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    新法曹養成をめぐる格差への「感性」

     大学入学共通テストで導入される民間の英語試験をめぐる、萩生田光一・文部科学大臣の、いわゆる「身の丈発言」に批判が集まっています。教育格差容認との批判の拡がりに、既に同大臣は「説明不足」として、謝罪・撤回に追い込まれていますが、制度自体のアンフェアを問題視する声は収まっていません。

     朝日新聞は10月29日朝刊「視点」で、深刻なのは、この制度自体が「身の丈入試」であることを拭えない点であるとし、「民間試験を使う以上、都会の裕福な家の子が何回も受験の練習をするのを妨げられない」と問題視。さらに、翌30日には社説でも取り上げ、「入試には貧富や地域による有利不利がつきまとう。その解消に努めるのが国の責務であり、ましてや不平等を助長することはあってはならない」「格差を容認する暴言と批判されたのは当然」と厳しく指摘しました。

     大臣の問題発言そのものよりも、それを許さない、この社会の反応を見るにつけ、経緯や前提となる内容が異なることは承知していても、司法改革の対象となった法曹養成は、ある意味、不幸であったという印象を持ってしまいます。

     新たに志望者へ課されることになり、これまでの司法試験受験の公平・平等の機会を奪うことになった法科大学院制度でも、さらにそれに上乗せして新たな経済的負担を課すことになった給費制廃止でも、この議論同様、「裕福な子弟しかチャレンジできない」という、不平等を危惧する声は出されたからです。

     しかし、資格取得のための費用の自弁性や、予備校依存批判を含めた旧試体制改革の意義を強調する推進論は、常に公平とか格差といった問題を後方に押しやって進めてきました。大学入試と司法試験の間に、社会的反応の差があるのは当然という片づけ方をすることができたとしても、それでも法曹養成において、もっとこの視点が強調されていれば、あるいはこの点にこだわる社会の感性があれば、今、どうなっていたのかと思わざるを得ないのです。

     大臣発言をきっかけに、制度自体の問題を鋭く指摘している朝日にしても、司法改革での格差については、今回とは全く違う反応だったといえます。今回の社説のなかで、朝日は「改革の方向性は正しいのだから、多少問題があってもやるしかない。(萩生田)氏に限らず今回の入試改革の関係者には、そんな開き直った態度が見え隠れする」と批判的に述べています。司法改革推進の関係者に、なぜ、朝日は今回見せたような、格差を問題視する感性で、このような言葉をぶつけられなかったのか、と言いたくなります。

     アメリカのロースクールの危機的状況を告発した、ブライアン・タマナハ・ワシントン大学ロースクール教授の書「アメリカ・ロースクールの凋落」(邦題)の訳者、樋口和彦氏は「訳者あとがき」の中で、アメリカのロースクールの現状の問題点を次の5点にまとめています。

     ① ロースクール卒業生は膨大な借金を抱える。
     ② 法律家需要より多くのロースクール卒業生を輩出し続けるので就職困難となる。
     ③ 景気動向とは関係なく法曹志望者は減り続けている。
     ④ 多くの若き弁護士は借金返済のための企業法務を目指す。
     ⑤ 金持ちでないと法曹を目指せない傾向がある。

     あえて説明するまでもなく、日本の法科大学院で全く同様なことが生じているのです。日本の司法改革でモデルとしたアメリカのロースクールにおける、問題点までを、日本の現状がなぞることになっているという、皮肉な結果です。

     そして、さらに樋口氏は「格差」に関連しては、こう言及しています。

     「そもそも、アメリカのロースクールが3年制となったのは、裕福な白人階級の保身のためであった(本書2章)。その結果、法曹の主流は中流より裕福な白人で占められている。日本が法科大学院制度を導入した真の狙いはこの辺にあるのではないかと疑いたくもなるのである」

     19世紀末の、アメリカ法曹協会を牛耳っていた超エリート法曹人たちによる、新移民法律家による法曹の評判低下への危惧。学生を集めるのに苦戦していた大学付属ロースクールの事情。「法曹界と一流大学のロースクールは、経済面と専門性の利益の一致を共有し、法学教育に高い基準を課した」「この二者の連携を確固たるものにしたのは、アメリカの法曹支配階級の心の奥底にある人種・民族差別主義と移民排斥主義であった」(前掲書2章)。

     アメリカのロースクール長い歴史のなかで、当初定着していた2年制課程が、こうした事情を背景に20世紀に入ってから現行の3年制課程に変えられます。そして、すべての学生に経済的窮乏を強いてまで強制する3年制への疑問を引きずりながら、「専門職の統一化」モデルから、それは維持されているのです。

     「中流や貧国階級の真の敵は、ロースクールに行くのを思いとどまらせ、ロースクールに行った者には過重な借金を課すお金がかかる3年制課程というロースクールの制度である」(前掲書同)

     1990年代から2000年代初頭の、日本での司法改革論議の「季節」に、日本が範としようとする国の制度をめぐり、現実には何が起こっていたのか――。「改革」の勢いに任せず、制度の真の影響を浮き彫りにして、そこを丁寧に議論することにつながる、「格差」への感性が、社会から示されていれば、あるいは今、志望者も法曹養成もここまで傷ついていなかったのではないか、と思ってしまうのです。


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    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

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    No title

    こういうもう少し弁護士になったら楽しいよという宣伝を広めた方がいいのにね
    https://twitter.com/okumuraosaka/status/1193772742044078080

    No title

    >真っ昼間から働きもせずに大学院に行くような人は貴族

    某業界大好きな言葉の一つに「のうぶれす・おぶりーじゅ」なるものがあります。
    ですから貴族で問題ありません。

    No title

    シンプルな話です。
    大学短大等への進学率が8割を超える現在、入試改革は多くの国民の利害に直結します。
    これに対して、法科大学院進学を考える人は少なく、自分の利害に関係ないので、感心がない、関心がない分野については自分の頭で考えず、マスコミの大本営発表を鵜呑みにする。
    (そもそも大学を卒業したら働き続けるのが普通で、真っ昼間から働きもせずに大学院に行くような人は貴族か将来設計のない愚か者のどちらかと思われている)。

    No title

    大本営発表が続いているのは不思議だが、考えてみたら第二次世界大戦時にアジア解放という御旗の元に大本営発表を垂れ流し続けた大手新聞社自身は社としての責任を認めることはなく謝罪も賠償もしていない。

    失敗例の代表例の一つは過疎地対策だが、これは要するに司法研修所の刑事弁護のやり方を全国に布教して今までのあり方を塗り替えるという「正義」に満ちたもので、地方の弁護士の負担をひまわり弁護士におっかぶせてその人生を台無しにしても構わないという隠された合意があり、未だに日弁連はやりがいを前面に出してカバーし続けてリクルートを続けているが、さすがにもうばれており、それでもまだ安全なところにいる人たちが大本営発表を続けて、たまにこれに引っかかる人がまだいる。

    難しい事を抜きにして言えば、ハッキリしているのは、
    「法曹を志してはいけない、昭和18年に志願兵になるようなものだ。
     既存の弁護士は、自分と家族を大事にして、一刻も早く廃業しなければならない」

    No title

    問題を法曹養成制度の本質から捉える必要があると思います。

    1999年に、それまでの日弁連、最高裁、法務省の法曹三者協議会による法制度の話し合い路線を吹っ飛ばす形で司法制度改革審議会設置法に基づき司法制度改革審議会(司法審)が発足しました。

    同年7月、東京の弁護士会館で松井康浩弁護士の「戦前の翼賛弁護士の轍を踏んではならない」という講演会があり、私も聴きに行きました。松井弁護士は、「日本弁護士論」などの著書もあり、日本の司法制度の歴史や法曹一元にも造詣が深いことで知られています。

    松井弁護士は講演で、「今日のような政治反動の時代において法曹一元を実現するとか参審・陪審を実現するということを安易に考えるのは大間違いだと、私は思います。司法行政も政治も統一されて方向づけがなされている。法曹一元を実現し参審・陪審を実現するためには、国政全般を民主化していかなければならない。国政が反動化して司法だけが民主化するということはあり得ない。」と言われました。

    松井弁護士は以前から、司法官僚制こそは日本の支配層が決して手放そうとしないものであると言われ、1962年の臨時司法制度調査会も批判されてきました。

    事態は全く松井弁護士が言われたとおりに進んできました。

    法曹一元とは司法官僚制の否定の上に成り立つものです。

    法科大学院とは何か。その本質は、一面では、司法試験合格者を激増させるための装置であり、他面では、司法官僚制の強化のために、司法修習制度を無化させるための装置です。

    私は、フッサールの現象学に出会い、本質観取に努めるようになりました。そして、そのような観点から、司法審路線を批判してきました。

    日本の法科大学院がアメリカのロースクールと決定的に異なるのは、法曹一元なきロースクールだという点です。法曹養成における法科大学院の位置がアメリカと日本では全然違うという点を無視して、法科大学院だけを観察しても、本質的な問題が覆い隠されるだけだと思います。

    日本国憲法が法曹一元を前提にしているにもかかわらず、旧司法省官僚は、戦後の裁判所においても司法官僚制を継続させ、しかも、戦犯に問われることもなく、公職追放にもならず、そして、司法権独立派の裁判官を事実上追い出すことに成功して今日に至っています。

    当時の日本の支配層は司法官僚制を存続させるために、その見返りとして、法曹一元の理念を取り入れた2年間の有給の統一修習を内容とする司法修習制度を提案したのです。

    旧司法省の最後の人事課長石田和外氏は、最高裁の人事課長をへて、最高裁長官になりました。これは日本の司法制度における象徴的な事実です。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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