ネット「弁護士批判」の傾向

     弁護士の方々は、ネット上の掲示板に広がる「依頼者」の弁護士批判を、実際にはどのくらい目にしているのでしょうか。

     この中には、根拠が分からない中傷や、逆恨みに近いものも当然、含まれているとは思います。これまで書いてきましたが、弁護士は勝ち負けを伴う仕事だけに、宿命的に恨みをかいます。その意味では、確かに弁護士に限らず、第三者がこうした批判を見ても、事実関係を確かめられない以上、その批判のもとになっている弁護士のエピソードそのものが正しい解釈に基づいているのかが分かりません。

     そう考えれば、あるいは弁護士が「いちいちそんなことに耳をかしていられない」と片付けてしまっていたとしても、それはそれで仕方がない面もあります。

     ただ、突っ込んで弁護士に聞いてみれば、まず、こんな答えが返ってきます。

     「まあ、そういう奴もいるかもしれないが」

     前記事情から、いないとも断言できない、ということになりますが、現実的には弁護士の耳にも、悪辣な同業者の話が、入っていないわけでもないのです。

     あえて「依頼者本音スレ」といったところに掲載されている弁護士批判を見てみれば、そこに描かれている弁護士の姿は、大きく2点のように見えます。一つは人格的な問題、人間としてレベルが一般に人よりも低いといわんばかりの批判、そうしてもう一つは拝金主義、カネに汚い姿です。

     高圧的で依頼者のいうことに耳をかさず、カネ取り主義で、およそ社会正義とは無縁のような姿です。

     「弁護士に頼んだ人の話し聞くと、かなりの割合の人がこうゆう経験してるよね!職務怠慢と金の不透明さ、そして最後は開き直り法を使ったヤ○ザ弁護士状態で泣き寝入り!」
     「依頼者の筋がいい条件。・証拠がきれいな事件を依頼する。・資力の問題で回収できないことも理解している。・適格な打ち合せが出来る。・何かあっても文句は言わない。・筋のいい客を紹介してくれる。・盆暮れには立派な物を送ってくれる。・報酬外のお礼も忘れない」
     「弁護士なんかとまじめに言い合っても無駄です。日本の弁護士はただの頭でっかちですから身勝手で用地で思いやりもなく日本語も通じないと思ったほうがいいです。それでいて自分たちは難しい司法試験に合格したという
    プライドだけは超一流です。社会人の常識もない人ばかりないのに。。。弁護士事務所に働いてた私が言うんですから本当です」(「【裁判難民】依頼者本音talkスレ【弁護士増員して】」)。

     こうした弁護士の「質」にかかわる批判的な論調に対して、この手の掲示板での問題解決への期待感が、結局、何に向けられているかといえば、これも大きく2点のように見えます。

     一つは弁護士の増員。まさに推進論者がいう「淘汰」が、こうした「質」の悪い弁護士を消し去ってくれるという期待で結んでいるものです。そして、もう一つは弁護士無用論。つまり、できるだけ弁護士とかかわらない社会ができないか、というものです。本人訴訟をできる環境をつくること、書記官を増やし、手続き的な指南を受けられる体制をつくることや、司法書士の増員を挙げる人もいます。既に弁護士の「質」に期待しないことが、問題解決への期待という立場です。

     後者の立場には、前者のような弁護士増員による「淘汰」の効果に対する疑問、むしろ「質」の悪い弁護士が増えるという悲観的な見方がかぶっています。

     さて、これからのことから分かるのは、まず、弁護士増員の推進論者がいう競争による「淘汰」によって良質の弁護士が残るという考え方が、いかにこうした弁護士への不満を持つ市民の「改善」への期待感と結び付きやすいかということです。それは弁護士の仕事を他の商業活動と同一化する、分かりやすさを伴っていることもあります。逆にいえば、これまでも書いてきたように、現実的にはこうした「淘汰」が成り立ちにくい弁護士という仕事の特殊性が、いかに理解されていないか、ということでもあると思います(「弁護士増員論議の中の『淘汰』」「弁護士『淘汰』が無視する実害」)。

     そういう意味では、「淘汰」に期待できないとする後者の見方は、その前提においては間違ってはいません。ただ、重要なことは、「淘汰」への疑問が、今度は一足飛びに「質」の確保ができないことを前提とした、いわば法曹養成への悲観的な見方につながっていくということです。

     ここまでの話は、もちろん冒頭書いたように、根拠のない中傷や逆恨みを含んだ弁護士批判を前提にしてきたものです。ただ、少なくとも、弁護士の「質」のことを考えず、とりあえず増やせばなんとかなる、というような弁護士増員推進論が、およそ弁護士にとっても、市民にとっても、望ましい展開にならないだろうことは、ここからも読みとれるように思います。
     

    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
    http://www.shihouwatch.com/

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    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





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    No title

     「旧試のマチ弁」さん、ご返事ありがとうございます。



     余計なことかもしれませんが、こちらのブログの管理人さんは、匿名でのコメントは「堂々と」した態度ではない、したがって「責任主体を明らかにし、責任を負うその姿勢」に欠けているので、「説得力も含めてその評価を減殺」する、とこの記事のコメント欄に書いておられます。

     したがって「旧試のマチ弁」さんの意見も、「評価を減殺」したうえで判断されるはずです。なるべく実名で書き込まれたほうがよいのではないかと思います。

     私は「評価を減殺」せずにご返事します。



    > 弁護士の能力が変わらなくても,持っている件数が増えれば,1件当たりの密度が薄くなり,質が下がるのは当然です。
    > 良心的な弁護士であっても,この議論は変わりません。

     弁護士の数が増えれば、弁護士の能力が高くなるのではないでしょうか。すくなくとも私は、このように考えています。

     弁護士の能力が高くなる、という前提で考えますと、「増員前よりも有能な弁護士がより早く(速く)仕事をする」ということになります。したがって、弁護士の数が増えれば「(事件処理の)質が下がるのは当然です」という考えかたには、疑問があります。

     

    > しかし,食い詰めてきた場合に,常に上記の矜持を保てる弁護士ばかりではないと思います。残念ながら,人間の本性はそのようにできていません。旧試だろうが法科大学院だろうが,その部分を教育によって矯正することはできません。

     それをいうなら、私がすでにコメントしているように、「他の業界においても同様に、事業者数を制限しなければならない」と考えるべきだということになると思います。したがって、そのような根拠でもって、弁護士の数を増やしてはならない、と考えることには疑問があります。



    > (A)「親身でほうれんそうもしっかりして,2000万円取ってくる弁護士」が良いに決まっています。しかし,数が増えれば,(B)「親身でほうれんそうもしっかりして,1000万円しか取れない弁護士」の比率が増えることは間違いないと思います。あなたたちは,(B)に当たっても満足できますか?(A)と(B)を見分ける自信はおありになりますか?

     見分けることは不可能である、という「旧試のマチ弁」さんの論に従えば、弁護士の数が増えない場合であっても見分けることは不可能です。なお、弁護士の数が増えれば「(事件処理の)質が下がるのは当然です」という考えかたには疑問があることは、上述のとおりです。



     なお、「事件処理の質」ではなく、「弁護士の質」についていえば、増員によって「質が高くなる」と考えられます。これについては、下記、私のブログの記事をお読みください。

    「弁護士増員と、弁護士の質の関係」
    http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/833bc6b491b77347b7aacd02965a7f29

     私は上記記事において、(弁護士の先生方には)増員によって弁護士の質が下がったことを示していると受け取られている意見に対し、「それは違う。むしろ逆である」と考えるべきであると述べていますので、最後まで読んでください。

    あなたは「良い弁護士」かどうか判断できますか?

    この記事のコメントが気になり,若干述べさせて頂きます。

    依頼者の皆さんが弁護士の善し悪しを評価できるか,という点ですが,実はなかなか難しいと思うのです。

    わかりやすくするために極論を申し上げると,
    「①めちゃくちゃ偉そうでろくに報告もしないけど相手から2000万円取ってくる弁護士」と,
    「②親身になって話を聞いてくれて,ほう・れん・そうもしっかりしてくれるけど1000万円しか取ってきてくれない弁護士」と,
    どちらが優秀ですか?という問いに対する答えを考えて頂くということです。

    お医者様やmemo26さん達がいみじくも例示しているように,弁護士に対する批判の殆どが,弁護士の態度やほう・れん・そうの無さへの指摘だと思います。

    「親身でほうれんそうさえしっかりしてくれていれば,負けても満足です。リピータにもなります。」
    なんていう依頼者はきわめて少数です。殆どの依頼者にとって大切なのは「勝つ(獲得目標を達成する)」ことであって,弁護士に最も求められているのはこの部分だと思うのです。
    もちろん,「親身でほうれんそうしっかり」というのはサービス業として欠かせない部分だと私自身は考えていますし,依頼者の方の満足度にも大きく影響します。
    しかし,それは必要条件であって十分条件には決してならない。

    そういう意味では,「ポーズ」弁護士増加の嫌な兆候(http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-140.html)で指摘されている弁護士像は,皮肉にも②を充足している可能性があるのですね。
    そして,そういう弁護士が「良い弁護士と言えるのか」ということです。

