「国民の意識レベル」の扱われ方

      「統治客体意識」とか「お任せ司法」だとか、この司法改革をめぐっては、実は、国民の意識レベルを批判的にとらえたうえに成り立つ表現が使われました。ただ、これを国民の常識を司法に反映させようとする裁判員制度に絡めて、こう突っ込む人がいました。

      「現状、もし、国民に、そんなお上任せの体質があるのならば、そんな人間を裁判官とともに裁かせるというのはおかしいのではないか」

     国民の常識を反映させようとする制度と、それを任せる国民の意識レベルの描き方がつながらない、という矛盾です。もちろん、ここにも、「だから、裁判員制度がそういう国民の意識を変えていくんだ」という、いわゆる「教育論」が被せられるだろうとは思いますが、無作為に選ばれる国民に「教育」が施される間の司法はどうなるんだ、ということもさることながら、そもそも人を裁く裁判が国民の意識教育の場になっていのか、という突っ込みは当然できるわけです。

     いかに諸外国を例に出そうが、あるいは大マスコミが現実的に順調にいっている、国民も「やってよかった」と言っていると強調しようが、この問題は決着していないと思います。

     ただ、ここで言いたいのは、政府、有識者、大マスコミによる国民の意識レベルが非常に都合よく使われているように思える、このやり方の問題です。もちろん、この国の国民の意識のあるべきレベルや形を、彼らが提示すること自体が、悪いわけではありません。しかし、やり方として、どうしても本来二つのことはクリアしければならないはずです。

     一つは、やはり本当に国民の意識を変えるというのであれば、それはやはり迂遠に思えても、時間をかけなければなりません。国家が一足飛びに制度を作り上げて、意識変革を図るというやり方、こと司法において、それをやることには問題があります。「改革」が描いたような自律的な市民を直ちに制度でつくり上げようとすること、その制度が今日から人の生命・身体にかかわる裁判であることの妥当性です。国民参加に根本的に賛成な法律家の中にも、当初、「小さく生んで大きく育てる」という考え方は根強くありました。

     そして、もう一つは、たとえそれが、仮にこの国と国民にとって、望ましい姿であっても、それを強制させていいのか、ということです。この制度が、自律的な国民の意思で選択された制度でなければ、それも前記国民に期待しているものと矛盾しています。

     しかし、このやり方ということでいえば、現実的には、もっと嫌な感じの答えが導き出されてしまいます。彼らにとって、自律的にものを考える国民が、果たして本当に都合がいいのだろうか、と思ってしまうのです。もし、真剣にこの制度を考えれば、冒頭のような矛盾もありますし、今、国民を「強制」して直接参加させるほど、この国の司法がダメであると、司法関係者自身が自覚的に認めたうえでの制度ではないことをあっさりと見抜いてしまいます。

     いかに、これは国民の司法参加は義務ではなく、「権利」であるといわれても、そんなわけはないと分かることですし、「権利」ならば、なぜ、不参加の自由を認めないんだ、ということにもなります。そもそも「統治客体」だ「お任せ」だといわれても、納税者としてこの分野をプロに信頼して任せてきたとすれば、随分国民を馬鹿にした言い方ですし、強制させた直接参加という形しか司法を変えられないという論法自体が当然、納得のいく話ではありません。

     要は、こういう議論は制度推進をする立場からすれば、望ましくない、つまり、多くの国民がこういうことにこだわること自体が彼らにとっては望ましくないはずなのです。国民の意思が司法に反映されるのは、いいことなのですよ。諸外国では常識ですよ。義務ではなくて、権利と考えましょう。決して難しくありません。普段着のあなたの意見が聞ければいいのですから。これが民主主義ですよ――と言われて、政府や有識者や大マスコミがそう言うならば、嫌だけど行くか、という国民の方がやりやすいということです。「司法」の縁遠さに、推進派はむしろ助けられているかもしれません。

     彼ら推進派は協力して、今日に至るまで、極力寝た子を起こさない、やぶへびなことはふらない、大衆の疑問を喚起しない形の姿勢を取ってきたといえます。これは裁判員制度に限らず、この「改革」のあちこちで彼らが協力してやってきたことでもあります。弁護士を激増させた社会が本当に何をもたらすのか、法科大学院という制度が一体誰のためになっていて、どれたけ国民の税金が使われたのか――。そして、このことは、この「改革」の本当の狙いが、掲げられたこととは別のところにあるのではないか、という疑問につながっていきます。

     もっといってしまえば、政府・有識者・大マスコミのこのやり方は、司法改革に限らない常套手段といってもいいと思います。時に、国民を有能に扱ってみたり、無能に扱ってみたり。都合のいいことしか国民に伝えず、批判を喚起しない姿勢を取るかと思えば、等身大の国民のレベルをいう指摘に対しては、「愚弄している」と国民を持ち上げて見たり。そして、負担を強いるときは、きれいな絵ばかりを描いて見せたり。

     翌朝の朝日新聞に書いてあることや、夜10時から古舘伊知郎氏が言うことで、この国に起こっていることを知り、それを信じて、判断している大衆が、この国に沢山いることを、実は彼らはよく知っています。ただ、福島原発事故以降、そうした大マスコミ、それを通した政府や有識者の発言を見たり聞いたりしているだけでは、この国に起こっている本当のことは分からないことに、多くの大衆が気付き出していることも事実です。これは、われわれ大衆にとっては、むしろ望ましい方向といえますが、彼らにとって望ましいのかは甚だ疑問です。


    ただいま、「日弁連の『法科大学院制度の改善に関する具体的提言』」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 情報の後ろにある真実
    ジャンル : 政治・経済





    コメントの投稿

    非公開コメント

    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR