「司法」からの奇跡的な脱出

     花束を片手に笑顔で、年老いた母親を抱き寄せる男性。それとは対照的に、18年ぶりに会った息子の頬を両手で挟み、じっとみつめた母の眼は笑っていません。今にも泣き出しそうな憂いと憐れみと愛おしさに満ちているそのまなざしが、遠いかの国で愛する息子に降りかかった「不幸」と、奪われた歳月を物語っています。東電ОL殺害事件で再審開始決定を受け、釈放され、母国ネパールの首都カトマンズの空港に降り立ったゴビンダ・プラサド・マイナリさんと、それを出迎えた母親の姿です(朝日新聞6月17日付け朝刊)。

     このところに再審開始、釈放、帰国と、にわかにこの事件と元被告人に注目した大マスコミ。大新聞の報道には、再審公判での無罪確定を待たず、国による刑事補償額まで算定している記事もあるなど、どれもこの事件をめぐる新たな動きをとらえ、現状を伝える通り一遍の報道にも見えてしまいます。

     そして、そうした「無罪」とゴビンダさんの「原状回復」に向けて、着々と事態が進んでいるようにだけ伝える報道を目にしていると、奇妙な気持ちに襲われます。それは、なぜ、彼は日本という国で、こうした目にあったのか、あるいはあっているのか、という基本的な問いかけが、さーっとやり過ごされていくような気持ちです。

      「司法も警察も恥を知れ」

     週刊朝日6月22日号は、この事件を追いかけてきたノンフィクション作家の佐野眞一氏による「緊急寄稿」をこんなタイトルで掲載しています。最新のDNA再鑑定で冤罪が確実となった菅家利和さんの足利事件、誤審が明らかになった布川事件、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件など、司法の不祥事が「逆バネ」となって、この事件の再審開始につながった、という見方を示したうえで、こう書いています。

      「有罪判決を出した東京高裁や上告を棄却した最高裁の判事たちは、自分らが下した判決に対し、どう申し開きをするつもりなのか」
      「ゴビンダが失ったかけがえのない歳月を、司法はどう補償するのか。あらためて怒りがわく」

     ここで触れられている今回の事件で浮かび上がった司法の問題性は、佐野氏の書かれた「東電ОL殺人事件」の続編、「東電ОL症候群」で、よりはっきりと抉られています。一審無罪判決を受け、強制退去を間近に控えたゴビンダさんに対する東京地検の控訴と、執拗な再勾留要請、東京高裁の再勾留決定、弁護団の異議申し立て棄却、最高裁の特別抗告棄却、控訴審逆転有罪、最高裁の上告棄却。再審開始請求から8年で決定にいたった今回の司法判断以前に、どれだけ司法が素直に証拠をとらえず、有罪方向にバイアスのかかった対応をしてきたのかが、明らかにされています。そもそも、何ひとつ一審無罪をひっくり返す証拠は提示されていなかったのです。

     そこには、青法協裁判官差別、狭山事件再審、ネパールへのODAと日本人の少数民族差別感といったテーマまでが、地下水脈のようにこの事件とつながっている事実にも驚かされます。

     同書を読んで感じるのも、冒頭の「通過」感です。佐野氏の著書は、被害者ОLへの多くの女性の共感とともに、広く注目されました。しかし、そのなかで明らかにされた司法のこの問題性は、大マスコミの報道を通じて「現実」を把握した気持ちになっている大衆にとって、やはり「知らされていない事実」であり続けているのではないか、と思えるのです。

     そしてそれは、佐野氏が指摘したような前記この再審開始につながった事象が、もし、存在しなければ、帰国どころか、無期懲役囚として獄につながれ続けるコビンダさんとともに、永遠に光が当たるきっかけを失い、大衆の知るところにもならなかったかもしれなかった事実のようにも見えるのです。

     しかし、それでも、というべきかもしれません。釈放と併せた6月8日付け各紙は、一斉に社説で取り上げ、今回の「事態」を踏まえた司法の対応を求めることで一致していました。とりわけ朝日の社説は、今回の再審決定に対する検察の異議の不当性に焦点を当て、裁判所にも「省みる点はたくさんある」としながらも、「一連の刑事司法改革で法律が改められ、裁判員裁判などでは証拠隠しができないようになった」「検察当局の意識も変わりつつある」と、「責任」という意味では、これまた何やら気の抜けたようなとらえ方をしています。