    ある事件をどのように進行し・組み立てていくのがベストなのかは,弁護士から見ても非常に難しいことが多いですし,全部終わってみてさえとった方法がベストだったかも判断しかねる場合が少なくありません。まして,その指標として獲得金額の問題,解決に要した期間の問題,依頼者の方の満足度のどれが一番なのか,その評価すら難しい。
    依頼者の方はすごく満足していただいたのだけど,弁護士にとっては「もう少し(他の要素で)何とかゲインできたのでは」ということを考えながら,「それでもご満足をいただいたんだから」と考えることはよくあります。

    お医者様はドクターでいらっしゃるのでしょうから,「後医は名医」という言葉とその実感をお持ちでしょうから,上記のような状況については共有できる感覚があるのではないかと思います。
    ましてや弁護士が取り扱う問題は,傷病とは違い,何が「治癒」「寛解」なのかすら判断が難しい場合がしばしばです。

    私自身がハイレベルな弁護士であると自信を持って言えるわけではないですが,大規模な単位会の中でも名前を聞けば誰でも知っている大きな事務所との数億円規模の訴訟事件で,明らかにその事務所側が有利な事実関係であったにもかかわらず,まずい法律構成・まずい主張展開・まずい証人尋問を重ねたあげく,自滅的に敗訴していかれた経験があります。
    また,大手事務所の準備書面は,チャージ制報酬のせいだと思われますが,やたら長くて意味不明のものが少なくない,というのが私の率直な感想です。



    「質」の議論を,預かり金を横領した,時効に掛けて権利を消滅させてしまった,態度が偉そうでサービス業の風上にも置けない,などという「わかりやすい過誤」をしないように,というレベルで論じるべきではありません。

    競争が起きれば単価が下がります。
    弁護士の業務は事件事件・依頼者お一人お一人毎に異なる事情がある以上,手作りの職人業務です。
    単価が下がっても収入を維持しようと思えば,勢い手持ち事件を増やすか回転を早くするしかありません(経費節減は自ずから限界があります)。

    そうなれば待っているのは「安かろう悪かろう」です。
    弁護士の能力が変わらなくても,持っている件数が増えれば,1件当たりの密度が薄くなり,質が下がるのは当然です。
    良心的な弁護士であっても,この議論は変わりません。

    「それなら,高くても良い(金を出せる)ので腕のいい弁護士に頼む」事を望まれる方がいらっしゃるかもしれません。

    しかし,私は断言します。私は相談者として初対面の弁護士と会い,その人が「腕の良い弁護士」かどうかを,きっちり判断できる自信がありません。
    なので,とっかかりはどうしてもその人のリップサービスの部分で判断,ということになりそうだと思います。しかし,その人の判断が的確かどうか,相手との交渉をうまく立ち回ってやってもらえるか,正直「やってみないとわからない」です。
    しかし,相手との丁々発止は,「まずい?」と思ったときには既に取り返しの付かないミスをしてしまっている場合すらあります。

    そういう時に,少なくとも私より法律の知識の少ない方が,致命傷になる前に,的確に弁護士をコントロールしたり,解任したりできるでしょうか。



    弁護士の仕事が「高尚」であるとは思いません。しかし,「難解」であることは確かであり,それ故に専門家である弁護士が生業として成立しうるのです。
    そして仕事が難解であることだけでなく,内容の評価も難解なのが、弁護士業務のやっかいなところなのだと思います。



    もう一つ,弁護士に依頼する最大の安心感は,「依頼者自身の利益を第一に考えてもらえる」事だと思っています。少なくとも私はそのように考えて行動しています。
    もちろん,弁護士費用は依頼者のご納得の下,正当にいただこうと思いますが,それでもその人の利益にならない(その可能性が低い)事件を無理に受けたり,暴利をむさぼる気はありません。
    それは,弁護士に頼む以上「安心」を持っていただきたいと日々思っているからです。

    しかし,食い詰めてきた場合に,常に上記の矜持を保てる弁護士ばかりではないと思います。残念ながら,人間の本性はそのようにできていません。旧試だろうが法科大学院だろうが,その部分を教育によって矯正することはできません。

    弁護士「成仏理論」が描き出す未来(http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-126.html)で触れられた精神論は,制度論を論じる上では,およそ正気の沙汰とは思えません。
    高橋宏志・東大名誉教授は,このような「高尚な」暴言を公刊物でぬけぬけと書くのであれば,いままで受け取った給与を全額返納してから言うべきなのです。



    (A)「親身でほうれんそうもしっかりして,2000万円取ってくる弁護士」
    が良いに決まっています。

    しかし,数が増えれば,
    (B)「親身でほうれんそうもしっかりして,1000万円しか取れない弁護士」
    の比率が増えることは間違いないと思います。

    (A)に当たる幸運な人ばかりではないのです。

    お医者様やmemo26さんは,「幸いなことに」偉そうな弁護士に当たってしまったがゆえに,「悪い弁護士」の一典型を見ることができました。

    あなたたちは,(B)に当たっても満足できますか?(A)と(B)を見分ける自信はおありになりますか?
    (B)に当たった依頼者の方は被害者だと思いませんか?全くゼロ円なら気がつくかもしれないですが,1000万円取ってきているところが,「被害」をわかりにくくするわけです。


    お医者様やmemo26さんには,ぜひ,「お前ががんばればよい」とか「贅沢言うな」とか「良い人でいるべきだ」などという精神論から脱却していただきたく思います。

    No title

    さて、こんxxわ。たまたま目についたので、所感などを書かせて頂きたいと思います。

     こちらの管理人様は、「弁護士と闘う」というブログはご存じでしょうか?こちらの過去の記事を検索するに、このブログを取り上げた記事は見当たらないようです。( http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii )
    そのブログを読んでいると、著名な弁護士団体であっても自らを律することができないのだ、と感じました。
    そもそも弁護士側は一般人から批判されたところで、何の痛痒も感じていないようです。
    懲戒請求という浄化作用が働かない汚泥の底にある著名な弁護士団体が、反権力どころか反社会(反日)ですらあることには呆れて物が言えません。
     また、遡及の禁止すら忘れてしまった自称人権派(=活動家)の政治活動を止めさせることなく、クライアントの権利保護を名目に反権力を容認するのは危険ではないでしょうか?


     話は変わりますが、何年か前、山手線車内で弁護士あるいは検事と思しき集団が話をしていたのを思い出しました。曰く、「最近の若い弁護士は分かってない」(慣例を破るような対応が多い、というニュアンス)のだそうです。
    故に、昨今の弁護士の方々が権力あるいは同業に対して従順かと言われれば、少々違和感を感じます。

    以上

    No title

     ここらにするもなにも、すでに議論は終わっていますが…。

    ありがとうございました

    memo26さん、通りすがりの者さん

    ありがとうございます。
    残念ながら、今回のmemo26さんのコメントも全く同意もできなければ、かみ合ってもいないと思います。やはり堂々めぐりになっていると思いますので、通りすがりの者さんのご提案通り、ここらにしましょう。
    真剣にまじめにお書き込み頂いたことに感謝します。

    No title

    もうそろそろおやめになったら?
    議論が建設的なものになってないし、きりがないのでは?

    No title

     ご返事ありがとうございます。

    > 外食産業が食中毒を出す危険性があることが分かっていて、それを規制によって退場させられる見通しがつかないのに、

     保健所が介入すればよいだけです。

     ところで、弁護士が「静かに退散」すると予想されるか、という話に、ニーズは関係ありません。論点がズレています。しかし、あえてここでニーズについて考えれば、

    > 「改革」の描き方はこの国に大量の泣き寝入りと不正解決がはびこり、あまねく司法が手を広げ、弁護士が乗り出していかなければならない、です。一見してないニーズも眠っていると。有償・無償のニーズを含め、大量のニーズが本当にあるならば、公的に弁護士は増やさなければならないかもしれない。

     私は「この国に大量の泣き寝入りと不正解決がはびこ」っている現実はあると思いますし、「ニーズも眠っている」と思います。

     問題は、価格です。要は、弁護士に依頼すると「高い」ために、需要が増えないのです。弁護士さんの数が増えれば、「価格が下がる」と予想されるので、潜在的なニーズが顕在化すると思いますよ。

    ありがとうございました

    memo26さん、コメントありがとうございます。

    おっしゃろうとしている意味は分かりますが、私はそういう描き方はできないと思います。外食産業に限らず、他の商業活動と弁護士を必ずしも同一にみれるとは思っていないし、そこを同一にみるかみないかも分岐点なのですが、あえてあなたの論にのっかります。

    外食産業が食中毒を出す危険性があることが分かっていて、それを規制によって退場させられる見通しがつかないのに、国が激増政策をとると思いますか。過当競争を結果として奨励する政策をとると思いますか。その事実がはっきりした時、国民はその政策を支持すると思いますか。その部分に目をつぶって、自由競争にゆだねるという考えが、国民の安全を考えているということになりますか。

    いうまでもないかもしれませんが、根本的なスタートが違います。「改革」の描き方はこの国に大量の泣き寝入りと不正解決がはびこり、あまねく司法が手を広げ、弁護士が乗り出していかなければならない、です。一見してないニーズも眠っていると。有償・無償のニーズを含め、大量のニーズが本当にあるならば、公的に弁護士は増やさなければならないかもしれない。インフラとしてです。もしそうだとすれば、大量の弁護士を支えられる制度、あるいは保険制度のようなものがあってもいい、いや、制度を作ってでも増やすべきかもしれない。

    ところが議論は、有償・無償がごちゃまぜです。競争にゆだね、あたかも掘り起こせば、出てくると。つまり、有償のニーズがあるということで、大衆は実はお金を投入する用意があるんだということを勝手に描き込んでいることになります。だが、有償のニーズ、顕在的ニーズはそこまでない。これは、どうみても破たんの構図ではないですか。有償のニーズによる収益が、あるいは無償のニーズに対応すべき大量の弁護士を支えきれないということになります。

    そこになにが起きるかです。静かに退散する人もいるかもしれない。倫理レベルが退散するかどうかという確証のない事実を持ち出す前に、この混乱のなかで、国民の権利や財産が危険にさらされる可能性がある政策を国が推し進めるのはどう考えてもおかしくないですか。国民はまだ、この現実をよく知らないだけです。

    この意味では、弁護士会の懲戒制度が十分とはとても思っていません。「あらゆる業界の業者数を規制しなければならない」というのは、論理の飛躍で、弁護士は規制しなければ危険だと思います。「質」のリスクを大衆の自己責任に転嫁してまで、この政策を推し進めるということになりますか。大マスコミの論調に引きずられている大衆が、これを知っても、それでも弁護士を増やせというと思いますか。リスクが回ってくるかもしれない「掘り起こし」奨励策を支持すると思いますか。

    「全体の傾向」とおっしゃるけれども、例えるならば、外食産業よりも薬品のが分かりやすいかもしれません。臨床例で、何百件に一件の深刻な副作用が出るものが社会に流れることを国家が認可し、出回ることを政策として奨励し、淘汰の過程で被害者が出ることも覚悟で推し進める。これに大衆が賛成するとして・・・。

    これだけでも、外食産業との同一化では、語りきれないと私は思います。

    No title

     もちろん弁護士のなかには倫理性に欠ける人もいれば、きわめて倫理的な人もいらっしゃると考えられますが、ここで重要なのは「(弁護士)全体の傾向」です。

     河野さんの論理だと、外食産業を例にとって考えれば、

     廃業やむなきになれば「静かに退散」せず無理なコストカット等を行い、大衆が食中毒等の被害を被ると考えられる。これは大衆の生命・健康に関係する重大な危険である。したがって、食えなくなった業者が「静かに退散する」という甘い前提には立てません。業者数を「激増」させてはならず、業者が大衆に安全な食事を提供できる(=業者が十分な利益をあげられる)業者数を維持すべきである、

     という主張になりますね。これでは、「あらゆる業界の業者数を規制しなければならない」ことになってしまいます。したがって河野さんの主張は説得力に欠ける、と考えます。

    (1)「弁護士の倫理レベルは一般人と同等か、それ以上なので、一般の人々と同様に、静かに退散する人が多いと考えられる」
    (2)「弁護士の倫理レベルは一般人よりも劣っていると実感しているので、食えなくなれば静かに退散するとは考えられない」

     上記、(1)(2)のいずれかであれば説得的だと思いますが、河野さんの主張は論理的に無理があるのではないかと思います。

     外食産業の例で言えば、「なかには食中毒事件を起こす業者もいるが、ほとんどは問題を起こさずに静かに退散する」現実があります。弁護士についても、圧倒的大多数のかたは食えなくなれば「静かに退散」すると考えられる、というのが私の主張です。

    「お医者さん」さんへ

    「お医者さん」さんへ

    こうした論調があることは、申し訳ありませんが、弁護士にならなくても百も承知です。しかし、この方がそうとはもちろん断定しませんが、この議論は弁護士とひとくくりにしても、実は、その人のポジション、状況によって全く視点が違うし、結論も違います。経済的な安定が約束されている既存の弁護士が「競争けっこうじゃないか」といい、これから参入する人間やそうした既得権益がない人間が反対している構図がないわけでもありません。だから、弁護士のなかに入らない方がいい。というか、そういう立場でないから書けていることもあります。私が業界を代弁しているとおっしゃることは結構ですが、実態はそんなに単純じゃないのですよ。他の弁護士の方の論調もご覧になった方がいい。実は、あなたのいう論調に、喜んでいる弁護士たちがいて、その方々がどういう層の方が、ご自身でよくご覧になった方がいいと思います。今は、これ以上、議論しても無駄だと考えます。

    No title

    なにも貴方を怒らせるつもりはなく、シンプルに弁護士になって現実を見るべきだと思ったまでです。

    以下は、弁護士の書かれたブログですが業界の真実を嘘偽り無く書いた記事です。http://d.hatena.ne.jp/shin422/20110618/1308414478

    >合格者増加は「質の低下」をもたらすとの主張は、確かに全体の平均をとればある程度の「質の低下」がもたらされることだろうことは容易に想像されるだろう。ただし、ここにいう「質」とは何か、という点がきちんと議論されることが前提になるだろう。実務経験によってもまれながらその能力が鍛えられもする弁護士としての「質」を、実務経験以前の段階で適切にはかれるわけないのに、それを無視して「質」云々というのがおかしいし、のみならず、自分自身の「質」を棚に上げて質の低下を云々することもまた部外者からみて甚だ滑稽だ。
    >血相変えて業界エゴ丸出しの主張を繰り返し、それをたしなめる新聞の社説なりがでると、やれ暴言だの、やれ記者の収入がどうだのと支離滅裂な「暴言」を叫び続ける弁護士がいわば「悪あがき」をする様は、これまでの法曹養成制度もまた問題を抱えていたことを証し立ててもいるように思われるのである。

    「お医者さん」さんへ

    「お医者さん」さんへ

    >弁護士になられては如何でしょうか?
    折角のご提案ですが、いまのところそのつもりは全くありません。弁護士になっていたら、おそらくこんな議論をしていたかも分かりません。

    >内部の実情を率直に書かれては如何でしょうか
    少なくともあなたよりは内情はわかっているつもりです。そこまでおっしゃるならば、何をもとに偉そうにおっしゃっているか知りませんが、お医者さんを休業されて、取材でもされたらいかがですか。

    memo26さんへ

    memoさん、コメントありがとうございます。

    >弁護士が世間の人々に比べて倫理性に欠ける

    そういう見方をする弁護士の方もいることをご紹介したまてで、私はそこまで思っているわけではありませんが、そもそも「世間並みかそれ以上に倫理的であると思っていれば、『静かに退散する』」という前提が全く理解できませんので、この議論は意味がないと思います。「世間並み」とはどういうことか分かりませんが、現在も弁護士の不祥事が存在するわけで、これを「世間並み」というのであれば、memo26さんの言い方の反対解釈として「世間並み」には「退散しない人」がいるでしょう。だとしても、その「世間並み」に「退散しない」ことでも弁護士の場合は影響がないのか、といっているのです。こだわっている方が、「退散する」方か「退散しない」方かなので、えんえんとかみ合いません。「世間並み」が何かは不明確とはいえ、別に一定の倫理感を持ち合わせていても、「静かに退散しない」と思いますし、それがすべて不祥事になるとも限りませんし、ご本人も不正義と思わないでしょう。仮にそうだとしても、望ましくないと思っているのです。結果として、そうした「正当に」退散しない人の犠牲になるのは、大衆ですから。

    No title

    ご議論が白熱しておりますが、私の提案です。
    ブログ主様も弁護士になられては如何でしょうか?
    現行の新司法試験は合格率が大幅に上がったと聞きますし、
    法科大学院を経なくても弁護士になれる制度も設立されたとも聞きます。

    ブログ主様も弁護士になられた上で、内部の実情を率直に書かれては如何でしょうか?
    今の立場のブログ主様は例え実名であっても、弁護士の太鼓持ちと申しますか出入り業者の様な、弁護士業界に媚を売る様な立場にもお見受けし、ご主張の内容の公平性に欠ける様にも思われますが。

    No title

     私の主張の要点は、「弁護士が世間並みかそれ以上に倫理的であると思っていれば、『静かに退散する』と考える(主張する)のが自然」だということです。
     そこで河野さんにお聞きしたいのですが、河野さんとしては、「弁護士は世間並みか、それ以上に倫理的であるとはいえない」つまり「世間並み以下の人が多い」とお考えなのでしょうか? (河野さんは弁護士が世間の人々に比べて倫理性に欠ける、とは一言もおっしゃっていないけれども、心の中ではそう思っておられるのですか、ということです)

     なお、私は同意を求めたのではなく、同意しただけですし、文句を言っているわけではなく、そういうものではないですか、と書いたまでです。ネットでの活動(書き込み等)で実生活上の利益(利点)を得ることを望んでいない場合、ネットでは匿名を使うのが常識(普通)だと私は思います(これは人によって感覚が異なるかもしれません)。

    memo26さんへ

    memo26さん、コメントありがとうございます。

    >私に対する印象が変わった、ということでしょうか?

