危機打開へ「小異」を捨てるべき時

     弁護士・弁護士会が一般の人が考えるほど、一枚岩ではないということは、これまでも書いてきました。その現実は、マスコミの批判的な論調が大衆にイメージさせるものとも、隔たりがあるように思えます(「弁護士会は一枚岩ではない」 「日弁連・弁護士会批判の不思議」)。

     ただ、むしろ「一枚岩になれない」という事実について、弁護士自身が嘆息するのにもしばしば出会うことがあります。「弁護士はどうもこういう時にまとまりきれない」と。これは、傍からみていると、弁護士という独立した理論的職能であるがゆえに、時に小異にこだわってしまう姿勢のように見えてしまいますが、そういう体質的な現実があることも、実は弁護士自身が一番分かっているようにも思うのです。

     また、そのことが常に悪いともいえません。弁護士が本来法律家として、断固主張すべき小異に目をつぶり、常に情勢論によって、団結するような形は、結局、弁護士が社会的な使命を全うしたことにはならず、弁護士そのものの社会的な立場が、大衆にとって分かりにくくなることだってあります。

     しかし、これも場合によるというべきです。一般の感覚からすれば、この小異にこだわることに今、何の意味があるのか、と思える場合、つまりは、それはあとでも議論できる小異、あるいは人的関係や議論の経緯など、そもそもこだわりどころなのかが分からない点にこだわって、今まとまることを、あたかも「野合」のように受け取っているようにみえる場合もあるのです。

     結局、これも個々の弁護士の感性、価値観、問題意識に由来するとされれば、バラツキは致し方ないことになるわけですが、それもまた、その使命を考えれば、残念に思えることは少なくありません。とりわけ、この国で作られた大きな流れに対して、それが大衆のためにならない「からくり」を見抜いた専門家集団であるならば、マスコミや推進勢力がなんと言おうとも、最後の最後まで主張し、時に団結して「抵抗勢力」となることも、またその使命であると思えるからです。

     法曹人口と法曹養成の危機打開に向けた、弁護士有志による「弁護士1万人による法曹問題に関する提言運動」が開始され、今、全国の弁護士に提言への賛同が呼び掛けられています。FAXで署名を求めていますが、提言の全文は、武本夕香子弁護士のブログに分載されています(「法曹人口と法曹養成の危機打開のための提言」 「同(その2)」)。提言の趣旨は以下の通りです。

     1 司法試験合格者数を適正規模(年間1000人以下)にする。
     2 司法試験の受験資格の制限(法科大学院修了、5年以内3回受験)を撤廃する。
     3 司法修習の前期修習及び給費制を復活させる。

     現在、「改革」がもたらしている現状を直視している方ならば、これがまさに危機回避のための、いわばツボであることは、大方の了解が得られるのではないかと思います。提言は、冒頭で現状について、次のように、その危機を伝えています。

      「弁護士だけを急増させたため弁護士が過当競争に晒され、宣伝と商売上手を競い、職務の適正と独立性を失い、事件漁りや依頼者に従属する傾向を強め、濫訴が増える一方で、公益活動を担う余裕を失い、会内の民主制を形骸化させ、国民の人権を擁護し如何なる権力にも対峙すべく認められた弁護士自治を危機に陥れ、空洞化、無力化させている」

     こうした現実は、ここでもこれまでいろいろな形で書いてきましたが、これらは依然としてマスコミが大衆に喚起していない、極力目を向けさせようとしていない危機です。したがって、今回の運動そのものも、積極的には伝えられない可能性もありますし、あるいはまたぞろ「保身」のための運動のようなレッテルを張るものも、現れるかもしれません。

     しかし、それだけに、今回は、前記危機感を共有できている弁護士は、この提言のもとにまとまれないでしょうか。いうまでもなく、これはいずれ国民につけが回って来る話、それをまだ国民が十分に自覚していない話です。まさに弁護士として小異を捨て、使命感を奮い立たせるべき時のように思います。


    ただいま、「日弁連の『法科大学院制度の改善に関する具体的提言』」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

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    No title

    >人数を規定する意味が分からないですね、一般人としては。
    >質の確保の問題であれば、一定以上の質がある者は合格させればよい=検>定試験化すればよく、人数から絞ったり、底上げしたりする必要はない。
    >毎年同じぐらいの人数を要する、といった人為的操作は不要だと思う。

    私も,そう思います。

    ただ,現状は,例えば,次のとおりです↓
    http://www.moj.go.jp/content/000094771.pdf

    従いまして,「質の確保の問題であれば、一定以上の質がある者は合格させればよい」=「一定の質もない者は,不合格」とすると,3000名はおろか,2000名達成も到底無理かと。

    この点の,本当の問題は,「3000名合格させるはずなのに,2000名程度にとどまっている」ではなく,「質も問わず,2000名も合格させている」ことです。

    ですので,これは,将来の国民が払うことになる(払わざるを得なくなる)のでは,といったことが予想されます。

    そして,誰が,「質の確保されていない弁護士」を掴んでしまうか分からず,その場合は,この国でしばしば用いられる「自己責任」というマジックワードによって解決されることになる可能性が高いことも,問題かなと思っております。

    なお,将来,このような弁護士を掴んでしまった場合,弁護士会に文句をいうのは筋違いで,当該弁護士をロースクールから卒業させた法科大学院,ないし,このような質の確保されていない者を合格させた法務省(国)に対して,文句を言うなり,責任追及されるのが筋かと思われます。
    弁護士会は,ロー・スクールを卒業し,司法試験に合格して,司法修習を受けた者が,弁護士登録を申請した場合,基本的に,拒否できませんので(当該人物が,質が確保されているかどうかは審査されません。できません)。
    この点は,一般の国民・市民の方に,誤解なきよう,弁護士会が,広く宣伝広告された方がいいのでは?,と思っております。

    No title

    >→これは正しい点と違う点があるかと思います。既修者の大半が既に司法試験向け予備校などで知識を吸収してきたという点で学習時間の差がある点を見逃しています。別にローの教育能力を褒めるつもりはありませんが、未修と既修の絶対的な学習時間の差と、そもそも試験指導機関であるわけではないローの性格を考えれば、差が出るのは当然の帰結だと思います。

    >→この点はどうかと思います。合格しない理由は第一番には受験者自身の問題です。大学院なのですから、単純に教えてください、だけの学習をしていれば、当然の帰結だと思います。私は三振者を被害者と見る見方自体が誤っていると思っています。合格できないのは、ただ単に自身が合格レベルに到達しないだけでしょう。
    じゃあ、ローはいらないだろう、という指摘もあるでしょうが、単純に机上の勉強だけではなく、単純に司法試験対策の勉強だけでなく、総合的な法曹教育を目指していたのだから、単純な試験対策などは自身で行うのが当たり前で、それ以外のことを身につける場がローであって、それに加えて試験合格して、初めて単なる試験優秀君ではない法曹人が生まれるのではないかと思います。

    司法改革の目的は,司法制度改革審議会意見書にあります。
    そこでは,未習が原則であるとした上で,こう出てきます。
    「このような観点から、法曹となるべき資質・意欲を持つ者が入学し、厳格な成績評価及び修了認定が行われることを不可欠の前提とした上で、法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が後述する新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきである。厳格な成績評価及び修了認定については、それらの実効性を担保する仕組みを具体的に講じるべきである。」
    http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report/ikensyo/iken-3.html

    よく勘違いされますが,「7~8割受かる。」とはどこにも書いてありません。
    「7~8割受かるような教育をする。」とあるのです。
    それを「合格率は関係ない。」「試験に役に立たなくても知らない。」では話が違うのであり,
    まさに学生が被害者であることを裏付ける無責任な弁解です。

    No title

    >→概ね同意です。ただ、退屈かどうかは、関係ないかと思います。退屈な授業であっても内容があれば、それでいいはずです。無駄な時間、というのも全く意味不明です。試験に直接役に立たない、という意味において使っているのであれば、法曹養成機関ではないと思います。単なる試験予備校でしょう。

    法曹にはコミュニケーション能力が必要,プレゼン力が必要,と言っておきながら,
    ローの授業は内容があればいい,というのでは説得力も何もありません。
    学生の目の前にいるのは反面教師というオチですか。

    例えば,前川清成氏が視察に行った際の様子がこれです。
    4月16日
    「準備もバッチリ、期待も膨らみ、臨んだ法科大学院での授業でしたが、90分の授業のうち、私たちが傍聴した前半45分は「意思表示とは、動機に導かれて、効果意思が発生し、表示意思、表示行為に至る」等と、実務では何ら役に立たない観念論が、あたかも「お経」のように延々と続きました。
     事前に配布されたレジュメは10ページありましたが、45分かかって1ページ進んだだけで、当日のメインディシュであるはずの「錯誤」の論点にまで到達することなく、私たちの傍聴時間は終了しました。
     我々が傍聴しているためか、担当教員は肩に力が入り過ぎて、多分、民法の勉強を始めて、まだ2週間しか経たない学生らには理解できないはずです。
     しかも、六法を開くことは1度もなく、条文に言及することもありません。「民法」の授業なのに。
     何のための「法科大学院」だったのでしょうか。従前の法学部教員の悪いところを凝縮したような、つまりは実務に役立たない、学者のオタク的な関心事項だけを学生に押しつけるような授業だったと言えば、言い過ぎでしょうか。」

    5月21日
    「ところが、未修者コース1年生の公法入門(憲法)の授業を視察しましたが、教員の話は飛びまくり、かつ、何について話しているのかも説明しないまま、「芦部説によると・・・」だとか、そもそも法科大学院以前のレベルです。小学校の先生なら、保護者からのクレームで、必ずクビだと思います。学生は約15人。起きているだけでも立派です。
     法解釈ですから、まずは条文に則して問題点を指摘し、次いで、理由を示した上で結論をハッキリ述べて、その後、事案に当てはめるというのが、法解釈における「三段論法」ですが、その片鱗さえありません。」

    たまたま両方とも中下位ローでしたが,上位でもこういう講師はいるはずです。
    試験にも実務にも役に立たない。本を読んだ方が早い。
    こんなものを司法試験受験資格にするとは,要らない授業の押し売りでしかありません。

    No title

    追記です。

    別に、だからといって、今のローが良くやっている、なんて思っていません。
    擁護するつもりはありません。
    堂々と、試験合格率なんぞ関係ない、やるべき教育をやる、と言い切って欲しい。

    No title

    > 三振者を評価しない「世の中」の中に、建前の当事者である国とロー教授、翼賛者であるマスコミや一部弁護士も、含まれているということが、 彼らの悪辣さを示しています。
    →三振者を評価しないのは当然だと思います。別に悪辣でもなく、客観的に身に着いていないことに対する評価であって、妥当だと思います。三振博士が法曹において評価されないのは当然として、社会としてどのように評価されるかどうかは、三振博士のこれからの活動結果次第でしょう。

    冷たいように聞こえますが、大学院にいって学習することで得たものがない、ただ単に試験勉強だけをするのであれば、単純に法曹くずれ、といった評価にとどまるのは仕方のないことです。

    No title

    > ペーパー試験のみでは測れない,という点に対しては,司法修習で補えているなどの反論があったはずです(『司法改革の失敗』)。
    →それは承知しています。しかし、その司法修習を経た法曹資格者に対する批判ですから、ペーパー試験で十分か?ということに対する批判よりも、どちらかというと状況認識として、コミュニケーション能力などの問題はない、という反論ですね。
    司法修習の時間と内容で十分かどうか、ということに尽きますね。
    それに応じた法科大学院の授業になっているかといえば、上位校ぐらいでしょう。下位校や地方の実態までは知りませんが。

    > 私が忌み嫌うのは,資力がない人が法曹を目指すのに支障をきたしたり,役に立たない授業に対して司法試験受験資格と引換えに高い学費を払わされていたり,法曹志望者が退屈な授業を強制させられて無駄な時間を過ごすことを強いられていたりすることです。
    →概ね同意です。ただ、退屈かどうかは、関係ないかと思います。退屈な授業であっても内容があれば、それでいいはずです。無駄な時間、というのも全く意味不明です。試験に直接役に立たない、という意味において使っているのであれば、法曹養成機関ではないと思います。単なる試験予備校でしょう。

    > 未修者の合格率が極端に低いことは,大学に教育能力などない(そもそも教育して何とかなるものでもない)ことを示しています。
    →これは正しい点と違う点があるかと思います。既修者の大半が既に司法試験向け予備校などで知識を吸収してきたという点で学習時間の差がある点を見逃しています。別にローの教育能力を褒めるつもりはありませんが、未修と既修の絶対的な学習時間の差と、そもそも試験指導機関であるわけではないローの性格を考えれば、差が出るのは当然の帰結だと思います。

    > 未修者制度は三振者製造器となっており,屁理屈を述べ立ててロー制度の弁解をすることは,被害者増加を助長している
    →この点はどうかと思います。合格しない理由は第一番には受験者自身の問題です。大学院なのですから、単純に教えてください、だけの学習をしていれば、当然の帰結だと思います。私は三振者を被害者と見る見方自体が誤っていると思っています。合格できないのは、ただ単に自身が合格レベルに到達しないだけでしょう。
    じゃあ、ローはいらないだろう、という指摘もあるでしょうが、単純に机上の勉強だけではなく、単純に司法試験対策の勉強だけでなく、総合的な法曹教育を目指していたのだから、単純な試験対策などは自身で行うのが当たり前で、それ以外のことを身につける場がローであって、それに加えて試験合格して、初めて単なる試験優秀君ではない法曹人が生まれるのではないかと思います。

    No title

    >屁理屈を述べ立ててロー制度の弁解をすることは,被害者増加を助長

    まあでもとおりすがりさんも、一人別次元の話で絡んでるだけであって、結局現実のロー制度も、その実行者・翼賛者達も不当だと認めてるようですから。


    >三振法務博士という資格が,世の中では何の役にも立たないどころか,スティグマに

    建前では三振者もロー卒である以上、「旧試法曹より能力も人間性も優れた人材」 のはずなんですけどね。
    三振者を評価しない「世の中」の中に、建前の当事者である国とロー教授、翼賛者であるマスコミや一部弁護士も、含まれているということが、
    彼らの悪辣さを示しています。

    No title

    >→私の無知にすぎないのかもしれませんが、司法改革当時の「批判」自体については、そうではない、という主張がされていたとは記憶していません。
    特に私の指摘しているペーパー試験のみでは測れない点があるということについては、全員同意に近い状況だったと思います。(すみません。この点、記憶のみですので、なにか反証あれば助かります。)

    ペーパー試験のみでは測れない,という点に対しては,司法修習で補えているなどの反論があったはずです(『司法改革の失敗』)。

    >なので、従来のペーパー試験だけに戻るということに、法曹養成制度の「制度としての成長」が見られないと思う訳です。

    ロー制度の弊害の方が大きく,成長どころか後退しているならば,ロー制度をやめろとなるのは当然です。現在の司法試験の問題は概ね良好との評価を得ているので,旧司法試験から現在の司法試験におきかえるなどすれば相当な改善といえます。

    >→私が最も忌み嫌うのは、合格者枠を恣意的に変動させることです。

    私が忌み嫌うのは,資力がない人が法曹を目指すのに支障をきたしたり,役に立たない授業に対して司法試験受験資格と引換えに高い学費を払わされていたり,法曹志望者が退屈な授業を強制させられて無駄な時間を過ごすことを強いられていたりすることです。評価を厳格にすればいいというのも机上の空論です。未修者の合格率が極端に低いことは,大学に教育能力などない(そもそも教育して何とかなるものでもない)ことを示しています。単にもともと素養があって自力で勉強した人が合格しているだけの話です。返済不要の奨学金にしても,他の大学や大学院を差し置いてローだけ特別扱いが認められるはずがなく,これも机上の空論に過ぎません。大学教授は普段は机の上で論文を書いたり一方的な授業をしているだけなので,一般にコミュニケーション能力は低く,そのノウハウも持ち合わせていません。司法修習の改善を図った方が現実的なのは明らかです。

    法曹養成制度改革の最も重要な目的の一つは多様化でしたが,そもそも未修者には法学部出身者が多いことに加え,未修者の合格率は極端に低く,何年経ってもその改善の目処は立たず,既に詰んでいます。未修者が原則のはずなのに,「既習者の累積合格率は7割近い。」などと的外れなことを言っている時点で終わってます。未修者制度は三振者製造器となっており,屁理屈を述べ立ててロー制度の弁解をすることは,被害者増加を助長していることをよく考えるべきです。

    No title

    度々失礼。

    > 予備試験者の合格割合をどうするかによってロー制度の崩壊が早まるか,しばらく持ちこたえるかの違いになるかと思います。
    →私が最も忌み嫌うのは、合格者枠を恣意的に変動させることです。一定の能力(一定の知識及び文章による論理的説得能力)に見合った人間は合格させて、その中で優秀な人間が法曹を担っていく、こういったことがあるべきであって、合格枠を変動させることでは、本来合格するべきではない人が合格する可能性もあるし、逆に能力があっても受験者母数によって合格できない不条理が起きます。

    とはいえ、現状のローが淘汰されるのはご指摘のとおり、「無理な制度を人為的に用意しても,世の流れには逆らえない」ということになると思います。
    現状のローは、本来のローとはかけ離れたものだと思っていますので、このような結論自体には、私も同意なのです。


    ようやく、コメント終わりました。長々、失礼しました。

    No title

    連投失礼。

    > 親・小学校で教育してるものを、わざわざ大学院を強制してまで担保しなければならないとする背景事情は、全く答えられないわけですね。
    →専門的な議論としてのコミュニケーション能力です。専門的な知識を元に、法体系に則った議論をすることができる能力で、単なる一般的なコミュニケーション能力とごっちゃにするべきではないと思います。そのような付言をしませんでしたが、当然のことと思っていました。

    > どの批判のことを指してるのか不明ですが、あなたのコミュ能力話と同レベルの、 全く実証を伴わない観念論ばかりでしたよ。
    →特に私の指摘しているペーパー試験のみでは測れない点があるということ、という点が、旧試に戻るだけではクリアできないと思いますので、その点はどうするのかな、と思います。
    勿論、現状のローがそれに対応できているか、というのはNoだと私も思いますので、ローという制度の問題ではなく運用の問題だと思う訳です。

    > 本当に司法改革が正しいと思ってるのであれば、今まで(今後も)ばらまかれた血税を上回るメリットがこの政策にあることや、大増員を叫びながらローに奉仕できない人達の合格枠を大削減した理由について、 堂々と証明・説明できるはずです。
    →無理だと思います。私も現状の血税投入には批判的ですのし、そもそも司法改革の正当性と現状の肯定は論理的に必須ではないと思います。本当に司法改革の理念が正しいと思うのであれば、ローの経営云々などは眼中にないはずです。法曹志望者は一定数がいるのであれば、ローの数が少なければ経営上問題が起きるわけないのです。そして法曹志望者の経済的側面は返還不要の奨学金などで対応すれば良いだけです。その点では、法曹制度にシロアリがいることは私も同意ですので、シロアリ駆除のために現状のローを一旦全て潰して、新たなローを設けるという荒療治もアリだと思います。が、単なるペーパー試験に戻るのは、避けるべきではないかと思うところです。

    No title

    コメント戴いたので、順次。

    > 司法改革当時の批判が的を射たものかどうかの検証もされていません。批判するなら批判する側に一定の立証責任があるというべきでしょう。
    →私の無知にすぎないのかもしれませんが、司法改革当時の「批判」自体については、そうではない、という主張がされていたとは記憶していません。
    特に私の指摘しているペーパー試験のみでは測れない点があるということについては、全員同意に近い状況だったと思います。(すみません。この点、記憶のみですので、なにか反証あれば助かります。)

    > 旧法曹養成制度のメリット・デメリットを実証的・科学的に検証せずに感覚で決めたからこんなメチャクチャになってしまい,未だに多数の人が法科大学院は要らないと言っているのでしょう。
    →それはそうかも知れませんね。ただ、現在のロー不要論は、制度としてのローなのか、現実に存在するローなのか、を切り分けて議論できていないと思います。
    現実のローについては要らない、というのは理解できますが、制度としてのローが単なるペーパー試験のみで測れない部分を検証、育成する機関として期待できる(ペーパー試験では論理的に不可能)のであれば、そのような機関になるように改良するほうがよい、というのが私の主張です。
    なので、従来のペーパー試験だけに戻るということに、法曹養成制度の「制度としての成長」が見られないと思う訳です。

    > 旧への批判は大抵いちゃもん。当初から論破されてる。
    →例として挙げられた予備校批判は、私もアホだと思います。暗記偏重どうのこうの、というのは試験=暗記という基礎的部分を忘れ去っているたわごとでしょう。暗記したものをどのように応用して用いるか、こそが試験で測られるべきものであって、それを測れる問題を作れなかっただけ、にすぎないと思います。
    もし、単なる暗記をはきだした答案であれば、それは粛々と落第点をつければよいだけ。それで合格者が激減したとしても、それは仕方ない。合格レベルに達しない人を無理やり合格させる方が害悪です。

    No title

    流れを無視してしまい恐縮です。

    昨日,2,102人の司法試験合格者が出たそうです(うち,予備試験による合格者58人。ロー卒2,044人)。
    予備試験による合格者のうち,34名は30歳未満とのこと。
    未確認ではありますが,大手渉外系事務所は,すべてこれらを青田買い済みらしいです。
    弁護士の数も増えてきて,飽和状態ですし,大手渉外系事務所は,予備試験による若手合格者を囲い込み,ロー卒者の就職戦線は厳しいものになるでしょう。
    結果,学生側は,ローなど進まず,予備試験からの合格を狙うようになり,事務所サイドも,ロー卒は無視して,まず,予備試験者から囲い込むようになるでしょう。
    そして,どこのローを出ていようが予備試験者の後塵を拝するのであれば,ロー制度自体事実上崩れていくのではと思います。

    別にロー卒でも,弁護士にはなれますが,就職難民ないし即独者の群れに投げ込まれる可能性は高くなるものと推測します。
    そして,ロー卒合格という経歴自体が,消して消えない無能力者の証となってしまう世の中になってしまうかも知れません(三振法務博士という資格が,世の中では何の役にも立たないどころか,消して消えないスティグマとなっているように)。

    あとは,予備試験者の合格割合をどうするかによってロー制度の崩壊が早まるか,しばらく持ちこたえるかの違いになるかと思います。
    合格割合を増やせば,遠くない未来に崩壊,増やさなければ,しばらく持ちこたえるも結局崩壊,といった流れとなるのではないかと思われます。

    結局,無理な制度を人為的に用意しても,世の流れには逆らえないということになるのではないでしょうか。

    SBさんへ

    >旧法曹養成制度のメリット・デメリットを実証的・科学的に検証せずに感覚で決めたからこんなメチャクチャに

    細かい点ですが、「感覚で決めてる」というよりは、
    きっちり悪意を持って、改革の名の下にたっぷり血税ばらまけるハコモノを作ろう・官製で利権作り・お役所とそれにたかれる人間の権限作りをしようと、用意周到にやってると思います。
    末端の信者はともかく、実行してる人間や翼賛者の大半は、司法改革が正しいなんてこれっぽっちも思ってません。

    本当に司法改革が正しいと思ってるのであれば、今まで(今後も)ばらまかれた血税を上回るメリットがこの政策にあることや、大増員を叫びながらローに奉仕できない人達の合格枠を大削減した理由について、
    堂々と証明・説明できるはずです。
    ところが彼らは、その証明をまったくしない。
    それどころか、それらの事実について、そもそも決してふれようとしない。

    No title

    >強制するべき理由は、コミュニケーション能力の最低限の確保

    お勉強のゼミに必要なコミュ能力ぐらい、世の大半の人は持ってますが。
    親・小学校で教育してるものを、わざわざ大学院を強制してまで担保しなければならないとする背景事情は、全く答えられないわけですね。

    >昔に戻ればいいというのは単なるノスタルジー

    この発言も、「意見」 ですらないですね。

    >批判に対する回答ぐらい用意してほしい

    どの批判のことを指してるのか不明ですが、あなたのコミュ能力話と同レベルの、
    全く実証を伴わない観念論ばかりでしたよ。

    旧への批判は大抵いちゃもん。当初から論破されてる。一例

    S 「学生が大学よりも予備校に熱心に通うという由々しき問題があります」

    ・「それが問題なのは大学側だけ」
    ・「予備校の教育内容を確かめもせずに何言ってるの」
    ・「なぜ学生が大学ではなく予備校で必死に頑張ってるのかを考えなよ」

    No title

    >現状の法曹養成は軋んでいることは明らかですが、昔に戻ればいいというのは単なるノスタルジーにすぎないと思います。

    禁酒令がおかしいならおかしいと言うしかないし,文化大革命がおかしいならおかしいと言うしかありません。ノスタルジーかどうかは関係がないことです。

    >要するに司法改革時点で批判を受けた点については全く回答なし、ということですから。どんな動物でも少しは学習します。仮に元の制度に戻そうとするのであっても、当時の批判に対する回答ぐらい用意してほしいものです。

    司法改革当時の批判が的を射たものかどうかの検証もされていません。批判するなら批判する側に一定の立証責任があるというべきでしょう。旧法曹養成制度のメリット・デメリットを実証的・科学的に検証せずに感覚で決めたからこんなメチャクチャになってしまい,未だに多数の人が法科大学院は要らないと言っているのでしょう。

    No title

    続きです。連投失礼。

    > それを強制しなければいけない理由も、実施するのがローでなければならない理由も、強制してどんな効果が出るのかも、全く述べられていません。
    →一部については、述べたつもりだったのですが、強制するべき理由は、演習等を通じたコミュニケーション能力の最低限の確保。ローであるべき理由は、確かにありません。別に他の方法でもいいと思います。ですので、旧司法修習の復活も選択としてはありでしょう。強制したときの効果は、理由と同じ。勿論、現在のローで十分か、といえば上位校ぐらいでしょうから、それ以外は淘汰されればよいと思います。

    > また、とおりすがりさんがロー強制政策を肯定されていたので、私は現実の政策に関する批判を述べたのです。
    それに対して、「とおりすがりが脳内で考えてる理想のロー制度は違うシステムです。」 との返答では、反論にも対話にもなっていません。
    →では、残念ですがそもそもが私に対する意見ではないですね。タイトルで私に対する意見になっていましたので、そのように返答したまでです。

    現実の政策に対しては私も同じように批判を持っていますが、ただ批判しただけではつまらないので、考えられる案を追記したのです。
    現状の法曹養成は軋んでいることは明らかですが、昔に戻ればいいというのは単なるノスタルジーにすぎないと思います。
    また、ローという仕組みの中で、機能していない下位校もあれば、機能している上位校もあるなかで、現状ある仕組みを改善するのが、社会損失の最小化になると思っていますので、現行のロー制度を生かしつつ、ダメな点を改善する案を考えてコメントしたのです。

    現行の制度が最悪とすれば、元に戻るのもそれに大差ないぐらいの案だと思っています。要するに司法改革時点で批判を受けた点については全く回答なし、ということですから。どんな動物でも少しは学習します。仮に元の制度に戻そうとするのであっても、当時の批判に対する回答ぐらい用意してほしいものです。

    No title

    再び、戴いたコメントに、順次。

    > 1 ローでも別にソクラテスメソッドを用いているというだけであってコミュニケーション能力を担保しているわけではない。定期試験ができれば修了できるし司法試験にも受かる。
    →その担保をさせるために、法科大学院の評価を行うべきでしょう。法科大学院の評価が試験合格率などによることが問題。法科大学院の卒業では演習単位もあるので、その点で担保されているのが制度趣旨であり、その担保が出来ない状況で卒業させている大学院があれば、それこそ大学院評価で潰すべき。

    > 2 従来どおり口述試験を課せば最低限のコミュニケーション能力は計ることができる
    →口述試験の僅かな時間では測れない、という問題意識が点から線の法曹養成、の発端の一つかと。

    > 3 ソクラテスメソッドは実務修習でやればよい。不十分ならカリキュラムを強化すればよい。
    →これはあり得る選択ですね。ただ、司法修習の予算制約をどうするか課題です。以前コメントしたように、この点は競争による優秀者から修習させることで、コストパフォーマンスの向上が期待できると思います。

    > 4 弁護士のコミュニケーション能力は利用者たる国民に判断可能なので,自由競争による淘汰になじむ。
    →これも同意です。ただ、淘汰の論理に質の問題で非難があるところから、質の確保という点で対案を考えた次第です。

    No title

    とおりすがりさんは現状のロー強制制度を肯定する根拠として、「ゼミとソクラテス~やる機会があるから」、としていますが、
    それを強制しなければいけない理由も、実施するのがローでなければならない理由も、強制してどんな効果が出るのかも、全く述べられていません。

    また、とおりすがりさんがロー強制政策を肯定されていたので、私は現実の政策に関する批判を述べたのです。
    それに対して、「とおりすがりが脳内で考えてる理想のロー制度は違うシステムです。」 との返答では、反論にも対話にもなっていません。


    以下、現政策についての話をします。
    現実には、ロー教授やロー翼賛派ですら、「ローによって旧試法曹よりも能力も人間的にも優れた人材が育成できる」 なんて、全く信じていません。
    教育内容の質で学生を集めるのではなく、国から付与された合格枠特権こそがローの唯一絶対の売り物であると、彼らも当然わかっています。

    だからこそ、「予備試験枠は減らせ、ロー卒枠だけはもっと拡大しろ」 と必死に叫ばなきゃいけないわけで。
    ロー特権の忠実な番犬である日弁連会長に至っては、「予備試験枠を制限しないとローが潰れます」 とまで公言してる始末。

    「自由競争こそが適切」 と信じている人間であれば、このような競争否定政策が行われていること、ましてやそれに自分達の血税が大量につぎこまれていることに、大反対するはずです。
    しかし、ネットの一部に見られる自称競争大好き派は、なぜか競争否定施策への批判をほとんどせず、
    ひたすら、「弁護士はもっともっと競争しろ」と、喚くばかり。

    No title

    〉①②ですが、ペーパー試験だけでは測れない能力があるということは、論理的に明らかです。口頭の説明能力やディスカッション能力、そういったものは測れません。紙ですから。それを実践的に行うことがローにおけるゼミナールであり、ソクラテス方式の授業であり、といったものになります。勿論、それを達成できないローもあるでしょうが、それは個々のローの能力の問題であって、制度論とは異なると思います。

    1 ローでも別にソクラテスメソッドを用いているというだけであってコミュニケーション能力を担保しているわけではない。定期試験ができれば修了できるし司法試験にも受かる。
    2 従来どおり口述試験を課せば最低限のコミュニケーション能力は計ることができる。
    3 ソクラテスメソッドは実務修習でやればよい。不十分ならカリキュラムを強化すればよい。
    4 弁護士のコミュニケーション能力は利用者たる国民に判断可能なので,自由競争による淘汰になじむ。

    結局,ローは行きたい人がいけばよく,司法試験受験資格にする理由は全くないですね。

    No title

    いくつかコメント戴いたので、順次に。

    > ローを卒業した後に受ける司法試験は,ペーパーテストですが?
    →司法司法試験自体がペーパーであるからこそ、その手前でペーパー以外の能力を磨く場としてローが役に立つ場面があると思っています。

    > ①「弊害」とはなにか? ②弊害がローによって除去されるとする根拠は? ③ロー制度によって除去が期待される弊害は、通算何千億円もの血税ばらまき(今後もばらまき続けられる)に見合う意義があるのか?
    →簡単なほうから。③は私も意味ないので無くせと言っています。
     ①②ですが、ペーパー試験だけでは測れない能力があるということは、論理的に明らかです。口頭の説明能力やディスカッション能力、そういったものは測れません。紙ですから。それを実践的に行うことがローにおけるゼミナールであり、ソクラテス方式の授業であり、といったものになります。勿論、それを達成できないローもあるでしょうが、それは個々のローの能力の問題であって、制度論とは異なると思います。

    > ローに金と時間を上納できない人の合格者枠をあらかじめ徹底的に制限することによりロー奉仕者を集めようという、自由競争完全否定政策を正当化する理由は、述べられていませんね。
    →自由競争完全否定、であるとは思いません。合格枠を制限するという発想は、私の主張にはありませんでした。検定試験化して、合格枠という概念をなくせ、という発想ですから。

    > ローによって本当に旧試よりも立派な法曹が育成できるのであれば、受験資格特権にすがりつかなくとも、自然と志望者集まりますよ。
    →同意です。ですが、上記の弊害論を考えれば、ローを利用させる方が良いと思っています。

    No title

    つかそもそも、ローによって本当に旧試よりも立派な法曹が育成できるのであれば、受験資格特権にすがりつかなくとも、自然と志望者集まりますよ。
    でも、そんな自信ないもんだから、国家権力にすがって
    「ローにお金払えない人には、「50人」 の合格枠しかないですが、ローにお金と時間払えば、「2000人」 の枠が買えますよ~」 
    との強力すぎる付加価値に頼ってるわけで。

    こんなあこぎな商売しかできないでいるローを、「以前の弊害を改めてる」とか言われても。

    とおりすがりさんへ

    「ローに意義がある」 と信じる人だけが、ローに通えばいいのでは。
    「旧試には弊害があるが、その旧試出身者達が教えてるローによって弊害が除去される」 と信じる依頼者だけが、ロー出身弁護士に依頼すればいいのでは。

    ローに金と時間を上納できない人の合格者枠をあらかじめ徹底的に制限することによりロー奉仕者を集めようという、自由競争完全否定政策を正当化する理由は、述べられていませんね。

    また、①「弊害」とはなにか? ②弊害がローによって除去されるとする根拠は? ③ロー制度によって除去が期待される弊害は、通算何千億円もの血税ばらまき(今後もばらまき続けられる)に見合う意義があるのか?
    これらについて、あなたは全く論じられていません。 

    No title

    〉ペーパーのみによる試験の弊害を改めるには、方法論として率先して導入する
    〉べきで、その観点から言えば、予備試験廃止をするべきだと思っています。(ペ
    〉ーパー試験の弊害を問題視したはずなのに、予備試験があることは論理矛盾。)

    ローを卒業した後に受ける司法試験は,ペーパーテストですが?

    No title

    私はロー基本主義で問題ないと思っています。
    理由は、ローにおけるディスカッション(いわゆるソクラテス方式の授業)、実務教員による授業には意義があると思うためです。また、問題人格者をふるいにかける点でも良い方法だと思います。
    ペーパーのみによる試験の弊害を改めるには、方法論として率先して導入するべきで、その観点から言えば、予備試験廃止をするべきだと思っています。(ペーパー試験の弊害を問題視したはずなのに、予備試験があることは論理矛盾。)

    他方、養成能力に欠けるローは廃止されるべきですので、事実上の合格率保証(合格人数枠の設定)などは無くするべきでしょう。
    数年にわたって合格者ゼロのローがあっても、それは仕方のないことです。
    その結果、そのようなローは廃止に向かうでしょう。
    予備試験廃止の弊害は、経済的困窮者が司法への道が断たれる点ですが、これこそ、奨学金でサポートするべき分野でしょう。
    経済面の問題を経済以外の方法で解決しようとするから、副作用が生じるわけです。

    財源論については、現在のローへの補助金を個人への奨学金原資に使えばいいだけです。ローへの補助金より予算は小さく、効果は高いものになると思います。優秀層への補助ですから、費用対効果が高いのは当然でしょう。

    ローへの一本化、補助金は個人奨学金への一本化、試験の検定試験化による質の確保、ローの競争淘汰の実現

    これで副作用はほぼ無いと思っているのですが、まぁ、どこにも利権がなさそうな仕組みなので、絶対に採用されないでしょう。。。

    No title

    >ロースクール卒業を,司法試験受験の要件から外し,「完全」自由選択とすればいい,と思います。

    それプラス、ローへの莫大な血税ばらまきの停止ですね。それでようやく自由競争に近づきます。
    しかし、ロー利権擁護派はそんな自由競争は絶対認めないですからね。
    現日弁連会長に至っては、受験特権外すどころか、
    「予備試験枠を制限してロー利権を守れ」と、堂々主張している始末。

    そしてネットに見られる自称競争万歳派は、こういった地位も金もある
    「自由競争断固否定・血税ばらまき官製ロー特権死守派」 には、
    なぜか全くほとんど批判しないと。

    No title

    〉ロースクール自体の存在は否定する必要はないと思いますが、だからといって、特別視する必要もないと思います。

    そのとおりだと思います。
    ロースクール卒業を,司法試験受験の要件から外し,「完全」自由選択とすればいい,と思います。
    そうすれば,ロースクールも,ロースクール非進学者との「競争」が働きますので,質の悪いロースクールは,すべて淘汰されるのではないでしょうか。

    なお,法曹人口の問題は,ロースクールだけでは解決しない問題ではないかと思います。
    司法試験に合格しても,法曹に進めない(弁護士事務所に入れない,仕事がないので独立できない)のであれば,自分の将来像について冷静に考えられるまともな人であれば,そんな道は選択しない,というだけのことですから。

    昨今,公務員志望者が増えていると言われていますが,そこには身分保証があるとか,退職金がもらえるとか,安定しているとか,いった幻想があるわけでして(今まではともかく,今後,将来ずっとその状態が続くとは思えないので,幻想としています),同様に,法曹の道を進めば将来薔薇色だという幻想がないのであれば,おそらく,法曹人口問題は解決しないと思います。

    ワコーさんへ

    旧試験のままでは、新たな利権も血税のばらまき先も、肩書きもポストも増えないからでしょうね。
    司法改革の実際の目的は法曹増員や質の向上ではなく、自由競争を徹底的に否定し、
    官製で莫大な税金使って一部のお偉いさん達の利権を肥やすことにあるのですから。

    各経費やその間の公務員給与も含めれば、とんでもない額の血税がこの競争否定政策につぎ込まれているのに、
    それを全くorほとんど否定せず、なぜか弁護士にだけはもっともっと競争しろと喚くネットの競争万歳派気取り達。

    質を保ったまま競争させたいんだったら旧試験のまま増員すればよかったのでは?

    No title

    ロースクールは別問題だと思いますね。
    人数論を無くすことができれば、要するに検定試験化すれば、低合格率のロースクールは自然と淘汰(というか、すでに淘汰されつつありますが。)されるでしょう。
    経済的な懸念は、奨学金の充実で十分可能。
    ロースクールが少なくなれば、人数論を騒ぐことなく、勝手に合格者は減るでしょう。しかも、司法試験が検定試験化すれば、レベルが下がる心配もない。

    法曹志願者が減ってしまうという懸念もあるかもしれないが、仮に志願者が1,000人レベルに下がったとして、全員が合格者=質のレベルの維持された者だとしても今よりも少ないし、質は確保されたまま。
    志願者が減って質がさがったとすれば、合格者が減るだけで、司法の質は確保される。
    合格者が極端に減るとすれば、それは質を向上させる方法を考える必要があるのであって、だから間口を広げろとはならないはず。


    私はロースクール自体の存在は否定する必要はないと思いますが、だからといって、特別視する必要もないと思います。
    ペーパー試験のみの弊害はあるのだから、それを補う存在としては良いと思うので、法曹養成の必須過程でもいいが、それで質が低下するのであれば、出口を絞ることが必要なだけ。

    合格率低下を自校の質の低さではなく、試験のせいにするローの教授は最低だが、それはロースクールという制度の善し悪しとは区別するべき。

    私は反対ですよ。
    ロースクールには。
    あんな参入障壁はさっさと廃止して、司法試験一本で弁護士増やせばいい。

    競争だ自己責任だと言いますが、学部生にはこんな不合理な競争に参加する義務はないですからね。

    No title

    で、競争万歳派のみなさんは
    競争を完全に否定し、莫大な血税を投入して大学利権を肥やすだけの
    司法改革・ロー奉仕者限定大増員政策に対しては
    なぜ、決して批判しないのでしょうか?

    No title

    法曹人口の問題は、二つに分かれると思う。

    ・競争の是非
    ・質の確保の問題

    質の確保の問題は、合格者の人数とは本質的には関連性がない。人数の問題ではなく、合格レベルの問題にすぎないからである。
    たとえば、合格レベルを80、100から80の水準に50人、80から50の水準に100人いるとして、合格者を30人とする。そうすると本来合格水準にいるはずの人から20人を排除することになる。そこで合格人数を倍増させると、不合格レベルを10人合格させてしまうことになる。合理的なのは、合格レベルまでの人数である50人を合格させることであろう。翌年は20人しか合格レベルに至らないかもしれないし、逆に100人が合格レベルにあるかもしれない。しかし、合格レベルの人間を切り捨てるよりは良く、質の維持も測れよう。

    競争の問題は、質の確保ができれば、問題にならないだろう。
    淘汰されたとしても、合格レベルが維持できていれば、国家の保証するレベルの司法サービスを享受できるからである。淘汰された結果、残る者の質が悪いということは、そもそもの合格者レベルの水準に満たないものが紛れ込んでいるということにすぎない。

    勿論、知識レベルといったもの以外に、倫理的な面での悪貨が現れることは十分に考えられるが、それは試験制度によって担保できるものではなく、旧制度合格者の懲戒が多くあることから、新旧制度の優劣はない。(新制度合格者の懲戒が少ないのは、母集団の数の差と言えるので、新制度が優れているとは言えない。)
    いずれにしても、それは試験制度問題ではなく、むしろ弁護士自治、懲戒の適切な行使による自浄作用の問題に行きつく。

    競争では新人が不利、というのは当然である。新人よりも経験者のほうが安心、というのはどのサービスでも同じである。法曹の新人だけが保護されるべき理由はない。また、一定程度は事務所で先輩の指導を受けることになるので、そこで徐々に経験者になっていけばいい。そうなれない人は、苦労しながらも経験を積むことしかない。これはどの仕事でも同じことだろう。

    淘汰されるのは余分に受かった修習生1000人です。競争なんて偉い人の妄想か傍観者の戯言です。犠牲者が毎年1000人ずつ増えているだけです。
    少なくとも修習生は本当のことを知ってます。

    No title

    競争は悪いことだとは思いませんが,司法修習については,予定より合格者が少なければ準備した分の税金が無駄になるし,合格者が予定より多くて司法修習の予算で定員を設けるなら,結局合格者を増やしても弁護士が増えるわけではないので,競争による淘汰の点からも無意味です。

    また,歯学部の定員割れもひどいようですね。短期的にサービスの向上があったとしても長期的にはどうなることか。

    歯医者も利用者からすれば技術力があるのか宣伝上手なのかわからないけど今生き残っているのは技術力等のサービスがしっかりしているところです。適当な治療をしていたような所は軒並み淘汰されました。待ち時間も大きく減りましたし。人数が増えたからと言っても質は低下したとは言えずむしろよくなったと言えるでしょう。他の職業も同じです。競争がある業界は値段、サービスも納得がいき、競争のない業界はその逆です。生き残るのはそれを提供出来たものだけです。国民は法律を知らなくてもいいか悪いかは判断出来ます。
    従来の司法制度が質の悪い弁護士を排除してきたのか、良質のサービスと値段を提供してきたのかといえば国民の答えはNOです。確信を持って言えます。

    ・・・こういったことを多分いくらいっても無断なんでしょうね。好きにしたらいいと思います。

    同じ人のコメントではないですが、このての議論の際に必ず法曹界の質によって国民は影響を受けない、競争で淘汰されるべきであり、これを怠るのは弁護士の怠慢という指摘を見ますが、やはり違和感を覚えますね。

    国民の利益には関係がないという指摘は、大半の国民には当てはまるかもしれませんが、残りの少数に自分がなったときを想定していないように思います。
    弁護士が紛争解決を中心に業務を行っていることの当否は置くとして(これは他士業との競争もありますが、進出すればよいと端から見ていて思います)、弁護士の業務の中心は紛争の解決であって社会生活上の紛争に巻き込まれるケースは普通の人にとって多くありません。
    不可避的に生じる交通事故でさえ無縁のまま人生を終える人はいますから。
    ですが、不幸にも社会生活上の紛争に巻き込まれてしまった国民にとって、これを裁定するための司法制度が機能していないことがどれ程恐ろしいことか真剣に考えるべきでしょう。
    弁護士が司法制度と密接に関係している以上、その能力の低下によってあるべき紛争解決がされないことは、国民にとって多大な不利益ではないでしょうか。ちなみに、当事者主義の民事訴訟制度では、裁判所が積極的に何とかしてくれるということは、裁判官によるバラツキはあるものの基本的にありません。
    相手方に必要な資料を提出させる裁判官なんて嫌ですよね??そのような制度がいいという方は、法律を変え制度を変えなければならないと
    いうことを前提にした議論をすべきですが。。

    次に質の確保、競争による淘汰ですが、おそらく民間におけるような競争を想定されているのでしょう。
    この点は、司法制度あるいは弁護士の職務に対する認識の不足を感じます。弁護士は黒を白にすべきだという主張はありえますが、犯罪行為によらないでこれを常に実現することは、不可能です。契約書のある貸し借りで借りてないことにできるわけがなく、相手があることなので必ずしも思いどおりに進むものでもありません。
    ですから、弁護士の仕事は結果で判断することが難しく、それに向けての過程に着目せざるをえません。勝ち筋で負けるような弁護士は無能ですが、多くの人にとってその事件の筋を見通すことは困難だと思います。
    以上のような職務の性格に加え、前述のとおり、多くの人にとって社会生活上の紛争に巻き込まれるということは極めてまれですから、実は弁護士業務における「競争」とは何を競うのか、仮に業務の質で競うとした場合、その質の優劣は誰が判断し、その結果はいかに国民に開示されるのかが欠落した議論であると思われます。

    仮に宣伝の能力で競うとしたら、それは弁護士の質とは無縁のところで淘汰が起こります(それでよいというのも、一つの見解ですが)。大きな事件の勝訴判決を掲げていても、相手が勝手にこけただけ、あるいは、明らかな勝ち筋事案だっただけで当の本人には能力がないということもあり得ます。
    負けたのは弁護士の責任ではなく、最終的な判断権者の裁判官がおかしかったということもあるでしょう。

    長々なってしまいましたが、以上のことから弁護士の質を制度的に確保すべきことは必要だと思います。そして、現状、その制度は機能していないでしょう。
    新人の参入規制に対して既得権益を守りたいだけとの指摘は、そのような事情もあるのかもしれませんが、社会生活上の紛争を対象とする弁護士の仕事は、事件を通じて社会の仕組みなどを学ぶことが必要であり、法律を知っていれば足りるというものではなく、多くの新人にこれが欠落していることから参入を規制しなくても淘汰されるのは新人だと思います。
    まぁ、経験重ねた弁護士が理解しているかと言われれば、そうとは限らないですけど、新人にとって覆しがたいハンディが課せられていることは否定しがたいでしょう。

    ながながとなってしまいましたが、弁護士ではないもののいつもこのての記事をみて感じていた疑問を書いてしまいました。長文、申し訳ありません。

    SBさんへ

    司法修習については、別途申請するのであるから、司法試験の結果の優秀な人間から、予算内で受け入れすればいい。司法修習のキャパシティがないことと、試験合格者を絞る間には、関連性は全くないのではないか?

    国民にとっての司法改革であるかどうかは不明ですが、国民が弁護士の競争によって利益を得ている事は間違いないです。
    弁護士さんはこういった活動をするより心理的なアクセス障害を回避するような活動(成人式、入社式で弁護士の利用の仕方を説明するとか、企業において弁護士を採用する事の有用性をアピールするとか)の方がよっぽど弁護士の利益にもなるし、国民の理解を得られると思いますがね。

    No title

    そもそも国民のための司法改革ではないのです。だって、国民にとっては何のプラスにもなってないでしょう。無駄な税金が大量投入されているだけむしろマイナスになっています。
    国民の賛同とか言っても一般国民は司法改革に何の興味も関心もないですよ。ただ無駄な税金投入だけはすぐにでもやめて頂きたい。

    No title

    修習生が増えると1年以内の修習しかできないのですよ。1年を超えると、2期分の修習生が一度に修習する期間がでてくるので、人数が倍になってしまうからです。地方裁判所に、裁判官の数よりも修習生の数が圧倒的に多いなんて状態になったら修習どころではありません。研修所の教官の数も限界があります。
    弁護士の質を高めるにはOJTに限りなく近い修習がなんといっても効果的です。それには、どうしてもキャパがあるのです。

    説得力がないですね。
    (リンク先の方は信念を持ってやっておられることはわかりますが)ブログからみると国民がこれを賛同してくれると思ってるんでしょうかね。賛同するのは現在弁護士の人のみでしょう。
    人数制限をして最も利益を受けるのは現在弁護士の人なんだから、これを提言するならまずは自分達の身を切らないと国民への説得力という点ではほとんど意味はないと思いますね。身内どおしで満足なら別にいいとは思いますが。

    No title

    一理ありますが,司法修習の受入れ準備がありますし,その予算もありますので,事前に合格者数が分からないと対応できないというのが現実のようです。また現在のような極度の就職難だと誰も法科大学院等のために巨額の借金をしてまで法曹を目指さなくなっているという現実もあります。回収する目処が立たない借金をする人がいないことは民間企業の投資と同じです。

    No title

    人数を規定する意味が分からないですね、一般人としては。
    質の確保の問題であれば、一定以上の質がある者は合格させればよい=検定試験化すればよく、人数から絞ったり、底上げしたりする必要はない。
    毎年同じぐらいの人数を要する、といった人為的操作は不要だと思う。

    そして、一定以上の質が確保されていれば、それから先は、競争をしてもらえばいい。競争を煽るために3,000人とかいう合格枠にこだわる必要もなく、法科大学院の合格率を維持する必要も当然ない。
    検定試験であれば、質の問題は論理的に発生しえないので、「質」懸念論からも問題はないはずである。

    合格できる能力者が入ってくることによる競争すら回避すべき、というのであれば、それは弁護士の怠慢という非難は免れまい。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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