以前、当ブログのコメント欄に、弁護士に対する社会的信頼の源泉が、公益活動や人権擁護活動である、といった弁護士界でよく聞かれてきた論調について、次のような書き込みがありました。
「それは違う、と言っておく。弁護士に対する社会的信頼の源泉は、 高収入 だ。すなわち、それは 仕事ができること を意味する」
「年収300万でボロビルの片隅で事務員もなしにやってる弁護士がいるとして、そんな弁護士と、六本木ヒルズのようなビルで美人秘書を侍らせてベンツに乗ってる弁護士とを比べて、どっちが信用されるかは明白でしょう。前者の弁護士が、人権擁護のため毎週刑務所に行って話を聞いてる、とか、国産(国選?引用者注)たくさん抱えて奔走中、といっても、後者の弁護士には到底信用ではかなわんだろ。前者の弁護士よりも、でかいビルに入っているような大企業とか、警察とか、そっちの方がよほど世間から信頼されてるよ」
「弁護士が国民的基盤と言うためには、強靭な経済力に裏打ちされた社会的権威がなくてはダメですよ。少なくとも、もうかならいような方向に誘導している今の方針では、低くみられて利用されるだけですよ。現実、今ってそうでしょ?」(
「『国民的基盤』論の危い匂い」)
匿名のこの文を、弁護士が書き込んでいるという確たる根拠はありませんし、これを利用者市民が書いているとすれば、それはそれで評価が違ってくるかもしれません。しかし、弁護士の社会的信頼とか、地位の向上という文脈では、冒頭の、いわば表の「源泉論」の陰で、経済的地位あるいは安定感の向上が大きくそれに貢献したということもまた、多くの弁護士は当然に認識してきたことのはずです。
およそ江戸時代の「公辞師」や明治時代の「代言人」に遡って語られる弁護士の社会的地位向上の歴史談のなかでは、二つの点が強調されます。一つは弁護士法や統一修習の実現といった制度的完備の効果、もう一つは、前記「源泉論」に直接つながる公害訴訟、消費者訴訟をはじめ市民のために闘う弁護士のイメージの広がりです。
以前も書いたように、かつて弁護士界にはこういう話をする先輩会員が沢山いて、若手は今よりもそうしたことの「価値」を聞くことがあり、また、それによってその共通認識が出来ていた時代がありました(
「弁護士の『地位』と失われつつあるもの」)。
しかし、その一方で、弁護士の経済的地位、その基盤の安定性が持つ意味を彼らは当然に分かっていたのです。それが独立し、自由な弁護士活動、あるいは前記「源泉論」を支える活動を可能にすること(「経済的自立論」)。そして、そうした経済的自立が可能になる、恵まれた資格であればこそ、多くの優秀な人材、さらには経済的リターンを前提に裕福ではない家庭の人材も参入にチャレンジする世界であること、を。
今回の司法改革論議にあって、ある意味、弁護士にとっての失敗の原因の一つは、やはりこの観点がまず後方に押しやられてしまったことにみえます。有り体に言えば、弁護士が一定の経済的成果を犠牲にしても、前記「源泉論」につながる活動をするべきだ、そのために増員政策が必要である、と(
「『事業者性』の犠牲と『公益性』への視線」「弁護士と社会が払っている本当の『犠牲』」)。
弁護士の使命、国民的基盤を強調する弁護士会の基本論調を考えれば、、経済的に自縄自縛となりかねない方向を自省的に受け容れることは、むしろ必然的てあったようにもとれます。「経済的自立論」でさえも、自虐的ともいえる「社会に通用しない」論で封印すべきとする声が出されました。弁護士(会)は、経済的不安を省みず、この論調に乗っかる形で、当時の会主導者の「大丈夫」の掛け声のもと、無理な激増政策を受け容れることにもなったのでした。
そして、さらにそれと一体の法科大学院制度導入、「給費制」廃止といった、人材確保という意味でも、資格の「価値」という意味でも、経済的におよそ足を引っ張ることになる政策が推し進められたのです。
前記コメントに繋がる、弁護士の経済的基盤を後方に押しやった失敗は、まさに「改革」の結果が証明したというべきではないでしょうか。
投稿者の指摘は、単に弁護士の社会的イメージの問題ではないといえます。「金満・拝金弁護士が良いというのか」という意見がすくざま返ってきそうですが、それをいうならば、経済的に不安定のイメージの方が利用者に金銭面の不安を与えかねない、という言い方だってできてしまいます。
「六本木ヒルズ」や「美人秘書」や「ベンツ」はともかく、むしろ、見落とせないのは後段の「強靭な経済力に裏打ちされた社会的権威がなくてはダメ」と、「少なくとも、もうかならいような方向に誘導している今の方針では、低くみられて利用されるだけ」という言葉です。弁護士会自身が呼び込み、旗を振った「改革」の結果は、少なくとも今の弁護士たちからみて、この言葉に説得力を持たせるものになっている――。前記表の「源泉論」だけにしがみつくのではなく、会主導層は、もう少し、そうした現実にも目を向け、それを踏まえるべきです。
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弁護士の民事訴訟におけるパフォーマンス評価: 法曹の質の実証的研究
https://twitter.com/fukazawas/status/1273404846079488000(この論文をツイートしたツイート主も非常に有能な弁護士である)
弱者救済、国選弁護、過疎地対策、法テラス、弁護士倫理、戦争反対
そういう会務熱心というイメージ戦略をとる事務所で、自分たちは受任しない案件を、法律相談センターや都市型公設に押し付けてきているんじゃないかと思われる件があったな。
なにせ、そこの元過疎地派遣弁護士が、派遣予定弁護士に対して、
「東京は飛び込みの電話に対して『法律相談センターに行ってくれ』と言えるから楽だ」
などと講演していたくらいだから。
ところが、こういう失言は闇に葬られ、イメージ戦略が成功した結果、資産家の事件が回らなくなったのか、ついにはボス弁まで法律相談センターの相談交代に名乗りを上げるようになってしまった。しかし秒速で担当者が決まることを知らなかったらしく、ことごとく遅くて、断られていた。
天網恢恢疎にして漏らさず
おごれるものも久しからずただ春の日の夢のごとし
>「ちゃんと能力がある人だけ合格させるように合格者を絞るべきだ!!」
と主張すると、
「弁護士が既得権益を守ろうとしている!!」とか叩かれる風潮が
できてしまいましたからねえ。
「能力がある人なら合格できるように、受験資格制限なんか作るな!」
と主張する人はずいぶん見かけますけどね。
”受験資格制限”こそが、最悪の既得権益だとしか思えませんが。
司法試験は国家試験だから、恣意的な採点なんかできないが、司法研修所のような国家機関ではなくわざわざ大学に設置した法科大学院とやらなら、恣意的採点つまりコネ入学でもなんでもやりたい放題じゃないの。コネ入学すなわち国家資格のコネ合格。これが悪質な既得権益でなくて何なの。
ただし、こういう奴らの提灯記事ばかり書き連ねて、私でも気付くような疑問なんか一切質問しない、何十年も前から発行されてて一見世間の信頼の厚い新聞雑誌の大半が、とてつもなく無能かそれとも悪の仲間だ、という事実が明白になったことだけは収穫です。
法律家なら、権威主義でなく論理性を重んじるはずですからね。
>能力の高低がわからないということは、すごく低い能力でも十分に務まるという意味でしょうか?
弁護士の能力が低くても、依頼者がそのことに気付かなければ、
弁護士と依頼者の間で問題は顕在化しません・・・。
>「どうせ俺たちは法廷実務なんかやらないんだから訴訟法も民放もわからん奴(つまり法科大学院にコネ入学させた後輩)に弁護士資格をよこせ。司法修習なんかいらん」と言い張る大物弁護士はうんざりするほどいますが、「渉外なんて法廷とかけ離れたただの事務なんだから弁護士が独占するほうがおかしい。まして訴訟がわからん無能に弁護士資格を寄越せなど、診察も手術もしないから人体構造もわからん馬鹿に医師資格を寄越せと言い張るようなもので、法曹資格を馬鹿にしきった、言語道断な暴論だ!」と批判する人は、どういうわけかさっぱり見ない。
「ちゃんと能力がある人だけ合格させるように合格者を絞るべきだ!!」
と主張すると、
「弁護士が既得権益を守ろうとしている!!」とか叩かれる風潮が
できてしまいましたからねえ。
法科大学院に十分な教育能力があるのならば、
むしろ司法試験の合格水準は高く設定したらよいはずだと思います。
>最高裁でも地裁でも、判事には守秘義務がありますね。それも退官後も。でも、元最高裁判事は間違いなく退官後も「元最高裁判事」と得意げに名乗ります。守秘義務あるんだから、客に「私はこのような仕事をやってきました」と具体的に示せませんよね? だったら、なんのために名乗るんでしょう? ただのハッタリなんですか? 最高裁判事でさえも?
元最高判事だというだけで、きっと能力が高いに違いないと
安易に信じる人がいるのでしょう。
>公害問題とか悪徳商法とか消費者被害の弁護団に参加したことがある、というのを示してくれれば、この弁護士はこの分野の経験者なんだな、とわかりそうですが、それさえも信用できないんでしょうか? 大企業団体のナントカ委員だか社外取締役だかをやるより、欠陥金融商品の弁護団のほうがよほど困難な仕事だろう、つまりそっちの経験者のほうがよほど腕が立つだろう、と察しがつきますが、実際は違うんでしょうか?
弁護団の中でどういった役割を果たしたのかにもよるでしょうし、
別の事件類型での能力がどの程度かはまた別問題だと思います。
>だったら、なんのために名乗るんでしょう?
最高裁判事については存じ上げませんが、まわりに”元〇〇”という肩書を使う人間はたくさんいますよ。実際に具体的に説明を求めればハンコ押すだけとかそんなものも多いでしょうね。
さすがに裁判官ですと、民事事件の判決を何件やら刑事事件の判決を何件という話になるのではないでしょうか。
>公害問題とか悪徳商法とか消費者被害の弁護団に参加したことがある、というのを示してくれれば
検索すればこの程度の情報はでてくるので、それをわざわざ客に言うかどうか。
>大企業団体のナントカ委員だか社外取締役だかをやるより、欠陥金融商品の弁護団のほうがよほど困難な仕事だろう、つまりそっちの経験者のほうがよほど腕が立つだろう、と察しがつきます
ケースバイケースでしょう。自分が欠陥金融商品の訴訟をしたいならそういう経験のある弁護士のほうがいいでしょうし、逆に企業の立場なら大企業団体の弁護士のほうがいいと思うかもしれないですね。
>依頼者は渉外弁護士の能力をどうやって判断しているのでしょうね?
>適切に判断できているのか非常に疑問です。
能力の高低がわからないということは、すごく低い能力でも十分に務まるという意味でしょうか? 「どうせ俺たちは法廷実務なんかやらないんだから訴訟法も民放もわからん奴(つまり法科大学院にコネ入学させた後輩)に弁護士資格をよこせ。司法修習なんかいらん」と言い張る大物弁護士はうんざりするほどいますが、「渉外なんて法廷とかけ離れたただの事務なんだから弁護士が独占するほうがおかしい。まして訴訟がわからん無能に弁護士資格を寄越せなど、診察も手術もしないから人体構造もわからん馬鹿に医師資格を寄越せと言い張るようなもので、法曹資格を馬鹿にしきった、言語道断な暴論だ!」と批判する人は、どういうわけかさっぱり見ない。
最高裁でも地裁でも、判事には守秘義務がありますね。それも退官後も。でも、元最高裁判事は間違いなく退官後も「元最高裁判事」と得意げに名乗ります。守秘義務あるんだから、客に「私はこのような仕事をやってきました」と具体的に示せませんよね? だったら、なんのために名乗るんでしょう? ただのハッタリなんですか? 最高裁判事でさえも?
公害問題とか悪徳商法とか消費者被害の弁護団に参加したことがある、というのを示してくれれば、この弁護士はこの分野の経験者なんだな、とわかりそうですが、それさえも信用できないんでしょうか? 大企業団体のナントカ委員だか社外取締役だかをやるより、欠陥金融商品の弁護団のほうがよほど困難な仕事だろう、つまりそっちの経験者のほうがよほど腕が立つだろう、と察しがつきますが、実際は違うんでしょうか?
>本当に不思議な業界ですね。あなたは法廷弁護士の話しかしていないようだが、この調子だと、裁判所なんか寄り付きもしない、渉外弁護士だかビジネスローヤーだがいう連中は、一切その実績を測る手段はないということでしょうか? だったらどうやって集客してるんですか、あの連中は? 学閥のコネと、ハッタリが全てですか?
依頼者は渉外弁護士の能力をどうやって判断しているのでしょうね?
