新司法試験という「点」が残った理由

     新法曹養成制度を象徴する最も象徴するものとして、法曹界では「点からプロセスへ」という言葉がよく使われてきました。これまでの、一発試験で採用する司法試験(点)をやめて、法科大学院、司法試験、司法修習を連携させた教育(プロセス)に法曹養成のあり方を変えたというものです。

     度々引用している、「改革」のバイブルである政府の司法制度改革審議会が2001年に発表した最終意見書が、まさにこの「点」「プロセス」という表現を使い、改革の方向を示したことによっています。なぜ「プロセス」なのかといえば、端的にいって大学法学部が法学専門教育の場として不十分である一方、司法試験合格のための受験生の予備校依存という現象が、法曹の質確保という意味では問題があるという認識に立ったのです。

     ただ、素朴な疑問を呈する人がいます。「『点』は残っているじゃないか」と。法科大学院という新たな養成過程が出現しても、そのあとにちゃんと新司法試験は残っています。なぜ、「点」は残っているのでしょうか。

     よくいわれているのは、この試験はあくまで法科大学院教育の成果の確認なのだというものです。確かに前記最終意見書の文脈でも、新司法試験が「法科大学院教育を踏まえた」ものであることを挙げ、同教育に比重を置いていることを挙げています。

     また、同意見書には「法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべき」という、のちに受験者から「詐欺的」とまで称されることになる内容の下りがありますが、当初、「7、8割合格」を挙げていることからも、これまでの司法試験のような、いわば「落とす試験」、つまり、ここで大幅にふるいにかけるような形を想定していなかったということも考えられます。

     しかし、かつての一発試験によって、受験技術で鍛えた以上の資質・能力を判定できないのであれば、法科大学院という新たなプロセスができたとしても、その効果を一発の試験で図ることの妥当性が問題にされる余地がないわけではありません。プロセスを強調するならば、現に司法試験がないカナダやオーストラリアのような形を選択するという手もありました。

     ここで「点」が残った理由はいくつか考えられます。一つは法科大学院というプロセスに、そこまで依存させられない、ということ。どこかで統一的にレベルを測る必要があったという見方です。もう一つは、やはり統一的政策的に合格者数の調整ができる「点」を残す必要があったということ。さらに、その前提としてもう一点挙げるならば、「試験」という形での合否が、実は社会的に納得のいく選抜の方法として一定の説得力をもつ可能性があること、です。

     そもそも「点」である「試験」は、所詮断片的な知識の調査(たまたまヤマが当たる可能性)だとか、はたまた受験者自身の本番の弱さや、当日の体調まで挙げれは、果たして本当の実力を図っているのか、といった妥当性の問題は、ある意味、いくらでもいえる余地があります。

     それでも、その「試験」が選ばれているのは、どこかで線を引かねばならない選抜という要素がある場合、一定限度の知識・能力を測る便宜的で、「フェアな方法」として、社会的に合意が得られるという前提があるから、ともいえます。「試験」をパスするという見える「点」を求めるという言い方もできるかもしれません。

     旧司法試験について嫌った「点」という形は、その意味で新司法試験に残ったみることもできます。法科大学院というプロセスに、本当の信頼を置くのであれば、その裁定に預けることもできるわけですが、たとえ「試験」が法科大学院での成果を図りきれるものではないとしても、バラつきが生まれかねない法科大学院の教育と裁定に合否を預けるよりは、これが社会的にフェアな形としてとらえられる可能性がある、という判断をしたことになります。

     既に「7、8割合格」が破綻し、新司法試験が旧試験同様、「落とす試験」と化している現実もありますが、前記したようなことからすれば、やはり両試験自体の性格にどれほどの違いがあるのか、という見方に立つこともできるように思います。

     さて、最近、河健一郎弁護士が書いた「河童の『法曹の質低下』論」という面白い論稿を読みました。新法曹養成制度が法曹の質を低下させたとする論調への懐疑的な見方と、現在の界内論議のあり方への問題を提起した内容です。
     
     その中で、彼は司法研修所の修了試験に当たる「二回試験」(司法修習生考試)の不合格率上昇という事実は、「司法試験合格者の質が低下した」という議論には繋がり得ても、「法曹の質が低下した」という議論に繋がらないはず、なぜなら、二回試験の選別作業が機能しているがゆえに、不合格率が高まった、という論理構造が前提となっているから、というのです。

     その一方で、「二回試験」を資質具備のカットラインとみるならば、同様の論理で既存法曹を対象にした法曹免許更新制も考えられてもいいはずだが、弁護士界内部にそうした声が皆無である点が、「質低下論」が社会全体に対して迫力を持たないことと表裏の関係にある、と分析しています。ただ彼自身は「法曹の価値の本質はそこにない」と免許更新制には反対だそうです。

     しかし、ここでいえることは、逆に前記したような社会的に最も合意が得やすい形が、「試験」自体の限界と切り離されて選択されるのだとすれば、おそらく間違いなく、法曹免許更新制は社会から支持されるだろうということです。

     なぜなら、それはその制度が「法曹の価値の本質」を測り得るものであるかどうかの前に、大衆の目にはもっとも分かりやすく、「フェア」な法曹の「質」担保策としての「点」に映るはずだからです。

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
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