裁判員制度の本当の脅威

     7月30日に大阪地裁で出された、殺人罪に問われたアスペルガー症候群の無職男性に対する、求刑を上回る裁判員裁判の判決について取り上げましたが(「危険性を露呈した裁判員裁判」)、ネット上では、問題は市民とともに裁いている裁判官であって、裁判員が責められるべきではない、あるいは制度が批判されるべきではないといった論調がみられます。

     治安維持に傾斜する判断に、市民参加の影響とその意思の反映を想定することに無理があるとは思えませんが、いうまでもなく、もし、前記したような「裁判官が悪い」という見方に立つとすれば、当然、裁判官による「誘導」が起きた、という、これまたこの制度の市民の「常識の反映」という「大義」が成り立たない現実をはらむ、根本的な問題を明らかにしていることになります。

     もちろん、素人と専門家がともに裁くこの制度で、いわは゛「適切な」誘導が職業裁判官に期待されていて、それが機能していないということをいうのであれば、それが制度の現実ということになりますし、また、その機能をこの制度を成り立たせる前提とするのであるならば、やはり前記市民意思の反映という意味では、制度が矛盾をはらむことになってしまいます。

     そうなると、結論的に制度は正しいという前提にどうしても立つのであれば、あるいは「民主的」なこの制度を傷付けるな、というのであれば、やはり、こういうしかありません。「これでいいのだ」と。つまり、治安維持を優先し、再犯を恐れ、刑務所に閉じ込めておけ、というのは、市民の意思、社会の要請であり、それが正当に反映されたのだから、それでいいではないか、それを云々するのは、民意の否定だ、と。

     しかし、ここにこそ、この制度の最大の不安要素があります。要するに「『国民参加』の紋どころが目に入らないか」という話になること、です。

      「裁判員の市民感覚はなるべく大切にしたい。けれども、再犯をどう防ぐかという観点にとらわれ過ぎて、犯罪に見合った刑罰を越えて保安処分の色彩の濃い判決になったのは深く憂慮される」

     判決を取り上げた8月4日付け東京新聞の社説には、こんな一文が出てきます。「犯罪に見合った刑罰を越えて保安処分の色彩」。弁護士の中には、裁判員裁判が生み出したこの現実に、衝撃を受けている人がいます。その運用が、国民への弾圧、人権侵害につながるとして、阻止されてきた予防拘禁という存在が、再犯を恐れる国民感情によって、堂々と登場する事態。「国民の意思」という錦の御旗をはためかせて、まかり通る状況です。そこに別の「意思」が被せられ、それが貫徹されるということでもあります。制度を傷付けたくなかった東京新聞も、あえて「保安処分」というワードをここで挙げて、その不安には言及せざるを得なかったのではないでしょうか。

     裁判員裁判がこの判決を生み出した現実は、国民の「健全な」常識というものを一律に被せて、裁きの場に引きずり出す制度が、どうしてもたどりつかざるを得ない危険そのものです。そして、表に出ない形、程度において目立たない形で、これまでは抑えられていた国民の感情が「反映」した裁判員裁判が、「望ましいこと」として、この国の司法を徐々に変えつつあるとみるべきかもしれません。

      「民主的」では済まない、片付けられないのが、司法という存在であることを、私たちはまず、確認しなければなりません。


    ただいま、「裁判員制度」「今、必要とされる弁護士」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 刑事司法
    ジャンル : 政治・経済





    コメントの投稿

    非公開コメント

    仕方がない

    >「これでいいのだ」と。つまり、治安維持を優先し、再犯を恐れ、刑務所に閉じ込めておけ、というのは、市民の意思、社会の要請であり、それが正当に反映されたのだから、それでいいではないか、それを云々するのは、民意の否定だ、と。

    多くの国民の感覚として、こうなるのではないかな?と思います。良いあるいは別にしてね。なんせ刑務所に入った方の再犯率の高さを見る限り、そういう「感覚」になるのは仕方がないかと。裁判員裁判での傾向としは、当然「疑わしきは罰せず」にはなるもののその反面量刑は厳しくなっていくのは仕方がないのかな?とは思います。

    裁判官は判決に署名が有ることで、合議体としての批判に晒されます。
    裁判員は、「なぜか」匿名です。

    匿名ならネットの誹謗中傷と同じレベルで、今回のトンデモ判決もその延長ですね。
    匿名で言いっぱなし。でもリアル社会に効果を及ぼせる。無責任社会を助長推奨しているのだとしか思えません。

    No title

    裁判員を誘導したか否か、ということではなく、アスペルガー症候群の無職男性に対する、求刑を上回る裁判員裁判の判決が、批判されるように差別的である、という点について、職業裁判官が少なくとも1名は賛成しているということに対して非難されるべきでしょう。

    私は当該判決には反対の立場。求刑以上であったり、過去の量刑事例の比較の観点であれば、個別事情の下でありうると思っていましたが、求刑以上にする論理づけが、要するに危険だから隔離するでは、責任主義を取る現代法の立場からありえない。

    しかし、それは応報主義的側面を重視する素人裁判員にとっては、些細な論理的問題にすぎないと感じても仕方がないかもしれない。であるからこそ、その弊害のために裁判官の最低でも1名の賛成がなければ判決出来ないことになっているのではないか。

    仮に、この裁判が(法令上ありえないが)当該判決に賛成した裁判官の単独裁判所で行われていたとすれば成立してしまう、その点のほうがよっぽど問題ではないか。

    裁判員制度批判もよいが、本質はもっと異なる点にある。
    そのような裁判で良いのか、そのほうが余程、司法の問題として重要ではないのか。裁判員制度を撤廃しても同じ判決の余地があることを認識すれば、裁判員制度の批判よりもすることがあるだろう。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR