「取り戻す」といわれた「改革」

     参院選を前に、なにやら「取り戻す」というメッセージを連呼している政治家がいます。一体、誰のために、何から何を取り戻そうという話なのか、は、当然、有権者としては問わなければいけないところですが、一方で、この言葉には、そうした肝心な点を明らかにしないままに、国民の期待感を煽るようなところがあるように思います。

     とにかく、何かを「取り戻してくれる」という、失地回復への期待。われわれ、国民の手に、失われた日本、戻してもらいたい過去が帰って来るような、そんな言葉のイメージを、使う側はよく分かって使っているはずです。そうであれば、なおさらのこと、前記したような問いかけを何度でもしなければなりません。

     実は、今回の司法改革をめぐっても、かつて、この「取り戻す」という言葉が、さかんに言われたことがありました。

      「司法を市民の手に取り戻す」

     経済界側が推進しようとしている「規制緩和型司法改革」に対して、「市民の司法型司法改革」を提唱した日弁連内の推進派が言ったものです(「同床異夢的『改革』の結末」)。最近、古い資料を読み返していたらば、久々にこの言葉を目にすることになりました。2001年5月29日に開かれた「5・29裁判があるさ」シンポジウムでの、中坊公平弁護士(当時)の講演録(「法律時報」増刊、「シリーズ司法改革Ⅲ」)です。

     中坊弁護士こそ、おそらく、前記の言葉を最も中心となって発した人物だろうと思います。その彼が、自らも委員として参加した司法制度改革審議会が最終意見を発表する直前に、司法審と「改革」の狙いについて言及した講演でした。そこで彼は、前記言葉を次のような文脈で使っていました。

      「日本の司法・裁判をどのように変えなければならないのでしょうか。私は、一言で言いますと、日本の司法や裁判というものを、主として官僚、あるいは私たち弁護士を含めて法曹というものが独占していた状態から、これを市民の手に取り戻すことであると思うのです」

     この表現が、こと司法という場面で使われることに、率直に奇異な感じを持たれる方もいると思います。「取り戻す」といっても、もともと司法は「市民」が独占するといったようなものではなく、法曹三者という国民の税金で養成されたプロへ、一定の信頼のもとに託していたのではないか、と。信頼に足る存在でないのであれば、彼ら自身が変わることは必要であっても、それがなぜ「取り戻す」という表現になるのか――。

     中坊弁護士が、どんな描き方をしていたのかが分かる下りがあります。彼はこの後、現状について彼が繰り返し唱え、その後も推進論者が連呼することになる、わが国司法の極端な機能不全をいう「二割司法」と、泣き寝入りや暴力が跋扈する社会を「改革」の必要性と結び付けて述べたうえで、こう言います。

      「私は、二割司法の二重構造ということも言いました。すなわち、司法島が荒れていて、小さい島であるのに、どうにもこうにもその島自身で自己改革することができない。かといって外に助けを求めようにも、国民との間の距離が遠いので、結局、国民のみなさんが主権者として助けに行こうにも行けない。このような状況下にあるのではないかというふうに考えたわけです」

     平易な表現で話されてはいますが、言っていること自体が一般に分かり易いかといえば、そうでもないように感じます。しかし、実はこのことは、少なくとも当時の弁護士たちには、それなりの説得力をもって受けとられるものがあったというべきかもしれません。要は何をいっているかといえば、市民の当事者意識によって、司法を変える、ということです。弁護士会が長年掲げてきた、司法官僚制の打破の糸口をここに見出した人もいれば、もっと事件数が増える自分たちに豊かな未来を想像した人もいたかもしれませんが、いずれにしても、市民が「司法」を見直すことで、変わる。つまりは、「取り戻す」という、当事者の期待を煽る表現を用いながら、むしろ、多分に期待されていたのは、市民の側のようにとれるのです。

