都合がいい「法務博士」の行方

     「淘汰」という言葉は、どうも数の見通しが外れたときには、とても都合のいい言葉のようです。

     これまでも書いてきたように、弁護士の増員に対する慎重論をはねのけようとする人たちは、よくこの言葉を使います。増員をめぐる現在の世論状況について、もちろん彼らは、今となっては「想定内」のような顔で、この言葉を使いますが、本当はどうか分かりません。

     それでも、「『淘汰』にあずければいいのだよ」といえば筋が通る、というお考えですから、「丸投げ」的なこの言葉は彼らには都合がいいでしょう。そして、これも何度もいうように、「想定内」であるのならば、今の就職難、経済難という話も、この言葉の前にすっ飛びます。なぜなら、それこそが「淘汰」のプロセスだからです。実に都合がいい。

     そして、どうもこのマジックワードは、乱立した法科大学院にも使われるようです。「詐欺的」と批判されている「7、8割合格」に対する、当局および関係者の「公式」な弁明は、乱立した法科大学院の数が予想値を超えたことにある、というものです。

     「数」の誤算は、競争で「淘汰」され、良質なものが残るという方法にゆだねる。「社会はみんなそうしているでしょ」といえば、「確かに」というような話にもなりますので、都合がいい話です。

     そして、もう一つ都合のいい話にできないかとの関係者の思惑が見え隠れするのが、「法務博士」の扱いです。この法科大学院制度創設で設けられた学位の価値を上げられないか、というものです。修了「7、8割合格」の化けの皮がはがれ、5年以内3回の受験回数制限で、法曹になれない人たちを「法務博士」として社会が受け入れれば問題はないじゃないか、と。

     ただ彼らの救済策のようにいわれるこの案は、実は法科大学院の救済策です。法科大学院に時間とおカネをかけたことは無駄ではない、ということになり、前記「詐欺的」の汚名も返上できるのではないか、ということでもあるからです。しかも、「法務博士」の、いわば実績に対する社会的評価が形成されていない状況で、「有効活用」をいう無理が、いかにも苦しい言い方です。

     そもそも、この論は、法科大学院に入った人間の意思を全くかえりみていないものです。彼らの大部分は法曹を志して入学していることは間違いありません。もちろん、何度でも受験機会を与えられたい人もいます。

     これは、実は前記した「淘汰」の問題ともつながっています。法科大学院は専門職大学院です。高度専門職業人の養成を目指す場なのですから、当然、そうした職業人が誕生してこその成果という見方はできます。教養を身につけたり、学問的研究が成果とはいえません。

     「点からプロセス」の新法曹養成でも、新司法試験という「点」が残っている以上、それを念頭に置くのも前記目的からすれば、当然の結果。法科大学院の指導現場から、どこまでが許されざる「受験指導」で、どこまでが許されるトレーニングなのか、戸惑う話がいまだに聞こえてくるのも、専門職大学院の宿命からすれば、建て前と現実のはざまの苦悩ということで説明のつく話になります。

     「淘汰」の過程で現実的に法科大学院に期待されてしまうことと、「法務博士」活用の話には少々ズレがあります。

     もちろん社会が本当に「法務博士」を、その能力を買って、現実に広く受け入れるというのであれば、状況が変わるという見方ができないわけではありません。

     ただ、それに対しては、修了者の中に悲観的な見方が強くあります。3回の受験で失敗した修了者を揶揄する言葉に「三振博士」というものがあるそうです。

     いくらでもチャレンジはしたい修了者の現状では法曹断念の「法務博士」は、事実上ほとんどがこの言葉の対象になってしまうわけですが、彼らからすれば「法務博士」は法科大学院修了の能力の証であるというより、三回チャレンジしても法曹になれなかった証ととられる懸念があります。また、現実に採用する企業側が、そう解釈する可能性が低いとはいえない現実もあります。

     別の回で書きましたが、今、にわかに弁護士会の中で議論になっている日弁連の法曹養成検討会議が作成し、今月の理事会に諮られる予定の「法曹養成制度の改善に関する緊急提言(案)」では、この受験回数制限を3回から5回に緩和する提案をしているものの、「合理性を有するものであり、今後も維持されるべきもの」としているようです。

     「三振博士」という汚名はなくしても、結局、「法務博士」でなんとかしてもらう、という見通しなき都合のいい話の方に近い立場のようにも見えます。「あきらめてもらうのも必要」「受からないのもまた自己責任」。そうした意見がすかさず受験制限容認の方から出てきそうですが、都合のいい話の上塗りのようにも見えてしまいます。

     「法務博士」活用論が、修了者のためというより、法科大学院制度の価値を下げないための都合がいい話に見えてしまう時、そもそも大学運営という別の要素を引きずる機関に法曹養成を預けることについて、もう少し丁寧な議論が必要だったのではないか、と思えてしまいます。

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事





    コメントの投稿

    非公開コメント

    たとえご都合主義でも

     確かに法務博士の活用は法科大学院制度維持のためなのかもしれません。でも、法曹への道を閉ざされた多くの法務博士にとっては、どんな形であれ活用してくれるというのならありがたい話です。

     合格率25%で5年3回しか受験できないというのは過酷過ぎる状況です。また、ロースクール終了という要件はたった3回の受験資格を得るためのものとしては過大すぎます。「法科大学院なんて簡単に修了できる」という人もいますが、現実を知らないというべきです(厳しい成績評価が行われ、一つの単位を落とすだけで1年留年ということにもなる)。

     ほとんどの人が無視していますが、多くの法務博士は苦境に陥っています(長大な学歴がかえってマイナスに作用することも多い)。「全て自己責任」で切り捨てられては、現状ではあまりにもひどい。ロースクール修了はそれ自体きちんと評価されるべきであり、彼らを法曹のサポートや調停の補助などに活用していくべきだと思います。今のままでは法務博士たち個人にとっても社会全体にとっても無駄が多すぎます。

    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR