「訴訟社会」と同じ顔の未来

    「訴訟社会」というネガティブなイメージが、現在の弁護士の増員政策の向こうに描かれるとき、必ずこの政策を擁護しようとする方面からは、「日本は訴訟社会にはならない」という見通しが示されます。

     以前にもご紹介しましたが、「訴訟社会」として批判される米国を引き合いに出して、米国にはある懲罰的賠償など制度や、訴訟沙汰に対する国民性に関する両国の違いを理由に、直ちに日本は米国のような訴訟社会にはならない、ということが言われます(「『訴訟社会』を支える弁護士の本当の姿」)。

     「直ちに」とかをつけてしまうと、某国官房長官の会見を連想してしまって、その論法でもおなじみの反対解釈をすれば、「直ちに」でなければあり得ることになってしまいます。もっとも、いつまでもわが国にそんな社会はやってこない、と、明言されているわけではなくても、そうとれるご主張をされている方もいないわけではありません。

     ただ、ここで素朴な疑問を持ってしまいます。

     度々、引用しています司法改革の「バイブル」、司法制度改革審議会の最終意見書には、「改革」の目指す先について、こんな下りがあります。

     「法の精神、法の支配がこの国の血となり肉となる、すなわち、『この国』がよって立つべき、自由と公正を核とする法(秩序)が、あまねく国家、社会に浸透し、国民の日常生活において息づくようになる」

     「国民の間で起きる様々な紛争が公正かつ透明な法的ルールの下で適正かつ迅速に解決される仕組みが整備されなければならない」

     「法の支配」の名のもとに、社会のすみずみにまで、それがいきわたる社会は、そこにこそ弁護士をはじめ法曹が登場することが予定されている社会。紛争の解決を彼らの手にできるだけゆだねる社会です。その社会とは、なにごとも訴訟をはじめ法的な解決の場に引き出そうとする「訴訟社会」と、実は同じ顔をしているのではないのか、少なくとも、その方向を向くことが望ましいと考えているのが「改革」の思想ではないのか、と思えてくるのです。

     実は、その意味での「改革」推進者の本音を過去の発言から見ていたところ、こんなものを見つけました。

     「弁護士が増えると訴訟社会になるという人がいる。訴訟社会でよいではないか」(「国民のために働く弁護士は足りているか」櫻井光政弁護士・「青年法律家」2008年5月25日付け447号) 。

     櫻井弁護士は、わが国では紛争を訴訟で解決するのが望ましい場合がむしろ多いとして、その一例として、速やかに話し合いがつかない離婚などは、「直ちに弁護士に委ねて解決するべきだ。そうしないから一族郎党を巻き込んでの不愉快な争いになる」としています。

     彼は、ここでこんな想定もしています。

     「年間25万5000組(厚労省・平成19年推計値)の離婚の半数に弁護士が双方関与すると、25万5000人の弁護士の仕事になる。これだけでも大変なニーズだ。相続や交通事故の損害賠償請求なども、弁護士が関わることにより、ずっとよい解決が得られるはずだ。いずれも弁護士が関与した方が迅速且つ適切に解決が得られる分野だ」

     つまり、こういう形で「訴訟社会」になることは、国民のためになるではないか、というわけです。同時に、弁護士の仕事も創出されるという見通しです。ただ、このきれいな絵は、負の意味での、「訴訟社会」、わが国には来ないと強弁される、それと見分けはつきません。

     大事なことは、こういう解決の仕方を、本当にわが国の国民が求めているのか、ということです。何事にも弁護士が乗り出してくる社会を国民がもとめているのか、それこそ司法審の描く図の真実の姿を国民に示したとき、それが支持されるのかには疑問があります。本当泣寝入りや不正・不当な解決をして訴訟が望ましい、弁護士が乗り出すことが求められているケースというのが、どのくらいの弁護士の数の必要としているのかも定かではありません。

     しかも、これからさらに「競走」の度合いが増すとされている弁護士の、いわば「稼ぎどころ」がその中に描き込まれている、とすれば、その先に何が待っているか、それは容易に想像できるはずです。

     であればこそ、「米国のような訴訟社会」というイメージは、この「改革」がもたらす危険がある社会の描き方としては、どうしても回避しなければならないものであるのも分かります。その否定しきれない現実を踏まえたうえで、あえて「結構じゃないか」と言って見せたのが、櫻井弁護士の言のようにもとなくありません。

     弁護士の潜在的なニーズを掘り起こせ、といれています。ただ、「競走」の中で始まる「掘り起こし」と「焚きつけ」は、大衆には区別がつかくなってくる危険があります。同様に、「改革」の目指す社会と、国民の求めていない「訴訟社会」は区別がつかなくなるおそれがあります。


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    非公開コメント

    ありがとうございました

    pekoさん、いつもありがとうございます。

    つまりは、そういう意味での司法の利便性の描き方ではない、ということですね。弁護士の「使い勝手」を含め、やはり「改革」がどちらの方面からの要請を強く反映したものなのかがうかがえます。

    今後とも、よろしくお願いします。

    No title

    >集団訴訟の簡易化(クラスアクション)の方向に行くはずし

    字足らず。失礼しました
    「行くはずし」→「行くはずだし」

    No title

    訴訟による解決が望ましいとして推し進めるなら・・・

    訴訟のインセンティブとなる懲罰的賠償の導入、手数料の定額化(あるいはゼロ円化)、集団訴訟の簡易化(クラスアクション)の方向に行くはずし、行くべきだと思いますが、どうもそういう風向きにはなってませんね。

    あんまりそういう話は聞かないような気がします。
    経済界が反対するからでしょうかね。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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