     本紙で出来ないことを雑誌で埋め合わせたということかどうかは知りませんが、佐野氏の論稿とはいえ、とても「恥を知れ」というような論調とは隔たりを感じます。日本の司法手続きにみる外国人差別への批判的視点は、彼の帰国後の18日朝刊の紙面で、ネパールの大学教授の指摘としてわずかに取り上げています。

      「もし、逆転有罪判決が出されてゴビンダにまた『無罪の日』がやってこないとすれば、日本の司法はいよいよ本当の暗黒時代に逆戻りしたというほかない」

     前記「東電ОL症候群」のなかに、一審無罪後、ゴビンダさんの控訴審判決を控えて、こうとらえた佐野氏の一文が出てきます。もちろん再審でゴビンダさんが、完全に「無罪」を獲得した日、大マスコミによって大衆にどういう「事実」が広く伝えられるのかは、それを今は分かりません。しかし、この再審決定が「暗黒時代」に陥った日本の司法からの奇跡的な脱出であったことは、はっきりと国民に伝わらないまま、過ぎていこうとしているように思えてなりません。


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    まとめtyaiました【「司法」からの奇跡的な脱出】

     花束を片手に笑顔で、年老いた母親を抱き寄せる男性。それとは対照的に、18年ぶりに会った息子の頬を両手で挟み、じっとみつめた母の眼は笑っていません。今にも泣き出しそうな憂

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    No title

    高松茂喜さん

    info@shihouwatch.comまで、よろしくお願いします。

    No title

    生駒市の依頼で、公共用地の適正取得のために、適正な評価事前相談に応じ、適正な鑑定評価手順を尽し、
    適正な、正常・実測鑑定評価格を算定した鑑定評価書を、生駒市に作成・交付した、不動産鑑定士の高松です。
    嘱託鑑定人と奈良地裁&裁判官によるテキセイ・テキセイ洗脳詐欺犯罪事件により冤罪をデッチアゲられ、基本的人権を撲殺された不動産鑑定士の高松です。ご検討して頂きたい文書があります。アドレスを教えて下さい。
    奈良地裁&裁判官の社会制度的地位を悪用して、社会経済を、悉く洗脳(裁判所情報・澤野虚偽価格情報は正しい、正しい筈との非根拠な思い込み、インプリンティング;適正だろう、適正な筈だとミスリードされた成果)された。
    下記のWeb記事は、澤野嘱託価格を適正価格,適正評価情報を測定するbenchmark,価値測定尺度であると仮定した場合に、始めて成立する記事内容です。
    然し、澤野訴訟・三審判決等から、澤野価格は顕著な不当価格であり、高松価格は適正価格の合理的存在領域内の適正価格であることは、多重に検証確認されている客観的既定の事実です。
    即ち、Web引用記事の指摘した事項は、高松範囲では、非存在の公金違法処理事件をデッチアゲした捏造記事となります。
    http://kotobank.jp/word/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E7%94%9F%E9%A7%92%E5%B8%82%E3%81%AE%E5%B1%B1%E6%9E%97%E5%85%88%E8%A1%8C%E5%8F%96%E5%BE%97%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E8%83%8C%E4%BB%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    DNA鑑定の功罪

     要するに,これまでの司法はDNA鑑定に頼りすぎたのでしょう。状況証拠に基づく事実認定というのは,経験のある裁判官でも非常な困難が伴いますが,科学的なDNA鑑定の結果を犯人性の証拠にできれば,難しい事実認定の判断から解放されるということになり,検察も裁判所もこの新しい証拠方法に飛びつき思考停止に陥ってしまいました。そのため,DNA技術の進化により過去の鑑定結果が必ずしも信用できないことが分かると,これまでのDNA鑑定に頼った裁判は総崩れになり,マイナリさんの事件を含め,異例ともいえる大量の再審無罪事件を生み出す結果になりました。
     司法としては,今回の事態を教訓として,DNA鑑定の証拠能力を法的に制限すること,DNA鑑定の誤りを理由とする再審請求の法制度を整備することが最低限必要になるでしょう。
     ただ,「裁判員裁判などでは証拠隠しができないようになった」という社説には失笑するしかありません。公判前整理手続きで,証拠の8割が裁判官によって排斥される事件もあるという現実をどのように説明するつもりなのでしょうか。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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