若手が嘆く「大変さ」の違い

     弁護士が法律事務所に勤め出して3~7年くらいで、親弁の後押しを受けながら独立するというモデルが崩れ出していることは、以前も書きましたが(「弁護士『独立』の非常事態」)、一方で、「独立直後の事務所経営は、昔もそれなりに大変だったんだ」と、そこは基本的に変わらないとするベテランの意見も聞かれます。

     これに対し、「司法ウオッチ」の「司法ご意見板」に昔と今の状況の違いを指摘する意見の書き込みがありました。かつての方法論そのものが、「即独」(事務所勤務経験なしに、いきなり独立する弁護士)には当てはまらないのだとしています。

     独立直後で固定客が付いていない段階では、国選事件を多めに回してもらい、刑事事件と先輩等からの事件紹介などで凌ぎながら、法律相談等を通じて顧客を徐々に増やしていく――。これが定番のスタイルで、彼のボス弁もそうだったと。

     以前も書きましたが、事務所の「のれん分け」のような形の独立から、餞別のような後押しまで、その違いはあったものの、独立支援という形がありました。もちろん「即独」には、事務所勤務というプロセスがありませんから、そもそもそうしたストーリにはならないわけですが、彼が言いたいのは、それ以前の、以下のような状況の違いのようです。

     「現在、東京では法律相談自体が抽選で若手の重要な収入源である債務整理相談に落選する場合も少なくありません。また、一般相談もキャンセル率が少なくない上、1日1件しかなく相談内容の性格上受任に繋がらないケースもかなりあります。さらに、東京では、国選も抽選となっており、激しい奪い合いが生じています。被疑者国選の引取りをMLで求めると、わずか2、3分で3件の引取希望(いずれも若手の一人事務所の方でした)が来て、慌てて交代者が見つかったという返信を出さなければなりません。先輩弁護士は、事務所に無理して雇用した新人を抱え、他人に仕事を回す余裕はありません」

     要するに大変さの中身が違うのではないか、ということです。これは、冒頭引用のような、自らの経験から若手を諭そうとするベテランも、この現実にはさすがに黙らざるを得ないのではないでしょうか。書き込みの彼は、少なくともこんな状況の東京では、育つ前に若手は干からびる、地方に行けという人もいるが、やがて同様になる、としています。

     やはり、ここまでの現実は、まだ、社会に伝えられていないという感じを持っています。マスコミも、時々、取り上げられることがありますが、こうした面に光をあてることに消極的な印象すらあります。とにかく「まだまだ大丈夫」ということを基調に描かないと、弁護士増員問題のひずみを真正面から認めることになり、推進という基本スタンスが崩れる、と考えているのでしょうか。

     横浜で開業する知り合いの街弁に、「集客」ルートについて聞いてみました。彼のところでは、「紹介」「法律相談」「インターネット」が、三分の一ずつだとしていました。

     もちろん、事務所によっても違いがあるとは思いますが、自治体などの法律相談に弁護士が赴き、受任につなぐスタイルと、事務所のホームページを見て事務所にくるパターンの比重が高いという印象を持ちます。少なくとも、「紹介」主体でやってこられたかつての法律事務所ではなくなってきていることは確かなようです。

     とりわけ、かつてはなかったインターネット「集客」は、それなりの可能性は秘めているとは思います。ただ、ベテランにいくほど、ネットへの距離感にはかなりのばらつきがあります。漠然と必要とは思いながらも、慣れていないことへの敬遠意識もあるようです。もちろん、自ら積極的に取り入れていこうとする方はいらっしゃいますし、ご本人はキーボードをたたかないまでも、秘書さんのご努力で、事務所としては、きっちり対応されているところもあります。

     ただ、そのことと、前記したような弁護士を取り巻く経済環境の激変については区別して考えなければなりません。インターネットは所詮ツールですし、もちろん若手はこれをとっくに駆使していますから。

     先輩たちがだれも体験したことがない、経験が通じない、この社会でこれまでにない状況に、弁護士が追い込まれてきているという認識が、前提として必要になっています。

    ただいま、「弁護士の経済的窮状」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
    http://www.shihouwatch.com/

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    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





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    お返事ありがとうございます

    >> memo26さんのスタンスは、イメージとしては無資格外科医を営業させてもかまわない、というのと類似するのかなと、受け取っています。

    > これは誤解です。司法試験なんて廃止してしまえ、と私が主張しているのであれば、あなたのような受け取りかたもあり得るとは思いますが、私は、そのような主張はしておりません。

    お返事ありがとうございます。
    ある種の司法試験の保証する品質の内容に対する誤解があるのではないでしょうか。
    そもそも、現在の司法試験は、将来の実務法曹たりうる「高度な法律的素質・適性・学習能力等」を有しているかを判断するための試験であり、直ちに実務に就くことが想定されていません(司法試験法を見れば明らかです)。なお、このことは従来の司法試験においても基本的に変わりません。

    すなわち、どの法曹であれ、就業後の研鑽なくしては到底実務には耐えません。

    その意味では、司法試験による品質保証は現在ではなく、あくまで将来に向けられたものです。

    もし、経験機会なくとも、実務に耐える法曹を選抜すると言う見地で司法試験を実施するなら、合格者は激減すること間違いなしでしょう(このことは、研修所教官のコメントからも明らかです)。

    もちろん、利用者の利益の確保という見地からは、それでもかまわないとは思いますがね。

    No title

    memo26様

    > 過払い金返還以外も定型化が可能だと思いますし、コストの壁に突き当たる前に、価格が下落していますから、事件数も増えているはずです。また、「個々の事案に割かれる時間」が減れば質が低下するとは「ただちにはいえない」と思います。

    さる政策研究大学院大学の先生は(政府の代理人として裁判に出たことは
    あるけれど、自らリスクを負った実務経験はないのに)弁護士の仕事の95%は
    定型業務であると断じて増員理論をぶっています。根拠不明です。

    ただ現に過払い事務所においても、定型化と同時に外注ないし事務員の
    「丸投げ」によってコストを引き下げていたことを忘れてはならないでしょう。もし
    そこまで肯定するのであれば、必要なのは弁護士増員ではなく「資格開放」に
    なるはずです。(多くが)定型業務(であるとすれば)に何故重厚でコスト高な
    法曹資格が必要なのか? その点も議論する必要があります。

    また逆から考えた場合、増員だけならまだしも受験生にロースクール修了を
    義務づけたことは、弁護士が定型作業を行う「法律事務屋」ではないとの
    前提から制度設計がされたことを示しています。その点のチグハグさも
    私などは違和感を感じています。

    ありがとうございました

    memo26 さん、コメントありがとうございます。

    >とすると、「学力(試験)」のみで、本当に「精鋭集団」であることを保証できるのかが、問題にされなければならないと思います。ほかの要素もあるのではないか、と私は考えるのです。そしてほかの要素も重要であるとするならば、河野さんの考えかたから、私の考えかたに近づくことになるのではないかと思います。

    memo26 さんも感じられているのかもしれませんが、ここが重要な分水嶺です。100パーセントという意味では、ご指摘の通り、保証できないかもしれません。「淘汰」「競争」にゆだねるとするのは、ある意味、保証できないことをもって、市場に判断をゆだねる考え方だと思います。市民にとっての安心からいえば「精鋭集団」であることが、実は理想だと思います。でも、これもこれまでの実績からいって、100パーセントは無理です。しかし、これを厳しい教育でなんとか「質」を保っていこうとする努力ではなく、使用者にゆだねるというのは、私はこれまでそれなりに確固たる資格制度と養成制度をもって対応してきた弁護士の資格・仕事の性格にはなじまない、というかベターな選択とは思えないのです。決して弁護士があぐらをかいていいといっているのではありません。依頼者の自己責任にされることは望ましくない状況だと思うのです。

    memo26 さんの文面を見て、あるいは直感しているのではないかと思いますが、あるいはここで、歩み寄れるのではないでしょうか。弁護士は、memo26 さんがおっしゃることが成立するような「商品」とは同一にはみれないと思います。逆に「淘汰」を主張される方は、ことさらに前提として「同一」視されようとするけれども、それは無理があります。大マスコミも含めて、その描き方が、あたかも「弁護士を甘やかさない」というニュアンスとして、弁護士に不満を持つ方々の、溜飲をさげることにつながっている観もありますが、ここは冷静に考えるべきだと思います。

    >このようなコメントされては困ります。

    pekoさんに対して、ご指摘の通りとしたのは、まさに前記した点です。
    pekoさんのおっしゃっている「定の数の経験の蓄積可能な環境」ということです。ここが壊れることが、増員=淘汰の論理の危険性だと感じたからです。コメントしたように、適正規模論がいえない状況があると思います。
    前記に関連しますが、質を保つための、教育や養成に利用者になる国民が、厳しい目を向けることは大いに結構なことだと思います。逆に言うと、「淘汰」の論理が法曹界側のそこに関する使命感や責任感を減退させることにつながることが問題だと思います。とりあえず社会に放逐せよ、という考え方は、その減退と、市民の自己責任にゆだねる酷を、生むように思います。どちらの方法がいいかといえば、やはりこの仕事は100パーセントといえなくても、それに近づくようにできるだけ良質なものを社会に提供してもらうことが、大衆の安全だと思います。

    >私に対してはこのように書かれないところからみて、私はコメントしないほうがよいのでしょうか? そうであれば、以後、私はコメント(書き込み)を控えたいと思います。

    そんなことはないですよ。こちらの対応でなにかお気を悪くされたのならあやまりますが、大変、わかりやすい展開の議論になったと思いますし、意味もあると思います。どうどうめぐりの議論は嫌ですが、memo26 さんは立場に固執しない柔軟な思考をされる方のようですので、あるいはご理解頂ける点もあるのではないか、という気がし出しています。今後とも、ご意見があれば、どうぞ展開されてください。今回のように、それに対する反応も見てみたいし。

    今後ともよろしくお願いします。

    ありがとうございました

    通りすがり さん、コメントありがとうございます。

    >コストの壁に突き当たり、ひたすら質(=個々の事案に割かれる時間、労働量)の
    削減によって低価格化を図るしかない

    このご指摘に尽きるのではなでしょうか。結局、「淘汰」を強調される方は、ここで仁義なき戦いがはじまることのしわ寄せがくることを、無視しています。どうしても増員を肯定いするために、弁護士を他の商業活動と同じにみたいのだと思います。

    今後とも、よろしくお願いします。

    No title

     迷いましたが、私の意見にコメントされた方すべてにご返事しておきます。

    ★通りすがりさん

     過払い金返還以外も定型化が可能だと思いますし、コストの壁に突き当たる前に、価格が下落していますから、事件数も増えているはずです。また、「個々の事案に割かれる時間」が減れば質が低下するとは「ただちにはいえない」と思います。


    ★pekoさん

    > しかし、大量増員下では、自己研鑽の前提たる経験の機会の確保の見通しそれ自体が、存在しないのではないでしょうか。
    さらに、本来研鑽の機会足るべき個々の事件処理の中で、単なる事件処理を超えて、一歩検討を深めて研鑽の糧とする、そのような余裕があるのかも疑問です。

     あなたの論理だと、「まずは弁護士の生活を保障せよ。質はそれからだ」ということになると思います。それでは「適当に研鑚していればよい」ということにならないでしょうか?

    > memo26さんのスタンスは、イメージとしては無資格外科医を営業させてもかまわない、というのと類似するのかなと、受け取っています。

     これは誤解です。司法試験なんて廃止してしまえ、と私が主張しているのであれば、あなたのような受け取りかたもあり得るとは思いますが、私は、そのような主張はしておりません。

     したがって、


    ★河野さん、

    > ご指摘の通りかと思います。

     このようなコメントされては困ります。

    > 「増員ありき」の議論のなかで、十分に主張されていない、というか、自己保身批判を恐れ、主張できないようなムードがあることが気になります

     私からすれば、河野さんの意見は、表現のしかた(言いまわし等)からみて「まずは増員反対ありき」の議論になっているようなムードがあることが気になります。

    > 今後ともよろしくお願いします。

     私に対してはこのように書かれないところからみて、私はコメントしないほうがよいのでしょうか? そうであれば、以後、私はコメント(書き込み)を控えたいと思います。

     ただしその場合であっても、自分のブログでこちらのブログ等の内容に対して批判等は行います。

    No title

    > 残念ですが、前提になる認識の違いでかみ合わないような気がします。

     そうかもしれませんね。ご返事してよいものか迷いますが、今回はすこし視点を変えてご返事します。

     河野さんは「全員の質が保証された精鋭集団としての弁護士」を前提にしておられるのではないかと思います。すくなくとも、それに近いイメージが前提になっていると思います。

     ところで、実際に弁護士になる(である)ための条件は、(細かなことはともかく)基本的には「司法試験に合格する(した)こと」です。

     とすると、「学力(試験)」のみで、本当に「精鋭集団」であることを保証できるのかが、問題にされなければならないと思います。

     ほかの要素もあるのではないか、と私は考えるのです。そしてほかの要素も重要であるとするならば、河野さんの考えかたから、私の考えかたに近づくことになるのではないかと思います。

    > 自分たちの犠牲の上に、この国の弁護士が良質化していく、なんて考えるわけもない。

     それはそうです。国民は「自分たちの犠牲の上に」弁護士を淘汰したいと思っているのではなく、よい弁護士を「自分で選びたい」と思っているのではないですか、と私は言っているのです。

     河野さんのお考えもわかりますが、「増員はとんでもない」という結論先にありき、といった感じがなくもありません。

    No title

    競争し適者生存を進めれば消費者(依頼者)の利益になるとの発想は、仮に
    衣料品の小売りに例えれば、法律事務を規格品大量生産と捉え、いずれユニ
    クロが登場するという思考経路を辿るのでしょう。…が、(過払い金返還を除けば)
    法律事務はオーダーメードですから、一定の効率化はできるとしても、早晩
    コストの壁に突き当たり、ひたすら質(=個々の事案に割かれる時間、労働量)の
    削減によって低価格化を図るしかない。それを知って消費者が「望んでいる」の
    かなあ?そこまで特定のイデオロギーに汚染されてるとは思いませんが。

    ありがとうございました

    pekoさん、コメントありがとうございます。

    ご指摘の通りかと思います。その意味では、自己研鑽の機会保障も含めて、適正規模論、現実的に無理なく、可能な教育からみた規模論が、もっとあっていいはずなのですが、それが「増員ありき」の議論のなかで、十分に主張されていない、というか、自己保身批判を恐れ、主張できないようなムードがあることが気になります。

    今後ともよろしくお願いします。

    無資格外科医の乱立?

    初めまして。

    お二人のやりとりを見て、単なる感想です。

    河野さんが想定されている「質」とは事件処理の質であると考えられます。
    これは、外科医の手技の鍛錬と同様に、良質で豊富な経験と、その経験を生かす自己研鑽のたまものです。
    なので、自己研鑽の前提として、一定の数の経験の蓄積可能な環境が重要であることは言うまでもありません。
    ですから、従来、イソ弁経験などの修行期間(経済的に自立しつつ、ボスの監督の下、過誤発生の防止をはかることも重要な目的です)を経ることや、弁護士会内等で大量に実施される研修等の受講が当然視されていたものと思います。

    一方、memo26さんが競争により向上するとされ「質」の中身は、正直よくわかりません。
    過酷な競争環境により自己研鑽の意欲と必要性が向上するという可能性を指摘されているようにも見えます。
    しかし、大量増員下では、自己研鑽の前提たる経験の機会の確保の見通しそれ自体が、存在しないのではないでしょうか。
    さらに、本来研鑽の機会足るべき個々の事件処理の中で、単なる事件処理を超えて、一歩検討を深めて研鑽の糧とする、そのような余裕があるのかも疑問です。

    memo26さんのスタンスは、イメージとしては無資格外科医を営業させてもかまわない、というのと類似するのかなと、受け取っています。

    以上

    ありがとうございます

    memo26さん、コメント有難うございます。

    >それを根拠に増員に反対するのではなく、既定の路線たる増員を継続しつつ、国民の選択のための環境整備を図る(どうすべきかを論じる)ことが有益なのではないでしょうか?

    見通しなき増員を既定路線にしていること自体を問題にしているので、これはかみあいません。環境整備の保障がないのでは、前提を欠いていることになります。

    >「淘汰」を支える選択を大衆自身が望んでいると思います。

    弁護士について自分たちの選択が「淘汰」を支える、そうした形を望んでいるとは思いませんし、そういう形で弁護士にかかわらなければならない社会を大衆が望んでいるとも思いません。あるいは一生に一度、仕方がなく依頼せざるを得ないような存在について、なぜ、「淘汰」や「競争」に巻き込まれる必要があるのでしょうか。自分たちの犠牲の上に、この国の弁護士が良質化していく、なんて考えるわけもない。一生に一度の出会い、取り返しのつかない出会いで、はずれを引きたくないだけではないですか。本質的に弁護士のよしあしを見抜くのはそう簡単ではなく、そもそも、大衆が限られた情報の中で、容易に比較できるレベルのことに基づく「選択」自体が、大衆に利をもたらすとは限らない。それを自己責任とするのは、やはり酷だと思います。「まがいもの」が社会に放逐されること自体が、問題になる職業だと思います。

    > 増員(または改革)によって、弁護士の質は向上すると思います。

    実績から判断するしかありません。増員以前に、弁護士不祥事を抑制する効果的な策があったかといえば疑問です。数を増やして質が良くなるというのは、善意解釈に近いと思います。私には、きれいに描きすぎているとしか思えません。

    きっちり回答して頂いて、ありがとうございます。ただ、残念ですが、前提になる認識の違いでかみ合わないような気がします。


    No title

     ご返事ありがとうございます。

    > 「情報開示」が、国民の選択のための環境整備として必要なのは、ご指摘の通りだと思います。ただ、現状それは十分でなく、それがどういう形でつくられるかの見通しもない。

     それを根拠に増員に反対するのではなく、既定の路線たる増員を継続しつつ、国民の選択のための環境整備を図る(どうすべきかを論じる)ことが有益なのではないでしょうか?

    >「淘汰」を支える選択を大衆にゆだねることは、酷すぎます。

     「淘汰」を支える選択を大衆自身が望んでいると思います。

    > 既に弁護士を増やしておかしな弁護士が増えるだけ、という冷めた見方がありますが、

     増員が始まる前の段階で、すでに「おかしな弁護士」はいました。「おかしな弁護士」は増員によって生じたのではありません。増員(または改革)によって、弁護士の質は向上すると思います。

    ありがとうございました

    memo26さん、コメントありがとうございます。

    >そこにはやはり、「助けてやっている」という意識が働くのではないかと思います。つまり本当の意味で、対等にはなり難い。

    それをいうならば、「法の支配」の意味を誤用して、弁護士を増やして社会の隅々にまでいきわたれば、社会がよくなるようにいう増員論こそ、ある意味、傲慢でありませんか。弁護士が競争や淘汰のなかで、いちいち顔を出してくる社会を国民が求めているという話がありますか。「二割司法」などというのは、増員のために法曹界が感覚的に極端に表現したまやかしです。

    >増員によって競争が働けば、次第に弁護士業務も効率化されるはずですから、「採算に合う水準」で「単価が下がる」ことが期待されます。

    淘汰、競争を強調される増員推進論者の方が、必ずおっしゃる描き方です。それがいつまで続くのか、その間、淘汰の過程で「まがいもの」や、推進論者が「淘汰される」ことを想定している側の弁護士に当たる市民のことはどうなるのでしょう。次がないというのは、そういう意味です。おっしゃることは分かりますが、この手法が弁護士にも通用するという言い方をされる方は、弁護士の業態の実際を踏まえていないように思います。確かに、弁護士の業態のなかでも、能力などを見て、次を考えて、常に入れ替えることを想定しながら、恒常的に弁護士を使う大企業法務の世界では、可能かもしれません。それでも、弁護士の能力を見抜き、プラスのためにチェンジさせるのは、熟練した法務マンでなければできないのですが、それでも「淘汰」の論理があてはめやすい環境があると思う。逆に言うと、このことは、増員を「淘汰」の論理を前提に提唱している大元の人々が、もともとどこの世界の二ーズに傾いた描き方をしていたのかを連想させます。やはり、大衆のニーズに、一般化はできません。

    「情報開示」が、国民の選択のための環境整備として必要なのは、ご指摘の通りだと思います。ただ、現状それは十分でなく、それがどういう形でつくられるかの見通しもない。勝訴率を含め、大衆が求めている情報が直ちに出てくる状況にはないです。他の商品やサービスとは違ってこだわらなければ実害が生まれる一回性の問題を仮に脇においたとしても、「淘汰」を支える選択を大衆にゆだねることは、酷すぎます。

    既に弁護士を増やしておかしな弁護士が増えるだけ、という冷めた見方がありますが、やはり「淘汰」の過程で実害が生まれます。弁護士という仕事は、そう考えないといけない、そう考えないと社会にとって危険な資格にもなるものだと思います。

    No title

     ご返事ありがとうございます。すこし私の意見を書きます。

    > 国民が本当に助けてもらいたい、無償に近いニーズに手を出す余裕はありません。

     弁護士が「ボランティア」で市民を助けるという考えかたはたしかにあり、現実にそれを実行されている弁護士さんもいらっしゃいますが、そこにはやはり、「助けてやっている」という意識が働くのではないかと思います。つまり本当の意味で、対等にはなり難い。

     逆に、増員によって競争が働けば、次第に弁護士業務も効率化されるはずですから、「採算に合う水準」で「単価が下がる」ことが期待されます。現在の弁護士料金ではとても依頼する気にはなれないが、価格が下がればぜひ依頼したい、という市民は多いと思います。

    > 多くの次のない一回性のお付き合いになる大衆のニーズからすれば、商品のように、「淘汰」で良質の弁護士にたどりつくという考えはなりたちにくく、とりかえしのつかない実害が生じます。たどりつくための手段や情報が現状のような形では、これで問題弁護士に当たっても大衆の自己責任というのはあまりに酷すぎると思います。

     「商品のように」と書いておられますが、企業や自営業者だって淘汰されます。弁護士も同じように競争原理によって淘汰されてよいのではないでしょうか。

     「たどりつくための手段や情報」については、弁護士についての情報公開をどんどん行えばよいと思います。その観点でいえば、現在の弁護士会の情報公開は物足りないと思います。たとえば懲戒処分を受けた弁護士についての情報公開が消極的すぎるのではないでしょうか。まるで市民ではなく、弁護士を「守ろう」としているかのようです。

    ありがとうございました

    memo26 さん、コメントありがとうございます。

    ご指摘のような状況についてどう考えるかの違いです。国選や法律相談に殺到しているのは、それだけ弁護士を経済的に支える有償のニーズが存在しないからです。増員推進論者のいうように、そうしたお金になる沢山のニーズがこの国に存在し、大量の弁護士を支えるのならば、こういう現象は起きず、それこそ反対論者のいうように、お金にならない国選には見向きもしなくなるでしょう。

    要するにお金にならないところには、人は増やせず、集まらない。それを無理やり増やし、「淘汰すればいい」といっているだけです。そのしわ寄せがどこにいくのかの問題です。国選でとりあえずお金になるから集まっているだけで、お金になる仕事へ傾斜する傾向にない、ということは意味しません。食うためならば、より実入りのいい仕事にいくことは止められません。国民が本当に助けてもらいたい、無償に近いニーズに手を出す余裕はありません。

    「淘汰」をいう増員論者は、きれいな絵を描きすぎていると思います。自由な、よりよいサービスの競争が行われ、それが国民のためになると。そんなきれいな絵ばかりは描けない。多くの次のない一回性のお付き合いになる大衆のニーズからすれば、商品のように、「淘汰」で良質の弁護士にたどりつくという考えはなりたちにくく、とりかえしのつかない実害が生じます。たどりつくための手段や情報が現状のような形では、これで問題弁護士に当たっても大衆の自己責任というのはあまりに酷すぎると思います。事件の「焚きつけ」と「掘り起こし」の区別だって、大衆にはつけにくい。

    ただ、有償のニーズがない、と見切った人々が、早晩この世界を目指さなくなれば、結局、人は集まらない、少なくとも、優秀な人材はこの世界にこなくなりますが。これもきれいな絵は描けません。

    No title

    > 東京では、国選も抽選となっており、激しい奪い合いが生じています。

     以前、増員反対論者の弁護士さん達がブログ等で「弁護士が増えて競争が激しくなると、あまりカネにならない国選をやる人は減る」などと「現実と異なる」主張をされていたことが思い出されます。弁護士の推論能力を疑わざるを得ません。もっとも、増員に反対するために「わざと」おかしな主張をされていたのかもしれませんが。

    > やはり、ここまでの現実は、まだ、社会に伝えられていないという感じを持っています。
    > この社会でこれまでにない状況に、弁護士が追い込まれてきているという認識が、前提として必要になっています。

     私は弁護士増員に賛成しています(自分のブログでも増員を主張しています)が、このような面も知っています。
     競争を行う以上、淘汰される人が出てくるのは当然で、仕事がない(少ない)弁護士がいることをもって、弁護士増員(または法曹増員)に問題があるとはいえないと思います。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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