「社会的弱者」の側に立つ「使命」

     弁護士法の1条には、弁護士の使命として、「基本的人権の擁護と社会正義の実現」(1項)を規定するとともに、その使命に基づいて、「誠実に職務」を行うことと、「社会秩序の維持及び法律制度の改善」を努力義務としてうたっています(2項)。使命として「正義」の実現を挙げた特異性や、度々引用されることもあり、2項に比べて1項の内容の方が、まだ一般に知られているようですが、1項に基づく2項の趣旨が、弁護士会・弁護士の社会的な活動の根拠となってきました。

     つまり、なぜ、弁護士会がさまざまな社会制度の現実を検証し、そのあり方を意見書や会長声明によって、提言したり、批判したりするかといえば、まさにこの努力義務があるから、ということができます。そして、その基準が「人権」であり、「社会正義」とされてきた、ということになります。とりわけ、抽象的で、さまざまな立場の主張で対立する「正義」という概念に対し、侵害という現実の前に、「人権」が、弁護士会にとって、より明確にその活動の基準・指標になってきたのは、その意味でも、当然といえば当然のことのように思えます。

     実は、もう一つ、弁護士会・会の活動とともに、「使命」として掲げられてきたものがあります。「社会的弱者」というテーマです。彼らのために、私たちは闘う、彼らの側に立つという、ニュアンスです。ただ、弁護士は必ずしも「社会的弱者」のためだけにあるわけではない、ということが弁護士自身の口から言われることがあります。弁護士法のどこにも「社会的弱者」は登場しません。そのこと自体は、弁護士という存在の現実から逆算すれば、間違ってはいないということにもなりますし、一般の認識としても、そういう扱いをされても不思議ではないとは思います。

     ただ、一方で、なぜ、「社会的弱者」という視点が提示され、強調されるのか、される必然性があるのかといえば、それは取りも直さず、その基準が前記した通り、「人権」にあるからです。つまりは、「社会的弱者」ほど自力で擁護・救済されないという現実が、一方で横たわっているから、ということになります。

     そして、 むしろ、これは弁護士に対する、本来社会的な要請であっていいことに思えます。つまりは、積極的に「社会的弱者」の側につく存在であってほしい、財力や権力がない側にも見方になってくれる存在であってほしい、と。逆に言えば、そこにこそ、弁護士という存在の、大衆にとって欠くことのできない、他にかわりが効かない価値、あるいは存在意義が強調されていいように思うのです(「『権力がない人』が必要とする弁護士」)。

     そう考えた時に、はじめて、この「改革」が現実的に導いている方向、つまりは、他の商業活動やサービスと弁護士を単純に同一化し、競争が良質化・低額化を生み、より利用しやすくなるという一辺倒の「期待」を被せ、その結果として、弁護士自身がよりそれに沿った割り切った発想に転換する、あるいは転換せざるを得なくなる先に待っているものへの、フェアな評価ができるのではないか、と思います。

     弁護士は、より当たり前に「もてる」者たちのために働く存在となり、「社会的弱者」というテーマはかすんでいく。今だって、弁護士は「弱者」のための存在ではない、という前記現実から逆算した、混ぜ返しの主張も出てくるとは思いますが、より消滅に向かうこと自体を社会が見過ごすのかどうかの問題です。

     消費税増税に基本的に賛成の朝日新聞が、申し訳のように、課題や問題点を提示した10月2日付けの「社説」を掲載しています。そうした懸念材料がどうにかなる見通しもないままの、増税ありきがどうなのか、この時期の増税なのか、ということが問題のはずですが、どうもその視点が見えません。その朝日が、さらに申し訳のように、向いのオピニオン面「耕論」で、懸念論の二人の識者を登場させています。

     その一人、自立サポートセンター「もやい」の稲葉剛理事長の発言は、こんな印象的な言葉で締めくくられています。

      「安倍首相は東京電力福島第一原発の汚染水を巡り、『状況はコントロールされている』と発言しました。現実とかけ離れているのに、あまり問題視されていない。国を信じてはいないが上手にだまされるならいい、という空気が蔓延しているように思えてなりません。それは現実逃避です」
      「消費税であれ、社会保障や労働政策であれ、政府はこう言うが、事実は違うと突き付ける。一人ひとりが『私は困っている』という声を上げないと社会はよくなりません」

     だまされかねない大衆に本当の現実を伝え、「困っている」という声を上げる側、上げたくても上げられない側の先頭に立ってもらう存在としては、もはや弁護士・会は必要ないのかどうか、そこを考える必要があるように思います。


    ただいま、「今、必要とされる弁護士」「弁護士の競争による『淘汰』」についてもご意見募集中!
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    「採算があわず、かつ面倒な事件だが誰かがやらないといけない事件」とは?

    >「人権活動家派弁護士に殆ど押し付けている」
    >「採算があわず、かつ面倒な事件だが誰かがやらないといけない事件」

    を具体的にできる限り多く列挙していただけますようお願い致します。

    おそらく弁護士の「公益性」,会費の多寡,最終的には強制加入制度の適否についてまで,
    有意義な議論ができるのではないかと思います。

    No title

    フリーライダーと比べて、人権活動は弁護士がマスコミの批判の対象というのは違うでしょう。
    フリーライダーって要するに、他の人が勝ち取ったクレサラやB型肝炎の判例に便乗して、あたかも自分が第一人者であるかのようにマスコミに広告料を払って吹聴するサルのことですよね?
    そんなの弁護士以前の軽蔑の対象であって、ここで問題にしているのは、人権活動こそが弁護士の本分だと「手弁当」であることに殊更の意義を認めて、自分が成仏したいならともかく、他人にも成仏を強いる弁護士の信条は「信教の自由」によって保護される宗教活動にしても、他の人の生活優先の考え方を認めない排他的な信仰であることに問題があるということです。

    No title

    「人権活動派弁護士」の方々は、「フリーライダー」弁護士を蔑視しており、
    自分たちが「採算があわず、かつ面倒な事件だが誰かがやらないといけない事件」 を
    頑張っているから、弁護士の社会的地位が尊重され、「市民」が支持してくれているのだ
    と勘違いしているのでしょうね。

    「人権活動派弁護士」の時代遅れの姿勢こそが、
    弁護士の社会的地位を貶め、世論やマスコミから攻撃される原因となっていることを
    自覚するべきです。

    No title

    >「人権活動家派弁護士に殆ど押し付けている」
    >「採算があわず、かつ面倒な事件だが誰かがやらないといけない事件」
    を具体的にできる限り多く列挙していただけると議論が面白いものになると思います。

    呼称を「左翼弁護士」とするか「人権活動派弁護士」とするかはともかく、
    そういった方々が、かかる活動を行わない弁護士を「フリーライダー」と蔑視しており、
    両者の間に埋められない深い溝があることがうかがえ、興味深いですね。

    No title

    >採算があわず、かつ面倒な事件だが誰かがやらないといけない事件

    この部分にあなたの価値観が入っているとは思わないのですか?

    職業従事者を専念させるには、その専念させる時間の分の生活保障をしてこそ「誰かがやらないといけない」事件たりうるのではないのですか?
    面倒かどうかは個人の主観でしょうが、日数を要するなら、日数を要するだけの生活保障がいるのも事実です。
    誰も、儲けたいなどという理由で金額提示している訳ではないでしょう。生活を犠牲にしてまで依頼を受けるのは不可能だという事実に目をつむるのは辞めろと言っているだけです。

    あなたのいう人権活動弁護士ですが、日常的に請求する弁護士報酬は、それこそ平均的な弁護士のそれよりもはるかに高いですよ。
    自分達は人権の擁護のために非採算性の活動もするので、その費用をも捻出するために、資力のある依頼者にはふっかけても正義のために許されると考えている弁護士が多いのではないですかね?

    それがあなたの言う、資産家からの富の再配分なんですか?
    私にはきわめて不誠実な態度にしか聞こえませんが。

    No title

    > 弁護士に「公益性」があるとすれば,それは単に,
    司法の一翼を担っているということのみに尽きると思います。

    それではただの同語反復ですね。

    司法の一翼を担っていることがなぜ公益的なのか、それが問題なのです。

    司法の一翼だろうが何だろうが、その業務が十分に食っていける性質のものなのであれば、その業務を「公益」だといって保護する必要などないのです。ほっといても従事者は参入してくるのだから。

    根本的な問題は、採算があわず、かつ面倒な事件だが誰かがやらないといけない事件を、人権活動家派弁護士に殆ど押し付けているにも関わらず、彼らを「左翼」などと罵り、会費が高いだの文句を言う一方で、自らは十分な利益が確保される事件に邁進するフリーライダー弁護士が、その市場での寡占性を維持するために「司法の一翼を担っていることが弁護士の公益性だ。」と強弁して、その保護を求めようとする姿勢です。

    司法の一翼を担っていることそれ自体を公益性だという弁護士が増加してきている今、弁護士界はその公益性を自ら否定したのと同じでしょう。

    あと人権活動家的弁護士のことを「左翼」とよんで蔑視し、その主張を頭ごなしに否定するのはやめた方がよいです。いわゆる左翼の思想に問題があるのは私も同意見ですが、保守や資本主義がすべて正しいわけでもない。重要なのは、問題点の把握とそれを解決するのにもっとも適した最適解を求めることです。形式論に終始するのは不毛で、感情の対立を招くだけです。

    No title

    なんか先日も人権擁護大会で、所得の再配分のための税と政策に関する決議とかいう政治色のきわめて濃い決議を画期的とか言っている左翼が居ましたね。

    No title

    >私は、弁護士の公益性は、
    >個別具体的な紛争解決というサービスの場面における、
    >弁護士による、富裕層から貧困層への所得移転にあると常々考えていました。

    こういう考え方こそが,
    個々の弁護士から余計な会費を吸い上げ,
    弁護士会幹部の趣味的な左翼活動に充てることの根拠となっていたのですね。

    弁護士に「公益性」があるとすれば,それは単に,
    司法の一翼を担っているということのみに尽きると思います。

    そうだとすれば,弁護士が果たすべき「公益」的な活動とは,
    違法な行為を助長せず,裁判実務を停滞させない,ということで足りる筈です。

    また,上記のような考え方に立つとしても,
    「富裕層」が激減し,弁護士が「富裕層」から十分な収入を得られなくなった現在,
    弁護士が「貧困層」におもねる根拠は失われるといえるでしょう。

    何らの力もない一民間事業者に過ぎない弁護士に対して
    過剰な負担を背負い込ませるのは,もういい加減にしてほしいものです。

    No title

    > 弁護士の公益性などというものを強調する奴は間抜けです。

    なぜ間抜けなのでしょうか?結論だけ述べずに論証しましょう。

    No title

    社会的弱者というのは、70万円以下の所得が全体の4分の1以上を占める弁護士のことですよね。
    弁護士の側に立つ弁護士って何ですか?

    No title

    弁護士の公益性などというものを強調する奴は間抜けです。

    No title

    > 利益を得ることで、生活を確保し、顧客に損失を与えても自分が利益を得るなどということがないようにするのが唯一の公益性です。

    それを公益というなら、反社以外の者は全て公益ですね。そんなのは公益とは言いません。

    > 弁護士の公益性などというものは存在しません。

    公益性がないといいながら、「唯一の公益性」などと言う。論理が破たんしている。

    > 弁護士は営利事業者です。

    営利事業者であることと公益性を実現することは両立します。

    株式会社が行う、非営利の慈善事業は公益性がないとでも言うのでしょうか。

    No title

    弁護士の公益性などというものは存在しません。
    弁護士は営利事業者です。
    利益を得ることで、生活を確保し、顧客に損失を与えても自分が利益を得るなどということがないようにするのが唯一の公益性です。

    No title

    > 積極的に「社会的弱者」の側につく存在であってほしい、財力や権力がない側にも見方になってくれる存在であってほしい、と。

    弁護士の公益性はほぼこの点に尽きると思います。「法的サービスを金で買える」裕福な者は私費で買えば良いのですから、富裕層への弁護士による法的サービスに公益性を見出す必要はないのは当然のことのように思います。

    私は、弁護士の公益性は、個別具体的な紛争解決というサービスの場面における、弁護士による、富裕層から貧困層への所得移転にあると常々考えていました。

    ところが今回の司法制度改革は、弁護士にコスト削減を強いることで貧困層への所得移転の原資を著しく減少させてしまった、しかもそれを煽ったのは、弁護士を叩くことで自らの存在意義を誇示するマスコミ、新たな利権を創出することで利益を得る大学の教員、弁護士という権力的存在が単に嫌いなだけのエセ知識人、そしてこれまで貧困層への所得移転の原資を拠出させられていた富裕層たちです。そこに弁護士による公益性の受益者であった貧困層の声は全くありません。

    唯一、それを代弁しようとしたのが弁護士(会)でしたが、それも「業界エゴ」というレッテルを貼られて悪者扱いされてしまい、代弁もできなくなってしまった。ここに敗因の一つがあるように思えてなりません。

    No title

    どんなきれいごとを言っても、弁護士は必要とされていない。弁護士会など必要とされていない。
    それが現実です。
    社会的弱者のための弁護士なんて成仏するためのお題目でしょう。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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