「負けるべきは負ける」というテーマ 

     花井卓蔵と並び、刑事弁護士界の「巨人」として、歴史にその名をとどめている今村力三郎(1866年-1954年)。彼は、弁護士が受任する事件一般に対する心構えについて、次のように述べています。

      「当初は弁護士は戦って勝てば宜しいと簡単に考へてゐましたが、40歳を越へて後は夫は間違いで、勝つべきに勝ち、敗るべきは敗れるのが正しい。敗るべきに勝てば不正である、勝つべきに敗れるのは恥辱である、と職業意識が一変しました」(「法廷50年」)

     この言葉を自著「私の会った明治の名法曹物語」で紹介した小林俊三弁護士は、「これは弁護士の正に悟入の言葉である。しかし、この境地に達するのは容易なことではあるまい」と評しています。

     ただ、一般大衆の感覚からすれば、この弁護士のスタンスを「悟入」とまで表現すること自体、違和感があってもおかしくありません。つまりは、「当たり前ではないか」と。逆に言えば、「社会正義の実現」を使命として掲げる弁護士が、本来黒のものを白としてでも勝ちにいくように見えてしまうところに、残念ながら、この仕事に対する大衆の不信の種があるともいえなくはありません。

     もっとも、これはあえていえば、弁護士のお世話にならなくて済んでいる一般大衆の、という前提をつけなければならないかもれません。「勝ってなんぼ」が弁護士ニーズとなる依頼者市民の感覚からすれば、常に「勝つべき」側、もしくは「なんとか敗れない」側に自分を導くことこそ、当然に弁護士への期待になるからです。

     実は「負けるべきは負ける」という発想に立つことを表明している弁護士は、ネット上を含め、少なからず存在しています。しかし、今、これを弁護士側が主張しなければならないのは、前記「正義」という観点からだけではありません。以前、書きましたが、これから増加するという見方もある弁護過誤訴訟においては、「負け」を弁護士の「ミス」として問う傾向が強まる可能性もあります(「『弁護過誤訴訟』への期待と不安」)。「負けるべき裁判に負ける」のは弁護士のミスではない、というメッセージは、弁護士・依頼者間トラブルを生まないためにも意味があるということになります。

     依頼者との関係で、このことをどう見るべきかについて、かなり以前に書かれた弁護士のブログがありました(「Singer-Song-Lawyer とは私のことだ」)。「負ける」という客観的な結果に対し、「勝つべき」「負けるべき」が現実的にどこで決定付けられてしまうのかについて、ブログ氏は言います。

      「これは依頼者の主観、つまり依頼時にどういった説明を受けたかによります。依頼時に『勝てる』と説明されていた場合、それは『勝つべき』裁判になってしまいます。だって、依頼者は勝てると思って依頼しているわけですから。『勝てる』と依頼者に説明しておきながら、負けた場合、それは弁護士のミスになりうるというわけです」
      「『勝つべき』ものか『負けるべき』ものかは、多くの事案については、1時間も話をきけば、分かります。少なくとも、何が揃えば勝てる、何が揃わなければ負けるという言い方をすることは可能です。その上で『負けるべき』話である場合(もしくは、××が揃わなければ負けるという話の場合)、その理由をきちんと説明し、それでも納得して依頼された場合、結果として負けたとしても、それは『勝つべき裁判で負けた』ことにはなりません。心情的にはさておき、『負ける』ことも依頼者の納得の領域にあり、信頼関係を損なうことはありません」
      「対して、甘い見通しを立てて、『勝てる』と説明したのに、結果として負けた場合、それは『勝つべき裁判で負けた』ことになってしまいます。信頼関係を損なってしまいます」

     つまり、これは弁護士側の説明能力や依頼者に対する姿勢・心構えの問題だということです。また、依頼者側からすれば、ここをどう対応できるのかは、弁護士の善し悪しを決める基準にもなり得ます。

     また、一方で、依頼者側からすれば、「負ける」と分かっていても、なんらかの抵抗をすることで、支払い減額などの可能性にかけるといった場合もあります。つまり、事情によって、敗訴が予想される被告からの弁護士需要も存在し、それに応えるのも弁護士の当然の仕事ということになります。したがって、的確な見通しのもとに、勝訴しそうな案件を受任する弁護士の勝訴率は当然上がりますが、そうした敗訴が予想される被告側にあえて立った弁護士の敗訴率も必然的に高くなるわけで、敗訴率そのものは、弁護士の無能を意味するものではないということになるのです(「モトケンブログ」『弁護士の敗訴率』)。

     刑事弁護士であった冒頭の今村弁護士の言葉は、もちろん、とりわけ刑事裁判において、たとえ勝てても、「負けるべきは負ける」でなければ不正という「正義」の境地にもとれますが、これも彼の日ごろの言葉とともに、「負けるべき事件に負けるのは弁護士の恥ではない」というメッセージとして、門下の弁護士に伝わっていったととれる形跡もあります(前掲小林弁護士著書)。

     弁護士としては、付きまとうことになる永遠のテーマであると同時に、弁護士と接することになる市民が、念頭においておくべきテーマです。


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    ありがとうございます

    事故防止月間さん

    お読み頂き、ありがとうございます。
    今後とも、よろしくお願い致します。

    はじめまして。

    はじめまして。
    ちょくちょく拝見させて頂いていたのですが、初コメになります。

    私のあんまり良くない頭では難しく、二度・三度と読み返したのですが、
    めっちゃ深い内容ですよね…。
    弁護士の先生にお世話になったことはないのですが、いつなんどき、どのような形でお世話になることがあるかは、分からないので、この言葉は市民である私も、肝に命じておきます。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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