「和解」困難化の事情

     紛争解決に当たり、弁護士が一番苦労するのは、依頼者の説得であるということを、「弁護士の心労」というタイトルで、小野智彦弁護士が最近の自身のブロクで書いていらっしゃいます。和解という、いわば落とし所を、専門家として見極めた双方の弁護士が、回れ右して、それぞれ依頼者の説得を試みる局面。諦めの説得にならざるを得ないこの局面は、その提案の妥当性や、その紛争で当事者が抱えている現実によるとはいえ、弁護士に対する失望や、さらには、妥協が生まれる双方弁護士の関係への疑念につながりかねない場面であることは以前も書きました(「『弁護士次第』という疑念と誤解」)。

     ところで、この小野弁護士のブログエントリーには、次のような気になる一文が出てきます。

      「ひと昔前と比べると、代理人同士の信頼関係が薄れてきたこと、依頼者が弁護士のアドバイスを容易く受け入れないようになってきたこと、これらにより、圧倒的に和解率が下がってきて、無用な裁判が増えてきたという実感が、私のみならずある程度の経験のある弁護士の共通の実感だと思います」

     これが意味することは、どういうことでしょうか。「代理人同士の信頼関係」というのは、前記したような依頼者が双方弁護士の関係に抱く疑念の裏返しの話で、信頼関係はむしろ交渉や和解をスムーズに進める、当事者にとってのメリットもある、という、弁護士からはよく聞かれる主張につながっています。その関係性が薄まっている。その一方で、依頼者が以前よりも説得に応じなくなっている、ということのようにとれます。そのために和解が困難になり、「無用な裁判」が増えている、と。

     実は、これは、小野弁護士が指摘するように、ここ数年、多くの弁護士から聞かれ、まさに「共通の実感」ではないかということを、まさに実感している点なのです。問題はなぜ、こういうことになっているのかです。

     端的に言って、ここから推察できることを羅列すれば、弁護士増員政策の影響ととれる、弁護士の「質」としての、能力的意識的なバラツキあるいは低下、それによって弁護士の共通言語ともいうべき、共通の法的な判断基準で話し合い、結論を導き出す関係性が崩れてきていること、弁護士の経済的環境の変化とともに表れている、弁護士が過度に依頼者に迎合する傾向、サービス業としての弁護士が認識されるほどに生じている、依頼者の過度な要求の強まり――ということになります(「回避される依頼者の『説得』」 「法律相談無料化の副作用」)。

     小野弁護士は結論として、これらはいすれも弁護士側の問題であり、弁護士側の研鑽によって越えていくべき問題と受けとめています。弁護士側のとらえ方として、能力や意識によって、克服できる面がある以上、そのこと自体は正しいご意見というべきかもしれません。

     ただ、それですべてが変わるのでしょうか。少なくとも現実的にこの傾向に歯止めがかかるのでしょうか。個々の弁護士の努力だけではどうにもならない、弁護士がおかれている環境の問題、その大きな変化をどうしても無視できないように思えます。一番肝心なことは、いうまでもなく、その先に待っているものが、和解の困難化と無用な裁判の増加という、個人にとっても、社会にとっても、大きなマイナスになる現実だということです。この現象を、「改革」の負の影響、あるいは「実害」として見る視点もなければならないように思えるのです。
     

    ただいま、「弁護士の質」「法曹養成制度検討会議の『中間的取りまとめ』」についてもご意見募集中!
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    悩み

    しかし一方で、「無理が通れば道理が引っ込む」・「話が通じない」タイプの弁護士さんが、話聞く限り顧客集めには非常に長けてることも、私の廻りには見られます。

    どういうのがいいんでしょうかねえ。

    No title

    >年配の先生のほうが話の通じない方は圧倒的に多いです。

    無理が通れば,道理が引っ込むみたいな方,いますね。
    ただ,昔はともかく,情報が氾濫・流通している昨今は,事件の筋が読めるので,その手の方が得意とする手法(「徹底抗戦だ」といきまいてのいろんな主張の連発・時間稼ぎ⇒相手方を撹乱・混乱⇒真ん中とって和解とかの戦術)は,通じにくくなって来てはいますよね。

    これは質の低下はあまり関係ないんじゃないですかね。あくまで個人的な体験ですが、年配の先生のほうが話の通じない方は圧倒的に多いです。

    No title

    >あ、余談ですけど、相手方(代理人含む)のレベルが低かったりすると、共通基盤(法律という共通言語)がとれず判決になります。この場合、少なくとも相手方は必要以上に不利な結果になっています(当方は余計に費用がかかる分、無駄になる場合もある)。

    相手方代理人も同じことを思っているかもしれないのですよ。
    こういう上からな発言の人がいるというだけで、和解はムリなんでしょう。
    いいんじゃないですか、判決で。
    裁判官もこう事件数が減ったら暇で仕方ないでしょう。

    No title

    私は和解が困難になるのは双方依頼者にとってあまりメリットはないと思いますけどね。

    理由は簡単、紛争が熾烈化するほど事件番号が増えたりして費用がかかるから。

    もっとも、和解交渉のほうが難しいんですよね。判決なら、言うべきことを主張して出すもの出して裁判所に下駄を預けちゃえばいいので。

    和解は相手方代理人と和解の共通基盤の下慣らしをする必要があり、有利な和解を引き出すために裁判所と心理的駆け引きをする必要があり、事件の筋を早期に読む必要があり、とても難しいんですけどね(自分でもなかなか合格点が出ません)。

    ちなみに、裁判所は和解を好む傾向があるから、判決を貰う場合でも相手方に和解をけらせる展開に持ち込むほうが裁判所が心証を開示せざるを得なくなり有利なんですけどね。

    あ、余談ですけど、相手方(代理人含む)のレベルが低かったりすると、共通基盤(法律という共通言語)がとれず判決になります。この場合、少なくとも相手方は必要以上に不利な結果になっています(当方は余計に費用がかかる分、無駄になる場合もある)。

    単純に

    >司法の裁定を受けたいという希望にも

    依頼者はもっと単純に、自分の利益を第一に考えてますよ、当然ですが。
    司法の裁定を~ とかじゃなくて、
    「俺の主張を、弁護士は見通しが厳しいと言ってるが、裁判官様ならきっと俺の考える正義をすべて認めてくれて、遠山の金さんみたく相手方を断罪してくれるんじゃないか」 という淡い希望を抱いているのでは。

    >訴訟経済という言葉があるが、依頼者からすればクソ喰らえだろう。

    裁判所側から見た場合の「訴訟経済」の話は誰もしてないのでは。
    依頼者にとっても、訴訟遂行は相当なお金と時間と手間、心労を伴うものなのですが。

    No title

    どうなんでしょう。
    近時の弁護士の経済的な問題が和解の妨げになっているのではないかと思われるケースを最近見聞きします。

    例えば,家賃を滞納して明け渡しを求める事案。
    お金がないから滞納しているので,滞納家賃の回収可能性はゼロです。
    家主としては,さっさと明け渡してもらって,別の人に貸したい。

    ここで,なぜか,家主側の代理人が和解を拒否して判決に拘る。徹底して。
    明け渡しの強制執行する際に,また,報酬をとるのか?
    回収可能性のない賃料債権について,でたらめな差し押さえをするために,また,報酬をとるのか?
    なんせ和解して,滞納分の賃料放棄,1ヶ月後明渡しの合意をしてしまうと,これらの報酬が取れないから・・・・・・

    依頼者が,「お金に糸目はつけません。和解の場合かからない強制執行のお金が別途かかっても構いません。明け渡しの強制執行には,最低,100万円はかかりますが,構いません。滞納家賃は,まず回収できませんが,構いません。滞納家賃の回収には,回収の有無にかかわらず弁護士報酬がかかりますが全く構いません。是非,判決を!!!!!」と望んでいるのであれば,別ですが。

    そうではなくて,依頼者を「おいしい金づる」と思ってあえて一回で二度おいしいとでも思って和解をしないのであれば,それは,「司法制度改革万歳」なんでしょうかね。

    No title

    和解ではなく裁判による決着が増えることで、法的な予測可能性がさらに高まることが期待できる。
    弁護士に説得されるにしても、裁判例として類似事例があれば、依頼者の納得性が高まる。

    そもそも、裁判を無用な争い、という位置づけにするのは、どうかと思う。
    裁判には終局的な解決を求めるということもあるが、第三者による裁定を得ることによる納得性の観点もある。

    勿論、見通しについて的確に助言する必要が弁護士にはあるし、敗れる可能性があるのであれば、それは適切に伝達し、理解させる必要がある。
    それでもなお、争いたいという依頼者の心情を、無駄な争いとして切り捨てるのは、弁護士が、裁判に慣れっこになっている証左なのかもしれない。

    一般人には、一生に一度あるかないかであるからこそ、司法の裁定を受けたいという希望にもつながる。訴訟経済という言葉が司法の世界にはあるが、そもそも、依頼者などの心情からすれば、そんな言葉は(汚い言葉で恐縮だが)、「クソ喰らえ」だろう。

    No title

    和解が少なくなることは私は基本的には歓迎です。
    弁護士会のロビーで事件が終わるなどというのは依頼者にとってみれば、不透明な話です。
    しかも、そこでは俺様の方が期が上なんだから、というやり方も残念ながら未だに横行していると言っても過言ではありません。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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