「提案型」と批判・抵抗者の役割

     いまや「提案型」「対案型」の議論を強調する人は当たり前に存在しています。提案に対し、批判するだけでなく、それに代わる新たな提案をする議論こそ、建設的であり、さらにそれを批判する側の「責任」としてとらえる見方でもあります。かつて、旧社会党や弁護士会にも向けられた「何でも反対」といったスタンス批判には、必ずといっていいくらい、こうした型が、あるべき論として、付け加えられていました(「『NO』と言える弁護士会」) 。

     でも、どうでしょうか。確かに「建設的」と見えてしまうかもしれないこれらの型は、よく考えてみれば、大前提として、原案やたたき台の、いわば修正提案で事が足りる場合にこそ、「建設的」といえるスタンスです。しかし、およそ議論の案件とは、そんなものばかりではありません。現状を改悪する提案、今のままの方がむしろいい、といったものに対しては、やはり反対するしかありません。

     この場合、たとえ「建設的」にみえなくても、阻止することにこそ意味があり、「提案」「対案」では、実は目的を達成し得ないということになります。問題はここにあります。提案・対案型ではないとする批判は、実はこうした反対論封じへの一つの口実に使われてしまう現実もあるからです。「提案できないものに批判の資格なし」という言い方は、批判の正当性の議論を度外視した形で、批判勢力を封じ込めようとする方向で使われがちです。

     一方、批判者側で、このスタンス批判を受け止めてしまう人間は、本来、阻止すべき案件に、なんとかして「提案」を用意しようとし、「一歩前進」とか「一里塚」といった言い方で、それを正当化しようとします。しかし、実はこの時点で、阻止すべき案件が、阻止されないことは、ほぼ確定してしまいます。あらかじめ修正案を用意している反対論に対して、相手側がまともに撤回を考慮するわけもないからです。

     もちろん、事実上の阻止・撤回につながるような抜本的見直し提案は、そもそも「提案」という扱いにされない、ということもあります。要するに、無「提案」批判は、時として相手から妥協論を導き出す口実となるのです。

     「日弁連は司法に対する『批判者』の立場から一歩出て自らも、『法の支配』の『担い手』として司法を真に市民のため、国民のためにする司法改革運動に立ち上がった」

     日弁連にとっての「改革」の狼煙ともいうべき、1990年に出された「司法改革宣言」を紹介する日弁連刊行の「日弁連50年史」の一文には、こんな記述があります。「市民のため、国民のため」という目的と、「改革」への積極的スタンスを強調する一文のなかで、やはり気になったのは、過去の日弁連のスタンスを「『批判者』の立場」として切り捨てているところです。

     気が付けば、「改革」がいわれ続けた中で、かつてこの国にあった批判勢力が、「抵抗勢力」のレッテルを張られ、いつのまにか姿を消してきている観があります。弁護士会もまた、その中で、変ってきているという見方ができます。「日弁連は大人になった」という経済界の声を聞いたこともありました。しかし、「オールジャパン」がいわれた「改革」のなかで、批判勢力としての弁護士会の立ち位置や役割もまた、ぼやけてしまったようにも思えます。

     しかし、今、この国に果たして妥協してはならない、徹底して抵抗しなければならない動きというものは、消えたのでしょうか。今こそ、批判者・抵抗者の役割と存在意義が、むしろ語られていい時代のように思えます。


    「司法ウオッチ」会員特典として弁護士情報検索サービス「弁護士データバンク」を追加。ただいま新規登録先着100名様、3月まで会費無料キャンペーン実施中! http://www.shihouwatch.com/membership.html

    ただいま、「次期日弁連会長に求めるもの」「今、必要とされる弁護士」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
    http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信開始!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    コメントの投稿

    非公開コメント

    No title

    > 現状を改悪する提案、今のままの方がむしろいい、といったものに対しては、やはり反対するしかありません。

    ということであれば、そもそも「現状のまま」というのが「対案」なりうるのではないでしょうか。
    そのような主張を隠したままで、反対論のみを唱える場合に「対案をだせ」と批判されるのではないかと思います。

    現行では良くない、されどある案には反対、という場合には、じゃあどうするんだ、という批判に晒されるのは止むを得ないのではないかと思います。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR