「司法修習期」という存在

     最初に法曹界の取材を始めたころ、何かにつけて登場する「期」に、やや戸惑った記憶があります。この世界の人間が、この文字を見ただけで、おそらく直ちに連想するのは、「司法修習期」であるといっていいと思います。法曹への取材の中で法曹の話が登場すれば、相手からは、その人物の情報として、こちらの理解を助ける意味で「彼は○期」ということが必ずといって加えられましたし、こちらが出した人物ならば、「彼は何期?」と尋ねられるので、押さえておかなければならない情報として、自然と意識せざるを得なくなりました。

     私が携わっていた新聞紙面の作りでも、ニュース的に何か特別の意味合いがない限り、名前にしても写真にしても、年齢順や50音順よりも、時に「期」順で並べるのが、少なくとも業界的には「順当」といったことも、先輩や法曹関係者から言われ、ここは一般の感覚とは違う序列があると感じました。

     もちろん、このこだわりには意味があり、関係者には利便性もあります。それは大きく2点です。一つは、つながりの発見です。法曹三者は原則いずれも司法修習を経ていますので、話に出で来た人物が同期であればもちろん、違う期であっても、業界内の人間同士、共通の知人を通したつながりを見つけられたり、それを通した関係を作れるということです。訴訟上、敵対する関係になった場合、それが交渉をスムーズに運ばせるきっかけになる、と説明する人もいます。

     取材するわれわれわれからすれば、ある法曹人の人柄を含めた人物を知るのに、彼・彼女を知る同期に当たるということができたり、種々、からめ手からいかざるを得ない時には、有効なものとなります。

     もう一つは、ストレートに修習期は、基本的にそのまま法曹としての経験年数をつかむ手掛かりになります。年齢との関係で、「期」が若ければ「優秀」だとか、逆ならば司法試験に手こずったとかといった見方をする人もいますが、それよりも弁護士経験が浅くても法曹歴が長いということや、別の社会経験がある可能性が見落とせないポイントとして浮かび上がる効果を発揮しました。

     弁護士にコンタクトを取ろうとする一般市民は、大概、この「期」の存在を知ると、強い関心を示します。自分が知らなかった、弁護士選びの重要情報ではないか、と。ただ、どちらかというと、この「期」に過剰に反応する、ちょっと危なっかしさを感じることの方が多いという印象を持っています。

     前者についていえば、以前にも書きましたが、「同期」というつながりを逆に深読みして、何やら依頼者そっちのけで、自分たち同士の利を中心に、裏取引をしているのではないか、という疑惑の目で見る傾向です。弁護士同士の交渉の結果、弁護士は回れ右をして、それぞれ自分たちの依頼者に向かって「説得」を試みる場面も当然あるわけですが、それは時に依頼者からすると、相手に向き合わず、こちらに妥協を迫る弁護士の姿と見えてしまい、そこに前記疑惑が頭をもたげやすい、という傾向があります。「逆にスムーズにいく」「むしろ依頼者の利になる」という弁護士の説明もよく見かけますが、弁護士が考えている以上に、簡単には伝わらない感もあります。

     後者については、「期」に限ったことでもない、即断の危険です。前記年齢からして「期」が若ければ優秀、違えばその逆といった受けとめ方に始まり、異常に先輩後輩の力関係を気にしたり、そうしたことを弁護士選びの、欠くことができない要素として見てしまう傾向です。「東大だから優秀」「若い人だからダメ」「出身大学が相手弁護士よりいいところじゃないと」「元検事だから刑事裁判じゃないと頼めない」「大物という評判だから大丈夫」など、よく聞くことになる市民の危うい認識の一つに「期」も加わってしまいがちなのです。

     ところで、あくまでこれは印象ですが、業界内で若い人を中心に、かつてほど、この「期」へのこだわりや、この言葉自体を耳にすることが減ってきた感じがあります。前記利便性は、もちろん今もあるわけですが、考えて見れば、少なくとも前者についていえば、いうまでもなくそれを支えているは、「数」としての規模です。同期ができるだけ頭に浮かぶ環境、また、違う期でも、このつながりで本人にたどりつける関係は、一定の規模の条件のうえに成り立っているといえます。数が増えるほどに、それは容易でなく、手段として有効ではなくなるのです。

     かつて法曹人が「期」を語るときは、前記したような利便性だけではなく、どこか「同期の桜」的な、ややロマンチックともいえる仲間意識をそこに見ることもありました。統一修習と「数」としての規模がもたらした、こうした環境は、やはりみんな一緒くた「改革」で消えていくような感じも過ります。


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     最初に法曹界の取材を始めたころ、何かにつけて登場する「期」に、やや戸惑った記憶があります。この世界の人間が、この文字を見ただけで、おそらく直ちに連想するのは、「司法修...

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    No title

    >業界内で若い人を中心に、かつてほど、この「期」へのこだわりや、
    >この言葉自体を耳にすることが減ってきた感じがあります。

    法科大学院という、
    新修習よりも期間が長くて人的密度が濃い体験を有している方々にとっては、
    修習期よりもロー卒年度の方が比重が大きい
    という面があるかもしれないと思います。


    ところで、修習期の呼び方については
    58期、59期、旧60期、新60期、、、という形で
    連続的に呼ぶのが一般的なようですが

    かつての司法修習と、現在の司法修習(+法科大学院制度)は相当に異なるものですから、
    むしろ、過去の端境期に高輪1期の言葉があったように、
    新修習の方については、ロー1期、ロー2期などのように呼ぶ余地もあったのではないかと思う次第です。

    はたまた、現行の観点から新について単に1期、2期、、、と呼び、
    ロー以前の修習期については、並列時期とは無関係に、すべてにつき、旧1期、旧2期、、、と呼ぶことも
    今後ありえるのでしょうか。

    妙な蛇足が長くなり申し訳ありません。

    「期」には別の意味もあります。

     ご指摘の点以外に,最近の「期」は,司法試験の合格者数が何人だった頃の合格者かという意味も含まれており,それによって期ごとのイメージが作られています。例えば旧58期・旧59期は,旧試験でも合格者数1500人時代の人で,不動産の即時取得を認めるといった信じられない低レベルの人がいる,新60期・新61期はいわゆる法科大学院バブル世代でロー卒にしては優秀な人が多い,以後期が下るに従って質が低下しているといったイメージがあります。
     旧試験時代の弁護士から見れば,若い弁護士を「期」で差別する意識がむしろ従来より強まっており,依頼者でも企業法務関係者など業界事情に詳しい人には似たような意識があると思われます。逆に,差別される側の若い弁護士から見れば,自分の「期」を明らかにしたくないという心理が働いているのではないでしょうか。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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