    まさに嫌だといった「どうどうめぐりの」議論になっていると感じたから申し上げたまでです。とりわけ前々回の私に対するコメントではないところで、私の姿勢に対する批判的な論調への同意を求めるような記述を拝見して、正直「あるいはご理解頂ける点もあるのではないか」という期待感が薄まりました。

    >主張の論理性や説得力は、「実名かどうか」で判断すべきものではなく

    実名で意見を発表するかしないか、それによって、責任主体を明らかにし、責任を負うその姿勢において、それが評価に影響するかしないかは、あくまで見解の相違だと思います。とりわけネット空間の意見主張では、なりすましあり、あるいは言いっぱなしで突然姿を消すこともあります。事実を前提として話をする以上、説得力も含めてその評価を減殺されることもあるのを覚悟のうえでなければ、匿名は選択されない方がいいと私は思います。匿名を選択してそうした評価になったとしても、あくまで受け手の取り方ですから、文句をいう筋合いとも思いません。もちろん、「匿名」を強要するものではありません。

    >、「世間一般の(=弁護士以外の)人に比べて卑しい人が多い」ということにはならないでしょうか? 
    >弁護士が世間一般の人々と同程度に倫理的であるか、それ以上に倫理的であるとお考えであれば

    「卑しい」という表現が正しいかどうかは別にしても、memoさんの言い方を借りれば、弁護士の場合、「世間並みに卑しい人」が混入するだけで大問題ではありませんか。ただ、弁護士がすべて一般人より自らが上等だと思っているとお考えならばそれは間違いです。弁護士の認識として、実は「一般の人と比較して、弁護士の方が倫理観において劣っていると感じることも多い」という方もいます。その理由は、「おそらく弁護士が常に『法律に反するか否か』と言う最低の倫理たる法律の世界で日常暮らしているせいではないか」という指摘です。弁護士からみた同業者に対する正直な感想にも読めます。
    http://www.veritas-law.jp/newsdetail.cgi?code=20110626131306

     ある意味、社会にとって、弁護士こそ、倫理において常に厳しいハードルを突きつけなければならない所以でもあります。弁護士不祥事が既にいま多数発生し、現実に市民が被害にあっている現状を見れは゛「静かに退散する」ことを前提にする見方は、何か弁護士一般に対する特別な信頼をお持ちか、弁護士という仕事の社会に及ぼす危険性について、ことさら甘くとらえる見方に思えます。

    No title

     ご返事ありがとうございます。

    >>元「法律新聞」の編集長さんとしては、「顧客である弁護士の利益を守る主張をすること」が仕事(重要)なのかもしれませんね。

    > あなたこそ、先に「結論ありき」のようにお見受けしますので、何を申し上げても無駄のようですが、そういう趣旨ではやってはいません。

     河野さんご自身が、(こちらのブログの下記記事のコメント欄で)「どうどうめぐりの議論は嫌ですが、memo26 さんは立場に固執しない柔軟な思考をされる方のようですので、あるいはご理解頂ける点もあるのではないか、という気がし出しています。」とお書きになられたのですよ?
     私に対する印象が変わった、ということでしょうか? 私のブログをご覧いただければご理解いただけるかと思いますが、私は「先に結論ありき」の態度はとっていません。

    「若手が嘆く「大変さ」の違い」
    ( http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-148.html#cm )において、


    > 弁護士会内の反「改革」の論調をマスコミがフェアにとりあげず、また、それと同じ方向の識者が露出し、結果一部の偏った情報から弁護士をたたいて、溜飲を下げているムードを作っているだけです。…(中略)…だから、形として、一部弁護士たちの意向を代弁することになるのは当然で、代弁者といわれるのは結構な話です。あえてそうした意見を提示しています。

     マスコミが「偏った」主張をするので、河野さんもこちらのブログで「偏った」主張をする、それでバランスが取れる。だから「あえて」偏った意見を主張している、ということですね。そういう考えかたもあるかもしれませんね。


    > 論理的主張だ説得力だとおっしゃるなら、まずは堂々と実名でご主張されたらいかがですか。それの方が説得力があります。

     主張の論理性や説得力は、「実名かどうか」で判断すべきものではなく、「内容がどうか」で判断すべきものであるはずですが…。


    >>あなたは、ほとんどの弁護士は「品性が卑しい」ので、食えなくなれば静かに退散するのではなく、非行や犯罪に走る、とお考えなのですか?

    > 「ほとんどが卑しい」などとは一言も言っていません。ただ、食えなくなった弁護士が「静かに退散する」という甘い前提には立てません。逆になぜ「静かに退散する」という前提に立つのかが皆目わかりません。

     たしかにあなたは「ほとんどが卑しい」とは一言もおっしゃっていませんが、食えなくなった弁護士が「静かに退散する」という甘い前提には立てません、というあなたの主張そのものが、「世間一般の(=弁護士以外の)人に比べて卑しい人が多い」ということにはならないでしょうか? 世間一般では、自分が食えなくなったからといって「犯罪や非行に走る人」は稀です。弁護士が世間一般の人々と同程度に倫理的であるか、それ以上に倫理的であるとお考えであれば、「静かに退散する」という前提に立つことこそが、自然ではありませんか?

    ありがとうございました

    memo26さんへ

    >元「法律新聞」の編集長さんとしては、「顧客である弁護士の利益を守る主張をすること」が仕事(重要)なのかもしれませんね。

    あなたこそ、先に「結論ありき」のようにお見受けしますので、何を申し上げても無駄のようですが、そういう趣旨ではやってはいません。そもそも「改革」反対を表明している弁護士が弁護士会の多数派で、一枚岩で反対しているお考えならば、それは全くの間違いです。現状を全くご存じありません。あなたのおっしゃる趣旨ならば、できるだけ多数派で、少なくともお金を持っている弁護士層を応援した方がいい。そういう意味では、弁護士会内の反「改革」の論調をマスコミがフェアにとりあげず、また、それと同じ方向の識者が露出し、結果一部の偏った情報から弁護士をたたいて、溜飲を下げているムードを作っているだけです。それにのっかって弁護士をたたくのは簡単なことです。だから、形として、一部弁護士たちの意向を代弁することになるのは当然で、代弁者といわれるのは結構な話です。あえてそうした意見を提示しています。大マスコミの報道は明らかにバランスを欠いていると考えています。論理的主張だ説得力だとおっしゃるなら、まずは堂々と実名でご主張されたらいかがですか。それの方が説得力があります。ただ、今のところ、これ以上の議論は無駄だと思います。

    >あなたは、ほとんどの弁護士は「品性が卑しい」ので、食えなくなれば静かに退散するのではなく、非行や犯罪に走る、とお考えなのですか?

    「ほとんどが卑しい」などとは一言も言っていません。ただ、食えなくなった弁護士が「静かに退散する」という甘い前提には立てません。逆になぜ「静かに退散する」という前提に立つのかが皆目わかりません。「質」の保証なく、社会に放ち、あとは「淘汰」ということをおっしゃるのならば、なぜ、その人間が「静かに退散する」何か良識を持ち合わせた良質の人間たちと描くのか全く分かりません。そもそも、そうした描き方は、何度も言う通り大衆のことを考えているとはとても思えません。法科大学院を出て、現在の司法試験に受かれば、そうしたことをする人間たちはいない、という何か法科大学院への強い信仰でもお持ちなのですか。

    No title

    >> すくなくともこのような「思い上がった」弁護士の態度は、増員によって変わってくるでしょう。増員すれば、もっと真剣に市民のことを考える弁護士さんが増えると思います。

    > 全くそうは思いません。それはある意味、きれいに現実を描きすぎではないでしょうか。むしろ、なぜ、そんな善意解釈のようなことをされるのか、わかりません。喰いつめて余裕のなくなった弁護士が、静かに退散していくようなイメージでしょうか。

     基本的にはそうです。河野さん、あなたは、ほとんどの弁護士は「品性が卑しい」ので、食えなくなれば静かに退散するのではなく、非行や犯罪に走る、とお考えなのですか?

    No title

     お医者さん、ご返事ありがとうございます。

     たしかに、ここのブログ主さんの主張は、「結論先にありき」になっていますね。そのため、ブログ主さんの主張は論理性を欠いており、説得力に乏しい内容になっているのが残念です。せっかく「司法制度改革」という重要なテーマを扱っておられるのですから、もっと論理的な主張をしていただきたいですよね。

     元「法律新聞」の編集長さんとしては、「顧客である弁護士の利益を守る主張をすること」が仕事(重要)なのかもしれませんね。

     弁護士の管理については、弁護士自治をどう考えるのかが問題になります。これについては、弁護士に媚びる(こびる)弁護士がいる現状で、はたして弁護士自治がうまく機能するのか、という問題があります。外部の機関に弁護士を監督させたほうがよいのではないかという意見は、改革推進派の弁護士さんのみならず、改革「反対派」の弁護士さんからも出されているようです。

     これ(↓)は私のブログの記事ですが、よろしければ御参照ください(ほかにも多数、関連記事があります)。

    「弁護士業界は病んでいるのかもしれない」
    http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/83a09361eda265d1486d2244384c1556

    ありがとうございました

    「お医者さん」さん、コメントありがとうございます。

    それは全くその通りだと思います。
    いまだに法科大学院中心主義に固執する日弁連の姿勢も含めて、失策だと思います。

    今後ともよろしくお願いします。

    No title

    >これまでも完ぺきではなかったが、今の方向は明らかに後退しています。

    より良い法曹養成の旗印の元に法科大学院なるものが雨後の竹の子の様に設立されたと記憶しております。この法科大学院には税金も多額に支出されたと聞きます。
    現在この法科大学院の卒業者が大量に司法試験の不合格だと報道されています。

    多量の税金を投入して行われた法科大学院設立が、改善策として機能しなかったのは、
    弁護士会も含めた法曹界自体の失策なのではないでしょうか?

    法科大学院に投資された税金などは、老人の介護に使わせてもらいたかった。

    「お医者さん」さんへ

    「お医者さん」さんへ

    >現状の弁護士の拝金主義や依頼者を見下す状況を、どの様な方法で改善すると言うのでしょうか

    これに対する回答をするならば、徹底した教育、法曹養成の改善しか方法がありません。これまでも完ぺきではなかったが、今の方向は明らかに後退しています。むしろ、なぜ、数を激増させると、拝金主義や依頼者を見下すか状況がなくなるのか、分かりません。増やして質が低下というよりも、淘汰で質を確保する考え方に同意できないのです。きれいな絵を描きすぎです。

    >弁護士会による弁護士の管理は機能していない。今後、弁護士の管理を法務省にすると言うのなら私は弁護士の数は現状でも状況改善につながると考えます。

    弁護士の管理が機能しているのか、常に考えなければならないとは思います。ただ、弁護士自治には別の意義がありますので、これは別に考えていく必要があります。

    memo26さんへ

    memo26さんへ
    このブログ主さんは完全に業界の代弁者です。意図的か無意識かわかりませんが。

    例えば、ブログ主さんは、弁護士の人数が増えれば質が落ちると繰り返しますが、
    はたして、現状の人数の少ない日本の弁護士の質が高いと言うのでしょうか?
    一般市民が安心して弁護士に相談出来る状況があるとでも言うのでしょうか?

    もし、ブログ主さんの言う様に、弁護士の数を増やすと弊害があるなら、
    現状の弁護士の拝金主義や依頼者を見下す状況を、どの様な方法で改善すると言うのでしょうか?ブログ主さんに具体的にお示し頂きたい。

    医師は厚労省に管理され医師会は友好団体に過ぎないが、弁護士会による弁護士の管理は機能していない。今後、弁護士の管理を法務省にすると言うのなら私は弁護士の数は現状でも状況改善につながると考えます。

    ありがとうございました

    memo26さん、コメントありがとうございます。

    >増員すれば質が下がるという河野さんの主張の根拠がわかりません。

    増員を肯定する競争による「淘汰」で、質が良質化する、質が確保されるという考え方には立てないと思っています。以前にも同様のことを書いたと思いますので、繰り返しになりますが、増員で質を確保するというのは、資格として質をてきるだけ一定に保とうとする努力よりも、依頼者の自己責任に偏った考え方だと思っています。資格者の質を信頼するという利用者の利便をかえりみないばかか、資格そのものの存在する意味まで疑わなければならなくなります。

    >すくなくともこのような「思い上がった」弁護士の態度は、増員によって変わってくるでしょう。増員すれば、もっと真剣に市民のことを考える弁護士さんが増えると思います。

    全くそうは思いません。それはある意味、きれいに現実を描きすぎではないでしょうか。むしろ、なぜ、そんな善意解釈のようなことをされるのか、わかりません。喰いつめて余裕のなくなった弁護士が、静かに退散していくようなイメージでしょうか。

    memo26さんとのご意見は平行線で、水掛け論のように感じます。いま、これ以上、議論しても、一致点はみつけられないかもしれません。根本的な認識が違うように感じます。ただ、memo26さんのような認識が、マスコミ論調によって、広く薄くひろがっていることは事実で、そのために違う視点をはっきり提示するのも、私の仕事だとは思っています。

    No title

     横から割り込みます。すみません。


    > とりあえず増員=質の低下の論理飛躍はどうにかならないんでしょうか。
    試験さえ受かればどんな人でも(大学生でも)弁護士の素養があると判断された旧司法試験制度のほうも質の悪い弁護士を大量に排出してましたよね。
    そもそも弁護士の質で嘆く人の言ってる弁護士って大体旧司法試験合格者ですよね。

     上記引用はこの記事に最初にコメントされた少佐さんの意見です。私も同感です。増員すれば質が下がるという河野さんの主張の根拠がわかりません。根拠を示していただけないでしょうか?


    > ただ、「お医者さん」さんのご意見で、一つ同意できないのは、「人数が少ない特権階級の上に、法律事務所が少ないなど競争がないことに起因する」という点です。もちろん、この点についても、弁護士の特権階級意識については反省すべき点もあるかと思います。ただ、人数を大量に増やして、競争することで、「淘汰」によって「質」が良化するという一般の商品やサービスのような論理をここで持ってくるのは、弁護士という資格業についていえば危険だと思うのです。

     上記引用は、「お医者さん」のコメントに対する河野さんのご返事です。私は「お医者さん」の意見が現実に合致していると思います。

     たとえば私の場合、弁護士さんから「トンチンカンな」アドバイスをされ、困っていると、その弁護士さんは「アドバイスしてやってるんだ!!」と私に怒鳴りましたよ。

     「アドバイスしてやってるんだ!!」って、いったい何様のつもりなのでしょうか?
     

     すくなくともこのような「思い上がった」弁護士の態度は、増員によって変わってくるでしょう。増員すれば、もっと真剣に市民のことを考える弁護士さんが増えると思います。

    ありがとうございます

    「お医者さん」さん、コメントありがとうございます。

    アメリカの弁護士資格と日本の弁護士資格は、全く異なります。なにかアメリカの資格の方がレベルが高いという前提でお話されているようにも思いますが、試験ははるかに簡単です。また、私の知る限り、日本の弁護士よりもはるかに評判は悪いですよ。過当競争のなかで、訴訟社会アメリカを支える米国弁護士は、カネ取り主義の典型として嘲笑の対象にもなり、長くアメリカにいて、訴訟当事者にもなった友人は、絶対にアメリカの弁護士ような、紛争を焚きつける存在に日本の弁護士はなるべきではない、と言います。日本にとっては、今後増員時代を迎えるにあたって、悪いお手本とみていいと思います。

    今後ともよろしくお願いします。

    No title

    では素人からの質問です。

    なぜ弁護士の数が増えると質が下がるのでしょうか?
    日本より弁護士が数十倍のアメリカの弁護士は質が低いのでしょうか?

    アメリカではロースクールを出た人のほとんどが司法試験に合格すると聞きます。
    日本ではロースクールを出た人の多くが試験に落ちると聞きます。

    この差は何なのでしょうか?

    ありがとうございました

    「お医者さん」さん、コメントありがとうございます。

    おっしゃっていることは、よく分かります。実は、以前もこのブログで書きましたが、私も同じような経験をしています。異業種間の交流をする集まりなどで、私の仕事を知ると、弁護士の話になったりするのですが、内容は、ほとんどたちの悪い弁護士との関わりの話ばかりです。

     もちろん、弁護士は恨みを買い、悪く言われる仕事です。勝ち負けにかかわる仕事ゆえ、当事者間には不満が残り、逆恨みも含めて、少なくともかかわった半数は悪く言う、という人もいるくらいです。ただ、それにしても、これまでの弁護士の業務に対する姿勢として、問題のある人がいたことは事実だと思いますし、反省すべきところもあると思います。

     ただ、「お医者さん」さんのご意見で、一つ同意できないのは、「人数が少ない特権階級の上に、法律事務所が少ないなど競争がないことに起因する」という点です。もちろん、この点についても、弁護士の特権階級意識については反省すべき点もあるかと思います。ただ、人数を大量に増やして、競争することで、「淘汰」によって「質」が良化するという一般の商品やサービスのような論理をここで持ってくるのは、弁護士という資格業についていえば危険だと思うのです。どのくらい続くかわからない「淘汰」の過程で、さらに大衆が犠牲になる可能性があるからです。そこを依頼者側の自己責任とするのは、現状では酷だと思っています。

     数だけ増やし、競争が激しくなるほど、当然、効率よく稼げる方に向かいます。カネにならない事案に向き合う弁護士がいなくなる、というか、現実問題として向き合う余裕がなくなるということもあります。非常に社会的影響力が大きい、ある意味、危険な資格てある以上、「一定の質」の保証にこだわるべきで、いったん社会に放ち、「淘汰」によって質を確保するという考え方は望ましくないと思います。

     これまでの弁護士の体質に改める点があることは事実ですが、ならばこそ、今、数よりも質にこだわることが、国民の安全だと考えています。法曹養成も、まず数ありきで、現在の大学運営という別の利害が絡む法科大学院という制度が導入され、それが壁にぶつかっている現状からも、もう一度、そうした考え方に立って、法曹養成をとらえ直すべきとも考えています。

     今後ともよろしくお願いします。

    No title

    こちらこそ私などの素人の意見にコメントを頂きありがとうございます。
    確かに医者と違い弁護士には一生に1回し関わらないというのはありますねー。
    調子に乗って素人の持論を続けます。

    私の回り、つまり医者仲間には弁護士と関わったことのある人が沢山おります。これは沢山の医者が医療過誤で訴えられているというのではなく、例えば遺産相続や土地問題などなど、一般的なトラブルで弁護士に相談したことがあるという医者です。50過ぎの医師ならば、たいてい1度や2度は弁護士と面談したことがありますが、その医師たちが一応に口にする言葉は「弁護士は態度が悪過ぎる」「弁護士に金銭で騙された」「弁護士には信用出来る人間はいない」という内容なのです。

    彼らの言う弁護士の姿は、まさに、このブログに御指摘のあった【裁判難民】依頼者本音talkスレ【弁護士増員して】の多くの内容と合致しているのです。

    どの世界にも例外は居るので、信用できる感じの良い弁護士も存在するのでしょうが、私が医者の約10人から聞く限り(もちろん別々の弁護士ですが)誰一人弁護士のことを良く言わないのです。要するに、感じが悪い上に金銭をぼったくられて、いい加減な仕事をされた。今後二度と弁護士とは関わらない。何かあったら本人訴訟にする。というコメントです。

    この医師らはもちろん法律に無知なので、その弁護士が態度は悪くとも能力の高い弁護士であったかどうかは判断できません。
    しかし聞いた話しの中には、仕事を全うすることもなく前払いの金銭を取って逃げた弁護士の話しすらあり、これはもう法律の能力以前の人間性の問題ではないかと判断せざる終えません。

    この弁護士らの一般人から見ると「やりたい放題」の振る舞いは、人数が少ない特権階級の上に、法律事務所が少ないなど競争がないことに起因するとしか思えないのです。

    病院でも、ど田舎の開業医などでは態度が悪く知識がない医者でも成り立ちます。1億近い開業資金さえあれば田舎で開業する医者は苦労がありません。競争がない上に、田舎には弁護士も居ないので医療過誤で訴えられる心配すらありません。

    弁護士の話しに戻しますが、アメリカには日本の何十倍の弁護士が居ると聞きます。
    私がアメリカに留学した際に話した弁護士達は、皆とても感じが良く、日本で聞いた様な高飛車で人として会話にもならない様な弁護士は居ませんでした。何かあったら相談したいと思う様な弁護士ばかりでした。

    日本での弁護士の評判の悪さと、アメリカでの弁護士のアクセスしやすさ、評判の良さを比較すると、その差は、日本の弁護士の数の少なさと直結して考えざる終えないのです。ど田舎の医者が勉強不足でやりたい放題でも儲かっている様に。

    日本の弁護士が少数精鋭だとしても、その少数さと能力の高さにあぐらをかいて、仕事以前に人間として?の存在ばかりならば、相談をする市民にとっては不幸でしかありません。

    日本もアメリカの何分の一かは弁護士の数がないと、相談者がのぞむ、法律以前の人間性の改善などは望めないのでと考えるのは、私の様な法律部外者の医師だけではないと思えてなりません。

    専門外の持論を述べたるので素人の的外れはお許し下さい。
    ただ、日本人には優秀な人が多いのに、なぜ裁判には期待出来ず、弁護士は悪評判ばかりなのか?とも思い、その筋に詳しいブログ主様に色々質問したくもなります。

    私も引き続き、このブログの他の記事を読ませて頂いて、法律の世界の現状について勉強させて頂こうと思います。








    ありがとうございました

    「お医者さん」さん、コメントありがとうございます。

    興味深いご指摘だと思いました。「地域の住民の教育度や文化度」の反映というのは、面白い観点だと思います。ただ、「なんらかの形で弁護士の良し悪しは評価され、良質な弁護士は良質な住民が居る場所に集まるなどして、弁護士は選別されるだろう」という見方は、弁護士についてはなかなか難しいだろうと思います。
    医師に比べて、そこまでの地域密着性がないということもありますが、最も違うのは、医師に比べて、多くの大衆にとって、弁護士は一回性の仕事、場合によっては一生に一度お世話になる仕事であり、多くの人が日常的にかかわり、人生の最後にはほとんどの人がかかわる医者とは違うからです。つまり、淘汰の前提には、ご指摘のように見分けられる環境とともに、次があるかないかも大きな要素であると思います。

    また、見分けられる環境についていえば、素人の私が、医者をされている方に申し上げることではないかとも思いますが、確かにご指摘の通り、医師についても、医療内容や診断能力は素人にはわかりませんが、はるかにセカンド・オピニオンは弁護士よりも進んでいるし、また、私のまわりの口コミの評判も、実際に他の医師にいったところ、薬の処方を含めて対応にあきれられたとか、同業者の評価が弁護士よりも進んでいる(弁護士の場合、法的な指南の適否については、個別の案件に相当踏み込まなければ、他の弁護士か一概に評価しにくい面もあります)感じもあります。

    今後ともよろしくお願いします。

    No title

    弁護士の人数を増やすと悪質な弁護士が増えてしまい、一般人が見分けられないとのご意見かとお見受けしましたが、本当にそうなのでしょうか。

    私は医者ですが患者は医者を見分けられません。
    患者は「感じが良い」「優しい先生」程度の評価は出来ても、
    医療の内容や診断能力は医師同士でなければ見抜けません。
    したがって評判だけ良く実力のない医者も沢山います。
    しかし良質の医師が集まる地域とそうでない地域があるのも事実です。
    具体的には首都圏の港区千代田区文京区などの、いわゆる文化度の高い地域には、レベルの高い医者が集まっています。逆に、いわゆる下町と言われる地域や埼玉千葉茨城などの周辺地域には、レベルが低い医療が蔓延している傾向が見られます。
    つまりや地域の住民の教育度や文化度が、直に医療や医師の質に反影しており、
    これは、山の手ほどレベルの高い学校がある、学校と地域の関係とも似ています。

    脱線しましたが、一般人が弁護士の本質を具体的に見抜けないとしても、
    なんらかの形で弁護士の良し悪しは評価され、良質な弁護士は良質な住民が居る場所に集まるなどして、弁護士は選別されるだろうと私は思います。
    その様な観点に立つと、弁護士も充分な数に増やした上で、一般人に選択させるという方向は、間違っているとは思えないのです。


    No title

    「学内」の論理という話ですが、学内も別に一枚岩ではなく、ロースクールについて事務職員サイドが熱心で教員サイドが冷めてる大学、あるいはその反対の大学、両方熱心な大学も中にはあるかもしれない(いざ法科大学院をつくるとなると、私立の場合、文科省に顔の利く研究者や官僚の天下りが来る)。実際にはもっと複雑ですね。

    その過程であるべき法曹論なるものが話し合われたことがあったか?といえば当然ないわけで、あまり意味のない議論ではないかと思います。ただひたすら、その大学にとって法科大学院設立の損得のみが関心でしたし、中でも補助金が関心の中心だったことは言うまでもありません。

    ありがとうございました

    少佐さん、コメントありがとうございます。

    各法科大学院サイドの事情を知る貴重な情報として拝見いたしました。また、ご指摘のような文科省の責任部分についても、興味深く読ませて頂きました。今後、さらに幅広い観点から、情報を集めたいと考えています。

    弁護士のニーズに関する少佐さんのご主張について、必ずも否定するものではありません。ただ、それでもなお、それを弁護士を激増させるニーズとして描くのは、なお無理があると思います。

    とりわけ「これは弁護士からのりこむのではなく、市民がのりこまないといけないでしょう。そういう意識の変革が必要なのではないのか」といった考え方は、あるべき論として語られても、これを大衆のニーズとしてくくりきれるのか、なお疑問があります。結局、こうして語られるあるべき論を国民が本当に求めていたのか、そこに「改革」は立ちかえるべきと思っています。

    たとえば、仮に大量の無償のニーズ(国民がお金を大量に投入する用意がないニーズ)に激増した大量の弁護士が必要、といっても、これは現実的ではありません。大量の弁護士を支えられないからです。それこそ、医者のような保険制度でもなければ無理です。弁護士増員ありきの議論は、有償と無償のニーズの話はごちゃまぜで、結果、それがないと分かったらば、「まだまだある」「掘り起こせ」といまだに連呼している。ただ、この状態は危険です。大衆も弁護士も、現実的には「掘り起こし」と「焚きつけ」の区別はつかない、というかつかなくなってくるからです。

    そうなってから、国民が「これはわれわれが求めた社会ではない」と言うことになるのが、困るのです。これは決して国民の自己責任とは思わない。「きれいな絵」しか提示しなかった側の責任だと思うからです。

    私も大変、面白いやりとりになったと思います。表現として、お気に触ることがあったのならば、大変失礼いたしました。他意はないことをご理解頂ければ幸いです。

    今後ともよろしくお願いします。

    No title

    的確な返事、ありがとうございます。

    法科大学院村とひとくくりにされてしまうと少し残念な気持ちになりますが、事実元々のターゲット校とそれ以外の補助金目当ての大学では相当意識が違います。実際ターゲット校では実務の弁護士を招聘して授業を教えさせたり、他学部から教授を呼んでその専門を教えさせたり、寄附講座を設けたり、模擬法廷を学内に作って模擬裁判をしたり、学校と法律事務所、または官と密接に協力しながら弁護士育成に取り組んでいます。そしてターゲット校の合格人数だけであったらOJTを行うのも問題ないでしょう(そもそもOJTをここまで重視する国は先進国ではほぼないですし、ここ何年でほぼすべての分野でOJTから大学院教育にシフトせざるおえないのではないかと思ってますが、これは割愛)。問題は圧倒的多数のそれ以外の学校であり、私立助成金同様に本来お金が行くべきとこにいっていません。これは(少なくとも)ターゲット校の責任ではないですし、明らかに文科省の責任です(確信犯的であると思いますが)。許可を与えない、合格率が低いと許可を取り消すなど措置はとれたはずです。それこそ市場の淘汰がなされなければいけません。専門外ではあるかもしれませんが、こういう実態にも目を向けて筆写らしい切り口で見ていただけるとうれしいです。

    1)これは同意しますが、上記で説明したとおり、ターゲット校、それ以外の大学、法曹界、文科省(どれも一枚岩ではないでしょうが)でかなり思惑が違っているせいで起こってしまった事態ではないのでしょうか。ただ今の方針のままでも修正を加えていけば、人数をある程度増やした状態で質を旧制度よりも高めることができるのではないかと考えていますし、(もちろん警笛をならすのも重要ですが)そのような議論がもっと活発にあってもいいのではないかと思います。ただほんの少しの修正を加えるのにここまで苦労する土壌ですとそこまで期待もできないのかなと思ってしまいますが。

    2)別に医者でなくとも会計士でも税理士でも何でもいいと思います。弁護士も人生の最後にほとんどの人がお世話になりますしね(遺言を書かないというなら別ですが)。ただ私は弁護士も特別な存在でなく、「これ経費でおちるの?」とか「どうやったら法人税の支払いを抑えられる?」とかそんな身近な存在としてとらえるべきだとは思ってます(何度も言いますが、数を増やすとは全く別の話です)。これは市民にとってのニーズ(need)であってwantではないと思います。ですが、日本ではあまりにも違法スレスレ、もしくは違法な契約、契約外の業務をさせられるケースがあまりにも多いです。学生のアルバイトに関してはほとんどがそうでしょう。彼らは弁護士がいちいち関わってこないほうがいいと思ってるかもしれませんが、彼らにとって弁護士(でなくとも法律に詳しい友達)が必要です。特に法教育があまりにおろそかな日本ではそうでしょう。弁護士の仕事は問題を解決することだけではありません、事前に防ぐのも弁護士の仕事です。これは弁護士からのりこむのではなく、市民がのりこまないといけないでしょう。そういう意識の変革が必要なのではないのか、ということを言っています(旧制度においてもそう思いますし、増やせばそうなるとも思っていません)。一般市民が悪徳業者や悪徳雇用主、または法それ自体から身を自分で守らないといけません。そこで利用したことない弁護士を問題解決に利用すること自体がリスク管理の観点から考えればナンセンスなのは自明だと思います。こういうことができた上で人数を増やすなら市場の淘汰も期待できるでしょうが、そうではない状態で人数を増やしても市民の啓蒙がなければ意味がないと思っています。
    経済でも同じですよね。いくら市場を開放したところで、一般市民がリスク管理、ポートフォリオ管理の基本を抑えないと損をするだけです。でもそれは一般市民の責任でもあります(複利計算もできないのに投資する人って結構います)。啓蒙活動をしてこなかった政府、経済界、証券会社の責任でもあります。ただとれる対応とすれば市民の啓蒙を続けるしかない、というのが現実でしょう。

    大マスコミに関しては自分の生涯でまともな議論が展開されているのを見たことがないので、そこには問題は確実にありますし、こうして筆者が警笛をならすことにはものすごい意義がありますし、応援もしています。
    (もちろん筆者の専門的な範囲ではないかもしれませんが)この問題は(ひいては今後の社会での法のありかた)については法曹界だけでなく、一般市民、大学、官僚が一体になって議論すべきでありますし、それには市民の実情、大学の実情、官僚の政策、についても見ていかなければいけないですし切り込んでいかないといけないのではないでしょうか。今後益々の幅広い活躍を期待しております。

    ありがとうございました

    少佐さん、コメントありがとうございます。

    質問に答える前に、重要なご指摘だと思うので触れさせていただきます。法科大学院の最大の誤算は、予想以上の立ち上げ校数にあったというのが、当局の公式見解です。いわば、責任は大学側にあるということです。経緯として、大学側の認識ではそうではないと。やる気のない法科大学院立ち上げに駆り出されたということですか。もっとも、補助金目当てという時点で、アウトですが、この一時をもってしても、「プロセス」云々いっても法曹養成の担い手の適格性が問われるところではないでしょうか。

    (1)について
    現在と比べてどちらかよりいいかの問題です。旧司法試験の体制に全く改善点がなかったわけではなく、法曹界は法曹養成問題をずっと議論してきました。あなたの質問にストレートに答えれば司法研修所の教育と、その後の弁護士がきちっと法律事務所で修業させられる環境ということでしょう。もともと法曹界は司法研修所の教育に対し、低い評価をしておらず、三者は研修所を中核とする教育を前提に議論していました。その議論の前提を崩し、法科大学院を導入せざるをえなくなったのは、法曹界側の事情でいえば、ひとえに「数」です。大量増員が既定方針になったとき受け入れざるをえなくなった。いろいろな批判はあっても、三者が実務に精通した教員を送り、丁寧に教育してきた実績があります。その後の、弁護士事務所でのOJTの体制が壊れていることもご存じかと思います。手取り足とりの教育には、それ自体に「数」の条件があった。一定の質を(少なくとも今よりも)提供する、後輩を輩出するための適正規模があった、というのが、現実だと考えています。法科大学院という存在が、この体制を超えて、より質の安全を確保し、まして、とりあえず社会に法曹を放ち、あとは「淘汰」でなどという、利用者市民のことを考えない思想にくみしないのならば、話は別ですが、「法科大学院村」から聞こえてくるのは、全くそうではありません。

    (2)について
    医者の姿にかぶせて、弁護士の身近な未来をイメージさせる手法は、全く増やしたい側の方弁に過ぎません。そもそも、医者と弁護士は違う。日常的に国民がかかわらざるを得ず、人生の最後にはほとんどの人がお世話になる仕事と、庶民にとって一生に一度かかわるかかかわらないか、かわらない人が多数の仕事をどうして同一に見られるのですか。庶民にとって弁護士はそうしたニーズではない。分かりやすく言えば、むしろ、そうしたニーズの社会を作ろう作ろうとしていることが問題なのです。ここに、国民的なコンセンサスが得られているとはとても思えません。

    弁護士が身近になることを求める人もいるとは思います。ただ、それがいまの大増員の形の理由にはならない。弁護士は市民の上にいる存在ではない、というのは全くその通り。何事にも弁護士が乗り出してくる社会、弁護士が乗り出せば社会が良くなるという見方に、むしろそうした横暴を感じます。ひとつだけ付け加えれば、「増えることはいいこと」をえんえんと大マスコミが、国民に刷り込もうとしているところにも問題性を感じています。その意味で、別の切り口を少しでも提示していくのは、私の仕事からすれば、私の使命だと思っています。

    No title

    中々議論もおもしろくなってきたので、もう少しお付き合いいただければと思います。言葉の選び方に関して不快に思われたようなので、それもお詫び申し上げます。

    >ただ元来法科大学院に反対の立場だった大学を半ば無理やり引き込んで始めた「推進計画」だったので、ここは法科大学院教育、法曹教育を一括して議論しないといけないのではないのでしょうか

    これは少し語弊がありましたね。私も学内で関わっていたので覚えてますが、元々法科大学院のターゲット校は設立に反対でした(少なくとも東大と慶応は)。ここで国から補助金がでるということからターゲット校は渋々参加することになり、補助金目当ての大学が一斉に設立に乗り出すという事態になったという経緯がありました。そういう意味で元来と使わしてもらいました。われもわれも、の無名大学多数に関しては色々問題があるのは承知ですが、これはもはや法曹云々以前に文科省の問題なので割愛します。

    少し誤解があるようですが、私は弁護士の数をむやみに増やすべきとは思ってませんし、数を制定するような性質のものでもないと思います。市場の淘汰はあると思いますが、淘汰以前に弁護士の質をあげねばいけないと思ってます。
    そのためにはとりあえず人数を増やすことが最初にあるのではなく、門戸を広げることが重要なのではないのでしょうか。そのための法科大学院ですし、そのために弁護士の人数が結果的に増えるのはしょうがないと思います。その質を保証するのは(弁護士になるための最初のステップの)法科大学院であるから、法科大学院教育も力をいれるべきですし、その後の法曹教育も同様に考えて行かないといけないと考えています。局所最適は全体最適と一致しないものです。それとも筆者は筆者は法科大学院の質は弁護士の質に関係がないとお考えなのでしょうか。

    ちょっと議論がごちゃごちゃしてきたので、2つだけ質問させてください(推進・反推進とかの議論とは別に先入観抜きで答えていただけるとうれしいです)。

    1)旧司法制度で弁護士の質が保証できていたと思う根拠を教えて下さい。

    2)弁護士が身近にあり、些細なことでも、単に疑問に思ったことでも相談する社会が悪い社会だと思う根拠を教えて下さい。(弁護士がのりこむとかの話ではありません、むしろ逆です)

    私事で申し訳ないですが、学生の時、アルバイトの契約をするとき、違法(ギリギリですがかなり労働者側に不利な)契約書を書かされそうになったことがあります。この時はかかりつけの弁護士に確認してもらい、契約をしなかったですが、このような契約をさせられている、または契約違反のことをさせられているケースは多いと思います。別に弁護士がのりこんでどうのこうのというわけではありません。その議論とは別に、それでも「そんなかかわり方をしたいという市民は、圧倒的に少数です」といえるのでしょうか。私は弁護士も医者もどんな仕事でも対等だと思います。弁護士は市民の上にいる存在でも下にいる存在でもありません。これは(弁護士も市民も)望んでいなくとも意識の改革が必要なのではないでしょうか。

    ありがとうございました

    少佐さん、コメントありがとうございます。

    >ただ元来法科大学院に反対の立場だった大学を半ば無理やり引き込んで始めた「推進計画」だったので、ここは法科大学院教育、法曹教育を一括して議論しないといけないのではないのでしょうか

    全く同意できない見方てす。それこそ大学側かわれもわれもと大学起こし的に立ち上げ、法曹養成とは別の利害が絡んだ法科大学院について、逆にこんな見方をする人は、およそ弁護士会のなかでも見かけません。後段はいろいろなとらえ方をされる方もいるとは思いますが、「一括して議論しなければいけない」という前提はおかしい。法科大学院中心主義に引きずられた見方としか思えません。

    >人数が少ないからといって質が高いという論理はあまりにも短略的
    少ないから質が高いという以前に、そもそも質・量ともにという「改革」が実現していないことはどう考えるのでしょうか。多数を世の中にとりあえず放出して、競争で淘汰させるということは、「質」の保証を市場にゆだねる考え方です。問題にしたいのは、これまでの枠組みとどちらが大衆にとって安全かということだけです。より安全な形を選ぶ発想に欠けること、そのことをマスコミも伝えないだけです。

    >そこから推測するに、弁護士の量を増やせば、必然的に行政書士等の仕事を食っていくことになります。たぶん弁護士ももっと身近になる(ならざるおえない)でしょう。一回性のお付き合いではなく、かかりつけの医者みたいにかかりつけの弁護士というのが習慣付けられていくのではないのでしょうか。(希望的観測も含めて)

    全く推測する前例が違うと思うので、そもそもこうした希望的観測はもてませんが、まさにこの描き方が私がいう「きれいな絵」です。少佐さんのコメントでは、何回か短絡的という言葉が出てきますが、私にはそういう見方こそ短絡的にみえます。少なくともよく弁護士の中で、今時司法審意見書の描いたような絵で、単純に増やせばなんとかなるといった極端な楽観論は、そうそうお見かけしません。まして欧米を引き合いに出して、云々は、およそ10年くらい前の「改革」論議できかれたものだと思います。

    そもそも、今は、こうした弁護士を増やせば社会がよくなる、という考え方そのものが、弁護士の思い上がりだという意見が、弁護士からも聞かれています。それ以前に、あちらこちらに弁護士が乗り出してくる社会というのは、「改革」を規定した側が作った絵であって、本当に国民が望んでいるかも疑わしい。「二割司法」などという感覚的で根拠のないキャッチコピーに引きずれ、有償・無償のニーズも区別つけないまま、眠れる大鉱脈があるような前提で、勝手に弁護士があふれる社会を描いただけです。泣き寝入りや不正解決がないわけではないでしょう。ただ、極端な司法の機能不全の絵を描いた結果が、今の「改革」です。医者と弁護士をことさにかぶせて描くのも、彼らの都合のいい描き方です。そんなかかわり方をしたいという市民は、圧倒的に少数です。逆に本音で語る弁護士は、異口同音にいうことです。

     かっちりご回答頂いて本当にありがとうございます。ただ、前提になる認識にかなり隔たりがあるように思いました。お互いに短絡的なとど言い合っても建設的ではありませんね。法曹関係者にもいろいろな考え方がいますので、あるいは少佐さんの周りにいらっしゃる方と私の周りにいる弁護士もまた、根本的に違う考え方をもっているのかもしれません。

    こちらこそ長々と失礼いたしました。



    No title

    返事、ありがとうございます。

    前半は同意ですが、少なくとも私の周りの法曹関係者でそんな短略的な意見はあまりみません。ただ元来法科大学院に反対の立場だった大学を半ば無理やり引き込んで始めた「推進計画」だったので、ここは法科大学院教育、法曹教育を一括して議論しないといけないのではないのでしょうか。少なくとも弁護士への道の門戸は法科大学院で始まっているわけですから、入り口も議論しないといけません。法科大学院は質の高い法学生を輩出する義務がありますし、法曹界は法科大学院をサポートする義務があります。ここの連携の強化が弁護士の質の向上へのキーではないのでしょうか。

    私が疑問に思ってることは、もちろん一定の質の確保は必要と考えていますが、旧制度でそれはどのほうに確保されていたかということです。人数が少ないからといって質が高いという論理はあまりにも短略的だと思います。受験勉強の偏差値が高い=優秀くらい短略的で意味もないです。法律を全部暗記すれば、もしくは法解釈がテキスト通りできれば質の高い弁護士なのでしょうか。

    外弁開放の議論をあげたのは、当時今回と同じように「外弁開放したら外国のろくでもない弁護士が増えて大衆の日本人が困る」という議論があったからです。結果なにがおこったか。優秀な弁護士は海外と連携しビッグディールをつかみ、中堅以下の弁護士は今までやらなかった仕事に流れていきましたよね。そこから推測するに、弁護士の量を増やせば、必然的に行政書士等の仕事を食っていくことになります。たぶん弁護士ももっと身近になる(ならざるおえない)でしょう。一回性のお付き合いではなく、かかりつけの医者みたいにかかりつけの弁護士というのが習慣付けられていくのではないのでしょうか。(希望的観測も含めて)

    ご存知だと思いますが、欧米ではかかりつけの弁護士が各家庭に大体ついてます。自分もいますし、仕事等の契約(若かったときはアルバイトですら)があるときは逐一みてもらっています。一回数千円もしません。かかりつけならサービスでやってもらえるかもしれません。仕事で法務上問題がなくてもなにかあれば(あると思ったら)相談します。三十分の相談でも数千円でしょう。そうやって弁護士を身近に置いておくことによって弁護士を判断していくのも大衆としては必要なのではないのでしょうか。急病になったら知らない病院、医者にかけこみますか?いえ、大体は風邪やら健康診断でいつもお世話になっている医者に相談するじゃないですか。なにかあったら弁護士じゃ遅いんです。なにかなくても弁護士という付き合いをしていかないとだめなのではないのでしょうか。

    長々とすみません。

    ありがとうございました

    少佐さん、コメントありがとうございます。

    むしろ、「増やすことはいいこと」一辺倒の推進派大マスコミの報道を見ている市民に読んでもらいたくて書いています。競争と淘汰によって、よりよいサービスが得られるという「きれいな絵」は、必ずしも描けないと思っています。一定の質の弁護士を選択できないことを利用者側の自己責任にされるのは、今の環境では、恒常的に弁護士を使い、選択できる企業法務は別として、一般大衆には酷だと思うのです。その環境整備の話になりますが、その具体的な話になると、絵がかけていません。「あぐらをかかせるな」「甘やかすな」で溜飲を下げている方もいるようでいず、それは別問題です。少なくとも弁護士という資格業は、一定の質を保証して社会に出さなければ危険な仕事だと考えています。法科大学院教育を前提とするという考えも、大学運営という別の利害が絡んだ議論になり、そもそもここに法曹養成の比重を置くことそのものを議論しなければいけないのではないかと思っています。

    少佐さんのおっしゃる通り、高い質の輩出に向けた議論は有意義だとは思います。だとしても、その見通しや保証ができない状態で、とりあえず増やし、あとは市場原理でなんとか、という議論にはならない。合格者数のが決まってきた経緯もご存じかと思いますが、その根拠性もさることながら、いつまでに何千人という決定ありきでにも疑問を持っています。

    ある意味、危険な資格である以上、「一定の質」については責任を持て、責任を持てないなら増やすな、ゆめゆめ違う利害から逆算して、増やすことありきで議論するな、ということがいいたいのです。

    外弁開放の議論は大山鳴動鼠一匹的なとらえ方もできますが、根本的に議論の前提が違うと思います。今回の前提にあるのは、弁護士と一回性のお付き合いになるかもしれない大衆の利害です。

    今後ともよろしくお願いします。

    No title

    せっかく長々と書いたのに、メンテナンス中ってなって意気消沈しています。

    はじめまして、はじめてブログを読ませていただきました。

    とりあえず増員=質の低下の論理飛躍はどうにかならないんでしょうか。
    試験さえ受かればどんな人でも(大学生でも)弁護士の素養があると判断された旧司法試験制度のほうも質の悪い弁護士を大量に排出してましたよね。
    そもそも弁護士の質で嘆く人の言ってる弁護士って大体旧司法試験合格者ですよね。
    カラーバス効果ではないですか?

    それに質を知りたいならCVを見ればある程度はわかると思うんですけど、それすら難しいんですかね。

    外国法律事務所の認可の時の議論をおぼえていますでしょうか。
    今起こっている議論と全く同じ議論がされていましたよね。
    結局どうなったでしょうか。

    弁護士の量ではなく、質の高い弁護士をどう輩出するか(法科大学院教育とはどうあるべきか)を議論にあげたほうが(特にBlogos等で一般人にも見られるわけですから)有意義だと思います。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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