「裁く側」偏重の裁判員制度

     裁判員制度の骨格が固まり、導入されるまでの間、推進派の法曹関係者の方々に、この制度のいろいろな疑問点について、ぶつけてきました。その中で、こだわってきた点のひとつに、裁判員の「無作為抽出」ということがあります。

     ご存知の通り、裁判員制度では、裁判員は衆議院議員選挙人名簿に登載された人からくじにより無作為で抽出された結果に基づき、候補者名簿ができ、さらに、事件ごとにこの名簿の中からくじで選ばれます。

     この無作為という方法が、「平等」という説明になっています。もちろん選ばれる国民にとってです。しかし、これのなにが疑問かというと、果たして裁かれる側には、この方法が果たして「平等」なのか、ということです。

     無作為で選ばれた裁判員によって構成される裁判体は、無作為であるがゆえに、当然、経歴、学歴、知識、さらに「裁く」ことに対する考え方からやる気まで、さまざまな人が混在することを当然に予定していますが、その偏りができることもまた当然に予想できます。

     その場合に、裁かれる被告人には、それこそ運不運の不平等が生まれるのではないか、ということです。

     法曹界でも官側の方は、ここで職業裁判官と裁く裁判員裁判の特徴を強調される方がいました。つまり、そうした偏りが生じても、そこは職業裁判官が是正するのだ、ということです。ただ、この考えだと、裁判官のある種の誘導がはじめから制度を支えているような話になり、掲げられている民意の反映との境目があいまいになります。つまり、反映すべき民意を裁判官が取捨するような印象になります。

     もともと「選択制」という考え方もありました。前記したような「裁かれる側」の不平等などを感じて、国民参加の裁判を希望しない被告人は、職業裁判官のみの裁判も選択できるようにする、つまりどちらも選べるという考え方です。

     実は、裁判員制度の制度設計の段階では、法曹界の基本的に国民参加の制度を賛成する人たちの中でも、裁判員の非強制とともに、「選択制」支持は比較的多くの人が妥当と見ていた形でした。

     ある裁判官と話をして、この問題について聞くと、彼は選択制をとらない理由として、もともと日本の裁判制度で、刑事被告人には裁判体の選択権はないから、という主張をしていました。どの裁判官に裁いてもらいたいのかがいえないのと同じだという理屈です。

     また、逆に運不運でいえば、今の職業裁判官だって、人によって、能力にもタイプにもバラつきはある、という人もいます。否定はしせんが、一応、統一的な養成過程を経てきた法曹と、無作為で選んだ国民と、どちらにバラつきがあるのかといってしまえば、答えははっきりしていると思います。もっとも、肯定論者は、そのバラつきが意味がある、といいそうな気もしますが、偏りとは別問題です。

     「選択制」にしない、主な理由はこういうことではありません。つまり、「選択制」にすると、「選択されなくなる恐れ」があるということです。これは、強制しないと裁判員のなり手がなく、制度がもたないという考えと同じ、つまり制度存続を第一に考えてのこととみることができます。

     いわば、制度賛成派が専門家としても、最後までひっかかっていたこの二つのポイントを、「制度存続第一」で乗り越えた形になったといってもいいと思います。

     これは、不思議な感じがしました。この制度は国民の支持のもとで成立するという考え方に、どこまで立っているのかが分からなくなるからです。「国民参加」の意義を感じている国民が、もし被告人になった暁には、もちろんこの制度を選ぶでしょう。選ばないと人が多数であれば、国民の支持を得ていない、というだけのことです。

     そもそもこの制度を立ち上げるにあたり、「あなたは、もし、裁かれるのであれば、国民から選ばれた裁判員がいいですか、それとも職業裁判官だけに裁かれたいですか」ということは、国民に投げかけられていません。世論調査などでも、意図的に外されている感があります。その理由を推測すれば、それはもちろん制度開始あるいは存続に、やぶへびな結果が予想されていたからだと思います。

     裁判員制度は、そういう意味で、国民の賛同が得られない点をはじめから想定していた制度、その意味で自信がない制度のように見えます。強制もせず、被告人に選択権を与え、たとえそこで国民の支持が得られていないことが反映するような結果が出でも、堂々とそれがその時点の等身大の裁判員制度に対する国民の評価である、とするようなとらえ方をしていないのです。

     裁判員制度の議論は「裁く側」の平等を言いながら、徹底的に「裁かれる側」の視点に立っていないといえますが、本当の意味では「裁く側」の立場にも立っていないといえるものです。

     これに関して、実は、もう一つ疑問があります。こうした「裁かれる側」の視点には、およそ弁護士こそが立つべきではなかったのか、ということです。この制度に対しては、もちろん一貫して反対の立場の弁護士もおり、界内の意見は今も分かれていますが、推進派の多くの弁護士が、この「裁かれる側」の視点に立っていないことをどうみるべきか、ということです。「国民参加」の大義の前に目をつぶったということでしょうか。

     弁護士が、こだわるべきところに、こだわらなくなってきているようにも思えてなりません。


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    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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