注意すべき「過剰期待」

     弁護士あるいは裁判に対する、市民の過剰期待というテーマは、少なくとも現場感覚を前提にした話では、しばしば弁護士の口から聞かれるものです。つまり、裁判というものを経験したことがない、それこそ振って湧いたような紛争に自らが巻き込まれたという思いの市民は、多くの不安を抱えながらも、一方で、裁判という場に持ち込まれれば、相当自分に有利な解決が導き出されるのではないか、という気持ちを持っています。そして、弁護士がそれを導いてくれると。

     それは、例えばおよそ自分には非がない、いいがかりをつけられたと思っている当事者は、なおさらというべきかもしれません。つまり、必ずや裁判所は100%当方の主張を認めて、「正当」な判断をしてくれる、それが「正義」だと考えます。ところが、現実は多くの場合、彼らの思いとは違うものになります。

     もちろん、ケースバイケースであり、裁判所に100%に近いことが認められることもあるでしょうし、逆に本当に「不当」に、裁判官の見識のなさによって、結論が出されてしまうことだってある。ただ、そうではなく、裁判という形の構造、あるいは限界として、法的に紛争を解決する、その落とし所そのものが、当事者に納得のいかないものに終わることがある、むしろその方が多いといっていくらいであるということです。

     それこそ、およそ弁護士をやっている人ならば、そのことはよく分かっているはずのことです。しかし、そこをやはり市民は、どうしても納得がいかず、いわばその期待感を裏切られたことの批判の矛先が司法、とりわけ弁護士に向かうことになりがちです。それも、半分以上は、この仕事の宿命として、受けとめている弁護士も少なくないとは思います。

     大きな話をしてしまえば、裁判とはいかなるものか、弁護士とはいかなる役割を持っているのか、といった国民に対する法教育の問題であるともいえますが、やはり弁護士がいかに当事者にそのことを事前にどう説明するか、できるかにかかっています。また、逆に依頼する当事者市民側からすれば、そこを正直にかっちりやってくれる弁護士は、いい弁護士、有り難い弁護士と考えなければなりません。

     ただ、このテーマを考えるうえでも、今回の司法改革の現実は、むしろ当事者市民にとって二つの点で要注意であるといえます。一つは、前記したような本来的、結果的には依頼者にとって有り難い対応を弁護士がやってくれるのか、あるいはやり遂げる能力があるのか、ということです。

     現実を伝えることは弁護士にとっても望ましいことのはずですが、実際は「過剰期待」に向き合うことは、骨が折れ、手間のかかる仕事です。和解という落とし所の内容に、愕然とする当事者もいるわけですが、それが法的な解決の場では当事者にとって最良の結果であるならば、理解を促したり、説得する必要もあります。それには、弁護士の根気とともに能力が求められます。それは大きく先の見通しが立てられる能力と説得する能力といっていいと思います。

     最近、過度に依頼者の顔色を見て、それに沿わせることだけで、結果的には依頼者のためにならない形で、その気持ちを引きつけ、つなげようとする弁護士の登場もいわれます(「歓迎できない『従順』弁護士の登場」)。それは一面、能力の問題でもありますが、弁護士が過剰に増え、経済的に困窮化するほどに、そうした努力そのものがなおざりにされ、カネにつながると考えれば、耳触りのいいことを中心に伝える人間も登場することは否定できません。むしろ、今回の「改革」はそうした環境をもたらす危険があるものです(「『弁護士被害』から導かれる方向」 「弁護士が驚く弁護士の存在」)。

     そして、もう一つ注意しなければいけないのは、この「改革」が連呼する「法の支配」を行きわたらせるという言葉とともに、「社会のすみずみ」まで弁護士が登場したり、あらゆる紛争を裁判に持ち込ませようとする発想そのものが、むしろ国民の「過剰期待」を焚きつける方向のものだということです。

     ある意味、皮肉なことですが、この方向は国民が求めたものではありません。これまで以上に弁護士や裁判のご厄介になりたいと思っているわけではありません。「改革」は、あたかも規制緩和、事後救済型社会になることによって、自然と必然的にそうしたものに国民は巻き込まれるのだから、その備えが必要という論法をとった感がありますが、実際にはそれこそ「過剰」にその方向を強調し、「改革」が正当化されました。

     しかし、蓋をあければ、結局、いかに彼らの出番を作るか、出番が多い社会を作るかの話です。いまや弁護士を増やしたのはいいものの、言っていたような出番がなく、それをいかに絞り出すか、腐心しなければならない状態です。それも当たり前といえば当たり前。別に彼らが10年前に描いただけの話で、国民や社会が求めたわけではないからです。

     もっとこの国には弁護士が必要で、もっと紛争を司法に持ち込め、ということが、国民の等身大のニーズではなく、その意識を超えていわれることは、まさしく「過剰期待」を促すものというべきです。彼らが「市民のため」「国民のため」という旗を掲げた「改革」が、何をもたらす方向に向かっているのかを、当の市民・国民がじっくり見定めなければなりません。


    ただいま、「今、必要とされる弁護士」「弁護士の競争による『淘汰』」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    コメントの投稿

    非公開コメント

    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR