弁護士の「苦労」と「余裕」が意味するもの

     かつて在籍していた新聞社で、新聞の編集とともに、長く弁護士の経歴を扱う出版物の編集に携わり、自らの「苦労」のアピールについて、さまざまなとらえ方があることに、気付かされることが度々ありました。もちろん、これは弁護士という職業に限ったことではありませんが、例えば、「苦学」アピールに対する意識。

     弁護士になるまでには、個人によって、さまざまな経緯があるわけですが、なんといっても難関・司法試験を挟んでいる現実から、一端、社会人として別の仕事をしながら、コツコツとチャレンジして、合格した人たちは沢山います。その経歴を一発合格者の人を意識して、恥ずかしいと思う人。逆に、それを誇りのように思っている人、あるいは、それがむしろ「共感」をもって社会に受けとめられると考える人。さらに、逆に、そうした「苦学」アピールが、ある種の打算をもってなされているととられることの方を、恥ずかしいと考える人。

     また、「苦労」という意味では、弁護士になってから、現在の地位、状況になるまでの修業時代、独立当初のエピソードについても、同様に、アピールすることのプラス面、マイナス面について、正反対に近いものまで、さまざまな意識に出会ったことを覚えています。

     ただ、こうした過去の「苦労」にまつわるセルフヒストリーについて、さまざまなとらえ方をする弁護士が、およそ現在の「苦労」については、ほとんど語りたがらない、という、はっきりした傾向がありました。これも、弁護士に限ったことではないかもしれませんが、ここに、プライドとともに、体面への強い意識が、この仕事にベタっとくっついている印象を持ったのでした。

     この点をある弁護士の書いた本が取り上げていました。

      「なぜ、個人事務所の弁護士は実際の苦労を語りたがらないのか。それは弁護士が究極的な信用商売だからである。『苦労している気配』は、その弁護士の営業に致命的ともなりかねないマイナス・イメージを残すことになる」
      「今の日本にはまだ『苦労している弁護士であれば、自分の言いなりになるだろう』とまで考える狡猾な依頼者は見当たらない。単に『苦労している弁護士には問題があるのではないか。依頼しても大丈夫なのだろうか』と敬遠されてしまう」
      「だからこそ、個人事業の弁護士は、資金的に苦しくなっても、それを外に出すことなく、事務所にでんと構えていなければならない。それが個人事務所にとつての唯一のビジネスモデルではないのかもしれない。だが、今もって多くの弁護士はそう信じている。そして『事務所経営が大変である』ことを自認するのは、もはや自分の事務所の看板を下ろす覚悟ができて白幡を上げて音をあげるときを意味する」(西田章弁護士「弁護士の就職と転職」)

     ここに書かれているのは、確かに前記したような、かつて私が触れた弁護士の意識・生態を説明しているように思えます。ただ、西田弁護士の本は2007年発行ですが、少なくとも、これを今、読んでいる弁護士の方は、こうしたことが既に過去のものになりつつあることの方を強く感じられるのではないか、と思います。

     弁護士増員政策がもたらした経済的な環境の激変は、事務所経営のマイナスイメージを気にして、「事務所にでんと構えている」などという弁護士スタイルを既に大きく変えてきている、というべきです。競争と淘汰がいわれ、他のサービス業と同様の意識を求められているこの仕事では、およそ前記古典的スタイルそのものが、「心得違い」のような扱いをされている面もありますし、半面、「生き残り」を迫られている弁護士にとっては、その前記マイナスイメージを云々できる余裕すらなくなっているようにも見えます。

     一方で、こうしたなか、西田弁護士が楽観視していた「狡猾な依頼者」の登場は現実のものとなっていますし(「『ブラック』が増長する状況」)、「苦労している」弁護士に対する敬遠意識は、依然として依頼者・市民のなかに確実に存在しています。弁護士の増員によって、競争が生まれ、そのなかで淘汰が起こり、それによって良質化と低額化の恩恵を依頼者・市民が享受できるように、描き続ける「改革」推進論ですが、依頼者・市民の意思としては、より経済的に安定した、いわばかつかつ、がつがつの弁護士には頼みたくないという意識があります。そこには、弁護士のカネ取り主義あるいはカネ取り主義化に対する、強い警戒感と不信感も見ます。

     いわば、「事務所にでんと構えている」弁護士は、「サービス業」としては「心得違い」であり、弁護士自身が「生き残り」のために、そうはしていられない現実もあり、もちろん、そこに依頼者・市民として、そこにあぐらをかかれること自体は歓迎できないけれど、一方で、今、起きている現実からは、なおさら弁護士の経済的な余裕も無視できない。

     そもそも依頼者・市民からすれば、経済的な意味において「事務所にでんと構えている」弁護士、いわば、かつかつの営業努力をしないで済む存在であることを、「改革」推進者がいうような「心得違い」として、どこまで受けとめているのかも疑問です。もちろん、これまでの弁護士の接客態度、ある意味、サービス業としての自覚のなさが、いわゆる「敷居の高さ」につながってきたことは否定できません。弁護士のなかには、深い反省を迫るべき人が現実にいることも知っています。

     ただ、弁護士の経済的な余裕を奪い、競争させることが、その解決策として打ち出されるほどに、依頼者・市民は、その大きな副作用も受けなければなりません。良質化・低額化への期待よりも、むしろ不信感・不安感ととも、そんな楽観的な未来が来ないことを、依頼者・市民は、とっくに感づき出しているように思えるのです。

     そもそも、いまや弁護士の口からも、「生き残る」ためにはより採算性の追及が不可避であること、薄利多売化が難かしいこの仕事にあって、低額化は容易に発生しないこと、個人事業である多くの弁護士にとって、仮に採算性の高い仕事を得られず、それが低い仕事を多くこなすことになれば、ひとつひとつのサービスの「質」の低下もまた不可避である現実が言われます。そのリスクが、十分に社会に伝えられているかどうかは疑問ですが、増員政策の失敗とともに、徐々に社会はそのことに気が付き出しているようにも思えます。

     現在でも、弁護士の実態アンケートなどでは、冒頭で触れたような意識を背景に、「うまくいっている」人が回答し、「苦労」の方の現実が統計結果に反映しないということはあります。しかし、前記西田弁護士の認識に立てば、かつてなら、それこそ白旗を掲げて、廃業を覚悟するレベルまでも意味したような、「苦労」「大変さ」が普通に弁護士の口から聞かれる、この現実の先に、普通の依頼者・市民にとって、かつてより、いい弁護士との関係が本当に待っているのかどうか、そこが重要なところです。


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    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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