弁護士にとっての「裁く市民」

     19世紀、耽美的、退廃的な作風で世紀末文学の旗手とされるアイルランド出身の詩人・小説家・劇作家、オスカー・ワイルドは、クィンズベリー侯爵の息子との同性愛をめぐる裁判で敗訴し、投獄され、釈放後フランスに移りますが、不遇のうちにパリで46年の生涯を閉じたとされています。

     その同性愛裁判の記録を読んだ内田清隆弁護士が、自身のブロクで面白いことを書いていました。タイトルは、「裁判員裁判では笑いを取る」。

     全く知りませんでしたが、この裁判の中では陪審員に対する冒頭陳述や弁論で、弁護人が、さかんに「笑いを取り」にいっているそうです。詳しくは、内田弁護士のブログをご覧頂きたいと思いますが、内田弁護士の言によれば、どうも現代日本人ではいまいち理解できないジョークが登場しているようです。

     19世紀英国の裁判がどんなものかは分かりませんが、要するにユーモアとウイットに富んだ国の対陪審員での法廷戦術だったということのようです。もっともワイルドは無罪を主張しながら敗訴しているので、この戦術をもってしても陪審員の判断を導き出せなかったということなのでしょうか。

     岡田弁護士は前記タイトル通り、この手を裁判員で挑戦してみたい、というのです。経験した裁判員裁判で、裁判員から、「冒頭陳述では、緊張しすぎていて、弁護人が何を言っているのか分からなかった」という感想を耳にし、冒頭陳述時点の弁護人の緊張が裁判員にうつってしまったのかもしれない、として、その緊張を和らげるために、この19世紀英国流は使えないか、というわけです。

     もちろん、ご本人も「あの静まり返った厳粛な雰囲気でユーモアを発揮しても、笑いを取るのはかなり困難であることは疑い得ない。それを考慮すると、笑いを取るには、『並々ならぬ胆力』と『卓越した技術』が要求されることであろう」と、相当な困難は覚悟しているようです。

     そもそも市民参加の裁判では、いうまでもなく、弁護人は市民に向き合い、説得し、時に心もつかまなければなりません。「笑い」の効果は別にしても、そこに、実はものすごい精力をつぎ込まなければならないという話です。

     はっきりとした裏がとれていない話であることをお断りしたうえで書きますが、今から30年近く前、今は亡くなられた人権派の大物弁護士の方から、冤罪事件を数多く手掛けたことで知られる、あの正木ひろし弁護士が、晩年、意外にも陪審制度に消極的だった、という話を聞きました。その理由として、彼は、こういった趣旨のことを言っていたというのです。

     「裁判官一人を説得するのも大変なのに、何名もの陪審員を説得しなければならないかと思うと、気が遠くなる」

     真実は定かではありませんが、厳しい刑事裁判を闘った彼がいかにも言いそうなセリフのようには思えます。もし、彼がそう言ったとすれば、反権力的な裁判も手掛けてきた彼にして、なぜか裁判の場では、裁判官も参加する市民も同じ人間、あるいは「有罪」という心証が社会に蔓延している冤罪という場面では、同じように苦労して説得しなければならなくなる存在ととらえていた、という風にもとれます。

     しかし、裁判員制度開始以前の、多くの弁護士の受け止め方は違っていました。まだ、制度の骨格も明らかになる前、社会を敵に回しているような重大事件の被告人の弁護をあえて引き受けるタイプの大物弁護士に、これから始まる市民参加の裁判をどう思うか聞きました。いうまでもなく、彼の場合、市民という存在が、より敵対的な立場になり得ることを理解していると思ったからです。しかし、彼の回答はこちらの予想に反するものでした。彼は、即座に迷うことなくこたえました。

     「それでも官僚裁判官の判断よりは期待できる」

     実は、これがわが国の市民参加に当たって、多くの刑事弁護士、ある意味、官僚的な刑事司法との苦しい闘いをしてきた、かなりの数の弁護士が共通してもった期待であったように思います。現在も、裁判員制度賛成に回った刑事弁護士の多くは、そう考えていると思いますし、この制度が官僚司法に突破口を開くといった「風穴論」にもつながっていると思います。

     現実には刑事弁護士でも、ここの認識は分かれ、官僚司法の弊害はもちろん認めながら、この制度が「風穴」を開けることにはならず、むしろ市民参加によって市民が組み込まれていく形で、お墨付きが与えられていくことを危険視して、前記賛成派とたもとを分かった弁護士もいます。「風穴論」どころか「お飾り論」もいわれます。

     改めてこう見ていると、少なくとも前記賛成派の刑事弁護士たちの発想からすれば、参加する国民の説得よりも、とにかく裁判官に対する強い不信が根にあったように思います。一にも二にも主張が通らない、相手にされないというのでは、全く話にならないという、市民が入る状況の方がまだ期待できると言っていることになります。

     逆に、後者に立てば、市民は所詮は組み込まれていくということですから、当然、その効果はないか、極めて限定的で、いわば従来の裁判でえん罪生まれるような状況の案件で、つまり本来の市民参加の効果が最も問われなければならない局面では期待できないということになります。そして、当然そこでは、正木弁護士が言ったとされるような、裁判官も市民もまさに同一の存在として弁護士の前に立ちはだかることを意味します。

     以前にも書きましたように、裁判員裁判参加の弁護士からは、裁判官が裁判員の質問を指導しているととれるという状況や、被害者参加の逆風も報告されています(「伝えられない裁判員裁判の弁護士」)。

     あるいは弁護士は、これから市民に向き合って説得する本当の「試練」を味わうのかもしれません。いうまでもなく、後者の立場に立てば、それは「笑い」を取るよりも、はるかに厳しい、「気が遠くなるような」ものになることは間違いありません。


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    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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