適切に判断できているのか非常に疑問です。
(もっとも、訴訟業務を中心にしている弁護士の依頼者も、
弁護士の能力を適切に判断できているのかは大いに疑問ですが。)
私は誰が優れた医者かなんて適切に判断できませんが、
依頼者と弁護士も似たようなものかもしれません。
>私は所詮専門家ではない。自惚れは非常に危険だ。だが、「素人である私でさえ知っている事実」を平気で間違えるような輩は、信頼してはいけないとわかります。例えば、一回その地に行っただけの観光客でさえ知っている事実、観光客向けの旅行ガイドにさえ必ず書いてあることを知らないとしか思えない内容を書きなぐっている輩やそんなヨタ記事を得意げに乗せている媒体は、自称に関係なく信頼してはいけないとわかるでしょう。高校以前に習う内容を平気で間違えている医者なんかもそうです。だから、素人の自分でも知っているような判例や条文について質問すればいい。素人でも知っていることを、その道の本職が知らないはずがない。大学教授が学生の質問にまともに答えられないなんて、考えられますか?
素人が知っている程度の質問に答えられたからといって
弁護士として十分なスキルを持っているかどうかはわかりませんね。
非常に低い水準は少なくともクリアしているということが分かるだけでしょう。
>ところで、裁判上の実績というのはそんなに重大視されるんでしょうか。
米国の弁護士が裁判官を務めるのは、「この分野で豊富な経験がある。この分野に精通している」と示す根拠にするため、と聞いたことがありますが、日本の弁護士が同様の理由で地裁判事になりたがってますか? 最高裁だけでしょ? 判事になりたがるのは。最高裁判事には守秘義務がないんですか? そんなわけないでしょ。
日本とアメリカは制度が違いますから、
弁護士が地裁判事になろうとは思いづらいでしょう。
最高裁判事の守秘義務の話はどういうつながりで出ているのか、
私には理解できませんでした…。
>それが非常に測りにくい業界なのです。
本当に不思議な業界ですね。あなたは法廷弁護士の話しかしていないようだが、この調子だと、裁判所なんか寄り付きもしない、渉外弁護士だかビジネスローヤーだがいう連中は、一切その実績を測る手段はないということでしょうか? だったらどうやって集客してるんですか、あの連中は? 学閥のコネと、ハッタリが全てですか?
私は所詮専門家ではない。自惚れは非常に危険だ。だが、「素人である私でさえ知っている事実」を平気で間違えるような輩は、信頼してはいけないとわかります。例えば、一回その地に行っただけの観光客でさえ知っている事実、観光客向けの旅行ガイドにさえ必ず書いてあることを知らないとしか思えない内容を書きなぐっている輩やそんなヨタ記事を得意げに乗せている媒体は、自称に関係なく信頼してはいけないとわかるでしょう。高校以前に習う内容を平気で間違えている医者なんかもそうです。だから、素人の自分でも知っているような判例や条文について質問すればいい。素人でも知っていることを、その道の本職が知らないはずがない。大学教授が学生の質問にまともに答えられないなんて、考えられますか?
ところで、裁判上の実績というのはそんなに重大視されるんでしょうか。
米国の弁護士が裁判官を務めるのは、「この分野で豊富な経験がある。この分野に精通している」と示す根拠にするため、と聞いたことがありますが、日本の弁護士が同様の理由で地裁判事になりたがってますか? 最高裁だけでしょ? 判事になりたがるのは。最高裁判事には守秘義務がないんですか? そんなわけないでしょ。
ある程度の人数がいれば、おかしな奴が出てくるのは仕方がありません。だが、そいつが引き摺り下ろされもしないで、業界の中心でのさばり続けてたら、そりゃ業界丸ごとロクでもないのだと思われて当然でしょう。暴力団がそんな名前で呼ばれて蔑まれるように。
>「この分野に、どれだけ経験を積んで、実績を上げているのか」が第一と違うんですか?
それが非常に測りにくい業界なのです。
例えば、労働者側と企業側の労働問題という分かりやすい問題ですら、労働者側の立場として何をもって勝訴とするのかの基準が難しい。「oo万円で和解したので勝訴(しかし実際最初に請求したのはXXXX万円)」と言えるかどうか(しかし判例からすると労働者側がそれだけの金銭を得られたのは珍しいといえる)。
また、大っぴらに企業の名前や労働者の名前をあげて広告するわけにはいきません(大抵口外御法度の条項がありますので)。
そうなると例えばホームページで「大企業A社との間での労働者側訴訟で勝訴」としか言いようがなく、途端にうさんくさくなります。
医療訴訟についてもそうなるでしょう。
また、企業や病院相手の訴訟の勝敗はそもそも証拠や証人をどれだけ用意できるかで変わりますが、つまりは残念ながら企業や病院といった金や人をすぐ用意できるほうが有利です。
そうなると、必然的に労働者側など立場が弱い人間の弁護士のほうが実績(勝訴敗訴という意味において)がないということになります。
また、仮に実際に
客「先生は今までどれだけの事件に勝ってきたのですか?あ、口頭じゃなくて記録を見せてくださいよ」
弁護士「そうですね、今までの裁判の判決や解決してきた事件はこれだけありますね」(と書斎に案内する。もちろん記録は当事者の実名がばっちり書いてある)……こんな弁護士いやですね。
仕事の実績を秘匿せずに公開したいがその仕事の実績そのものは依頼人が隠したい情報であり実際守秘義務もある
という場合難しいと思います。
>仕事の実績は偽装しにくいし、突っ込んで聞かれたらボロも出やすい。
その「突っ込んで聞きたい仕事の内容」は「誰かが聞かれたくない話のオンパレードでもあり守秘義務の対象」ですので。
弁護士は相性です。情報を駆使して人間的に自分と合いそうな弁護士を探すのが一番いい。
私自身、弁護士に高額の仕事をそれも継続的に持ち込むような立場じゃありませんが、弁護士選びってのは医者選びにも似て「この分野に、どれだけ経験を積んで、実績を上げているのか」が第一と違うんですか? 凄腕の正直者なのに、時運に恵まれず没落する人もいる。むしろそういう人なら、適正報酬で全力投球してくれそうだと思いますけどね。本物の一流なら評判を呼んで紹介で仕事が持ち込まれるはずだから、ハッタリに精を出して集客するなんて考えられない。
私自身、悪人やハッタリ屋にはウンザリするほど出会ってきた。すごく立派な身なりの好紳士が、その信用をいいことに周囲に借金を重ねまくって、逃げてしまったこともある。私が被害に遭わなかったのは、私が金持ちに見えなかったからでしょう(実際に違いますが)。
維持費がかかる仕掛けにこだわるということは、その維持費のぶん苦しくなるということです。請求をぼったくっているか、仕事を手抜きしている疑いも出てくる。「子沢山なので金に困っている」のならまだしも「ハッタリの小道具大道具に金がかかっている」人間を、あなたは信用しますか? 詐欺師じゃなくても、仕事は三流以下かも知れませんよ?
「客観的に資産がある」と言ったって、そんなもん外見上偽装する手はいくらでもあります。でも仕事の実績は偽装しにくいし、突っ込んで聞かれたらボロも出やすい。本当に資産家だとしても、まっとうな稼ぎ方で作ったのかはわからない。だから、「資産家かどうか」なんて信用力の基準にならない、仕事の実績こそ注目すべき、実際に仕事を頼むのならなおさらだろう、と強調します。
自分の資産を誇示するような人間が信用できないという意見は分かりますが、「六本木ヒルズ」「美人秘書」「ベンツ」だと怪しくて信用できない、という価値観は、正直理解ができません。なお、ここでは「自分の資産をひけらかしたり、誇示するような人間が信用できるか」はテーマになっていません。客観的に資産がある人とない人、どちらのほうがより信用力があるか、という話だと思います。
教祖もついに現預金が足りなくなってしまったのですね・・・
>無記名で「わたしでさえ」と言われても
「経営者でもない私でさえ察しがつくんだから、実際に弁護士に仕事を頼むような人、特に事業を経営している人がわからないはずがないでしょう」という意味ですよ。
>いまどきのお金持ちというのは、むしろつつましい生活をして
当たり前です。税務署の他にも、詐欺師や強盗や誘拐犯が寄って来る。いまどきどころか、大昔から本物の富裕層や一流仕事人は極力目立たないように振る舞います。だからこそ、「六本木ヒルズのようなビルで美人秘書を侍らせてベンツに乗ってる弁護士」なんか怪しい。それも、わざわざ誇示するような奴はもっと怪しいと私も強調してる。
>今はお金持ちは尊敬されあこがれの対象となり
地位に見合った、あるいはそれ以上の貢献をしている人なら、そうでしょうね。
情報商材のマルチ商法なんかで稼いでいる詐欺師や、そんな奴らのカモになる馬鹿は、社会貢献なんてまともに考えているとは思えません。
3番目の方と4番目の方にお尋ねしますが、私は「ヒルズだのベンツだの美人秘書だのは権威にならん。そんなものが社会的権威なら詐欺師や暴力団も同様だ」という意図で発言したのですが、どこか誤読でもしましたか?
2番目の投稿の方は、お金持ちに対するイメージが偏りすぎではないですか。このようなアジテーションが今時の人達に通用するとは思われません。
いまどきのお金持ちというのは、むしろつつましい生活をして、資産を社会貢献に役立てられています。
ビル・ゲイツ財団のワクチン開発などはその典型で、世界中のお金持ちも賛同して寄付するなど、一丸となってこの問題に対処されています。
日本でも、税務調査や査察で狙われるのを防ぐためにつつましく生活されつつ、プランジャパンや日赤や子ども食堂などに寄付、捨て犬や捨て猫の保護など、社会貢献されています。
ヒカキンの1億円寄付も記憶に新しいですね。
今はお金持ちは尊敬されあこがれの対象となり、むしろ生活保護受給者に対するあたりの方が強い。
そろそろ布教活動の方法を変えられては。たとえば、法テラス事件や国選弁護を熱心にやっている弁護士の平均所得は年2000万円以上で、年間1800時間労働、産休育休中には弁護士会が所得補償(会費免除で済むわけがない)、奨学金や貸与金を弁護士会が代位弁済したうえで債権放棄、懲戒処分の基準は罪刑法定主義の精神にのっとり事前に明確に定められている(派閥が影響することはない)、というような事実があるならば、それは布教活動として使えるのではないでしょうか。
お金は大事です。ところが、お金のことをあたかも汚らしいもののように言いつのり、タダ働きをさせ、多額の上納をさせるというのが、新興宗教の手口で、刑事弁護やひまわり基金界隈でもこの手口で人生を台無しにされた(かつての)若者が大勢います。私もその一人です。
「彼ら」は決して反省せず、被害者面をし、今に至っても妄言を流布して本当の被害者を増やし続けるのですから、絶対に一生許しません。ロースクール出身者が、ロースクールのことを許さないというのと同じ感覚かもしれません。
なお、昔は任侠物が大人気、今でも怪しげな青年実業家の「けばけばしい」生活が人気でインターネット上でも多数のフォロワーを集めています。身勝手なべき論と(不都合な)現実の区別がつかなくなっているのでしょうか。
そして、無記名で「わたしでさえ」と言われても。そういう人のことを世間では不遜と呼ぶのです。
ところで、素晴らしきアメリカの刑事司法という妄想については、アメリカ市民が平和的なデモや、あるいは暴動により、反証されました。「彼ら」は日本を一体どこに導くつもりだったのでしょうか。
一昔前の暴力団幹部も、派手な服に宝飾品をひけらかして、大きな外車を乗り回して、けばけばしい女をはべらせていたものですが、そんなに社会的権威なんかありましたっけ?
馬鹿で無鉄砲な若者を新規構成員として誘引するためには、役に立っていたようですがね。でもそんな幹部も、本当は金に困っているが必死に見栄を張っていた、というのもよくある話。
やたら維持費が高い品々を誇示する輩なんて、どんな悪事を働いているんだろう、と疑ってしまいますね。私でさえそうなんだから、経営者ならなおさらでしょう。「山師の玄関」ってことわざをご存知ありませんか?
少なくとも私は、言動や行動で判定します。ハッタリくさい行為に固執する輩など、馬鹿には威張れるかもしれないが、そうじゃない人からは馬鹿にされるだけでしょう。
>「強靭な経済力に裏打ちされた社会的権威がなくてはダメ」
と同時に「強靭な弁護士自治力と自浄能力に裏打ちされた社会的権威がなくてはダメ」とも言える。
再度懲戒処分を受けた某弁護士だが、
>当時の事件を引き合いに出して「その筋のやからともつながりができた」
となる前に単位会で何とかできなかったのか。
まさか倫理研修だけで何とかできると思っていたわけではないと思うが。