弁護士への「不信感」というテーマ

      弁護士が取り上げる議論のテーマとして、「信頼される弁護士」という切り口は、度々見かける気がしますが、「不信感を持たれている弁護士」というものは、あまりお見かけしない印象があります。

     ただ、これは同じことだという方もいるかもしれません。市民から信頼される存在になることは、取りも直さず、不信感を持たれないことでもあり、あるいは、現に存在する不信の原因を取り除く、または生まないようにする努力もまた、信頼構築につながるのだ、と。

     しかし、あくまで印象で言わせて頂くと、前者の切り口はプラスの話が多く、やはり依頼者・市民との信頼関係を築くため、よりサービスや気配りの必要性をいうことに比重が置かれ、決定的に今、現在、弁護士のイメージ低下させているマイナス面を直視した話とは必ずしもいえないようにみえるのです。なぜ、市民はそういう不信感を抱かせるような弁護士と出会うことになっているのか、ということです。

     ネットなどを見ても明らかなように、実は巷には弁護士に対する不信感をいう言葉があふれています。これまでも書いてきたように、この中には、弁護士への過剰期待や誤解を含めたもの、さらには逆恨みに近いものまでも混じっている可能性もありますが、逆にそれですべて片付けられるわけもありません。

     案件やその弁護士との関係に深く踏み込まなければ、その不信感を持つに至った原因や主張の正当性をほかの弁護士を含めた第三者が判断しにくいこと、また、弁護士の仕事そのものが、時にそうした理不尽な誤解や攻撃を受けるものだと割り切っている弁護士がいることも、「不信感」というテーマとして取り上げられてこなかったことと無縁でないのかもしれません。

     しかし、半面、多くの弁護士はもちろん同業者の中に、市民の不信感のタネになるような弁護士の対応、つまり、どう見てもアウトな弁護士がいることもまた知っています。同業者として弁護しようのない弁護士の存在です。

     依頼者・市民から聞こえてくる、最もよくある「不信感」を持っているパターンは、今、接している弁護士の対応に関するもので、具体的にはそれは大きく二つに分けられます。一つは、自分が抱えているある案件に対する対応での「放置」への不信、ほったらかされていると感じることからくるものです。もう一つは、その対応の適切さ自体に対する不信です。

     前者も後者も、きちっとした弁護士による説明や連絡があることによって解消されるものもあるはずです。その意味では、弁護士の配慮不足と説明能力は共通に問われることではあります。とりわけ、後者については、特におカネの問題が絡んでいる場合が目立ちます。当初の話と違って、費用がかさんでくるほどに、不信感もまた倍増しているケースです。ここも、初期段階の見通し、見通せないケースであれば説明能力という問題にはなります( 「弁護士に関する苦情(1)『うちの先生はやってくれない』」「弁護士に関する苦情(4)『見通しが立たない』」)。

     ただ、後者については、それだけではありません。つまり、法的指南として最適なものが選択されていないという場合です。これこそ、手の内は専門家のなかにあり、依頼者・市民には見抜けない、判断しにくい領域にあり、取り返しのつかない結果が出ることもあります。

     また、よく言われることですが、法廷で相手側主張の「嘘」を知ってしまっている一方当事者からすれば、相手方の弁護士は「嘘」の加担者であり、さらにそれにとどまらず、その正当性を法律的に支えるという関係が、「嘘」を承知の上で指南している、深い関与を想定させる場合があります。そこが、弁護士の職責として許される範囲なのか、シッポをつかまれない範囲なのか、明らかに懲戒対象に当たるアウトなのかもまた、市民には分からないまま、結果として不信感につながっていることもあります( 「弁護士が『モンスター』に見える時」)。

     これまでも書いてきたように、取りあえず有効策といえるのは「セカンド・オピニオン」ということになると思います。これは市民側の負担になりますが、弁護士の対応が別の専門家から見ても、間違っていることが明らかになる場合もあるでしょうし、逆にそれは正しいけれども、説明が不足しているということが判明する場合もあると思います。必ずしも解任や別の弁護士を探すことにはつながらないケースもあるかと思います(「弁護士のセカンド・オピニオン」) 。

     しかし、ある意味、こうした形で不信感が解消されるとすれば、それはもはや依頼者に実害を与えず、あるいはそれを最小限に食い止める点で、「うまくいった」ケースというべきなのかもしれません。結局、一回こっきりたまたま出会った弁護士によって、不信感を決定的にしてしまう人もいますし、また、前記したような形で別の弁護士によって救われたとしても、その人の弁護士全体への不信感が必ず払しょくされるわけでもありません。

     前記したような、不信感のタネになっている同業者の対応を知っている弁護士のなかには、「自分はそうなるまい」と自戒の精神で、日々の業務に当たっている方は沢山いらっしゃいます。それはもちろん意味のあることです。ただ、残念なことに、依頼者からすれば、現実的にいかに「外れ」を引かないで済むかが、この資格業そのものに対する不信感を持つか持たないかの要です。

     社会のなかで、市民が能力と精神において「外れ」を引かずに済む確率をいかに上げるのか、取りも直さず、弁護士の一定の質をいかに社会のなかで担保するのか、そして「改革」もその方向に向いているのかどうか――弁護士全体の信頼も不信感の行方も、やはりそこにかかっています。


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    知らない、体験したことが無いだけでは?

    アメリカの法廷もののドラマなどを見ていると、
    証明・立証できないものは真実だと認定されないわけで、
    ましてやその信憑性を否定しあったり、
    まさに民主主義をめぐる戦いそのものですね。
    だまってても正し(と信じてるだけ)ければ、
    認められるとしか知らない一般的日本人には
    the弁護士はどちらの側にでも化けられる不誠実な人に見えてしまいますね。
    けどa弁護士のうち自分についてくれて、かつできるやつならば
    たよりになる、信頼できる人に見えることだと思います。

    テレビでコメントする弁護士を称する人が人気があって自分が支持してても、
    法廷で相手方につけば全否定の対象になるでしょう。
    弁護士資格を持った国会議員は、政策や時の判断が自分の意見と
    違っていれば、否定の対象になるでしょう。ましてや法廷論争的なやり方で
    のらりくらりかわしたり恫喝するのを目にすれば、あぁぁぁと透けて見えますね。

    つまり、
    真実を追究する(と信じている)のは裁判官であり、
    どっちの側にもつくのが弁護士。
    都合のいいようにしか捉えていないことに気付くまではこのままでしょうね。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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