をしてるのではないか?という点で共通しています。

    法教育は否定しません。
    が、法教育の現場に携わっていると、裁判員教育のようになっているところが少なくありません。まさに「お上が与えてやった裁判への関与の機会(=裁判員法)なんだから、これに従ってやりたまえ」の世界になりかねません(法教育を担当される先生にはそうなってはいけないことを説明します。むしろ裁判員制度がおかしくないかと感じられることが法教育の真髄だと思っていることも含めて)。
    「法」が不変で絶対的至高的価値を有すると考えることは危険です。

    上で「法の支配」とされているのは、講学上の「法治主義」のことであり、両者はまったくちがうものです。
    ご指摘の「法の支配を隅々まで」という、司法改革の理念は、「法の支配」の本来の意味を誤用しています。学者がその間違いを指摘せず、むしろ尻馬に乗っているところが恐ろしいところです。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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