「常識にかなった対応」ができない現実

     紛争のなかで、既に弁護士を付けた相手当事者と対峙している市民の関心が、少しでもその相手側弁護士より有能・優秀な弁護士を見つけることに傾くことは、当然のことです。ただ、だからといって、相手側弁護士がこちらよりも、少しでも有能・優秀でないことが、当事者にとってよい結果をもたらすのかといえば、そうとは限らないといわなければなりません。

     むしろ、多くの弁護士は、市民が考えている以上に、このことを意識していると感じます。つまり、相手側が一定のレベルの弁護士の方が、和解を含めてスムーズな解決が導きやすい。逆にいえば、そうではない相手だと、解決へのテンポが悪くなる。

     具体的には、紛争の落とし所、妥当な解決点を理解できない相手が、えんえんと無理筋の主張をする、あるいは挙げた手を降ろそうとしない、さらに、当然依頼者を説得しなければならない局面でそれをしない、ということがいわれます。

     それなりの経験がある弁護士の多くは、早い段階で対峙している相手側弁護士の能力を見抜きます。それよって、緊張感を高める人もいますし、ケースによってはそれも当然といえるものもありますが、むしろ、そのことで解決への見通しが立つという見方をする場合もあるのです。こちら側の当然の言い分を、先方が認め、あるいは無理筋の主張は時間の無駄と考え、相手側当事者に、的確に説得してくれるのであれば、それはそれでこちらとして有り難い話です。法律家からみても、「常識にかなった対応」ということになります。

     もちろん、裁判ということであれば、最終決定者は裁判官ですから、弁護士の優劣があった方がいい、というとらえ方もできなくありません。ただ、これもよく言われることですが、裁判官次第という現実もあります。どんな裁判官が出てくるか、それこそ運次第といえることで、結論が違う形になることがあるのも、弁護士は分かっています。この辺は、一般市民の感覚と大分違うことを感じます。ある程度の「勝ち」の感触を持つ案件でも、どんな裁判官が出てくるかによる、ということが、依頼者に打ち明けるか否かはともかく、弁護士側の本音としてはあるといっていいと思います。

     つまり、これはどういうことかといえば、弁護士にしても、裁判官にしても、あるレベルが確保されていること、いわば粒ぞろいであることが、依頼者・市民にとっては、一番有り難いということです。いくらこちらが優秀な弁護士をつければいいといっても、相手がいる紛争解決、最終判断が裁判所にある裁判では、レベルが確保されていなければ、本当に妥当な解決にたどりつけなくなる可能性が高くなってしまうのです。

     いま、弁護士の「質」という問題に絡んで、実はこのことが弁護士の口から、以前よりも、よく聞かれるようになっています。つまり、これまでのような法律実務家として「常識にかなった対応」が相手側弁護士によってできないという話です。無理筋の主張を掲げ、和解に応じない、と。「質」の問題は、今、裁判官よりも、圧倒的に弁護士についていわれているといっていいと思います。

     さらに、「常識」という点で首を傾げたくなるものもあるようです。性犯罪者の被害者の親に直接示談を申し入れた相手側弁護士に配慮不足と弁護士を通すよう抗議したところ、殴り書きの反論書を送りつけてきた若手弁護士に目を疑ったというベテランの話を日本経済新聞(7月1日付け朝刊「法曹誤算・下」)が取り上げ話題となりましたが、この手の話は近年、よく耳にするような印象があります。

     背景には、弁護士と依頼者との関係が変わってきている、ということがあるようです。以前から書いたように、依頼者に従順で、かつてならばあり得ない無理筋な主張でもなぞったように掲げてくる傾向、それが弁護士側の説得ということに関する能力的問題と意識の問題で生じている。その一方で、弁護士の数が増え、いわば「敷居が低く」なるほどに、依頼者の無理な要求も強まっている。弁護士側も、経済的な窮状のなかで仕事欲しさにそれに応じる。もちろん、無理筋だろうと依頼者の意向だ、裁判所の最終判断で納得させればいいだけ、というとらえ方が弁護士のなかにはあり、この辺の対応は、一様には語れませんが、今、起きていることが、そういう従来からある発想だけで語りきれることなのかどうかでは、弁護士の間でも意見の分かれるところです(「『従順』弁護士の登場」 「『和解』困難化の事情」)。

     無理筋な主張を弁護士に持ち込みやすくなるなかで、言いがかりに加担する弁護士が増え、それに対して、こちらが弁護士を付けても、これまでのような「常識にかなった対応」ができない――。「質の低下」というテーマになると、それを「改革」の影響と断定することに、多くの弁護士は、依然、慎重です。しかし、「常識にかなった対応」をしようとする弁護士の肌感覚としてささやかれる「変化」が何を意味し、それが最終的にわれわれ市民にどういう環境をもたらすものなのかに、むしろわれわれが注目する必要があります。


    ただいま、「弁護士の質」「今、必要される弁護士」についてもご意見募集中!
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    No title

    この記事に激しく同意しますが、業界外の方にはわかりにくいと思うので、コメント差し上げます。

    最近、若手・中堅に限らず、「依頼人のためにどこまでやれるかが勝負だ!」と宣言する弁護士が多い。しかし、そう標榜する弁護士はたんなるアホです。

    第一に、依頼人の要求は千差万別。もちろん法的根拠がある要求なら従うけど、そうでない依頼人は目白押し。独自の感覚で「これを実現しろ」と迫ってきます。それを真正面から受けても実現の可能性はなく(敗訴確定)、弁護士は疲弊するばかり。もちろん依頼人も期待した分だけ失望する。もちろん着手金目当ての厚顔詐欺弁護士なら別でしょうが。

    第二に、法的に裏付のある請求でも、相手の顔や生活を潰してしまうような解決はすわりが悪い。こういうと弁護士が楽をしようとしているのではないかと疑われそうだが、そうではありません。たとえば、『人の恨みを買うことのリスク』を計算しなければならないからです。弁護士がリスク管理のプロなら、依頼人の全身状態や予後を考えてオペレーションするのは当然です。

    第三に、そうなら、弁護士は、その場しのぎではなく、トラブルの根治や5年・10年先のQOLを考えて、本当の依頼人の利益を示し、依頼人を説得しなければならない。たとえ、一時的に依頼人の不興を招くことがあっても、真に依頼人のことを考えて懇切に説明すれば、依頼人もきっと納得してくれるはずです。

    しかし、このように事件処理できる弁護士は確実に減りつつあります。
    ひとつには、目先の事件を得て生計を維持しなければならないからであり、ふたつには、そうした作業を行うトレーニング(OJT)を受けていないからです。
    この現象が進行するに従い、収束困難な紛争(法律家のふりをしたガキの喧嘩)が増え、その不利益は依頼人(国民)に跳ね返るに違いありません。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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