     彼は、この後、不思議なことを言っています。多数決原理は必ずしも正しくなく、民主社会の暴走、熱狂に対する歯止めとしての司法の役割を、ナチス台頭まで引き合いに出して指摘しているのです。彼は司法の役割の重要性を言いたいがあまり、ここに言及したのは分かりますが、そうであればこそ、司法は多数派の民意からも超然とした、独立した存在でなければならないことが強調されるべきで、多数派市民が、司法を「取り戻す」話とは、遠くなる、見方によっては、矛盾する話になります。

     これらのことで何が分かるのか、あるいは何を象徴しているのか、といえば、結局は、「市民の司法型」といっても、それは推進する側が規定したことだった、ということではないかと思います。市民が求めたものではなかったという、決定的な事実は、「二割司法」という極端な現実が存在していないにもかかわらず、推進する側によって規定され、それによって進められた弁護士の激増政策が破綻したことで、より明確になりました。

     たとえ司法に対する改善の要望があっても、市民の側はおカネを新たに投入したり、自らがコミットすることで「改革」しなければならない対象と感じていたわけではなかった。まして、税金まで払い、一定のプロの信頼のもとに託していた事実を、まさか「統治客体意識」といった「お任せ」批判の対象にされていることに、多くの市民は実感がなかったし、今、現在もないというべきです。

     彼は、この講演で、もう一つ、重要なことを言っています。司法審は、その審議のあり方として、三つのことを考えた、それは情報公開、全会一致に加え、一番目に考えたことは次のようなことだったとしています。

      「一つ目は理念先行型、いわゆる21世紀の司法はどうあらねばならないか、先ほども言いましたように、どう変わるのかではなく、どう変えねばならないのかをまずもって明らかにしようということです」

      「理念先行型」という表現は、いまや司法審の「改革」路線を批判するために使われる言葉ですが、実は彼ら自身がむしろ自覚的に「理念先行でいこう」と考えていたというのです。その理念のなかに、むしろ市民ではなく、彼らの期待が込められた。その結果こそが、いまの「改革」の現状といってもいいと思います。

     司法改革でいわれた「取り戻す」は、前記したように、冒頭の政治家の用法よりも無理がある表現だったようにも思いますが、いずにしても、この言葉の先にあるものが、本当に誰のためのものなのかは、やはりよくよくにらまなければなりません。


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    佐藤幸治『日本国憲法』は受験時代の基本書で、1冊目をぼろぼろになるまで読み込み、2冊目を買ったほどです。なかでも、「司法権は自由主義の担い手であり、民主主義と一定の距離を置くべきである」との考えには“目からうろこ”の感覚を覚えました。ですから、口述試験(当時は三軒茶屋で行われました)で試験委員だった佐藤幸治から直接質問を受けたときには、ひたすら感動しました。
    しかし、その後、佐藤幸治がやったことは、中坊と同じく「司法を市民の手に」でした。これは彼の理論からすれば完全に矛盾している。私は、この2人に激しく失望し、同時に「司法制度改革の失敗」を確信しました。
    現代の錯綜した社会で何らかの枠組変更(改革?)をしようとすれば、どのような分野であれ、対立当事者が現われて「抵抗勢力」となります。したがって、対立当事者をごまかす抽象的な概念または理念が必要になるのであり、この2人が、その理論操作に優れていたことは否定できません。
    しかし、その根底に流れているのは、彼ら自身の自己顕示欲です。
    おそらく、司法試験に合格していない佐藤幸治には、教え子たちが次々と実務家デビューしていくことへの嫉妬と、芦部を超えたいという名誉欲が作用したでしょうし、中坊公平についても、京大の劣等生時代に培われた反発精神と親父(京都弁護士会)を超えたいという衝動が「改革」に走らせたものと想像できます。
    しかし、もっとも残念なのは、彼らが真に国民の利益を考えていたわけではなかったことです。かりに国民の利益を最優先するなら、米国のロースクールの惨状を分析し、弁護士を量産することがどれだけの不利益を国民(法曹志望者を含む)にもたらすかを検討し、退却の道を準備しておかなければなりませんでした。
    今では、「A級戦犯」ないし「最低の人間」という以外、彼らに対する評価の言葉がありません。

    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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