「イメージ」とどう向き合うか

     大衆のなかで形成される弁護士に対するイメージの源は、どこにあるのでしょうか。

     「大衆」とくくった場合、こと弁護士あるいは司法との関係で、はっきりしていることは、それと直接かかわった経験をもつ少数者と、おそらく一生直接かかわらない、あるいはかかわらないことを想定している多数者が存在していることです。

     実はこのことは、大衆のなかにあるイメージにとどまらず、弁護士あるいは司法に向けられる無関心も含めた世論というテーマを語るうえにも、重要な意味を持ちます。

     多数者のイメージ形成の源の、大きな比重を、マスメディアが占めてしまう現実は、否定しがたいと思います。新聞やテレビに出でくる弁護士に関する情報が、イメージ形成に大きくかかわっていることになります。

     ただ、大衆の目からすれば、実は弁護士という情報は限られ、限られた情報のなかで、そのイメージが作られている現実があるように思えます。

     これは、ある意味、メディアの側からすれば、致し方ない問題というかもしれません。メディアのニュースの素材とすれは、裁判ネタは別にしても、毎日のように報道するバリュがないという判断に従っただけでしょう。ただ、その結果として、大量の情報のなかの一つに過ぎなくなるということです。

     したがって、ぽつりぽつりと出る弁護士や司法にかかわる、マスコミが他のニュースと並列にバリュを測った情報と、それこそタレント弁護士やドラマのなかの弁護士など、番組制作という一つのコンセプトのなかで露出する「弁護士」が、どうしても多数の大衆のイメージの源になっている現実があると思います。

     自分のように、この世界に関心を向けている人間からすると、弁護士にかかわるネタのマスコミ報道は、かつてより格段に増えた印象を持っています。ただ、見方を変えて、例えば1週間、1ヵ月の新聞のつづりをめくってみれば、まさに、それは多くの情報の中に埋もれている感じです。

     そのなかで、社会面の弁護士不祥事であったり、弁護士の増員や経済難の企画記事であったり、日弁連会長選の過熱ぶりであったりが報じられているわけで、このことは、いったん目を離してみれば、これだけを見ている人間が、ある意味、日常的にこの世界を見ている人間とは、かなり違った像を結ぶことになるのは、当然のような気になってきます。

     そこをマスコミ側が意識しているかといえば、いささか疑問です。

     かつて日弁連会長が、あるメジャー誌の表紙を飾った時、その編集長と話したことがありました。なぜ、彼を表紙に選んだのか、と聞いてみると、彼の返答はこうしたものでした。

    「今、弁護士を表紙にしようと思った場合、日弁連という団体の会長さんか、××さん(弁護士としてしられる某女性党首)しか考えられないんじゃないですか」

     要するに大衆が聞いて納得する団体の長か、その時の大衆が弁護士と聞いて、ぴんとくるような人が、この人選にふさわしいという説明でした。雑誌によって、いろいろなコンセプトがありますし、いまの時点で弁護士イメージは違う人かもしれません。ただ、彼らからすれば当然のことですが、大衆のイメージ、あるいは自らが作ったイメージのなかで、大メディアが展開する例だと思います。

     状況が一つ変わってきたのは、やはりインターネットです。メディアに取り上げられない人間が自ら情報を発信できる、手段が生まれたからです。口コミがネットで流れることが、当たり前の時代になった今、弁護士・司法体験者の情報がネットに流出し、マスコミのフィルターがかからない情報に、多数派の未体験者が触れることになったからです。

     ただ、これが一面、問題をはらみます。ある種、客観性の保証がない、個人の感情に基づく情報が混在するからです。ネット上では、弁護士に対する経験に基づいたととれるネガティブな情報であふれ返っています。この中には、もちろんマスメディアが取り上げない「告発」もあれば、一方的な見方による中傷が含まれてしまいます。

     法曹の質の低下という議論が、今、この世界でもなされています。「低下した」いや、実は「低下していない」というやり取りがなされていますが、ある意味、そうした議論やそこでとらえられている現実とは、違うところで、いわば、その頭越しに、こうしたメディアやネットの情報で形成された大衆のイメージによる裁定が行われる可能性があります。

     その時、メディアのとる行動は、はっきりしています。自らがつくったイメージによる大衆の裁定を、「民主主義」の旗を掲げて、重視せよと連呼するでしょう。その裁定が、本当の「現実」を反映していなかった場合のマスメディアの責任は明らかですが、これは大衆に責任があるとは必ずしもいえません。

     こうした現象は、見方によっては、裁判員制度を含め、すべての制度論で起き得るといっても過言ではないように思います。

     八方塞がりのような状況のなかで、何ができるのか。ある人は、マスコミの良識に期待するというかもしれないし、また、はやばやと敗北宣言をされる方もいるかもしれない。

     唯一、とれる手段は、とにかく発信することです。自らの発信は、前記したように客観性を疑われたり、保身といわれたりするかもしれません。ただ、メディアが作るイメージなかで膨らむ世論が、常に正しいとはいえないのならば、マスメディアの良識ではなく、大衆の良識に直接訴えかけるしか方法がありません。メディアが無視できない世論状況をどこまでつくれるのかということになります。

     常に運動論としていわれ、そして適わなかったという諦めが、かつての弁護士会の活動を知っている人の口からも出ます。ただ、諦めた瞬間、正しい制度論が、イメージに敗北することもあり得ることを肝に銘じておく必要があります。

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
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