「ともに泣く」「ともに悩む」というメッセージ

      「被害者ともに泣く検察」という言葉があります。検察関係者の方が、あるべき姿として口にするのを度々耳にしてきたように思いますが、個人的には、この言葉を聞くと、故・伊藤栄樹・元検事総長を思い出します。「巨悪を眠らさない」というメッセージとともに、彼が言ったこの言葉は、広く取り上げられたことで、あの時代に、検察というものに対する、ひとつの社会的イメージを形づくったように思えます。

     この言葉は、その後、被害者が置き去りにされる刑事司法の現状とかぶさり、被害者支援という流れに、むしろ検察の背中を押したともとれる一方で、検察の公益意識といった観点から、弁護士の中からは、「被害者ための検察」になる傾向を批判的にとらえる意見も出されました。また、そうした見方が出ることを分かってか、検察関係者のなかには、「いや、検察は同時に被疑者とともにも泣く」という方々も現れました。すべては、この言葉が持つ強いメッセージ性を物語っているように感じます。

      「被疑者とともに泣く弁護士」という言い方は、耳にしません。心情的には成り立つという人もいるかもしれませんが、「泣く」という表現は違うととらえる人が多いようです。前記検察に関しては、被害者の苦しみを一番理解するのは自分たちであるという自負と結び付いていますし、後段の「被疑者とともにも」は、そのなかで、なぜ、こんな犯罪に手を染めたのかにも、検察は精いっぱい耳を貸すのだという強調になります。

     弁護士は、国家権力と対峙し、孤立無援の被疑者に、あるいは唯一寄り添う存在として、「ともに泣く」という表現がふさわしいともいえるような立場、いわば最後の味方として、ともに闘う存在です。ただ、多くの場合、被害者を生んだとされている被疑者とともに、弁護士は社会とも対峙しています。ここに、この表現が、検察と同列に、その存在を示す社会的メッセージとして「通用」しにくい理由もあれば、むしろ暗黙のうち「被疑者とともに泣く」として社会にとらえられていることが、弁護士という存在に対する、誤解を伴った批判につながっている現実もあります。これは、やはり弁護士という仕事の宿命といえば、宿命といえるかもしれません。

     一方で、依頼者との関係について、弁護士としての姿勢のアピールの仕方として、大きく二つのものが見られます。つまりは「ともに」を強調する人と、しない人です。前者は、いうまでもなく、依頼者の意向に親切に耳を貸し、その悩みをわがことのように受けとめて、事案に望みます、という点を強調するもので、普通に考えれば、市民の好感触につながるものです。後者は、そこを強調点とするのではなく、むしろ「独立」した相談者であることのメリットをいうものです。弁護士のなかには、「一緒に悩んではいけない」という心構えを強調する人がいます。適切な解決策を導き出すのには、努めて弁護士は、冷静・客観的立場になる必要がある、というものです。

     現実的には、この二つを区別する意味はないかもしれませんし、ましてどちらが正しいということではないようにも思います。前者の弁護士も、何も後者の役割を犠牲にするようなことをいっているわけではないかもしれませんし、後者も依頼者の立場を理解するということにおいては、「ともに悩む」という表現は適切でなくても、実は前者がいわんとすることは、その前提として実践しているかもしれないからです。

     ただ、これをメッセージとして受け取る依頼者・市民としては、少なくとも二つのことを念頭に置かなければなりません。つまり、後者の言い分の裏返しになりますが、「ともに」を強調する弁護士が、自分の抱えた「悩み」の最善の解決策を模索してくれている存在かどうかです。耳触りのいい、好感触の弁護士が、依頼者にとって、いい弁護士とは限りません。残念ながら、そのイメージで依頼者の気持ちをつないだり、また、依頼者に現実を理解させる、あるいは法的解決の限界について説得する能力がない、もしくはその煩を回避している、という可能性も考える必要があります。

     そして、もう一つは、その逆で、後者の弁護士の姿勢、自分の意見に沿わずに、「現実」を冷静に指摘してくる弁護士、あるいは依頼者にとって、前者のタイプに比べて、はるかに耳触りの悪い、悲観的な材料をいう弁護士、「ともに」を感じない弁護士であっても、その人こそが、現段階で最良の解決に導く人間かもしれない、ということです。

     心構えとして、これを依頼者・市民にいうのは簡単ですが、実際にこの区別は難しい、むしろ難しいのが弁護士と依頼者の関係そのものではないかと思えます。前者は、言い方を変えれば、弁護士という立場の悪用にもなります。心得違いの弁護士が増えれば、弁護士側のイニシアティブで現実化し、時に、その被害に依頼者が気がつかないことさえあり得ます。

      「ともに」という言葉の向こうに、弁護士という仕事が持つ、社会的に誤解される宿命と、危険な存在にもなり得る現実が横たわっているように思えます。弁護士という存在が、この社会でどういう形で確保されるべきか、どういう形で存在することが安全なのか、というテーマがその向こうにあります。


    ただいま、「今、必要とされる弁護士」「弁護士の競争による『淘汰』」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    トラックバック


    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

    依頼者の方を向き、相手方の方を向き、裁判所の方を向き、世間の方を向き、そして依頼者の方を向く

    「ともに泣く」「ともに悩む」というメッセージ(元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記) http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-585.html 「良い弁護士とは何か」ということを、私は常

    コメントの投稿

    非公開コメント

    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR