「権威主義」のなかの弁護士

     弁護士が文書のなかで、自らを称してしばしば使う「当職」という表現に対して、実は、一般的に弁護士が認識している以上に、市民はあまりいい感じを持っていないようです。実際は弁護士のなかにも、この表現が与える威圧感が、交渉などの局面でマイナス効果を生むと認識している人もいるようですが、逆に、それが内容証明郵便などのなかで用いられることで、相手に一定限度の緊張感を与える「効果」を重視している人の方が多いように思います。

     正式な文書のなかで、ただ、自らを指す画然とした表現を使っているだけ、という人もいるかもしれませんが、それでもどうも私もこの表現は、好きになれません。やはり、威圧感といって間違いないのですが、別の言い方をすれば、どうもそこに権威主義的な匂いを感じてしまうからです。

     権威主義とはいうまでもなく、権威を絶対視する考えであり、「権威者」の側はそれを盾にとり、かつ周囲はそれに盲従する姿勢をとる、いわば、そういう関係が構築される考え方ということができます。かつて弁護士の口からは、権威と、この権威主義を使い分けたとらえ方が、よく聞かれました。「(弁護士として)権威の存在は認めても、権威主義は認めない」と。

     あらゆる権威主義に対して、それに服従させられない、いわば対抗する「権威者」を目指すということです(「『負け組弁護士』の時代」)。そして、そこでいわれる権威主義の向こうには、しばしば裁判官の存在が被せられました。「カウンターエリート」といった言葉を宛がう人もいましたが、いわゆる弁護士の在野精神といったものとも結び付いていたように思います。

     ところが、「当職」という表現同様、一般の市民、あるいは社会の側は、果たしてそうした区別をしてきたのか、という疑問に突き当たってしまいます。つまりは、弁護士という肩書きにしても、日弁連・弁護士会にしても、権威主義的な存在として、どこかで盲従すべき存在としてとらえられてきてしまったのではないか、ということです。そして、それは、「市民の側」に立つ法曹を自認してきた弁護士が、今、「既得権益」や「自己保身」という言葉で批判される存在になっていることのなかで、ひしひしと感じている弁護士もいるのではないか、と思うのです。

     さらに、今、明らかになりつつあるのは、残念ながら、弁護士のなかにも、そもそも前記したような区別する意識のなかにいなかった人が存在していたという厳然たる事実です。つまり、口では権威主義に対抗すると言いながらも、弁護士の肩書きや、日弁連・弁護士会という存在の「権威」に服従させられることの妙味の方に、どっぷりつかっていた弁護士もいたということです。

      「地に落ちた『元日弁連常務理事』の肩書」(10月14日、msn 産経ニュース)

     こんなタイトルで、先日の国有地の架空取引に絡む詐欺容疑で逮捕された弁護士のこと(「『弁護士逮捕』が突き付けている現実」)が報じられています。ここに登場する弁護士の姿は、まさに弁護士という肩書きと、日弁連の「権威」を利用して、それに相手を服従させられる権威主義につかっていた人間そのものです。

     ただ、この「権威」ということを語るうえで、もう一つ、落としてはいけない点、あるいは要というべきものがあります。いうまでもなく、それは「信頼」ということです。権威を裏打ちするはずの「信頼」ということをどう「権威者」側が考えてきたのか、ということです。

     どの世界もおかしな奴はいる、という言い方がなされます。どんな肩書きの人間でも、頭から信じることなどできないのだ、と。ただ、一方で、「信頼」を度外視した「権威」も考えることはできません。「弁護士に限ってそういうことはまずない」という「信頼」の形を、弁護士側が放棄するということもあり得ない話です。「日弁連常務理事」という肩書きが、具体的に何を保証するものなのかは別にしても、日弁連の「権威」とは、そうした「信頼」のうえに成り立たなければならないはずです。いちいち疑わなければならないことは、市民にとっても社会にとっても不幸なことであり、それはもはや「権威」でもなんでもありません。そうでなければ、そもそも「地に落ちた」などという表現が宛がわれることもないはずです。

      「権威」を絶対視し、盲従させられるとみる「権威主義」は、そのことも忘れさせてしまうものというべきです。そのことを、弁護士はもう一度、考えるべきときに来ているように思います。


    ただいま、「今、必要とされる弁護士」「弁護士の質」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ






    スポンサーサイト

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    コメントの投稿

    非公開コメント

    力を。

    No title

    会話の中で「当職」と言ったら違和感があると思うけど、
    職務上の書き言葉の世界での「当職」は表現が硬いだけで、
    それだけなら威圧感までは感じないのが普通じゃないですかね?
    一般的にあまり馴染みのない表現ではあるかもしれませんが。

    威圧感を感じるとすれば、「当職」という表現より、
    内容証明郵便など、「当職」という表現が用いられる
    文書の性格の方が圧倒的に大きいはず。

    「当職」は会社でいえば「当社」に相当する表現ですから、
    そんなに目くじらを立てなくてもいいのでは、というのが率直なところです。

    No title

    私は内容証明だと当職って書きます。
    小職がふつうなんですかねえ。

    ネット上や日常生活でまで当職って使うのはなんかズレてますね。
    ○○先生って呼び名の問題もあるけど。
    必要なときしか使いたくない。

    内容証明で小職を使ってるのは見たことがありません。
    どんな言葉を使おうと、権威を感じる人は感じるし感じない人は感じない、それだけの話では。

    No title

    もはや、坊主憎けりゃ・・・の領域ですね。
    そこまで弁護士が嫌いならもう無視すれば良いんじゃないの?
    「当職」にそんな意味あるわけないじゃん。
    謙譲のつもりで「小職」なんて使っている本人がそう思っていなければかえって鼻持ちならない感じになるけど、元々は第一人称でしょ。
    今時「小生」という言葉もあまり聞かないですが、同じ意味ですよね。

    当方ならよくて、当職ならアウト、要するに自分を指す言葉として「職業」を持ち出すことになんらかの特権階級意識があるのでは?というのは弁護士叩いておけば記事になるという発想でしょう。

    No title

    滑稽に思ってればいいんじゃない?

    Facebookやtwitterですら当職を使ってる弁護士がいますが権威がどうこうという以前に滑稽に思えますね

    No title

    私は当職と書きます。
    小職の方が鼻持ちならない感じがします。

    No title

    「当職」なんて内容証明で書きますか?「小職」と書くのが当たり前と思っていましたが。
    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR