変わらない弁護士「激変」記事の欠落感
週刊東洋経済が11月7日付号で、久々に「弁護士」にスポットを当てる特集を組みました。表紙には「激変 弁護士」とタイトルが踊っています。お決まりの五大事務所の状況を「頂上決戦」などとして取り上げたり、大手事務所からの独立傾向、分野別「依頼したい弁護士」、弁護士の仕事とカネの「リアル」といったピックアップは、経済誌の読者を意識した企画としては定番のイメージ。それに今年の日弁連会長選挙の地方会候補の当選、アディーレvsべリーベスト、裁判官・検察官の待遇、第三者委員会、弁護士出身大学の勢力図、そして司法試験の迷走などが取り上げられています。
幅広く、網羅的ではありながら、正直、テーマの目の付けどころそのものは、それほど新味があるとはいえません。そもそも仕方がないこととはいえ、相変わらず、「激変」という切り口でないと、この世界は取り上げにくいのだなあ、と感じてしまいます。
2009年ごろから、経済誌などは「改革」がもたらした弁護士の「異変」に目を付けた企画を組み出し、一時、一斉に報じました。そこには「エリート」イメージの資格業の没落と、その意外性が、読者の関心を呼ぶという狙いが透けて見える面もありました(「弁護士『没落』記事の効果」)。
そこが、どうしてもこの企画の新味性の評価につながってしまう面があります。ことに弁護士界内の同業者の反応には、今回、そんな感じもみられました。「激変」そのものの今更感もさることながら、サブタイトルにある「文系エリートの頂点」といった括られ方を、いまだにされることへ違和感の声が聞かれ、そのことの方が、むしろ多くの弁護士の「リアル」にも見えました。
そして、違和感の反応の対象としてもう一つ付け加えれば、企画冒頭に登場した今年の日弁連会長選記事が、現会長の当選を地方会の勝利として、ことさらに注目している印象になっている点です。記事は、この選挙が単純な大都市会vs地方会ではなく、主流派同士の分裂であることを押さえており、また今後の日弁連会長選の方向について、確信的な推測を交えているわけでもありません。しかし、それでも地方会の発言力を含め可能性を秘めた「地殻変動」をイメージさせるような記事に、やや冷めた声が聞かれました。ここにも会員の感覚の「リアル」があるように感じました。
もっとも、これらはあくまで業界目線であるといってしまえば、それはそれで終わりかもしれません。この雑誌の読者の関心や周知を考えれば、「改革」がもたらした「激変」は、まだまだ一般読者の驚きや関心を導き出す「意外性」あるテーマとして扱える。そのくらい、依然、弁護士業界の実態は、読者から遠いという判断になるのかもしれません。
こうした企画の欠落感とは、一言で言ってしまえば、「改革」の評価につながるはずの、こうなっている(なってしまった)ことの「価値」をどうみるのがが、全く問われないことにあります。「エリート」という言葉にこだわれば、今、現在の弁護士という仕事が「エリート」に値するかどうかよりも、実は「改革」そのものが経済的な意味において、確信的に、むしろ徹底的にこの資格を「エリート」の座から引きずりおろす結果となった。それが正しい選択とすれば、「改革」は、その代わりとなるメリットをいかに社会にもたらしたというのか――。
何度も書いていますが、やはり「改革」の結果として現れた志望者の減少を捉えるとき、食えるか食えないかで考えるのは、おかしい気がします。有能な人材に経済的魅力を度外視して、以前のようにこの世界を目指してほしい、という話が通用するということでしょうか。「エリート」という表現が本当に正しいのかは別に、社会がそう評価してきたというのであれば、それが支えてきたものを壊すという選択の結果と「価値」が正しく評価されるべきです。
志望者減が底を打ったとして、安堵するような論調が、最近業界内にもありますが、既にその内容そのものが、変わってしまったうえでのことであるのを抜きには語れません。この企画で、唯一、直接「改革」に言及し、司法試験改革の迷走に言及した記事は、きちっと現状を拾い上げていますが、ひとつ残念なのは、予備試験vs法科大学院の競争との描き方によったため、志望者の不満の根本的な根拠が、司法試験対策をせず司法試験合格率で結果を出せない法科大学院教育のミスマッチにある、といっているようにとれる点です。
学費・時間の負担の秤の反対側には、資格取得後のリターンが期待できない業界の現実を置かないわけにはいきません。司法試験合格率でなんとかなれば、という発想こそ、法科大学院制度維持派の意向の反映になってしまいます。
東洋経済の特集には、これからこの世界に来る人間たちに向けられたととれるベテラン弁護士の「弁護士論」も載せられています。しかし、目を離して、この特集全体を見ると、果たしてこの世界は、志望者がかつてのように目指したくなるような世界だろうか、ということをどうしても考えてしまいます。
ロースクールを出ても、実務で「使えない」扱いされかねない現実、大手事務所は「予備試験」優遇、高収入でも競争は激しく、街弁就職にしても、その先の独立にしても安心・安定の材料がそんなにあるわけではなく、そこにこだわれば、唯一、組織内弁護士に潜り込むしかない。「改革」の申し子のような新興事務所もなにやらギクシャクし、金銭問題が転落弁護士に直結した事例が紹介されている――。
ビジネスセンスの必要性が強調され、一部の成功者が紹介されても、生存バイアス的な見方もできてしまう。少なくとも、弁護士という資格業の「妙味」には、非常に見通しが立ちにくい不確定な要素が多くなってしまった。「どんな仕事でもそうだ」という声が、すぐさま返ってきそうですが、少なくともそれは、仕事を選ぶ側からすれば、あるいは業界の人間が考える以上に、シビアな目線を送る選択条件であり続けるはずです。当然、優秀な人材も含めて。
以前も、弁護士「没落」記事は、本当に私たちがたどりつくべき「改革」の評価の手前で、ぼやけてしまうことを感じる、と書きました(前出)。残念ながら、今回もその印象は変わりません。そして、その意味で、記事が伝える業界の先行き不透明感も、以前と何一つ変わっていない印象を持ってしまうのです。
弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800
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幅広く、網羅的ではありながら、正直、テーマの目の付けどころそのものは、それほど新味があるとはいえません。そもそも仕方がないこととはいえ、相変わらず、「激変」という切り口でないと、この世界は取り上げにくいのだなあ、と感じてしまいます。
2009年ごろから、経済誌などは「改革」がもたらした弁護士の「異変」に目を付けた企画を組み出し、一時、一斉に報じました。そこには「エリート」イメージの資格業の没落と、その意外性が、読者の関心を呼ぶという狙いが透けて見える面もありました(「弁護士『没落』記事の効果」)。
そこが、どうしてもこの企画の新味性の評価につながってしまう面があります。ことに弁護士界内の同業者の反応には、今回、そんな感じもみられました。「激変」そのものの今更感もさることながら、サブタイトルにある「文系エリートの頂点」といった括られ方を、いまだにされることへ違和感の声が聞かれ、そのことの方が、むしろ多くの弁護士の「リアル」にも見えました。
そして、違和感の反応の対象としてもう一つ付け加えれば、企画冒頭に登場した今年の日弁連会長選記事が、現会長の当選を地方会の勝利として、ことさらに注目している印象になっている点です。記事は、この選挙が単純な大都市会vs地方会ではなく、主流派同士の分裂であることを押さえており、また今後の日弁連会長選の方向について、確信的な推測を交えているわけでもありません。しかし、それでも地方会の発言力を含め可能性を秘めた「地殻変動」をイメージさせるような記事に、やや冷めた声が聞かれました。ここにも会員の感覚の「リアル」があるように感じました。
もっとも、これらはあくまで業界目線であるといってしまえば、それはそれで終わりかもしれません。この雑誌の読者の関心や周知を考えれば、「改革」がもたらした「激変」は、まだまだ一般読者の驚きや関心を導き出す「意外性」あるテーマとして扱える。そのくらい、依然、弁護士業界の実態は、読者から遠いという判断になるのかもしれません。
こうした企画の欠落感とは、一言で言ってしまえば、「改革」の評価につながるはずの、こうなっている(なってしまった)ことの「価値」をどうみるのがが、全く問われないことにあります。「エリート」という言葉にこだわれば、今、現在の弁護士という仕事が「エリート」に値するかどうかよりも、実は「改革」そのものが経済的な意味において、確信的に、むしろ徹底的にこの資格を「エリート」の座から引きずりおろす結果となった。それが正しい選択とすれば、「改革」は、その代わりとなるメリットをいかに社会にもたらしたというのか――。
何度も書いていますが、やはり「改革」の結果として現れた志望者の減少を捉えるとき、食えるか食えないかで考えるのは、おかしい気がします。有能な人材に経済的魅力を度外視して、以前のようにこの世界を目指してほしい、という話が通用するということでしょうか。「エリート」という表現が本当に正しいのかは別に、社会がそう評価してきたというのであれば、それが支えてきたものを壊すという選択の結果と「価値」が正しく評価されるべきです。
志望者減が底を打ったとして、安堵するような論調が、最近業界内にもありますが、既にその内容そのものが、変わってしまったうえでのことであるのを抜きには語れません。この企画で、唯一、直接「改革」に言及し、司法試験改革の迷走に言及した記事は、きちっと現状を拾い上げていますが、ひとつ残念なのは、予備試験vs法科大学院の競争との描き方によったため、志望者の不満の根本的な根拠が、司法試験対策をせず司法試験合格率で結果を出せない法科大学院教育のミスマッチにある、といっているようにとれる点です。
学費・時間の負担の秤の反対側には、資格取得後のリターンが期待できない業界の現実を置かないわけにはいきません。司法試験合格率でなんとかなれば、という発想こそ、法科大学院制度維持派の意向の反映になってしまいます。
東洋経済の特集には、これからこの世界に来る人間たちに向けられたととれるベテラン弁護士の「弁護士論」も載せられています。しかし、目を離して、この特集全体を見ると、果たしてこの世界は、志望者がかつてのように目指したくなるような世界だろうか、ということをどうしても考えてしまいます。
ロースクールを出ても、実務で「使えない」扱いされかねない現実、大手事務所は「予備試験」優遇、高収入でも競争は激しく、街弁就職にしても、その先の独立にしても安心・安定の材料がそんなにあるわけではなく、そこにこだわれば、唯一、組織内弁護士に潜り込むしかない。「改革」の申し子のような新興事務所もなにやらギクシャクし、金銭問題が転落弁護士に直結した事例が紹介されている――。
ビジネスセンスの必要性が強調され、一部の成功者が紹介されても、生存バイアス的な見方もできてしまう。少なくとも、弁護士という資格業の「妙味」には、非常に見通しが立ちにくい不確定な要素が多くなってしまった。「どんな仕事でもそうだ」という声が、すぐさま返ってきそうですが、少なくともそれは、仕事を選ぶ側からすれば、あるいは業界の人間が考える以上に、シビアな目線を送る選択条件であり続けるはずです。当然、優秀な人材も含めて。
以前も、弁護士「没落」記事は、本当に私たちがたどりつくべき「改革」の評価の手前で、ぼやけてしまうことを感じる、と書きました(前出)。残念ながら、今回もその印象は変わりません。そして、その意味で、記事が伝える業界の先行き不透明感も、以前と何一つ変わっていない印象を持ってしまうのです。
弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800
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