「上からの改革」という理解

     弁護士会内の司法改革論議でよく言われたことばがあります。

     「上からの改革」「下からの改革」

     要するに、権力サイドから推進されるものと、市民サイドから推進されるものといった意味で、「改革」の一つの描き方です。日弁連がこれをどういう文脈のなかでとらえていたかといえば、要するに今回の「改革」をなんとか「下からの改革」にして、「市民のため」の改革にするのだ、と。

     実は、1990年の第1回の「司法改革宣言」に始まる日弁連の「改革」運動で貫かれてきた、「改革」のとらえ方であり、さらに、この「改革」が日弁連主導で進められてきたとする、旧主流派といわれている方々や推進派の方々の根底にある、大義といってもいいかもしれません。

     厳密にいえば、日弁連が対峙した「上からの改革」というものは、1990年代の前半は、1985年の矢口洪一・最高裁長官登場以降、最高裁による公募方式の弁護士任官の実施、陪審制度の調査着手がなされ、一方で法務省から1989年司法試験制度改革の基本構想などが示される動きのなかで、「官製改革」といった言葉で、もっぱら最高裁を中心とした官側の動きを警戒したものでした。

     しかし、1994年の経済同友会「現代日本社会の病理と処方」、同年から始まった米国政府の「対日年次改革要望」などの動きが出始めるなかで、むしろそれは「規制緩和」を背景として経済界、自民党、米国といったものからの影響への警戒感へと変わった観があります。

     こうした対決の構図で日弁連が描くのは、「市民のための改革」こそが改革の正統性を意味するということでもあり、そこには当初、市民サイドの法曹という弁護士として当然の自負があったと思います。ただ、いうまでもなく、「上から」とされた「改革」を進める側が、この二極的な描き方を肯定するわけもなく、表現は「国民」であっても、「市民のための改革」を否定するわけもありません。

     こうしたなかで、国民、市民の側からすれば、当然、疑問が生じる余地があります。一つは何が「上から」で何が「下から」かの区別がつかないことです。その最大の理由は、下から求めた覚えがないからです。およそ、制度として改革が行われる以上、運動にかかわっていない市民からすれば、いずれも「上から」ではないかと思っても当然です。

     その典型は、国民にとって降って湧いたような強制である裁判員制度です。これは国民の悲願であったわけではありませんし、司法に問題があっても、国民の司法不信が頂点に達し、国民がこれは直接参加するしかないと思うほどに至ったわけでもありません。

     これが国民のためになると、官側が言い、それに弁護士会も協力しているように見えるわけですから、推進者は「上からの改革」でまとまっているとしか思えません。法曹人口の増員にしても、法曹養成にしても、仮にこれに反発しない、あるいは支持する国民がいても、それはいずれも専門家たちがこの国や国民のために良かれと思って提唱したものを信頼したからであっても、何の不思議もありません。

     「改革」は「下から改革」でなければだめであるというスタートラインには立っていないし、すべて「上から」と見える「改革」のなかで、「上から」であるがゆえに受け入れた人、受け入れざるを得なかった人がいる、ということです。

     もちろん、ここには「上から」には、実は「国民のため」「市民のため」ではない目的が描き込まれているから、そこに本当に「国民のため」の目的を描き込むようにさせる、ということが、日弁連・弁護士会の推進派サイドから言われるとは思います。

     では、日弁連・弁護士会がそう自負する「改革」がすべてそうした形で、つまり「国民のため」のものとして、実がとれた、という実感を国民が持てるものなのでしょうか。それは甚だ疑問です。裁判員制度は「国民の司法参加」を勝ち取り、刑事裁判を変える契機をつくったと、これまた専門家が強弁しても、「強制」と引き換えにその意義は実感できるわけではなく、違う評価をする専門家もいます。

     司法を変えなければいけないとしても、直接参加だけがその手段であるということは、納得できているとはとても思えません。まして、国民の理解のために「強制」されるというのでは納得できるわけがない。

     弁護士が増えて便利になる、と専門家に言われれば、それを信用して、支持する人たちもいるでしょう。しかし、現実は、どうも弁護士は仕事にあぶれている。よくよく聞けば、社会の隅々まで弁護士が乗り出す未来を描き、泣き寝入りや不正解決が横行していて、どうしても大量に増やさなければならない話になっていたり、その大量人数を支えるだけのおカネを投入する用意がこの社会の側にあると描いている――。これは果たして納得できる話なのでしょうか。

     これは国民が求めた覚えがない「改革」に関する了解度の問題です。求めた覚えがない以上、「下から」とは思えず、「上から」である以上、それを信頼して「国民のため」と了解する、説得力があるものでなければならないはずです。そもそもこれまで信頼して任せてきたものを「統治客体意識」などとくくられていることを国民は知りません。多分、詳しく説明されれば、逆に納得、了解できないと思います。

     基本的なことですが、この点を「改革」を推進する弁護士を含めて法曹関係者の方々が、どうも簡単に考えているか、関心がないように思えてしようがありません。


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    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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